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何?(2)

 これは何?


 単3電池2本を入れるだけで使用可能。あれば便利だが、なくても一向に構わない、そんな物。実は・・・、


電池式携帯電話充電器。確かに出先で携帯の電池が切れてしまうことはよくある。そんなときに限って電話する用事ができたりして悔しい思いをしたりする、そんな経験をした者なら誰もがあってもいいかなと思う物だろう。ただ、毎日家に帰ったら充電する習慣さえついていたなら、余程の長電話をしない限り、こんなものは不必要だろう。第一この充電器を持ち歩くのも面倒くさい。
 なら、何故あるのかといえば、1年ほど前にこのブログで取り上げた「安全運転管理協議会」の総会に出席した際に、記念品としてもらってきたものなのだ。去年は、封筒の開封機だった。このブログにその写真を載せて間もなくしたら壊れてしまったような劣悪な道具だった。運転者が車から脱出しなければならないときに窓ガラスを割るための道具の写真も載せた。他にも、印鑑つきのボールペンとか発電式の懐中電灯とか、普段の生活からはその必要性を全く感じないようなものばかり毎年もらってくる。もらえると言うか、年会費の中にその代金も含められているのだろうから、毎年総会が近付いてくると、会費がもったいない気がして、出席するのがイヤになる。父が代理で出席してくれることになっているから、私は「お願いします」と会費を渡すだけなのだが、どうにも億劫になった。今年で入会してもう20年以上経ったから、お役御免にしてもらえないだろうかと、安全運転管理協議会に脱会の手続きをするため、思い切って電話をしてみた。
 所定の電話番号にかけると、なんと市の警察署につながった。いきなりびびってしまったが、それぐらいのことでひるんではいけない、と力を込めた。
「あの、脱会したいのですが、どうすればいいのですか?」
と私がたずねると、警察官と思しき男性が太い声で尋ねてきた。
「脱会?車の数が変わったの?」
「変わっていないですけど・・。脱会はできないんですか?」
「車が5台以上あると入ってもらわなきゃいけないんだよね。ああ、それにお宅はマイクロバスがあるでしょ」
「はい、あります」
「それなら、安全運転管理協議会に入っててもらわなきゃいけないね。マイクロバスを持っている事業所は協議会に所属すること、と道路交通法に明記されているからね」
「はあ、そうなんですか・・。法律に書いてありゃ仕方ないですね・・。分かりました、すみませんでした」
そう言えば、最初にマイクロバスを買ったときにもそんな話を聞いたように思う。てっきり忘れていた。もうただただ年に1回の総会と安全運転講習会に出席するのが面倒になってしまい、脱会したい気持ちばかりが先走って、諸般の事情を忘れていた私がいけなかった。法律を持ち出されたらぐうの音も出ない。仕方ない、これからもおとなしく毎年出席し続けなければいけない・・。
 しかし、それならそれで、こんなくだらない記念品をもらい続けるのは拒否できないだろうか。せめてその費用だけを差っぴいた金額を会費とすることはできないものだろうか。
 などと威勢のいいことを言えるのはここだけで、警察官の前に出たらしゅんとなって言いたいことも言えなくなってしまいそうだ。ああ、情けない。
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ゴミ収集(2)

 以前ゴミ収集所のことを取り上げたことがある。元の収集所である橋のたもとから5mほど離れた金網にネットを取り付けて、カラスがゴミ袋を荒らさないようにした。ここには橋の手前10軒ほどの家がゴミを出しており、収集所の変更はどの家も了解してくれた。誰もがネットの中にゴミ袋を入れてくれるようになり、カラスの害はさっぱりなくなった。ゴミが散乱して手に負えなかった状態と比べると、清々しささえ感じる情景である。
 しかし、橋より向こう側に住み、本来は違う収集所に持って行かねばならないはずの人が、時々ゴミ袋を置いていく。新しく決められた場所にルールに従ってネットの中に置いていくのなら誰も文句を言うこともないだろう。しかし、その人は以前の収集所であった橋のたもとに、しかも収集日の前夜にゴミを置いていく。一度その人影を見たのだが、その時に注意できなかったのがいけなかった。その後も3、4回と回数は少ないものの、ゴミ袋を以前の場所に人知れず置いていくことが続いた。すると、翌朝には必ずと言っていいほどカラスがそのゴミ袋をあさり、中のゴミが散乱して非常に汚らしい。


