記憶に残っているQSOは数々あれど、「いやぁー、あれはねぇ」と鮮明に
残っているQSOはそんなに沢山あるわけではありません。
また珍局イコール記憶に残っている訳でもなく、苦労の程度や失敗やサプライズや
何か強烈に印象に残っている何かと一緒に覚えていることが多いです。
いくつあるか良く覚えていませんがツラツラと。
最初は、1988年のK9AJ/KH5K-Kingman Reef
当時は静岡市に在住の頃で、今で言うアパマンハムでした。
アンテナはと言えば、窓の手摺りに括り付けた物干し竿の先端に上げたX-50
(VUのGPですネ)と、その物干し竿の途中から地面に落としたインバーテッドV
(短縮コイルを入れて7MHzと21MHzに同調していた)でした。
地上高は2階の窓から物干し竿でしたので、約7mくらいだったと思います。
当時使用していたリグは、静岡でローカルから譲り受けたFT-101E。外部VFOも何も無し。
丁度DXの面白さに取り付かれ始めた頃で、片っ端からJA以外とQSOしては2mFMで
ローカルと今日の戦果を報告しあう毎日でした。
そんな中誰が言い出すでもなく
「おい、来週からキングマンリーフが出るってヨ」
「へえ、で、それってどこにあるの?」
「太平洋だよ。聴こえるには聴こえるだろうけど珍カントリーだからねぇ」
「できたらスゴイね」
「無理無理、タワーにリニア入れなきゃ」
今思えば不思議なくらい、あの時は夢中になりました。
運用開始の日ワッチすると早速凄まじいパイルが確認できました。
が、悲しいかな戦えるアンテナ環境は15mしかない(40mは、はなから捨ててました)
おまけに101のRITは5KCアップなどとされると付いていけない。
勝つための作戦は唯一つ。15mで出始めのSprit指定前の短い時間で叩く、のみ。
インターネットも無い時代です。パケット通信はありましたがパケットクラスタが
全盛になるのはもっと先の話です。DX情報は雑誌とローカルQSOからのみでした。
おまけに知識が乏しかったので何時ごろ太平洋が開けるかが自信もてません。
近場なのでいつ開いてもおかしくありません。
となると対策は一つ!
24時間21.295を聴いていれば良い。
パンや弁当を買い込み(当時はまだコンビニなる店は静岡市には無かった)ただひたすら
21.295のノイズを聴き、信号が入るのを今か今かと待ったのでした。
臨戦態勢の初日は結局入感しませんでした。
そのまま徹夜したまま2日目へ突入です。
弁当屋へ走りたかったのですが、もし15分リグから離れた間に出てきたら、と思うと
離れることが出来ませんでした(実際、トイレへいくのも恐る恐るだった)
眠いのと期待感が入り混じる中、その瞬間が来たのでした。
強烈なキャリアが一瞬入感!明らかに誰かがチューン取った。
全神経を注視して次の信号を待つ・・・
「あーあー」に続いて「K9AJ/KH5K」とコールサイン。CQは言わなかった。
「Japan Japan Two Charly Japan Blabo!!」と1回叫ぶ。
ワッチ!平日の昼間だと言うのに何局かが同時にコールしている!
そのコールのざわめきを貫いて
「Japan Japan Two Charly Japan Blabo ....Five Nine」と最初に返ってきた!
1988.APR.25 14:23の出来事。
その後、2,3局やってからすぐにSprit運用に切り替わった。
今、手元にあるQSLカードを眺めると「若いなぁ。今ならやらんなぁ」と思います。
でも、あそこまで夢中になれたことが懐かしく思えます。
DXは競争だけではないと思いますが、人と争うからこそ充実する価値も沢山あります。
あれから19年経た今でもパイルになると熱くなれているのは、ありがたいことです。
FB DX !
残っているQSOはそんなに沢山あるわけではありません。
また珍局イコール記憶に残っている訳でもなく、苦労の程度や失敗やサプライズや
何か強烈に印象に残っている何かと一緒に覚えていることが多いです。
いくつあるか良く覚えていませんがツラツラと。
最初は、1988年のK9AJ/KH5K-Kingman Reef
当時は静岡市に在住の頃で、今で言うアパマンハムでした。
アンテナはと言えば、窓の手摺りに括り付けた物干し竿の先端に上げたX-50
(VUのGPですネ)と、その物干し竿の途中から地面に落としたインバーテッドV
(短縮コイルを入れて7MHzと21MHzに同調していた)でした。
地上高は2階の窓から物干し竿でしたので、約7mくらいだったと思います。
当時使用していたリグは、静岡でローカルから譲り受けたFT-101E。外部VFOも何も無し。
丁度DXの面白さに取り付かれ始めた頃で、片っ端からJA以外とQSOしては2mFMで
ローカルと今日の戦果を報告しあう毎日でした。
そんな中誰が言い出すでもなく
「おい、来週からキングマンリーフが出るってヨ」
「へえ、で、それってどこにあるの?」
「太平洋だよ。聴こえるには聴こえるだろうけど珍カントリーだからねぇ」
「できたらスゴイね」
「無理無理、タワーにリニア入れなきゃ」
今思えば不思議なくらい、あの時は夢中になりました。
運用開始の日ワッチすると早速凄まじいパイルが確認できました。
が、悲しいかな戦えるアンテナ環境は15mしかない(40mは、はなから捨ててました)
おまけに101のRITは5KCアップなどとされると付いていけない。
勝つための作戦は唯一つ。15mで出始めのSprit指定前の短い時間で叩く、のみ。
インターネットも無い時代です。パケット通信はありましたがパケットクラスタが
全盛になるのはもっと先の話です。DX情報は雑誌とローカルQSOからのみでした。
おまけに知識が乏しかったので何時ごろ太平洋が開けるかが自信もてません。
近場なのでいつ開いてもおかしくありません。
となると対策は一つ!
24時間21.295を聴いていれば良い。
パンや弁当を買い込み(当時はまだコンビニなる店は静岡市には無かった)ただひたすら
21.295のノイズを聴き、信号が入るのを今か今かと待ったのでした。
臨戦態勢の初日は結局入感しませんでした。
そのまま徹夜したまま2日目へ突入です。
弁当屋へ走りたかったのですが、もし15分リグから離れた間に出てきたら、と思うと
離れることが出来ませんでした(実際、トイレへいくのも恐る恐るだった)
眠いのと期待感が入り混じる中、その瞬間が来たのでした。
強烈なキャリアが一瞬入感!明らかに誰かがチューン取った。
全神経を注視して次の信号を待つ・・・
「あーあー」に続いて「K9AJ/KH5K」とコールサイン。CQは言わなかった。
「Japan Japan Two Charly Japan Blabo!!」と1回叫ぶ。
ワッチ!平日の昼間だと言うのに何局かが同時にコールしている!
そのコールのざわめきを貫いて
「Japan Japan Two Charly Japan Blabo ....Five Nine」と最初に返ってきた!
1988.APR.25 14:23の出来事。
その後、2,3局やってからすぐにSprit運用に切り替わった。
今、手元にあるQSLカードを眺めると「若いなぁ。今ならやらんなぁ」と思います。
でも、あそこまで夢中になれたことが懐かしく思えます。
DXは競争だけではないと思いますが、人と争うからこそ充実する価値も沢山あります。
あれから19年経た今でもパイルになると熱くなれているのは、ありがたいことです。
FB DX !