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号砲!!

 今日と明日、センター試験だ。毎年のことながら、ここから入試の季節が始まる。今月末には私立中学の入試が始まるし、私立高校の推薦入試も月末だ。来月になれば私立大学の入試が続き、私立高校の一般入試、公立高校の推薦入試、さらには国公立大学の2次試験、さらにさらに3月になれば公立高校の一般入試・・、と全く息つく暇もない怒涛のスケジュールだ。今から2ヶ月間が塾の正念場であることは間違いない。いくら毎年のこととはいえ、受験する子供たちは毎年違うわけだから、針のむしろに座っているような緊張感は年ごとに新しい。今年もあのピリピリした感覚を味合わねばならないのか、と思うと身が引き締まるが、この試練を乗り越えるために子供たちと力を合わせて頑張って来たのだから、もうひと踏ん張りして必ずや栄冠を勝ち取りたいと心から念じている。
 
 受験する子どもたちは年々変わっていくが、それを指導する私は私のままだ。年が改まるたびに受験生と私の年齢は確実に前年よりも1才離れる。当たり前のことだが、年々私と生徒の年齢のギャップは開いていくばかりだから、どうしたって旧来のままの指導法では限界がある。若くて子供たちとさほどの年齢が離れていなかった頃は、自分の思うがままを子供たちにぶつけても、受け止めてくれた。だが、いつしか自分の子供と同じ年代の生徒たちに対するようになり、以前のような「近所のお兄さん」風ではなく、生徒たちの親世代の代表のような付き合い方に変わっていき、生徒との距離も徐々に離れてきた。それでも、自分の意識の中ではなかなかモデルチェンジができず、今までとちょっと塩梅が違うぞ・・と思うことがよくあった。それがさらに年月を経て、今では自分の子供よりもはるかに若い生徒ばかりになってしまい、私が長い時間をかけて培ってきた子供との付き合い方がかなり軋むようになってしまった。自分としては若いころのままのようなつもりでいても、生徒から私を見たら、自分の父母よりも年上、祖父母の一歩手前くらいに見えてしまうのだろう。私の何気ない言葉が思いもよらない結果を招いたり、私の思いを素直に受け取ってもらえないということもたびたび起こるようになってきた。
 今までのような、自分の思いをそのままぶつける指導法ではもう子供たちに受け入れられないのかもしれない、そう思うようになった。ちゃんと勉強しない子供たちを叱ってやるのが私の仕事だと思っていたが、そんな私の真意が生徒たちに通じにくくなってしまった。それは私と生徒との間の年齢のギャップに依るところが大きいのだろうが、それとともに子供たちを囲む時代状況が色濃く反映しているように思う。
 一つの例として、すぐにへこたれる子供が多くなった。壁に突き当たると、面倒くささも手伝って、すぐに諦めてしまう。単に白旗を上げるだけならまだいいが、下手な理屈をそこに加えるから話がややこしくなる。要するに最後まで自分で責任を取ろうとせずになんとかして逃げようとするから、始末が悪い。だが、そこでこちらが腹を立てては先に進まない。そんなものは子供の常套手段であるとばかりに腹をくくって、子供たちの逃げ口上に惑わされず、とにかく粘り強く相手をしていくことが何よりも大切なのではないだろうか、この頃少しばかり悟った。今までの私は子供のためを思って叱ってきたつもりだったのだが、実は単に己の勝手な思いを相手に押し付けていただけなのではないだろうか、子供のためだと言いながら、己の怒りをぶちまけていただけではないだろうか、私にしては珍しく反省した・・。
 
 その反省に立って、今年は子供たちに至らぬ点があったとしても、それを怒るのではなく、それを二度としないように励ますことこそが私の使命であると思い至った。悪い点は悪いものとしてきちんと説明した上で、目標に向かって努力し続けるよう励まして続けること・・、それを塾で実践しようとしているが、時には感情のほとばしりに負けてしまい、ついつい怒鳴ったりしてしまう。まだまだ修行が足りないのは仕方ないにしても、常にその実現を目指して一歩一歩突き進んでいかなければならない。

 センター試験の始まりのベルが私の塾が受験モードに突入する号砲である。さあ、スタート!!
 大変だけど、もっともっと頑張ろう!!
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