愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

晩秋に咲いたミニトマトの花とイチゴミルクの花

2015-11-08 20:47:12 | 四季折々の花々

 10月から11月にかけて、良い天候に恵まれたので

 庭のミニトマトがこの時期に元気に成長し、

 可愛い黄色の花を咲かせています。

 ミニトマトの花は小さいですが、錨型をしており特徴があります。

 今からでも実を結ぶのか観察します。

 今日は晩秋に咲いたミニトマトの花とイチゴミルクの花を紹介致します。

                  晩秋の庭に咲いている「ミニトマトの花」

                  庭に咲いている可愛い「イチゴミルク」

 

 

 

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あなたは、教えについて「すべてのことを確かめる」方ですか?(テサロニケ第一5:21)

2015-11-08 20:29:24 | 神の言葉・聖書

 皆様方もご承知の通りに、わたし達の周りには様々な教えがあります。その教えが正しいか、間違っているかどうかをどのように調べておられますか。例えば算数であれば2+5=7と答える人は正しい、ということが分かります。恐らく2+5=8と答える人がいると、だれでもその間違いを正すことができます。ところが、宗教についてはどうでしょうか。現在多くの宗教が存在します。どの教えが確証された正しい教えなのでしょうか。皆様方も第三者が客観的に確証できれば、算数の事例のようにそれは正しい、と判断されるでしょう。各種物理的法則や数学は確証できますが、諸宗教の教えについては何に基づき「正」、「誤」を調べることが出来るのでしょうか。

 正、を見分けるはあるのでしょうか。を見分ける鏡はあるのです。それは聖書です。聖書は明白に論証されています。最初の人間アダムの創造から、約束のみ子イエスの遣わされるまでが正確に記録されています。聖書は1,600年以上の期間をかかけて私たちを益する為に書き記されていますが、内容は一貫し調和して正確です。私たちが幸福に生きるために実際に役立つ知恵を収めた書物です。さらに今から先の人類社会はどうなるのかを収めた預言の書となっています。これまでに預言された事柄はその通りに成就していることが確証されています。聖書は「神(エホバ)の霊感を受け」書き記されたものです(テモテ第二3:16)。聖書は人間の哲学ではなく、偉大な創造者エホバ、が私たちを益する為に、備えてくださった聖なる書物なのです。聖書は比類のない私たちへの贈り物、と言えるのです。さらに聖書神エホバの言葉であり、その言葉は生きており真理なのです(ヘブライ4:12.詩編119:160.ヨハネ17:17)。ですから人間の知恵で聖書の教えを覆すことは出来ません。聖書を調べると、神エホバの真理を離れ、人間独自の考えがどのように広がったのかを例証することが出来ます。真理の書・聖書を用いるなら、諸宗教の「正」、「誤」を識別できるのです。それは算数の答えを誰もが確証できるのと同じです。

 諸宗教の教えが正しいのか、間違っているのかについて識別する方法について聖書は次のように導きを与えています。「すべてのことを確かめなさい。りっぱな事柄をしっかり守りなさい」(テサロニケ第一5:21)。すべてのことを何に基づき調べるか、ということが鍵ですが、それは真理の書・聖書に基づき調べることです。一般に教えられていることが正しいのか、誤っているのかは、聖書が実際に何と述べているのかを調べると分かるのです。聖書は人間の哲学・教えが歪んでいるかどうかを見分ける鏡なのです。

 真理を探究してきた人たちは、1世紀のベレアの人たちと同じように、「それが(その教えが)そのとおりかどうか」について、日毎に注深く聖書を調べました(使徒17:11)。誤っている教えの幾つかを以下に紹介致します。

1.誤っている教え:聖人たちを、神との間で執り成しをする者としてあがめる。

  聖書の教え:「神(エホバ)はただひとりであり、また神と人間との間の仲介者もただひとり、人間(人間として遣わされた)キリスト・イエスである」(テモテ第一2:5)。

2.誤っている教え:人間の仲間の上に「神父」、とか「牧師」として高めている。

  聖書の教え:聖書の教えの中に、人間が「神父」とか「牧師」と呼ぶ呼称はどこにも記されていません。イエスは弟子たちに仲間の「奉仕者」また「奴隷でなければなりません」と教えられた(マタイ29:25~28)。

