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「大塩平八郎」

 私立中学受験生のために、歴史の穴埋めの問題を作っていたら、「大塩平八郎の乱」のところになった。

( ➀ )の乱・・・1883年におこった( ② )は全国におよび、米価が急上昇したために( ③ )や( ④ )が多発した。このような中でもと大阪町奉行所の( ⑤ )であった( ⑥ )は、( ⑦ )と米価の上昇に苦しむ人々を救おうと、( ⑧ )に大阪で乱をおこしたが、半日でしずめられた。幕府が直接支配している大阪で、もと幕府の( ⑨ )が乱をおこしたということで、幕府は大きなショックを受けた。

 この答は
➀大塩(平八郎) ②天保の大ききん ③打ちこわし ④百姓一揆 ⑤役人 ⑥大塩平八郎 ⑦ききん ⑧1837年 ⑨役人
だが、私はこのくだりをワープロに打ち込みながら、「大阪で乱をおこしたが、半日でしずめられた」という記述が気になった。大塩の乱は「1837=イヤミな(おっさん大塩平八郎)」と年号を覚えるようにいつも言っているのだが、実際のところ、大塩がどういう考えで、どういう乱を起こしたのか、ほとんど知らないでいたのに気づいた。「これはちょっと調べるべきだなあ・・」と、このところ復活気味の読書欲と相まって、「そう言えば森鴎外に『大塩平八郎』という小説があったはずだから、あれを読んでみよう」と思い立った。「鴎外全集」を持っているくらいだから、『大塩平八郎』くらい読んでいてもいいはずだが、なにせ怠惰な私だけに、この小説を読むのは初めてだった・・。

 しかし、鴎外の小説ってこんなに面白かったっけ?鴎外の歴史小説は史実に即するあまり、資料の羅列のような記述が多くなり、途中で閉口してしまうこともよくあるが、この「大塩平八郎」は、大塩が兵を挙げるまでは、場面転換の妙と緊迫した臨場感が伝わってきて、鴎外の小説では初めてと言っていいくらいワクワク感が味わえた。残念だったのは、兵を挙げてからの記述が資料をなぞるようになってしまったため、人名や地名の列挙に辟易しながら読んでいるうちに、肝心の乱の次第がよく分からなくなってしまったことだ。豪商を襲う細かな描写などなく、いつの間にか挙兵が終息してしまっていたような印象しか残らなかった・・。
 しかも、大塩平八郎がまるで魅力的ではない人物として描かれているのにも少なからず驚いた。彼が乱を起こさずにいられなかった義士としての思いは、次の文から伝わってくるのだが・・。

『己は王道の大体を学んで、功利の末技を知らぬ。上の驕奢と下の疲弊とがこれまでになつたのを見ては、己にも策の施すべきものが無い。併し理を以て推せば、これが人世必然の勢ひだとして旁看するか、町奉行以下諸役人や市中の富豪に進んで救済の法を講ぜさせるか、諸役人を誅し富豪を脅かして其私蓄を散ずるかの三つより外あるまい。己は此不平に甘んじて旁看してはをられぬ。己は諸役人や富豪が大阪のために謀つてくれようとも信ぜぬ。己はとう/\誅伐と脅迫とによつて事を済さうと思ひ立つた。鹿台の財を発するには、無道の商を滅さんではならぬと考へたのだ』

 「あの先生は学問はえらいが、癇癪持で困ります」といった大塩評を門弟だった男に語らせ、乱が失敗に終わった後も潔く死なずに逃亡した挙げ句に大阪に舞い戻って市中に潜伏する姿まで描いているのだから、ひょっとしたら鴎外は大塩のことが嫌いなのではないのか、と思わせるほどだ。
 鴎外は、大塩はの中に「イヤミなおっさん」を感じとったのかもしれない・・。

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