 もし、その人が毎朝この場所を通る人なら、アミの中に置かれた多数のゴミ袋を目にしたことがあるはずだから、きっとアミの中に入れてくれるだろう。普段はこの辺りを通行しない人だから、カラスに食い荒らされたゴミ袋を目にすることもなく平気でいられるんだろう。それにしても、こんなことがこれからも続いたら汚らしいし不潔だ。近所の人が散乱したゴミを片付けてくれているようだが、そうした迷惑をかけるのも心苦しい。そこで、一計を案じて、効果があるかどうか不確かではあるが、ダンボールにマジックで注意書きを書いて、雨に濡れても大丈夫なように透明な粘着テープで表面をぐるぐる巻きにしたものを橋の欄干にビニールテープで結び付けてみた。



 夜にゴミ出しをする人なので読みにくいかもしれないが、ちょうどすぐ傍に街灯が立っているので読めなくはない。何とかメッセージが伝わればいいなと思って見守っていたら、1週間ほどはゴミが置いていかれることはなかった。気付いてくれたのかな、と安心していたら、その直後に4つのゴミ袋が置かれていてがっかりした。私が最後の授業を終えてバスで生徒を送っていくときに見つけたから、11時前にゴミを出したのだろう。「注意書きの効果はなかったなあ、他にどうしたらいいのだろう」と思い悩んでいたら、その2・3日後には注意書きを書いたダンボールが傘の先のようなものでいくつも穴があけられているのを発見した。


 これがゴミ出しを注意されたことへの腹いせだとしたら、なんて陰湿ないたずらだろう、と暗澹たる気持ちになった。決められたルールを守っていないことに対して、オブラートに包んだような文言で「お願い」をしただけなのに、こんなやり方で応えたとするなら、その人の心は何と貧しいことだろう。世知辛い都会に比べれば近所づきあいも多いはずのこんな田舎町でもこうした狭量な行為をしてしまう者がいるのだから、本当に住みにくい世の中である。
 
 でも、その後は橋のたもとにゴミは出されていないので、何らかの効果はあったかもしれない、そうだといいんだが・・。
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ホワイト・ナイル

 娘から誕生日&父の日のプレゼントが送って来た。知る人ぞ知る、「WHITE NILE」と名づけられたビール。330mlのビンに入ったビールだが、これがなかなかのいわくつきのものらしい。

詳細はホームページで分かるが、ここではビンのラベルに書かれた講釈を写してみる。
 
 「早稲田大学のエジプト考古学と京都大学の植物遺伝学が出会い、現代に甦った古代エジプト文明。WHITE NILE はその研究成果を活かし、京都の地下水で製造した小麦ビールです」

 早稲田も京大も縁浅からぬ学校であるから、娘から送ってくるプレゼントとしては絶妙な感じだ。久しぶりに娘の機知に触れて嬉しかった。
 ビールは普通大麦の麦芽を原料としているが、このWHITE NILE は古代エジプトでビール醸造に使用されていた「エンマー小麦」の近縁の「デュラム小麦」を麦芽・小麦総量の20%用いており、それが独特の風味を醸し出している。さらに上面発酵(エールと称される。下面発酵はラガー)によるため、素朴な舌触りが楽しめる・・・、などと知識ばかり増やしても仕方がない、実際に飲んでみるにしくはない。
 ここのところ土曜の夜は休肝日にしているので、日曜の一杯目のビールがものすごくおいしい。昨日は気温も上がり、3時まで塾の授業をした後だったので、喉の渇きを潤すには最高のシチュエーションだった。自慢の江戸きりこのグラスに注いで味わった。


 う~ん、私がいつも飲んでいるキリンの一番搾りとは明らかに味が違う。エールビールと言われれば、確かにそんな味わいがある。細かな違いが分かるほど繊細な味覚を持ち合わせていないのは残念だが、それでもおいしいかまずいかくらいは判断できる。
 まずくはない。だけど、エールビールそのものが私は余り好きではない。どんな違いがあるのかよく知らないが、今まで飲んだエールビールは私の口には合わなかった。これもそうだ。ラガービールの製法でできるのかどうか分からないが、私はラガービールにした方がよかったのでは?と思う。ただ、後味はいつまでも残っていた。これが「デュラム小麦」の力なのかもしれない。これには正直驚いた。

 実は私はこの WHITE NILE を飲むのは2度目である。最初に飲んだのは、息子の受験のときに妻が早稲田大学の学食で買ってきてくれたものである。本当は学外への持ち出しは禁止されていたのを、特別に(頼み込んだらしい)許してもらって家まで持って来たのを有難く頂いた。その時もエールビール独特の風味を感じたのだが、今回改めてそれを感じられたのは、私の first impression があながち的外れでないことを証明してくれたようで嬉しかった。
 京都の地下水はなかなかの優れものらしい。ウイスキーの名品も京都で作られている。清酒会社の黄桜がビールを作ったのも面白い。今夏には「エンマー小麦」を使った WHITE NILE が販売されるそうだ。それもまた楽しみである。

 と、何だか偉そうに書き連ねたけど、実はもうこのビールの存在を知っている人がいらっしゃった!!


