【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 人間、死ぬ時は、死ぬ。死にとうても、死ねん。それをわかりやすく表した昔話が「竹取物語(かぐや姫)」にて。昔話は数多の教訓を私達に。
時折、1人で寺に来る小学生が「先日ね、住職。母さんが『仏の顔も3度までだ。次は許さん』と。母さんは住職の法話を読んでないもんね。住職の法話だけでなく、本を全く読まないからあまり知識が。僕は住職の法話を読んでるからその意味が。『母さん、その諺の由来を知ってるの』と聞くと、イラッとした顔を」と。
【追伸】
現在は『仏の顔も3度まで』と言われているが、本来は『まで』の文字は不要。『まで』が、ある、ない、で『3度目まで許す』と『3度目が限度』と意味が違ってくる。現代に使われている意味は『どんな温厚な人でも、無礼を繰り返せば、そりゃ、怒りまっせ』という事。が、本来の由来は、諸説様々なれど、お釈迦様がお生まれになった釈迦国が、隣の国のコーサラ国に攻められる事に。行軍する道端の枯れ木の下に座るお釈迦様が。それを見たコーサラ国王が「尊師は何故、そんな所に」と尋ねると「この様な枯れ木であっても、雨、風を凌がせてもらえます」と。『滅びゆく生まれ故郷を悲しんでおられるのか』と、仏縁厚かったコーサラの国王は兵を引き上げた。お釈迦様がその木の下に座す度に、コーサラ国王は兵を引きあげた。が、4度目の行軍の時には、お釈迦様は座っておらず、釈迦国は滅亡する事に。人間は、如何に阻止しようとしても、止められないものは、止められない。定めに従って、命のある限り、生きるしかない。この謂れを、この小学生は母親に説明し「僕の悪戯を怒るは、母さんの定め。親である限り、叱るしかない」と言って、更に激怒されたと。読者の皆様のお察しの通り、この子のDNAは、父親譲り。因みに、釈迦国は滅ぼされたが、釈迦国王は命だけは助けられ、お釈迦様が最期まで、父上の老後を世話されたとの事。