夕映えに

陽が落ちるまで輝きたい、くさぐさの記録(日々の出来事、読書、スポーツ、友だち)

今も忘れない伊勢湾台風  

2009-09-25 21:06:22 | Weblog

   未曾有の台風と言われた伊勢湾台風からはや半世紀(50年)
 
が経ち、明日はその記念すべき日です。新聞、テレビでも当時の
   生々しい報道がされ、知らない世代にも様子を知ることはできます。

   昭和34年9月26日夜半から27日未明にかけての台風でした。
   当時、私は鳥羽市加茂小学校に勤めていて、5年生の担任でした。
      台風の前日ラジオ(テレビは無い時代)で台風接近を聞き子ども達
   と、窓ガラスの補強(ガラス切りでガラスを切り継ぎ足しテープで補強)
   や雨戸 を頑丈に閉めたりして帰りました。

    翌朝(台風が去る)我が家は大した被害は無かったですが、志摩
   地方の海岸地域では多くの被害でした.。(全壊の学校もあり)
      テレビなど無く情報は新聞とラジオだけで、愛知県や三重県の
   木曾崎町の様子など後で知ったぐらいです。
         1ヶ月の間水に浸かっていた
      
         流され陸に上がった真珠いかだ(志摩)
       

    死者5000人余と言うことで、加茂川にも体操服を来た子どもが流
    されてきていたと話に聞きました。

   27日は学校へ行くにも電車は不通(車など無い)、幸い兄が
   オートバイ に乗っていたので,送ってもらって出勤、ー兄は自分
   の学校へと行きました。
 
      学校に着いたら、木造の校舎は殆ど全壊、荒れ果て、講堂
  (体育館ではなく
だけは残っていました。

   とにかく片付けなければ入れないのです。瓦、ガラスは飛び散り
   危険でしたが、今の様に土木業者にと言うわけにいかず、子ども
   達とその父母とによる作業が1週間ほどかかりました。

   授業も10日程は出来なかったでしょうか。講堂を仕切り教室にし、
   午前と午後の2部授業で開始でしたが、日が短くなると無理となり
   3学期からは5年生3クラスは中学校を借りました。(分散授業

     彼らはとうとう6年生を終える前まで中学での生活で、本来なら
    高学年として居られたのに中学で遠慮しての生活でした。

   伊勢湾台風は愛知県と三重県に大きな被害をもたらしましたが、
   岐阜県も被害県だったそうです。歴史に残る台風でした。

   最近地球温暖化現象により伊勢湾台風よりも大きな台風が来る
  やもと言われています。「東海地震も30年以内に・・・」とも言われ
  地震に台風とー災害は忘れた頃にやってくるーを肝に銘じ心しな
  ければならないのでしょう。