【住職の法話。考え方を少し変えるだけで、苦しい人生が、楽しい人生に】 今日は父の20回忌。余命宣告を受けた後「わしの命乞い祈願はするな。人間、死ぬ時は、死ぬ。死にとうても、死ねん。人間は、寿命だ」と。
今日は父(金剛寺先代)の20回忌。わが家は祖父母も父母も、毎年家族だけで年忌法要を。3、7、13、17、25、33、50回忌など、大きな年忌には、親戚一同に連絡を。父は満年齢72歳でこの世を。拙僧、その歳まであと11年。やらにゃならん事が、まだ数多に。ゆっくりしてる暇はなし。死ぬまで仕事を。
【追伸】
平成14年10月18日に、肝臓、肺臓、大腸、小腸、膀胱、腹膜まで、見事に成長した父親(先代)の癌の手術を。手術2日後、意識を回復した父が「あの時、オペ室に入りながら、これでお前の顔も見納めかな、と思った」と拙僧に。その数週間後に父が「俺はあと、どのくらい生きられるんだ」と。「1年だよ」と即答すると、5分程目を閉じ、その後「あと1年なら、急がにゃならんな」と、お寺の経営一切(細部に渡る仕事内容)の伝授を拙僧に。あとは、好きな時代劇を見ながら、のんびりとベッドの中でくつろぐ1日を。こんな父親の姿を見るのは初めての様な気がした。休みなど、1日もなかったですもんね。「父さん。死ぬのは、怖くないんかい」と尋ねると「お前に宣告された時は、そりゃ、怖かったくさ。そうか、死ぬのか、と。人間誰しも、初めて経験する事は、不安なもんだよ。が、その恐怖もすぐに消えた。住職を40年もやってきて、初めて『安心(あんじん)』の境地の有難さが身に染みたわい。信仰していてよかったと思ったばい。何百人も見送ってきたが、自分の事となると、そう簡単なもんじゃないな。死んで逝った檀家さん達が、どんな思いで臨終に向き合っていたのかが、初めてわかった様な気がする。お前もその内、経験する事になるよ」と。平成15年7月8日、朝8時。意識なき父の耳元で「今から仕事に行ってくる」と病院を出ようとすると、主治医が「息子さん。今から行ったら、死に目に会えんよ」と。対し「大丈夫。私が帰ってくるまで、父は逝きはしません」と。この言葉には、何の根拠もない。他界の1ヶ月前に父から「親が死ぬくらいで、仕事を休むな」と言われていたので、それに従ったまでの事。先祖供養の法要が終わると、ほぼ同時に病院から「間に合わん」と連絡が入った。拙僧が病院に戻って30分後、父は安らかに息を。拙僧、父の耳元で「葬式が終わるまでは、休んでよか。が、その後はすぐに手伝いな。知っての通り、お寺は1日も休みはなかばい。じゃないと、お寺が潰れるぞ。臨終後、8時間は耳が聞こえているはず。聞こえてんだろ、この言葉。宜しく頼むばい」と小さな声で、父に。