次元の違う世界の住人がじっと自分を見つめていることに気がついている主人公がジワジワと異なる次元に引き込まれてしまうSFのようなミステリーのようなファンタジーのような恋愛小説を川上弘美が『真鶴』という題名で書いている。
東海道線に揺られながら自分についてくる自分の影のような何かと一緒に、何かがあるはずの真鶴に向かう女性の物語である。
そろそろ80に手が届きそうな母は、この小説の主人公のようなことをたまに口にする。普通の人には見えないものが見えてしまう年頃があるのかもしれない。そう言えばクーナという小人が見えてしまった子供たちのその後を追ったドラマが昨年放送されていた。面白かった。ところが、自分には全く見えない物が見えると言い張る人と一緒に旅をするという場面に遭遇すると、現実はまったく違う。
7月の半ば、私にはまったく見えない何かが「いる」と落ち着いて普通に語る母を連れて母の故郷である宮城県気仙沼市の海上に浮かぶ大島と言う、どこにでもありそうな名前の島を訪れた。2泊3日の旅である。
故郷を訪れ、まだそこに住む年老いた兄に会い墓参りをしたい、というのが母の願いだった。人生最後の願いだというその願いは、すでに5~6年前に叶えたのである。その時は大袈裟に感謝され、これでもうやることはやったと安心していたのだが、東日本大震災が起きてしまった。気仙沼大島は津波で壊滅的な打撃を受け、その後海上に流出した瓦礫と油に火がつき、周囲が4日間も炎で包まれた。その後のふる里の様子を知りたいと思うのは自然な成り行きではあったろう。
東北新幹線で一ノ関へ出て、一ノ関からは大船渡線に乗るというのが本来のルートだが、母は足が弱く列車の乗り換えや現地の活動にいちいちタクシーを借りるのも面倒だと思い一ノ関から先はレンタカーを借りた。母の体調を考え、いきなり海を渡らず気仙沼の港のすぐそばのホテルに宿泊した。私は昨年、陸前高田を訪れたことがあり、その際、震災後の気仙沼港も見ている。昨年あった瓦礫はもう、すっかり片付けられていた。フェリー乗り場のビルが跡形もなく撤去されサラ地になっていたのには驚いた。
わがまま放題の母の言葉にまともに応えて腹を立てたり、呪文のような寝言につきあったりしながら、久しぶりに母と一緒の部屋で眠った。翌朝早い時間のフェリーで島に渡った。3人で来たはずなのにあの人はどうしたのかと母が言ったのはホテルをチェックアウトしようと荷物を持ち上げた時だった。さあどうしたのだろう。私には3人めが見えなかった。残念なことだ。
気仙沼大島に渡ると母の兄、つまり私の伯父にあたる方が、一家をあげて歓待してくれ、そこで一泊させて頂いた。大津波後に海から襲ってきた炎には島中の人たちが総出で消化作業にあたって島への延焼を防いだこと、炎に囲まれている間は水も食料もなく、最初に配られた食料が一握りのウニと白米だったこと、最初に食料と水を持って助けに来てくれたのはアメリカ海軍だったこと、アメリカ海軍はヘリで何日も風呂に入っていない島民を沖の艦艇まで運び、風呂に入れてくれてくれ、しかも帰るまでに着ていた服をクリーニングして乾かして待っていてくれたこと、今も島の3箇所に仮設住宅があり多くの人がそこで生活を続けていること、平成30年完成を目指して島へ渡る橋を架けようという計画が進んでいること、など震災後の島の暮らしを聞きながら夜が更けた。
話しの合い間には、草ぼうぼうの裏山に登って墓参りを済ませた。立派な墓がいくつも並んでいたが、震災で倒れたり壊れたりして、どれも皆、石屋が直したものだと伯父が言っていた。
震災後の島の様子を見、兄に会い、墓参りもした母は最後の願いを叶えたはずだったが、帰ってきて一週間も経たないうちに電話をかけて来て、次はいつ連れて行ってくれるのかと問うた。また来ると約束して来てしまったから仕方がないと。見えないものが見える人は自分の気持ちに正直である。(三)