ゴジ健さんだ!!上の写真はお借りしたものだが、張り巡らしたアンテナの性能の高さには脱帽する。おいそれと自慢話はできないものだ・・。
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「東西不思議物語」

 私の部屋の書棚には「澁澤龍彦全集」(河出書房新社)が並んでいる。あまり読んだことのなかった澁澤の全集をどういう了見で買ったのか忘れてしまったが、ページを開いたことはほとんどなかった。娘が長ずるにしたがって澁澤のファンになり、この全集をかなり読み進めてくれたので、少し元は取れていた。でも、やっぱり買った当人が一冊も読まずにいては余りにも怠惰だと、つい先日思い立って適当に1冊抜き出してみた。すると「東西不思議物語」という、毎日新聞の日曜版に毎週連載された短い読み物49編を集めたものが収められていた。これなら夜寝る前に少しずつ読み進められるだろうと、読んでみた。
 読み始めたら、止まらない。古今東西の該博な知識を駆使して、選りすぐりの不思議物語が次々と語られていく。ついつい先を読みたくなって、寝るのが遅くなってしまうこともたびたびだった。部屋の明かりを消してベッドの読書灯で読んでいても、ぞっとして思わず巻を閉じてしまうほどの恐ろしい話はなかったのがよかった。一つのテーマについて語られるエピソードは日本の古典から中国の古典、さらにはヨーロッパの古い書物からと、まさしく縦横無尽の広がりを見せ、とどまることがない。さすが澁澤龍彦!と何度となく唸ってしまった。
 
 「それにしても、不思議を楽しむ精神とは、いったい何であろうか。おそらく、いつまでも若々しさを失わない精神の別名ではないだろうか。驚いたり楽しんだりすることができるのも一つの能力であり、これには独特な技術が必要なのだということを、私はここで強調しておきたい」

と、澁澤は「前口上」で述べている。本書の中でどんなことに澁澤が驚いたり楽しんだりしているのか、幾つかの逸話を紹介してみる。

 北勇治というひとが、外から帰ってきて自分の部屋の戸をあけてみると、机に寄りかかっている男がいる。誰だろうと思って、よくよく見ると、髪の結い方から着物や帯にいたるまで、自分がいつも身につけているものと寸分変わらない。自分のうしろすがたを見たことはないけれども、これはどう見ても自分としか思えない。「よし、顔を見てやろう」と思って、つかつかと歩み寄ると、その男はうしろ向きのまま、細くあいた障子の隙間から、すっと外へ走り出てしまった。
 勇治は追いかけて行って、障子をあけてみたが、その時にはもう、男のすがたはどこにも見えなくなっていた。あんまり不思議なので、このことを老母に話すと、老母はだまって眉をひそめるばかりだった。その時から勇治は病気になり、その年のうちに死んでしまったという。奇妙なことには、この北家では三代もつづいて、一家の主人が自分自身のすがたを見、しかも見れば必ず、その直後に死んでしまうのだった。  (自己像幻視のこと)

 龍樹は、三世紀前半ころのインドの仏教哲学者である。この人がまだ俗人であったとき、二人の仲間を語らって、隠れ蓑の薬をつくった。寄生木を三寸に切って、三百日間、陰干しにして作ったという。この薬を髪の毛にさしておくと、隠れ蓑のように、ぱっと姿が消えてしまうのだそうである。
 こうして見えない姿となって、三人は王宮に押し入り、片っぱしから宮中の皇后や女官たちを犯したのである。犯された女たちは、気味が悪くて仕方がない。国王に向かって、「近ごろ、なんだか目に見えないものが、すっと寄ってきて、あたしたちの身体に接触するんですの。いやらしいわ」と訴えた。
 国王は頭のよい人だったから、すぐにぴんときた。そこで一計を案じて、宮中の床に灰をまいておいた。灰をまいておけば、足跡がつく。足跡のついたところを、当てずっぽうに斬れば、犯人は死ぬであろう。
 計画は図にあたって、龍樹の仲間は二人とも切り殺されてしまった。しかし龍樹だけは、皇后の裳裾を頭から引っかぶって、小さくなっていたので助かった。すきをうかがって、命からがら王宮を逃げ出した。  (隠れ蓑願望のこと)

