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道歌

 3月13日から16日まで、NHK「ラジオ深夜便」の「ないとエッセー」のコーナーで、日本文化研究家・翻訳家のキリチェンコ・マリアさんが「道歌にみる日本」というテーマで、語っていたのを思い出した。彼女はモスクワで生まれ、両親が東洋学研究者で、幼い時から日本文化に慣れ親しんできた。日本に留学した際に、生きる道筋を和歌に詠み込んだ“道歌”を知った。一休和尚も数多く詠み、日本の伝統や教訓として伝えられてきた“道歌”を紹介しながら、日本文化体験を語っていた。
 私は“道歌”という言葉をその時初めて聞いたので、彼女の話を興味深く聞いた。もう2ヶ月以上も前なので、細かな内容は全く忘れてしまったが、外国の人に私の知らなかった日本文化を教えてもらうのは、なかなか刺激的なことであった。すぐにこのブログでも取り上げてみようと思っていたのだが、どういうわけか忘れてしまっていた。それなのに何の脈絡もなく思い出して、いくつか道歌を取り上げてみるのも面白いだろうなと思い立った。
 調べてみると本当に数多くの道歌があるが、興味をひかれたものを以下に書き記してみる。

まずは代表的なものとして、
 「なせばなるなさねばならぬなにごとも ならぬはひとのなさぬなりけり」
これで分かるように、道歌は説教・教訓的でおもしろくないという気はする。しかし、一面真理であり、真理はいつでもどこでも通用するものであるから、覚えておいて損はない。

また、山本五十六の言葉として有名な、
 「やってみていって聞かせてさせてみて ほめてやらねば人は動かじ」
と言うのも、子供たちに日々勉強を教えている身としては常に心に留めておかなければならない言葉である。

 「むかむかと腹のたつときかえり見よ 理か非かまたは短慮なるかと」
あれこれ腹がたって仕方ないとき、噛みしめるといい言葉だ。だけど、腹が立ってしまったらこの言葉を思い出す余裕なんてないだろうから、腹が立つ前に思い出さないといけないだろう。

 「堪忍のなる堪忍は誰もする ならぬ堪忍するが堪忍」
難しい。そんなことできるはずない、と思う。それをするのが堪忍だと教えてもらっても私にはなかなか実践できそうもない。

 「火の車つくる大工はなけれども おのがつくりておのが乗りゆく」
無駄遣いはいけない、そんなことは重々分かっているけど、ついつい・・・反省。

 「引き留めて止まらぬものは月と日と ながるる水と人の命よ」
 「今日限り今日を限りの命ぞと 思いて今日の勤めをばせよ」
人の世が無常であることを頭では分かっているつもりでも、そのつもりで生きているかと問われたらはっきり答えることはできない。与えられた命の多くを無駄に使い果たしてきた私だけに、これから残された時間を精一杯有効に使っていかなければいけない。最近特にそう思う。

ならば、次の言葉をこれからの教訓としよう。
 「身を軽くこころ素直に持つ者は あぶなそうでもあぶなげもなし」

最後に、
 「百薬の長たるゆえにかえりては また百病のもととなる酒」
了解、深酒は止めよう、休肝日を作ろう。これもなかなか難しいけれど。


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