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「空気人形」

 日曜日、甥や姪が帰って一気に静かになってしまった手持無沙汰から、映画でも見ようか、ということになった。
 じゃあ、「空気人形」にする?
と、妻が録画していたものを見ることにした。そのストーリーは・・、

川沿いの小さな町。空気人形(ペ・ドゥナ)は、古びたアパートで持ち主の秀雄(板尾創路)と暮らすラブドール。空気だけで身体の中は空っぽの空気人形だったが、秀雄が仕事で留守のある日、瞬きをしてゆっくりと立ち上がる。軒先の滴に触れて“キレイ…”と呟き、秀雄が買ったメイド服を身に着けると、街中へ出てゆく。初めての町で様々な人間に出会う空気人形。戻らぬ母の帰りを待つ小学生とその父親。執拗に若さを求める女性の佳子(余貴美子)。死の訪れを予感する元国語教師の敬一(高橋昌也)。誰もが心に空虚さを抱えていた。レンタルビデオ店に立ち寄った彼女は、店員の純一(ARATA)と出会い、この店でアルバイトを始める。純一に自分と似た空虚感を感じ取った人形は、彼に惹かれていく。だが、店長の鮫洲(岩松了)から、“好きな人はいる?”と尋ねられると、“いいえ”と答えてしまう。それは、心を持ったがゆえについた嘘だった。彼女は、街で生活するうち、次第に自分のように空虚さを抱えた人間が数多くいることを学んでゆく。そんなある日、彼女は店で釘を引っかけて穴が開いてしまう。勢いよく人形の体から吹き出す空気に驚く純一。彼は必死に息を吹き込んで人形を救う。誰もいない店内。思わず2人は抱き合うのだった。愛する人の息で満たされ、幸福を覚える人形。だが、帰宅すればラブドールとしての秀雄との生活が待っていた。自分の運命にジレンマを覚える彼女は、秀雄が新しい人形を手に入れたことを知り、家を飛び出す。心を持ってしまったがゆえに傷つく人形。何故自分が心を持ったのか自問自答を繰り返し、生みの親である人形師の園田(オダギリジョー)のもとへ。園田の家で、回収された人形たちを見て、心を持つことの意味を理解する。彼女は、園田に感謝の言葉を告げると、純一の元へ向かうのだった。



 これだけ詳細に書かかれていると映画を見る必要もない気もするが、主演のペ・ドゥナは一見の価値ありだ。心を持ってしまった空気人形の切なさを見事に表現している。たどたどしい日本語がいっそうの哀切を誘う。心が空っぽの人間たちの間を彷徨う人形の目に映ったものは何だろう?そんなことを思いながら見ていたら、彼女に対するsympathyで私の心は満たされてしまった。
 総じては、「何だこれ?」と思ってしまうような、苦手な映画ではあったが、劇中に引用された吉野弘の詩の素晴らしさを再確認させてくれただけでも、見てよかったと思った・・。
 
   「生命は」
   生命は
   自分自身だけでは完結できないように
   つくられているらしい
   花も
   めしべとおしべが揃っているだけでは
   不充分で
   虫や風が訪れて
   めしべとおしべを仲立ちする
   生命は
   その中に欠如を抱き
   それを他者から満たしてもらうのだ

   世界は多分
   他者の総和
   しかし
   互いに
   欠如を満たすなどとは
   知りもせず
   知らされもせず
   ばらまかれている者同士
   無関心でいられる間柄
   ときに
   うとましく思うことさえも許されている間柄
   そのように
   世界がゆるやかに構成されているのは
   なぜ?

   花が咲いている
   すぐ近くまで
   虻の姿をした他者が
   光をまとって飛んできている

   私も あるとき
   誰かのための虻だったろう

   あなたも あるとき
   私のための風だったかもしれない


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