 主として中世のビザンティン帝国で行われていた、おもしろいアレクトリオマンシーという占いの方法をお伝えしよう。ちなみに、ギリシア語でアレクトルオンは雄鶏、マンティアは占いを意味する。要するに鶏占いである。
 窃盗犯とか相続人とかの名前を知りたいと思ったら、平らな地面の上に円を描き、円をアルファベットの数だけに分割し、その分割した部分にそれぞれ文字を書き入れる。それから小麦の粒をもってきて、エクセ・エニム・ヴェリタテム(いざ真実を見よ)という呪文を唱えながら、Aから始めて各文字の上に置いていく。最後のZまで、すっかり小麦の粒を置いてしまったら、爪を切った若い雄鶏を連れてきて、円の上に放つ。そして鶏がどの文字に相当する穀粒をついばんだかを、注意して観察し、その文字を紙の上に書き、つなげてみる。それが知りたいと思う人間の名前である。  (さまざまな占いのこと)

 これらは「東西不思議物語」の中のほんのわずかなエピソードである。いくつも書き写してみたいが、最後に百鬼夜行(真夜中に、多くの恐ろしげな形をした鬼どもが、火を燃して、ぞろぞろ行列して歩くこと)の災難から逃れるための呪文が紹介されていたので覚えておいて損はないように思う。

 カタシハヤ、エカセ二クリニ、タメルサケ、テエヒ、アシエヒ、ワレシコニケリ
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チョーク

 私の塾では、個別指導を行っており、学校や大手予備校のような一斉授業は行っていない。したがって、黒板を使って説明する機会はあまり多くないのだが、教室としての存在感を示すために各教室に黒板は設置してある。あれば工夫次第で指導に幅もできる。例えば、英語の時間には教科書の本文を覚えさせて黒板に書かせるのも有効な勉強法である。個人の能力は様々であるから、一回さっと書いただけで簡単に覚えてしまう生徒もいれば、何度もノートに書き写してやっと覚える生徒もいる。一般的に言えば、社会の用語や英語の単語などは見ているだけでなく、書いて覚えるのが基本だと思う。丸暗記は真の学力を育てないとも言われるが、昔から漢文の素読などで明らかなように、暗記は学習の基礎作りには欠かせないものだ。スポーツで単純な動作を反復練習して基礎を身につけるのと同じように、学習でも基礎事項をしっかり覚えておくことが不可欠だ。特に脳の柔軟な若い頃に、そうした記憶力を高めておくのは、その後の学習に大きな力となる。

 もう塾を始めてかれこれ25年近くなるが、チョークを使って黒板にうまく字を書くことができない。ボールペンで紙の上に書く字でさえ大したものではないから、当然なのかもしれないが、それでも余りに拙すぎる・・。


ポイントのまとめを黒板に書いたものだが、生徒から「何て書いてあるの?」とよく質問される。自分としては丁寧に書いたつもりでも、読みにくくては話にならない。これでも上手くなったほうだと思うが、まだまだ修行不足だ。チョークの持ち方が難しくて、力の入れ加減がよく分からない。力を入れすぎるとキーキーいやな音を立てるし、弱すぎると途切れて点々になってしまう。私が学生の頃でも、素晴らしく上手な字を書く先生もいれば、何を書いているのか判読できない先生もいてノートに写すにも一苦労した記憶がある。字は人となりを映し出すとも言われるが、その伝に従えば私などひどい評価しか与えられないだろう。恥ずかしい限りだ。
 チョークも近年は進化していて、手につきにくい材質の物が売られるようになった。私が現在使っているのは馬印の「DCチョーク」というものだが、このDCが何を意味するのか分からない。成分表示には「炭酸カルシュームを使用」としてある。一方、手につきやすい旧来のチョークは「焼きせっこう製」と表示があるから、製法が違っているのかもしれない。試しにDCチョーク(白)と普通のチョーク(赤)で手につき具合を確かめてみた。

 

