昨夜、とある居酒屋で知人と食事をした際の、アルバイトと思しき店員とのやりとりです。
知人:「このクーポン券は使えますか?」
お店の人:「えっ?クーポン?う~ん、担当に聞いてきまっす」
続いて
私:「景虎をお銚子で下さい」と注文すると
お店の人:「焼酎ですね」
私:「・・・日本酒ですが」
お店の人:「焼酎じゃないんすか~?」
さらには
お店の人「ノミホー(飲み放題)ですか?」
私「ノミホー???」
料理の注文がなかなか理解されず違うものが出てきたり、注文をとるのに略語を使うなどを繰り返し、入店から会計にいたるまでの約3時間半の間、終始噛み合わないやりとりが続きました。
最近、外食産業の人手不足が深刻化しているとのことです。時給を上げてもなかなか人を獲得できず、閉店に追い込まれてしまう店舗もあるようです。
そういう状態ですから、この居酒屋もようやく店員の頭数をそろえられた状況だったのかもしれませんが、それにしても顧客満足も「おもてなし」の心も見受けられない、ぞんざいな対応でした。
先日、旧東海道を歩いている中で、愛知県豊橋市の旧東海道二川宿の旅籠屋「清明屋」と、そこに併設されている本陣資料館を見学しました。清明屋は江戸時代後期から明治まで二川宿で旅籠屋を営んだ倉橋家の遺構で、改修復原工事により主屋・繋ぎの間・奥座敷等を江戸時代の姿に復原されています。
さて、オリンピックの誘致活動で再認識されるようになった日本の「おもてなし」ですが、既に江戸時代には本陣や旅籠屋で様々な形で行われていたようです。
中でも本陣は大名や公家などが利用しますから、格別に丁寧なものだったようで、例えば、本陣の当主が裃で宿場の入り口まで客人を出迎え、本陣まで案内し、屏風・掛け軸・燭台・行燈などの調度品や、魚介類・菓子など飲上品を用意してもてなしたのだそうです。
資料館には江戸時代後期に本陣を務めた馬場家が用意していた調度品、またもてなしを受けた返礼として利用者から拝領した書面が展示されており、二川本陣のおもてなしの様子が見てとれました。
5年後の2020年に開かれる東京オリンピックでは、日本の「おもてなし」を期待して外国から多数の人が訪れることになると思います。この「おもてなし」は、昨日今日始まったものではなく、歴史の中で大切に受け継がれてきたものだということを二川本陣のおもてなしの様子を垣間見ることで再認識しました。
このように「おもてなし」は、一長一短にできあがるものではないことは言うまでもありません。人手や時間などが足りないからと言い訳にすることのないように、少しずつ築きあげていかなければならないものだと思います。
冒頭の居酒屋の対応に驚いてしまった私ですが、日本を訪れた外国人を同じように驚ろかしたり、がっかりさせてしまうことのないように、きめ細やかな「おもてなし」を提供するためにはどうすればよいのか、今からしっかり考えて準備を始める必要がありそうです。
この日本ならではの「おもてなし」ですが、ヒントは江戸時代のおもてなしにあるのかもしれませんね。
(人材育成社)