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「東西不思議物語」

 私の部屋の書棚には「澁澤龍彦全集」(河出書房新社)が並んでいる。あまり読んだことのなかった澁澤の全集をどういう了見で買ったのか忘れてしまったが、ページを開いたことはほとんどなかった。娘が長ずるにしたがって澁澤のファンになり、この全集をかなり読み進めてくれたので、少し元は取れていた。でも、やっぱり買った当人が一冊も読まずにいては余りにも怠惰だと、つい先日思い立って適当に1冊抜き出してみた。すると「東西不思議物語」という、毎日新聞の日曜版に毎週連載された短い読み物49編を集めたものが収められていた。これなら夜寝る前に少しずつ読み進められるだろうと、読んでみた。
 読み始めたら、止まらない。古今東西の該博な知識を駆使して、選りすぐりの不思議物語が次々と語られていく。ついつい先を読みたくなって、寝るのが遅くなってしまうこともたびたびだった。部屋の明かりを消してベッドの読書灯で読んでいても、ぞっとして思わず巻を閉じてしまうほどの恐ろしい話はなかったのがよかった。一つのテーマについて語られるエピソードは日本の古典から中国の古典、さらにはヨーロッパの古い書物からと、まさしく縦横無尽の広がりを見せ、とどまることがない。さすが澁澤龍彦!と何度となく唸ってしまった。
 
 「それにしても、不思議を楽しむ精神とは、いったい何であろうか。おそらく、いつまでも若々しさを失わない精神の別名ではないだろうか。驚いたり楽しんだりすることができるのも一つの能力であり、これには独特な技術が必要なのだということを、私はここで強調しておきたい」

と、澁澤は「前口上」で述べている。本書の中でどんなことに澁澤が驚いたり楽しんだりしているのか、幾つかの逸話を紹介してみる。

 北勇治というひとが、外から帰ってきて自分の部屋の戸をあけてみると、机に寄りかかっている男がいる。誰だろうと思って、よくよく見ると、髪の結い方から着物や帯にいたるまで、自分がいつも身につけているものと寸分変わらない。自分のうしろすがたを見たことはないけれども、これはどう見ても自分としか思えない。「よし、顔を見てやろう」と思って、つかつかと歩み寄ると、その男はうしろ向きのまま、細くあいた障子の隙間から、すっと外へ走り出てしまった。
 勇治は追いかけて行って、障子をあけてみたが、その時にはもう、男のすがたはどこにも見えなくなっていた。あんまり不思議なので、このことを老母に話すと、老母はだまって眉をひそめるばかりだった。その時から勇治は病気になり、その年のうちに死んでしまったという。奇妙なことには、この北家では三代もつづいて、一家の主人が自分自身のすがたを見、しかも見れば必ず、その直後に死んでしまうのだった。  (自己像幻視のこと)

 龍樹は、三世紀前半ころのインドの仏教哲学者である。この人がまだ俗人であったとき、二人の仲間を語らって、隠れ蓑の薬をつくった。寄生木を三寸に切って、三百日間、陰干しにして作ったという。この薬を髪の毛にさしておくと、隠れ蓑のように、ぱっと姿が消えてしまうのだそうである。
 こうして見えない姿となって、三人は王宮に押し入り、片っぱしから宮中の皇后や女官たちを犯したのである。犯された女たちは、気味が悪くて仕方がない。国王に向かって、「近ごろ、なんだか目に見えないものが、すっと寄ってきて、あたしたちの身体に接触するんですの。いやらしいわ」と訴えた。
 国王は頭のよい人だったから、すぐにぴんときた。そこで一計を案じて、宮中の床に灰をまいておいた。灰をまいておけば、足跡がつく。足跡のついたところを、当てずっぽうに斬れば、犯人は死ぬであろう。
 計画は図にあたって、龍樹の仲間は二人とも切り殺されてしまった。しかし龍樹だけは、皇后の裳裾を頭から引っかぶって、小さくなっていたので助かった。すきをうかがって、命からがら王宮を逃げ出した。  (隠れ蓑願望のこと)

 主として中世のビザンティン帝国で行われていた、おもしろいアレクトリオマンシーという占いの方法をお伝えしよう。ちなみに、ギリシア語でアレクトルオンは雄鶏、マンティアは占いを意味する。要するに鶏占いである。
 窃盗犯とか相続人とかの名前を知りたいと思ったら、平らな地面の上に円を描き、円をアルファベットの数だけに分割し、その分割した部分にそれぞれ文字を書き入れる。それから小麦の粒をもってきて、エクセ・エニム・ヴェリタテム(いざ真実を見よ)という呪文を唱えながら、Aから始めて各文字の上に置いていく。最後のZまで、すっかり小麦の粒を置いてしまったら、爪を切った若い雄鶏を連れてきて、円の上に放つ。そして鶏がどの文字に相当する穀粒をついばんだかを、注意して観察し、その文字を紙の上に書き、つなげてみる。それが知りたいと思う人間の名前である。  (さまざまな占いのこと)

 これらは「東西不思議物語」の中のほんのわずかなエピソードである。いくつも書き写してみたいが、最後に百鬼夜行(真夜中に、多くの恐ろしげな形をした鬼どもが、火を燃して、ぞろぞろ行列して歩くこと)の災難から逃れるための呪文が紹介されていたので覚えておいて損はないように思う。

 カタシハヤ、エカセ二クリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ
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