差は歴然としている。確かにDCチョークはほとんど手についていない。(赤のDCチョークは売られていない)DCチョークをよく見てみると、表面の下から3分の2辺りまで薄い皮膜が施されている。この皮膜が、チョークの粉が手につくのを防いでいるのだろう。なかなかの工夫だ。当然この違いはしっかり価格に反映されていて、普通のチョークが1本約4.1円であるのに対して、DCチョークは7.3円、2倍近く違う。だが、手につくかどうかだけでなく、書き心地もDCチョークの方が柔らかくて書きやすい。黒板消しで消すのも楽なので、どうしてもDCの方を選んでしまう。このように何か付加価値をつければ、少々高くてもよりよいものを買うという現代の消費者の購買欲を刺激する装置がここにも働いている。

 でももう少しきれいな字が書くようにしなくちゃいけないよなあ。生徒に迷惑・・。

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光の先へ


 ブログを2年以上続けてきて、よかったと思うことの一つに、1年前、2年前の自分が何を考えていたかを知るための記録が残っていることである。今日は私の誕生日、もうここまで来ると大した感慨もわかない。でも、一応日記のようなものなのだから、今年も誕生日に関したことを何か書いておこうと思ったが、はかばかしいことが思いつかない。ならば、1年前、2年間の記事を読んでみれば何か閃くかもしれないと思って、読んでみた。読んだら笑ってしまった、何にも変わっていないのだ。今更何かが変わるなんてことを期待するのもおかしいけど、少しは成長したかなと淡い期待をもって読んだが、見事に的外れに終わってしまった。ただただ毎日の仕事に汲々としながら、グダグダと下らぬことを堂々巡りしているだけだ。アホみたいだが、もう自分はこんなものだと分かっているから、悲しくはない。
 2年前と比べれば、確実にこれから生きられる時間は2年分減ったことになる。だが、それはどんなことをしてでも働かねばならない時間が2年分減ったというのと同義である。生来の怠け者である私は、労働に喜びを見出すなどという考えにはどうしても馴染めない。言うまでもなく毎日一生懸命働いているし、自分では最大限の努力をしているつもりだ。自分のやっていることにここ数年は少しばかり誇りさえ感じるようにはなってきた。それでも、家族という私にとっては最大かつ最良のモチベーションがなかったなら、すぐにでも働くのを止めてしまうような気がする。妻もその辺りをよく分かっていて、
「あなたは子どもがいなかったらこんなに一生懸命働かなかったでしょうね」
とことあるごとに言う。あまりにも正鵠を射すぎていて、なにもそれには反論できない。子どもがいたからこそ、今日まで必死に働いてこれたのだし、子どもがいなかったら糊口を凌ぎさえすれば満足していただろうと思う。「子どもを一人前に育て社会に送り出す」という親の務めを果たすことが、ここ20年近くずっと私の最重要課題であり、子どもがいたからこそ自分なりに懸命の努力をすることができたのだと思う。
 それが、今春息子が大学に入学して、随分見通しがよくなった。娘は大学院に進学するつもりでいるが、それを足しても、あと3年ほど思い切り頑張れば何とか親の務めは果たせそうだ。まあ、その間に必要なお金の合計をはじき出すと気の遠くなるような数字になるので、果たしてやり遂げることができるかどうか、心配にはなるが、今は余り考えないようにしている。「金は天下のまわり物、頑張れば何とかなるさ」と、気楽に思えるようになったのも、ゴールがくっきりと見えるようになったからだと思う。生来深く物を考える質ではないのがいいのかもしれないが・・。
 先の見えないトンネルほど不安なものはない。出口が見えだし、その明るさが徐々に大きくなって、光が私に届き始めているのが現下の状況のように思う。そこに行き着くには、まだまだ油断はできないし気を抜くつもりも全くない。今まで以上に必死で働いて行かなければトンネルを抜けることはできないかもしれない。ただ、たとえほのかであっても、明るい光の中に心ときめく時間が見え隠れするようになったのは、今までとは違った意味で生きることへのモチベーションを高めてくれる。
 「子ども達が手を離れたら何をしよう?」
そんなちょっとした期待感が私の心の中に芽生え始めた。
 
 年をとることはつまらないことかもしれない。苦労ばかり、いやなことばかりが増えてくるのも事実だ。しかし、その先に何か一つでも明るい展望を持つことができたなら、それに向かって年をとっていくのもそんなに悪くはないのかもしれない。
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株分け

