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Twitter に関して

 Twitter というものが流行っているらしい。
HPに行ってみたら、「Twitterとは、140文字以内の短い発言(つぶやき)を入力して、みんなで共有するサービスです」と記されており、その特徴は、
 ①書き込むのがとても簡単です。
 ②たくさんの人と気軽につながれます。
 ③色々なユーザーが同じ時間の流れにいます。
なのだそうだが、イマイチよく分からない。簡易ブログだと思ったらいいのだろうか・・。さらに親切なことに、Twitter を始める5つのステップまで、教えてくれている。
 STEP1.Twitterに登録してみよう
 STEP2.自分の好みの設定にしよう
 STEP3.発言してみよう
 STEP4.他のユーザーの発言をフォローしてみよう
 STEP5.他のユーザーとコミュニケーションしてみよう
論より証拠、とりあえず登録だけでもしてみようかと思ったが、HNで登録すればいいのか、実名で登録しなければならないのか、よく分からなかったので、面倒になってやめた。
 元日から鳩山首相も Twitter を始めたと新聞で読んだ時には、総理大臣たるもの、つぶやきなんかじゃなく、論理だった明瞭な言葉で国民に語りかけてほしいものだ、と思った。後日谷垣自民党総裁も同じような趣旨の発言をして、首相を批判したようだから、
「総理大臣たるもの、深く考えずに新しいものに飛びついたりしてはいけないぞ」
と、つぶやいてみたくなった・・。

 ちょうどその頃、中3生の冬期講習の国語の問題に、まるで Twitter が日本で流行する理由を説明してくれているかのような文章があった。中村明という国語学者の「表現のよろこび」からの引用だったが、
「伝統的な察しあいの文化の中で、日本人はとかく言い切らない言い方を良しとし、控えめな表現を大事にする言語観を捨てきれないでいる」
という前提に立って、日本的な表現の特徴を以下の三点に集約して述べている。すなわち、
①.「非限定性」・・明確に限定せず幅を設け、含みを持たせることこそたしなみのある表現だとする態度。
②.「間接性」・・露骨に言いすぎないようにする配慮。
③.「省略性」・・皆まで言うなという美意識に支えられ、どこかに空隙をつくっておく表現。
 
 なるほど!と思った。ブログでは字数など気にせずに、いくらでも己の思いを綴ることができる。だが、140字という字数制限があっては、どうしたって己の思いを押しとどめざるをえなくなる。言葉は足りなくなるかもしれないが、逆に言いすぎて、読む者を不快にさせる恐れは少なくなるかもしれない。また、世界中に発信されることを念頭に置けば、限定せずにある程度文言を曖昧にしたほうがフォローしてくれる人も多くなるだろうし、コミュニケーションの輪も広がるかもしれない。さらには、論理だてた文章を書くには字数制限が邪魔して、ある程度論理の飛躍が許される範囲が広まるようにも思う。
 こうした観点からいえば、ずいぶん気楽にその時その時の思いを他者に向けて発信できるようだ。そうした緩さが日本人の気質に合っていると思えなくもないが、やっぱり私には縁のない領域だと思ってしまう。自分を論理的な人間だと思ったことなど一度もないが、論理的でありたいとは思っている。感情に走りがちな人間であるから、感情のほとばしりであるようなつぶやきはできるだけ他人には聞かせたくないと思っている。このブログの記事こそ、そんなつぶやきの集まりだと言われてしまえば、返す言葉もないが、私としては明晰な理性に支えられた文章を書こうとしているつもりだ。もちろんそれは私の理想であり、このブログでその思いが遂げられるようなことはないかもしれないが・・。

 結局は「Twitter など私には縁ないもの」と言いたいのだろうが、そう短くつぶやくよりも、たとえ屁理屈であろうと、一応理由づけとなる文章を書こうと頭をひねる方が楽しいから、私にはブログで十分だ。 

 
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