「友引の葬式は誰かが連れて逝かれる」と。では千人葬式したら千人が。「四十九日法要は三ヶ月に股がったら苦が身『三』に付く『月』からするな」と。仏教ではそんなこと一言も。ただ日本人は迷信、祟りの類に敏感。「弔問者に嫌な思いをさせたくない」とその日を避けるという考え方なら「有り」かと。
思い出深い家も捨て、産んで育ててくれた親も捨て、今日までの経歴も、全てを捨ててあなたを選んでくれた女性を何故に大事に。一度しかない人の人生を粗末に扱うなんて失礼千万。重大な責任がありまっせ。基本、人は自分以外の人の人生は歩けない。がその道を共に歩くと決意してくれた女房殿を大切に。
何十年もの間、一言一句違わぬ法話を貫かれる禅宗の僧侶が。「この話なら前にも聞いた」と不服を言う方に「人は刻一刻と変化を。抱える問題も日々変わる。今日聞いた法話と5年後に聞いた法話が同じに聞こえるということは、その人はこの間全く成長していないということ。それに気付かせるが為の手法。
28年の結婚生活で2度妻からマジ蹴りを、足に。堪忍袋の尾が切れたみたいで、未だ身に覚えが。しかし、かかあ天下と亭主関白を比べた時、絶対的に力の強い旦那の威張り腐った態度は見るに堪えんが、その強い旦那が奥さんに怒られてシュンとしている姿は見ていてほのぼのしませんか。夫婦円満の基本。
大便小便が出て、飯が食えて、睡眠が出来て当たり前。がこの当然と思う事が出来なくなる事こそが最大の苦に。加え本当に大事な物は目に見えん。親の心、子の心。酸素に太陽の恵み。この命の基盤を作ってくれた先祖の存在と業績。この目に見えないものに感謝が出来て初めて本物に。惑わされる事なかれ。