 5月14日の記事に、今年咲いたシンビジュウムの写真を載せたが、その後屋外へ出さねばならないのをずるずると横着をしてしまい、部屋の中に置いたままにしていた。たった4鉢だけだが、結構重いので2階から庭まで運ぶのが億劫で、なかなか踏ん切りがつかなかった。その間も水は欠かさずやっていたし、栄養剤も定期的に与えていたので、昨年のように枯れたりはしなかった。ただ一鉢だけ何株も密生しているものがあって、これは株分けをした方がよさそうに思えた。そこで、外に運びがてら株分けをしてやろうとやっと重い腰を上げることができた。


 随分昔に1度だけシンビジュウムの株分けをしたことがあるが、やり方なんてもう忘れてしまった。株分けをするのに今がふさわしい時期なのかどうかも自信がない。不確かな記憶では、花が咲き終わった頃に株分けするのがベストだと、毎月買っている「趣味の園芸」に書いてあったような気がする。この雑誌は、母が生前買っていたものを私が引き継いで買うようになったものだが、ほとんど誰も眼を通したことがない。バックナンバーは積み上げてあるから調べれば分かるだろうが、面倒なので、きっと今が株分けの絶好機なんだと勝手に思い込んでやり始めた。

  

 まず、植木鉢の底の穴から指で押してズボッと土ごと株全体を取り出した。そしてグルグルに伸びた根の間に入り込んでいる土を払い落とそうとした。よくぞここまで、と思うくらい根がびっしりと入り組んでいてなかなか土が落ちない。それでも何とか埋まっていた株がむき出しになるまで土を落とすことができた。
 それを3つか4つに分けようと両手に力を込めて株を分離しようとしたが、なかなかうまく行かない。必死になって指先に力を集中して少しずつ分けていき、やっとの思いで1株分け離すことができた。ここまでやり終えたら、汗がにじんでいた。しかし、この後は株が少し小さくなったので、力を込めやすくなり、かなり楽に進んだ。
 結局4つの株に分けた。

 

 次に、これらの分けた株をそれぞれ別の植木鉢に植えていく。昨年枯らしたシンビジュウムの鉢がそのままいくつか残っていたので、その中の土を一旦全部外に出して、そこに植えなおすことにした。
 一番下に金網の切れ端を置き、水はけをよくしておいてから、真ん中になるよう株を左手で支えながら、右手でザクザクと土を入れていく。植木鉢の上のスジ辺りまで土を入れたら一鉢完成!果たしてこれでいいのかどうかよく分からないが、とりあえず一鉢できてよかった。

  

 残りの3つの株もみな同じようにして見事株分け終了!!疲れた・・。水をかけて栄養剤をさしてやったら一応それらしくなった。

 

 このまま枯れずに育っていってくれればいいが・・と、少々心もとない。しばらくは水遣りと栄養剤の補給を忘れずに続けなければならないだろう。
 ちょっとした園芸家のような気分だ。
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面接

 一昨日の夜遅く、息子から電話がかかってきた。
「あのさぁ、履歴書の書き方だけどさ」
息子は自分のアパートの近くのスーパーでアルバイトを始めようとしていると妻から聞いていた。
「資格ってところには何を書けばいいの?英検2級とか書いた方がいいのかな?」
「スーパーのバイトに英検は関係ないだろう。それよりも書道3段とか5段とか書いとけばいいんじゃないの」
「そうかなあ・・。受かった大学の名前を全部書くっていうのはどう思う?」
「はあ?」
「説明書にはなるべくたくさん書いた方がいいって書いてあるから」
「そんなもん関係ないだろ。英検なんて書いたら、外国人が客で来たときに相手させられるぞ。話せるか?」
「そうだね・・。それじゃあ書道にしておくよ。それと、長所は何て書いたらいいと思う?」
「えっ?そんなもの自分で考えて適当に書いときゃいいじゃん。素直な良い子ですとか・・」
「そんなんでいいの?じゃあ、そうしとくよ、ありがとう」
電話を切ってしばし呆然とした。大丈夫か?と心配になった。意味不明なことを言って来るのは相変わらずだ・・。
 
 息子の学部は授業が午後からしかないので、午前中学校に行く前にバイトするつもりらしい。「講義にはちゃんと出てよ」と母親から釘を刺されたら、「朝早く起きれて規則正しい生活ができるようになるからいいと思うよ」と、前向きな返事をしたそうだ。娘が1回生の頃は、朝早くからの講義には起きられずによく欠席したらしいが、息子にはそうした心配はいらないかもしれない。
 
