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四葉のクローバー

 先日私は四葉のクローバーをもらった。四葉のクローバーと言えば、幸福をもたらすお守りとして古くから珍重されてきた。


 きれいに葉が4枚ある。押し花にして大切にしようと思っているが、このクローバーを見ていたら、不意に森田公一とトップギャランが歌った「青春時代」の歌詞の一節が浮かんできた。

  青春時代が夢なんて
  あとからほのぼの思うもの
  青春時代の真ん中は
  胸にとげさすことばかり   作詞:阿久悠

 この年になって若かった頃を振り返ると、「ああ、あの頃は楽しかったな」とまるで黄金の時を過ごしたかのように思える。その時々には辛くて悲しいことでも、今となってはいい思い出だ、などと言ったりもする。時間のフィルター越しに見れば全てが美化されてしまうのだろうか。幸せとは振り返ってしみじみと味わうものなのだろうか。
 四葉のクローバーが幸せをもたらすものなら、幸せがやってきた瞬間に幸せを感じなければクローバーに申し訳ない。後からふり返って幸せを感じるのでは有り難味が随分薄れてしまう。どうせなら、「今この瞬間に自分は幸せなんだ、ああ、四葉のクローバーよ、ありがとう!」などと思いたい。もし、幸せを「幸せ度数」などといったものに数値化することができるなら、この数値以上は幸せ、と絶対的な判断ができるかもしれない。しかし、幸福感が主観的なものである以上客観的に数値化できるはずもなく、相対的に判断してしまうのは仕方ないだろう。今よりもあの時の方が幸せだったとか、あの人よりも私の方が幸せだとか・・。
 などと、頭で考えても所詮仕方ないことだ、幸せの喜びを感じるのは心なのだから。あれこれ考えるよりも心の感じるまま素直になればいいのではないか。
 昨日の夕方、私がバスを運転していると、前方に一人の塾生が下校しているのを見つけた。バスで横を通り過ぎて行くと、私に気付いた彼は右手を大きく挙げてにこっと笑ってくれた。普段はおとなしい子でそんなリアクションをしてくれるとは思っても見なかったので、正直驚いた。と同時に私の心が暖かいもので満ち溢れた。「ああ、生徒から手を振ってくれるなんて幸せだな・・」心からそう思った。そのおかげで昨日一日は授業をしていても、心が弾んで軽やかだった。その時、こうしたことが大切なんだなと実感した。自分にとって喜ばしいことがあったら、たとえそれがどんなに小さなことであっても、「幸せだな」としみじみ思うようにしよう。幸せを安売りするつもりもないが、幸せをそんなに崇め奉る必要もない。心が少しでも幸せだと感じたら、全身で喜びを味わうようにするのだ。一旦幸せな気持ちになれたら、次に起こることが少々辛いことであっても難なく乗り切れる。ましてや嬉しいことが起こればその喜びが倍加する。幸せにつながる導火線は一旦火がつくとなかなか消えたりはしない。幸せが幸せを生み出し、喜びが喜びを作り出すといった「正の連鎖」が心の中に出来上がれば、人生は随分生きやすくなるように思う。
 もちろんそれが簡単ではないことは重々分かっているが、くよくよ考えたって泥沼にはまり込むだけだ、碌なことはない。私は今年の初めに目標として「笑う門には福来る」という言葉をこのブログに掲げてみた。半年たってみて、このモットーを忘れずに暮らしてこれたとは思えない。思うに任せぬことも幾つかあって、ついつい暗い気持ちになったこともしばしばだった。それではいけない、何も生まれやしない。前を見据えて堂々と生きていくようにしなければならない。
 
 四葉のクローバーを見ているとそれができそうになるから不思議だ。

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