毎日いろんなことで頭を悩ましながらも、明日のために頑張ろうと自分を励ましています。
疲れるけど、頑張ろう!
「1Q84(1)」
半月前の私の誕生日にお祝いの電話をくれた息子が、「誕生日のプレゼントは何にしよう?」などと殊勝なことを言ってくれたので、思わず「1Q84」の1が欲しい、と答えてしまった。私は村上春樹のファンではないし、「海辺のカフカ」を一昨年読んで、居心地の悪い読後感ばかりが残ってしまったので、ノーベル賞に一番近い作家などと持て囃されても、どうしてそうなるのか納得がいかない気がして仕方がない。特にこのところ、マルケスとカミュという2人のノーベル賞作家(ノーベル賞受賞がどれだけ意味あることなのか私には分からないにせよ)の小説を続けて読み、その構想の壮大さと緻密さに改めて感嘆したばかりなので、中途半端なファンタジー小説としか思えなかった「海辺のカフカ」程度の作品しか書いていない作家を何故そんなに騒ぎ立てるのか、正直分からない。だから、村上春樹の最新小説「1Q84」が発売以来ブームを呼んで、品切れ状態が続いているというニュースを見聞きしても、あえて読みたいとは思っていなかった。それなのにどうして息子に買ってくれと頼んでしまったのだろう・・。
そんな私の戸惑いなど律儀な息子には関係ない。数日後、何かの荷物と一緒に「1Q84」が送り届けられた。「お誕生日おめでとう」という短いメッセージとともに・・。私には550ページを超える大部の小説よりも、メモ用紙に走り書きされたそのメッセージの方が何倍も心を震わせてくれるように思えた。だが、軽い気持ちで頼んだにせよ、息子が私のことを思って送ってきてくれた誕生日プレゼントだ、きちんと読まなくては申し訳が立たない。早速その夜から読み始めた。
「青豆」と「天吾」という同じ年の男女がそれぞれの場所で、それぞれの思いを抱きながら生きている。それを1章毎交互に描きながら、何の接点もないように思えた二人が次第次第に距離を縮めていく。それが本筋なのかどうかは今はまだ分からないが、背後に重いテーマを抱えながら、徐々に全貌が明らかにされていく展開の面白さがある。しかもその1章が適度の長さと適度の緊張をもって語られるのだから、加速度的に読み進むことができた。読み始めたときは一冊読み終えるまでにかなり時間がかかるのじゃないかと思っていたが、そんな予想を遥かに超えたペースで読んでいった。
実はこの本の2は私の誕生日の日付が変わりかけた頃に「おめでとう」メールをくれた娘にプレゼントしてくれるように頼んであった。が、毎日あれこれ忙しい娘であるから、そう早くには送ってくれないだろうから、ゆっくり読んでいった方がちょうどいい、くらいに思っていた。
しかし、実に面白い。「海辺のカフカ」は完全に凌駕している。ストーリーテラーとしての村上春樹の力量は疑うまでもないし、所々にちりばめられた箴言めいた文章も心の深くに響いてくる。最近の私にしては珍しいほど、夜眠る前に読み、目を覚ますとまた続きを読む、という「本の虫」状態になって読んでしまった。
そのため、昨日の朝あと2章を残すのみとなった。すぐに読み終えてしまうだろうが、続きが読めないのは頗る辛い。こうなると、娘の悠長なリズムに合わせるわけにはいかにと思い立って、本屋に向かった。だが、ひょっとして娘がもう送ってくれているかもしれない、重複してももったいないから確認のために本屋から電話した。だが、娘は出てくれない。仕方なく、その本屋に一冊だけあった2巻を買った。一応、「1Q84は自分で買ったから」というメールは入れておいたが・・。
その後しばらく経って娘から返信メールが届いた。「本は買ってあったけど、なかなか送れなくてごめんなさい」との文面に、自室に置いてある本の写真が添付してあった・・。何てことだ・・。
だが、娘の心は十分に伝わったから、すぐに「ありがとう」と返信した。少しばかり意思の疎通を欠いた結果になったが、これも少しでも早く「1Q84」を読んでしまいたいという私の思いが導いた拙速だった・・。