 昨日の午前中にもまた息子から電話があった。今度も私が出たら、
「あのさぁ、今から面接に行くんだけど、どういう恰好をしていったらいいと思う?普通の服でいいのかなぁ」
「スーツでも着ていくつもり?バカじゃないの?学生のバイトなんだから、普段着のまま行けばいいと思うよ。そんなに堅苦しく考えなくてもいいって。ダメだったら他のバイト探せばいいんだし」
「分かった、ありがとう」
まあ、よく分からないことは何でも尋ねて一つ一つ覚えていくことは大切なことだが、ちょっと考えれば分かるだろうと思えるようなことまで聞いてくるから、唖然としてしまう。「もう大学生なんだから」と言いたいけど、息子もそれを察知するのか、私が小言を言う前に電話を切ってしまう。
 息子は今までバイトなどしたことがないから、緊張するのは当然なのかもしれないし、あれこれ心配するのも無理ないのかもしれない。私の塾にもアルバイトをしたいと言ってくる大学生が時々いて、面接することもあるが、やはり誰もが緊張している。そうした初々しい気持ちをいつまでも持ち続けていればいいが、世間ずれしてくると何にでもすぐに慣れてしまい、言葉遣いなどが雑になる。まったく今の若い者は・・などと年寄りくさいことを言いたくはなるが、それが今の若者気質なんだと悟ったような気持ちでいたほうが彼らと接するには何かと便利なような気がする。
 思えば、就職のためにどこかの会社の面接を受けたことが今まで一度もない私のような者が、息子に立派なアドバイスを送れるはずもない。ただ、自分をそのまま出して、それを受け入れてくれるような場所で社会的な見聞を広められるなら、それは大いに意味あることだから、面接がうまく行き採用されたらいいなと思っている。
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ロケット

 ロケットこと、ロジャー・クレメンスがヤンキースに戻ってきた。通算348勝、4604個の奪三振数を誇る豪腕だ。今年の8月で45歳になるというのに、復帰戦では150kmの速球をびしびし決めていた。初回に1点、4回に2点取られたものの、味方の援護にも助けられ、通算349勝目を飾ることができた。この勝利でヤンキースは5連勝、翌日も打線が爆発して6連勝を飾り、勝率5割まで借金1、首位レッドソックスとのゲーム差は9.5ゲームに縮まった。(一時は14.5ゲーム差あったのだから5ゲームも縮まった!!)こうしたヤンキースの好調さはクレメンス効果だとNHKのTVでは言っていたが、確かに彼の復帰がいい影響を与えているのだろう。その存在感は敵味方を問わずに圧倒的なものがあるから、目に見えない効果が随所に現れているようだ。野球と言うゲームは精神面の作用が大きな力を持っているから、精神的な支柱がしっかりできたというのは今後のヤンキースにとって大きな力になると思う。9.5ゲーム差なんてすぐに追いつける、そんな雰囲気がチームに出てきたようで、応援している私も試合を見るのが楽しくなってきた。
 クレメンスが以前ヤンキースに在籍していたのは2003年まで、松井秀喜とは1年間一緒にプレーしていた。私がメジャーの試合を見始めたのもその年からであるから、2003年のことはよく覚えている。クレメンスが300勝を達成しようとする試合で、勝ち投手の権利を得て降板したら継投したピッチャーが打たれてしまい、300勝がお預けになったことが2試合くらい続いた。オーナーが激怒して打たれたピッチャーを解雇したとか噂が流れたが、それほど当時のヤンキースとっては大きな出来事だった。300勝と4000奪三振を同時に記録したカージナルス戦のビデオは今でもとってある。その時はその記録がどれだけ偉大なことなのかよく分かっていなかったが、メジャーの試合を見続けて5年目にもなると、そのすごさがよく分かるようになった。浮沈の激しいメジャーリーグで20年間もエースとして投げ続けることができた者にだけ可能な記録であるから、まさに大金字塔である。ここまで投げ続けるためにクレメンスが毎日過酷なトレーニングを積んでいるのを紹介するTV番組を見たことがあるが、そのハードさには驚いた。己を厳しくコントロールできる並外れた強靭な精神力がクレメンスには備わっているのだ。
 復帰戦を見ていたら、アナウンサーが「クレメンスが前回ヤンキースに在籍したときのチームメイトは、野手では松井・ジーター・ポサダ・ジアンビの4人しかいません」と言っていた。わずか4年前のことなのにヤンキースはそれだけ入れ替わりが激しいチームなのだろう。そこで、クレメンスが300勝を達成した試合の先発メンバーを調べてみた。
 
