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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

振り向いたら前を向く

2017-03-22 12:00:32 | 日記
花粉が勢いよく舞う様になってきましたね、こんにちは。
イーッキシ!(´>д<):・.
今年度のブログ当番もとうとう最後です。来年度は、きっと卒業させてくれないので、また4月に登場することでしょう。世知辛いですね。

今日も今日とて、
「刑事長、今日ブログ当番ですよ、忘れてません?」
「忘れてないよ!書いてないだけだよ!ウチは全部手作りだから商品の提供に時間がかかるんだよ!」
と冷静に見ると訳の分からない言い訳をしつつ執筆する次第。年度末で多忙だから、というよりは性分みたいなものです。
WBCが皆気になっていて、ブログ見ないよね、と免罪符を自分にペタペタ貼っています。


と、今年度も最後まで字数を稼ぎながら、本題です。


「昔、私は、自分のした事に就いて後悔をしたことはなかった。しなかった事に就いてのみ、何時も後悔を感じていた。」

中島敦著:「光と風と夢」より。


中島敦と言えば、国語の教科書にも出てくる山月記の「尊大な羞恥心、臆病な自尊心」という言葉の方が有名だとは思われるが、今回はテーマに沿って上記を抜粋してみた。

やってしまった事については、確かにあまり後悔を感じた事は無い。「次に気を付ければいいか」という反省に繋がっていくし、改善の手も考える。
だが、やらなかった事に関しては、常に棘が胸に刺さっている感覚にも似た状態がいつまでも続く。
ふと思い出しても、前者は笑い話にする事は出来るが、後者はいつまでも苦い思いと共に簡単に拭い去る事が出来ない様にも思われる。
所謂不作為による失敗は、明確なアクションに対する結果としての失敗では無い分、受け取り方や大きさも個人ごとに様々で、痛さを時々思い出す古傷の様な状態になってしまう様な気もする。トラウマと呼べるほどのダメージも無いので、無くなったかどうかも分からない。

だが、やってしまった失敗は事実となるため、覆す事が難しい。対してやらなかった失敗は今からでも始める事は出来る。

あのとき見えていたものを見ないフリをしてしまったのではないか。
周りから差し伸べられた手を無視、あるいは振り払ってしまったのではないか。
かけて欲しい言葉が分かっていたはずなのにかけることが出来なかったのではないか。
やるべき事はわかっていたはずなのに理由をつけて後回しにしてしまったのではないか。

上記の様に自分のやってきた諸々に問いかけると、「すいませんそうでした」としか言えない自分が少々寂しいところではある。が、これからよくよく気を付けて改善を始めていきたい。

余談だが、某企業では失敗については推奨、表彰さえしている。ただし、それはやらなかった事に起因する失敗についてされる事は絶対にない。リスクに対する萎縮を避けるため、「思慮深い失敗に報いる」のがその大前提の方針だ。

もし今年度やれなかった、やらなかった事があったら、これからは出来る様に頑張ろう。やり残した事だらけの自分は頑張りまくらないといけないのは厳しい現実だが。
まあ皆さんも一緒に来月から入社してくる新入社員諸氏に元気で頑張る姿を見せつけようではないか。



「刑事長は、何か大きくやり残した事はあるんですか?」
「年末ジャンボを当てて豪遊。」


今年も夢は大きく!ではまた。イーッキシ!(´>д<):・.
(刑事長)

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株式会社ジェイエスピー
  横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
  製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
コメント
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