他宗若住職が「ご住職(拙僧)の父君が残された物で『これは』という物は」と。「大学ノートに、本来は達筆で綺麗な字を書く父が、蛇が這った様な字で。恐らく余程に辛い状態で書いたのでは、と。内容は、わが寺の檀家、縁者の、家庭状況や、1人1人の問題点や、今後、指導していく上での注意点がびっしりと」と。
【追伸】
この若住職さんが「それは凄いですね」と。「遺品整理をしていた時に、父の机の中から出てきました。大学ノートの最後には『これはあくまでも参考資料とせよ。あとは自分の目と耳で確かめ、しっかりと対応してあげてくれ。頭に入れたら、このノートは燃やす事』と。100人おれば、100人の歴史が。1000人おれば、1000人の考えが。何も知らずに対応すれば、間違った対応をする事に。このノートは、本当に助かりましたね。全身癌で余命幾ばくの辛い状況下で、拙僧の為に必死に記してくれたんでしょうね。親とは、有難いものです」と、この他宗若住職さんに。因みに以前、同じ様な話がありました。読者で会社後継者が「大学を出て、父の会社に就職を。若い頃は『時代が違う』と意見相違で父とは随分ぶつかりました。父はその度に『その内、わかるよ』と。父の他界後、様々な問題に直面。困り果てていると、父の日記が仏壇の中から。それを読むと、今の私が抱えている問題を、父も若い頃に抱えていた事が日記に。その時、どう解決していったかも、その日記の中に記されてありました。今、私の1番の宝物です。父が言っていた『その内、わかるよ』は、実際に、問題に直面してみないと、今ここで言って聞かせても『経験なきが故に理解は不能』と、そう思ったからでしょうね」と。