   1.ソリアーノ(2B)
   2.ジーター (SS)
   3.ジアンビ (1B)
   4.ポサダ  (C)
   5.ベンチュラ(3B)
   6.松井   (LF)
   7.シエラ  (DH)
   8.モンデシー(RF)
   9.J.リベラ(CF)
 
なんだかものすごく懐かしい。ベンチュラは松井にアメリカンジョークを連発していた愉快な男だし、ソリアーノは元広島の選手で今やメジャーを代表するスラッガーだ。ここにB.ウィリアムスの名前がないのはDL入りしていたからだと思うが、代役だったJ.リベラは現在エンゼルスで活躍している。モンデシーやシエラは引退したのだろうか?
 などと昔を懐かしんでいる暇などない。いくらヤンキースの調子が上がってきたとは言え、まだまだレッドソックスははるかかなたを走っている。8月末に予定されている直接対決までに何とか3ゲーム差程度までに差を縮めることはできないだろうか。私は不可能な数字ではないと思っている。クレメンスを中心にしてピッチャーが与えられた役割を確実にこなしていけば夢ではないと思う。ようやくエンジンが温まってきた松井が打線をグイグイ引っ張って行ってくれるはずだから。 
 一時は萎えかけた私の気持ちがここ数日来高まってきている。Let's go, Yankees!! 頑張れ、松井!!
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楽しい


 日曜日、双子の甥と姪の誕生日(7月1日)のお祝いを買った。まだしばらく先の話だが、たまたま出かける用事があり、しかも弟家族がその日の夕方に遊びに来るとの連絡があったから、プレゼントすることにした。今年で3歳、未熟児として生まれ保育器でしばらく育った二人がちょっとした会話をできるようになるまで成長したのは心から嬉しい。しかも今月中には弟が生まれる予定になっている。

「赤ちゃんの名前は何?」と私が聞くと甥っ子が応えた。
「○○(苗字)あかちゃん」
「赤ちゃんはどこにいるの?」
「ここ」と言って、はちきれんばかりになった母親のお腹を指す。
二人を帝王切開で産んだためなのか、今度の子供も帝王切開する予定になっていると言う。2週間入院する必要があり、その間双子を義妹の実家の方で面倒を見てもらうことになっているそうだ。
「そんなに長く二人から離れたことがないから心配」
と義妹は言う。二人にとっては生まれて初めての試練なのかもしれないが、こうしたことを乗り越えることでまた一つ成長するのかもしれない。


 夕食は最近開店したばかりの近所の中華料理店に行った。昨年末に開店する予定だと言われていたのが、どういうわけだかなかなか営業を始めず、どうしたのかなと気にかけていた店がやっと開店した。歩いて行ける飲食店が近くになかったため、待望していただけにこの開店は喜ばしい。少し離れたところに開店したベトナム料理の店は早くも開店休業状態だが、この中華料理店は開店以来連日多くの人が訪れて盛況のようだ。食事に行った近所の人の話を聞いてきた私の父が、「俺がおごってやるから行こう」と2、3日前から言っていた。そこへ運良く弟家族がやってきたため、久しぶりに大勢で食事をすることができた。
 息子が東京に行ってしまって以来、多くても私と妻と父の3人での食事になってしまっているので、弟家族が加わっての食事はにぎやかで楽しかった。6時前に出かけたのだが、店内はほぼ満員で活気があった。さすがに近所だけあって、知った顔も何人か見かけた。その中には、以前私の塾に通っていた者もいて、久しぶりに出会った元生徒は懐かしかった。歩いて行ける店は車の運転の心配がないため、ビールをグイグイ飲める。双子達もそれなりにお行儀よくご飯を食べている。私はツナがたっぷりのった冷麺を食べたが、結構おいしかった。父も味には満足したようなので、食事の際の選択肢が一つ増えてよかった。
 中華料理店のすぐ近くに100円ショップがある。食事を終えて、そこで子ども達にシャボン玉を買ってやった。家に戻って盛んにシャボン玉を飛ばす二人を眺めていると、人はこれくらいの時期が一番いいのかなと思ったりした。私の娘や息子もこれくらいの頃が一番可愛かったような気がする。最近の娘など・・とついつい比べてしまう。それもまた幸せなのかもしれないが。
 
 休みの少ない私にとっては、こうしたのんびり過ごせる日曜日は貴重な一日だ。何もしないで過ごしても一日、何やかやと忙しくしても一日、どちらが休日の過ごし方としてふさわしいのかよくは分からないが、一日の終わりに「ああ、楽しかった」と振り返ることができれば、それで満足できる。
 
 楽しかった。
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