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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

ジャッジ

2013-10-02 11:47:34 | 日記
今回は当番前日に呑まなかった。でも当番自体を忘れていて執筆はギリギリだ。合掌。
やはり運命の流れには逆らえないのね、と投げやりに自分の計画性の無さを運命論にすり替えて今に至る。


はい本題。


仕事に限った事では無いのだが、人が生きていく上では様々なジャッジ、即ちというか直訳して判断をしなければならない局面が連続して登場する。無意識に経験等を元にして行っているもの、間違っても大したことは無い些末なものから、その後に大きく影響を及ぼす重大なもの、下手をすると他者の人生に影響をするものまで、さすがに世界の存亡に関わるような判断というのは機会がなかなか無いだろうが、それこそ人の成す事は判断の連鎖でできているといっても過言ではない。


ただここで大事なのは「判断」は「自分で考えて」下さねばならない、ということだ。

他者に言われるがままで自分で判断を下さないのは、「任せた」とは言わない。また「信頼している」で片づけていいものでもないという認識が薄い人が多い。

人を信頼あるいは信用することは大事だ。全てを疑ってしまったら仕事どころか社会の仕組みそのものが成り立たない。それ故に信頼や信用は重いものなのであると認識しなければならない。

だが公の事、重大な局面、他者を巻き込んでの方針、方向性決めでは「信じていたら、騙された」では済まされない。それ故に情報を集め、「判断」を下す必要がある。

集めた情報をそのまま鵜呑みにしているのは危険だ。判断を下す主体が自分であるのだから、解析をするのも裏付けをするのも納得するのも全て自分でしなければならない。

管理や経営はもちろんだが、設計やプログラミング、試験でも同様の事が言える。
「なぜこんな仕様で、方式で、あるいは試験項目であるのかはわからないがそのままやりました。」なんて台詞を聞くとガッカリする。「貴方達にも脳みそはついているだろう?その尻の1m程上に!」と言いたくなる。
誰が見ても齟齬の無い設計書や試験項目書であれば業務としては問題ないという見方も出来るが、それはあくまで設計書や試験項目書の品質の問題であり、自分のやる事、任された事を理解していないままでは、いつまで経っても自分のレベルは上がらない。自分で調査し、考え、理論的にこれでいけると「判断」した成果物が作れないまま一生を終えてしまうだろう。

また、レビュー等で「何でこれでいけると思ったの?」と突っ込んだ時に答えられない人は、上記の様に自分で考えていない事が多い。だから自分が悪いと思わないし、指摘しても何が悪いか理解できない。表面上は指摘しても「うんうん、はいはい」言うだけである。逆にしっかり考えている人は指摘に対して食い下がる事が多い。自分のミスの場合以外は、だが。
会議等での発言も同様だ。完全に責任を他者に擦り付けている状態である。
また論理的に自ら下した判断および発言ではないので、言った事すら覚えていない事がある。こうなるともう無責任に憤る事を通り越して開いた口が塞がらない。

まあよくわからない事をよくわからないまま進めたり、人の判断に任せっぱなしにすると、後で痛い目を見るのは自分ですよ。よくよく自分の頭で考えて自分の言葉で、文章で、設計で何事も進めましょう。というこじつけめいた結論で今回は締めておく。




だが、
「刑事長、この間と言ってる事が違いますよ」
「ああ、そいつは気の迷いか気が狂ったと思ってくれ」
「はい」
「・・・」
そんな日常。

(刑事長)

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株式会社ジェイエスピー
  横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
  製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
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