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東海道線に揺られながら自分についてくる自分の影のような何かと一緒に、何かがあるはずの真鶴に向かう女性の物語である。
そろそろ80に手が届きそうな母は、この小説の主人公のようなことをたまに口にする。普通の人には見えないものが見えてしまう年頃があるのかもしれない。そう言えばクーナという小人が見えてしまった子供たちのその後を追ったドラマが昨年放送されていた。面白かった。ところが、自分には全く見えない物が見えると言い張る人と一緒に旅をするという場面に遭遇すると、現実はまったく違う。
7月の半ば、私にはまったく見えない何かが「いる」と落ち着いて普通に語る母を連れて母の故郷である宮城県気仙沼市の海上に浮かぶ大島と言う、どこにでもありそうな名前の島を訪れた。2泊3日の旅である。
故郷を訪れ、まだそこに住む年老いた兄に会い墓参りをしたい、というのが母の願いだった。人生最後の願いだというその願いは、すでに5~6年前に叶えたのである。その時は大袈裟に感謝され、これでもうやることはやったと安心していたのだが、東日本大震災が起きてしまった。気仙沼大島は津波で壊滅的な打撃を受け、その後海上に流出した瓦礫と油に火がつき、周囲が4日間も炎で包まれた。その後のふる里の様子を知りたいと思うのは自然な成り行きではあったろう。
東北新幹線で一ノ関へ出て、一ノ関からは大船渡線に乗るというのが本来のルートだが、母は足が弱く列車の乗り換えや現地の活動にいちいちタクシーを借りるのも面倒だと思い一ノ関から先はレンタカーを借りた。母の体調を考え、いきなり海を渡らず気仙沼の港のすぐそばのホテルに宿泊した。私は昨年、陸前高田を訪れたことがあり、その際、震災後の気仙沼港も見ている。昨年あった瓦礫はもう、すっかり片付けられていた。フェリー乗り場のビルが跡形もなく撤去されサラ地になっていたのには驚いた。
わがまま放題の母の言葉にまともに応えて腹を立てたり、呪文のような寝言につきあったりしながら、久しぶりに母と一緒の部屋で眠った。翌朝早い時間のフェリーで島に渡った。3人で来たはずなのにあの人はどうしたのかと母が言ったのはホテルをチェックアウトしようと荷物を持ち上げた時だった。さあどうしたのだろう。私には3人めが見えなかった。残念なことだ。
気仙沼大島に渡ると母の兄、つまり私の伯父にあたる方が、一家をあげて歓待してくれ、そこで一泊させて頂いた。大津波後に海から襲ってきた炎には島中の人たちが総出で消化作業にあたって島への延焼を防いだこと、炎に囲まれている間は水も食料もなく、最初に配られた食料が一握りのウニと白米だったこと、最初に食料と水を持って助けに来てくれたのはアメリカ海軍だったこと、アメリカ海軍はヘリで何日も風呂に入っていない島民を沖の艦艇まで運び、風呂に入れてくれてくれ、しかも帰るまでに着ていた服をクリーニングして乾かして待っていてくれたこと、今も島の3箇所に仮設住宅があり多くの人がそこで生活を続けていること、平成30年完成を目指して島へ渡る橋を架けようという計画が進んでいること、など震災後の島の暮らしを聞きながら夜が更けた。
話しの合い間には、草ぼうぼうの裏山に登って墓参りを済ませた。立派な墓がいくつも並んでいたが、震災で倒れたり壊れたりして、どれも皆、石屋が直したものだと伯父が言っていた。
震災後の島の様子を見、兄に会い、墓参りもした母は最後の願いを叶えたはずだったが、帰ってきて一週間も経たないうちに電話をかけて来て、次はいつ連れて行ってくれるのかと問うた。また来ると約束して来てしまったから仕方がないと。見えないものが見える人は自分の気持ちに正直である。(三)
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