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「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」

 「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ。金曜日に送られてきて日曜日の朝に読み終えたから、読書のリハビリとしては思ったよりも効果的だったようだ。
 私は今まで村上春樹の作品は、「海辺のカフカ」と「1Q84」しか読んだことがないから、あまり偉そうなことは言えないが、この「色彩・・」が少なくとも私が読んだ中では、一番いい小説だと思った。地下水脈のように流れる音楽を基にして流麗な日本語で少しばかり大袈裟なストーリーを語りながら、所々に哲学と心理学の要素を散りばめ、オカルト的もしくはファンタジー的なスパイスを加えれば、村上春樹の小説ができあがる、などと前2作品から受けた印象を勝手にまとめていたが、この「色彩・・」は少し違った。音楽・哲学・心理学的な色合いはいつも通りだが、ファンタジー・オカルト的な要素はちょっとした彩り程度で、大して苦にはならなかった。なにより、オタマジャクシが降ってきたり、月が2つあったりしないのがいい。現実世界に座標軸をしっかり置き、読む者に心の奥底で共感を抱かせるような物語は、しみじみとした趣がある。
「なんだ、村上春樹にもこんな小説が書けるじゃないか・・」
というのが一番の読後感だった。
 小説というものを「文学」などという大上段に構えた切り口で評してしまう癖がある私であるから、極めて現代的な村上春樹の小説を認めたくはない心持ちが心の奥底にはあったように思うが、この「色彩・・」を読み終えたときから、彼に対する認識が変わった。その証拠に、今まで一度も村上春樹の小説を読んだことのない(読みたくないと言っていた)妻に、
「読んだ方がいいよ」
と言って手渡した。それは何も田崎つくるとその仲間たちが私の地元・名古屋で生まれ育った者たちであるからではない。そんな枝葉末節なことなどではなく、この小説が読者に提示する、「己の存在の確認」というテーマについて妻の意見を聞きたいと思ったからだ。
「そんなこと分かるわけないよ」
と答えそうだが、感覚的な方面では、なかなか鋭い物言いをすることも多々あるから、お伺いを立ててみたくなったのだ。
 
 それにしてもこの小説の長い題名は示唆に富んでいる。
「(己を)色彩を持たない(と思い込んでいた)田崎つくると、(己の存在の意義を確認するために、かつて濃密な関係を結びながら、突然一方的にその関係を断っていった友人たちのもとを訪ねた)彼の巡礼の年」
と解釈すれば、小説の骨格はほぼ言い終えることができそうだ。だが、そこに血肉を盛っていった村上春樹の技量は相当なものであり、その課程を読み進めることは、この小説のストーリーを追うことよりも興味深いことだ思う。
 昨年あたりノーベル文学賞を云々されたことも多く、それに対し私は懐疑的であったが、この小説を読んで初めて、その資格は十分にある、と思った。(まあ、ノーベル文学賞にどれほどの価値があるかは分からないが・・)
 
 多くの人に読んでもらいたい小説であることは確かだ。
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