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蓋然性

 今、宮台真司の「日本の難点」(幻冬社新書)を読んでいるのだが、読むたびにムカムカしてきてなかなか先に進めない。人は誰しも受け入れられない他者がいるように思うが、私には宮台の存在がそうなのかもしれない。宮台の著作など初めから無理に決まっているのに、「文句をつけるにも読まなくちゃできない」などと一介の塾長が妙なこだわりを見せて、何とか最後まで読み通そうと奮闘しているが、生理的に受け付けないものは苦しいだけだ。遅々として進まず、やっと半分を読み終えたところだ。常套的なことを述べているだけなのに、様々な学者の説を援用して、いかにも重厚な説を唱えているように粉飾しようとしているようにしか思えない・・、それは私の理解力不足の故かもしれないが、何が言いたいのか途中で読み取ろうとする気力が萎えてしまうから仕方がない。「難解」と評されもするが、ことさら居丈高な物言いに、そうそう付き合えるほど私も暇ではないので、読み終えるのはいつになるか分からない。それでも、いつか読み終えたら、改めて感想は記すつもりではいる。(もうこれで十分かもしれないけど・・)
 専門的な用語は晦渋なものであり、素人相手の新書でそれをやたらひけらかすのは嫌味にしか思えない。けっ!と思いながらページをめくっていると、それでも気になる用語が時には出てくる。「蓋然性」。この言葉は宮台のお気に入りなのか、やたらお目にかかる。村上春樹の「1Q84」でも何度か見た覚えがあるから、現今では知的なテイストを付けたい場合にはうってつけの用語かもしれない。何となくは分かるが、それじゃあどんな意味か説明してよ、と問われると狼狽してしまう言葉はよくある。「蓋然性」もそんな言葉の一つだ。「どういう意味なの?」と改めて語義を尋ねられたら、ちょっと言葉に詰まってしまう・・。そこで、この際きちんと把握しておこうと広辞苑で調べてみた。

【蓋然性】(probability)①あることが実際に起こるか否かの確実さの度合い。
 ②確率。

とあった。ふむ・・。「蓋」という漢字には「ふた」の意味と、漢文でよく使う「けだし」という意味もある。そこで、また調べてみた。

【けだし】①まさしく。ほんとうに。たしかに。「この言葉はけだし名言である」
②ひょっとしたら。もしや。「けだし然らん」

なるほど②の意味で使っているんだな、「蓋然」=「けだししからん」=「ひょっとしたらそうだろう」・・。何となく分かった気がする。だが、それなら「可能性」とはどう違うだろう、という疑問も自然に湧いてくる。またまた調べたみた。

【可能性】(possibility)①できる見込み。
②〔哲〕(ァ)論理的に矛盾が含まれていないという意味で、考えうること、ありうること。(ィ)あることが実現される条件がそれを妨げる条件よりも優勢であると確認されていること。

なんだか訳が分からないが、要するに「理屈として起こり得ることを指す」くらいに捉えておけば間違いなさそうだ。だが、こうやって「蓋然性」と「可能性」を二つ並べると反ってこの二語の使い分けが不鮮明になってしまう。もちろん「蓋然性」などという言葉は日常会話で使うことなどまずはないだろうから、その違いなど誰も気にしないかもしれないが・・。でも、やっぱり言葉の持つ正確な意味はしっかり覚えておいた方がいいだろう。そう思ってネットで検索してみたら、この二語の使い分け方を端的に言い放った夏目漱石の言葉が紹介されていたので載せておく。

夏目漱石は教員時代、学生にこの二つの概念の区別を問われこう答えたという。
『私がこの教壇の上で逆立ちをする可能性はあるが、蓋然性はない』

さすが漱石先生。言い得て妙だ、分かりやすい。これに倣って言えば、
『私が百歳まで生きる可能性はあるが、蓋然性はなさそうだ・・』
『私が宮台のファンになる可能性はないとは言えないが、蓋然性はまったくない』

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