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「奇貨」

 松浦理英子「奇貨」を読んだ。これは昨年の秋に、新聞の文芸欄で見つけた小説だが、松浦理英子という作家については、「親指Pの修行時代」という小説の題名を知っている程度の知識しか持ち合わせていなかった。最近は、読んだことのない作家の小説を読もうとするほど意欲的な読者ではなくなった私があえてこの小説を読もうと思ったのは、その新聞に紹介されていたあらすじが面白そうだったためというよりは、松浦理英子が私と同じ年生まれだということを知ったからだった気がする。それくらいのことはとうの昔に知っておくべきことだったのかもしれないが、この年になって同い年の作家を新たに発見するというのは、私にとってちょっとした刺激を与えてくれた。そこで、すぐにAmazonで注文したのだが、もうそれで満足してしまったのか、半年近くも手つかずのまま階段に放置してあった・・。
 階段を上る度に、「ああ、読まなきゃ」と思ったものだが、受験シーズンが始まり無茶苦茶忙しくない、かと言ってレゴに割く時間も何とか確保せねばならなかったから、畢竟読書に充てる時間などまったくとれず、埃が被るままにしておいた・・。

 が、先日読書のリハビリのつもりで読んだ、村上春樹の「色彩のない・・」を読んだときに、思ったよりもすらすらと読み通すことができたのが呼び水になったのか、敢えてもっと本を読もう!などと意気込んだりもしなかったわりには、ごく自然な感じで階段から「奇貨」を拾い上げて読み始めることができた。
 だが、小説の内容は、もう私と同年代の女性がこんなことを書くの?と思わず吹き出してしまうような、生々しいものだった。私とて、枯れたふりをするにはまだまだ抵抗があるから、この小説から性的刺激を受けなかったと言えば嘘になるかもしれないが、それよりも人間の存在の奥底にある「業の深さ」というものを垣間見たような気がして、
  「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」
という芭蕉の句を思い出してしまった。

 変な小説と言ってしまえばそれまでだろうが、それだけで言い尽くせない何かが感じられるのもこの小説の魅力であろう。その辺りを端的に纏めてあるのが、帯に書かれた次の文言だろう。

 「男友達もなく女との恋も知らない変わり者の中年男・本田の心を捉えたのは、レズビアンの親友・七島の女同士の恋と友情。女たちの世界を観察することに無上の喜びを見出す本田だが、やがて欲望は機械にねじれ---。濃く熱い魂の脈動を求めてやまない者たちの呻吟を全編に響かせつつ、男と女、女と女の交歓を繊細に描いた友愛小説」

 「友愛小説」というものがどんなジャンルなのかは詳しくはないが、この小説がそれに充たるとは余り思えない。「変態小説」と読んだ方が色んな意味でぴったりだと思うのだけど・・。 

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