今1は読み終えた。いよいよ2だ。問題はこの巻だ。1で広げた話をどれだけ見事に収束させてくれるか、その1点に私の興味は集中している。「海辺のカフカ」の二の舞だけはごめんだ。広げるだけ広げて、読者を煙に巻いたまま終わってしまうようなことはやめて欲しい。ただ、ちょっと心配なのは、1で引用されたチェーホフの言葉だ。
「小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間である」
ひょっとしてこれはアリバイ?私としては解決までは行かなくとも、きちんとした目処くらいは立ててくれないと居心地が悪くて我慢ができない。願わくば、スッキリした形で終わっていますように・・。
さあ、続きを読んでみよう、楽しみだ。
そんな私の戸惑いなど律儀な息子には関係ない。数日後、何かの荷物と一緒に「1Q84」が送り届けられた。「お誕生日おめでとう」という短いメッセージとともに・・。私には550ページを超える大部の小説よりも、メモ用紙に走り書きされたそのメッセージの方が何倍も心を震わせてくれるように思えた。だが、軽い気持ちで頼んだにせよ、息子が私のことを思って送ってきてくれた誕生日プレゼントだ、きちんと読まなくては申し訳が立たない。早速その夜から読み始めた。
「青豆」と「天吾」という同じ年の男女がそれぞれの場所で、それぞれの思いを抱きながら生きている。それを1章毎交互に描きながら、何の接点もないように思えた二人が次第次第に距離を縮めていく。それが本筋なのかどうかは今はまだ分からないが、背後に重いテーマを抱えながら、徐々に全貌が明らかにされていく展開の面白さがある。しかもその1章が適度の長さと適度の緊張をもって語られるのだから、加速度的に読み進むことができた。読み始めたときは一冊読み終えるまでにかなり時間がかかるのじゃないかと思っていたが、そんな予想を遥かに超えたペースで読んでいった。
実はこの本の2は私の誕生日の日付が変わりかけた頃に「おめでとう」メールをくれた娘にプレゼントしてくれるように頼んであった。が、毎日あれこれ忙しい娘であるから、そう早くには送ってくれないだろうから、ゆっくり読んでいった方がちょうどいい、くらいに思っていた。
しかし、実に面白い。「海辺のカフカ」は完全に凌駕している。ストーリーテラーとしての村上春樹の力量は疑うまでもないし、所々にちりばめられた箴言めいた文章も心の深くに響いてくる。最近の私にしては珍しいほど、夜眠る前に読み、目を覚ますとまた続きを読む、という「本の虫」状態になって読んでしまった。
そのため、昨日の朝あと2章を残すのみとなった。すぐに読み終えてしまうだろうが、続きが読めないのは頗る辛い。こうなると、娘の悠長なリズムに合わせるわけにはいかにと思い立って、本屋に向かった。だが、ひょっとして娘がもう送ってくれているかもしれない、重複してももったいないから確認のために本屋から電話した。だが、娘は出てくれない。仕方なく、その本屋に一冊だけあった2巻を買った。一応、「1Q84は自分で買ったから」というメールは入れておいたが・・。
その後しばらく経って娘から返信メールが届いた。「本は買ってあったけど、なかなか送れなくてごめんなさい」との文面に、自室に置いてある本の写真が添付してあった・・。何てことだ・・。
だが、娘の心は十分に伝わったから、すぐに「ありがとう」と返信した。少しばかり意思の疎通を欠いた結果になったが、これも少しでも早く「1Q84」を読んでしまいたいという私の思いが導いた拙速だった・・。
今1は読み終えた。いよいよ2だ。問題はこの巻だ。1で広げた話をどれだけ見事に収束させてくれるか、その1点に私の興味は集中している。「海辺のカフカ」の二の舞だけはごめんだ。広げるだけ広げて、読者を煙に巻いたまま終わってしまうようなことはやめて欲しい。ただ、ちょっと心配なのは、1で引用されたチェーホフの言葉だ。
「小説家とは問題を解決する人間ではない。問題を提起する人間である」
ひょっとしてこれはアリバイ?私としては解決までは行かなくとも、きちんとした目処くらいは立ててくれないと居心地が悪くて我慢ができない。願わくば、スッキリした形で終わっていますように・・。
さあ、続きを読んでみよう、楽しみだ。
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