3.誤っている教え:幼児に洗礼を施す教え。

  聖書の教え:「信じた時、彼らはついで(大人の)男も女もバプテスマ(水の浸礼)を受けた」(使徒8:12)。

4.誤った教え:イエスと天の父エホバとは、三位一体の一部として同等である。

  聖書の教え:「わたし(イエス)は父(エホバ)のもとに行こうとしています。父はわたしより偉大な方だからです」(ヨハネ14:28)。「彼(イエス)は・・・強いて取ること、つまり、自分が神(エホバ)と同等であるようにということなどは考えませんでした」(フィリピ2:6)。

5.誤った教え:ミサの時に与える、パンとぶどう酒はイエスの血と肉になる。

  聖書の教え:「イエスはパンを取り、祝とうを述べてからそれを割き、弟子たちに与えてこう言った。「取って、食べなさい。これはわたしの体を表しています」。また、(ぶうどう酒の入った)杯を取り、感謝をささげてから彼らに与え、こう言われた。「あなた方はみな、それから飲みなさい。これはわたしの「契約の血」を表して・・・いるのです」」(マタイ26:26~28)。

6.誤った教え:人間は下等な生物から進化した。「進化論」。

  聖書の教え:「神(エホバ)は人をご自分の像(かたち)に創造してゆき、神の像(かたち)にこれを創造された。男性と女性にこれ(人)を創造された」(創世記1:27)。「わたし(ダビデ)はあなた(エホバ)をたたえます。なぜなら、わたしは畏怖の念を起こさせるまでにくすしく造られているからです」(詩編139:14)。「あなたの書(エホバの設計書)にそのすべて(人体のすべて)の部分が書き記されていました」(詩編139:16)。聖書の記述に疑念を抱く方は、最新の医学と科学に基づき人体の造りと、人体を形造っている細胞の詳細を調べれば、聖書の記述の真実性を検証できます。

7.誤った教え:人間は死ぬと魂が天に行く。

  聖書の教え:人は死ぬと「塵だから塵に帰る(土の塵で造られたので、その塵・土に帰る)」(創世記2:7;3:19)。「死んだ者には何の意識もなく」、「業も企ても知識も知恵もない」(伝道の書9:5,10)。しかし、聖書は「義者と不義者との復活がる」と保証しています(使徒24:15)。

  このようにみ言葉・聖書の真理を調べれば、正しい教えを識別することが出来ます。それには、少し努力が必要ですが、教えの「すべてのことを確かめる」人たちは幸いです(テサロニケ第一5:21)。

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      良いたより 秋の紺碧 の空なり  今日の一句

                 晩秋に咲いていた「アーモンドの花の残り」

 

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赤のカンナとピンク系の山茶花

2015-11-08 01:57:52 | 四季折々の花々

 ご近所の裏庭で2mほどに伸びた真っ赤なカンナが咲いています。

 カナなの花は大きく庭植えで楽しむことが出来ます。

 こちらでは庭植えの方が多いように思います。

 用途は切り花、鉢植え、庭植えです。

 花期は7月~10月です。

 花言葉は「美涙沙女」と紹介されています。

 今日は赤のカンナとピンク系の山茶花の花を紹介致します。

                          ご近所の「カンナ」

                       ご近所の生垣の「山茶花」

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16世紀に真理を探究したブォルフガング・カーピトは何を見いだしたか?

2015-11-08 01:33:24 | 神の言葉・聖書

 皆様方も「真理とは何か」とお考えになられたことがあるに違いありません。西暦1世紀のユダヤのローマ総督ポンティオ・ピラトは、自分の前で裁きを受けていたイエスに「真理とは何か」と言いました(ヨハネ18:33)。ピラトは、本当に真理を知りたくてイエスに質問したわけではありません。ピラトにとって真理を見極める方法はありませんでした。今日の多くの人たちにとっても同じです。16世紀の真理の探究者から学ぶことができます。

 16世紀のヨーロッパのキリスト教会員たちは、何を真理と信じるべきかに関してジレンマに陥りました。ローマ教皇の教えを信じるように教えられて育てられたので、当時、ヨーロッパ各地で広がりつつあった宗教改革による新しい考えにとまどっていました。何を信じ、どうすれば、真理を見定めることが出来るのでしょうか。

 その時代に、真理を見いだそうと決意した人の一人にドイツのボォルフガング・カーピトは、真理を探究し何を見いだしたかを、見てみましょう。

  「常に聖書・・・を至上の規範とすべき」を見いだした。

 ドイツのボォルフガング・カーピトは、比較的若かったものの、強い宗教的信念を抱いていました。医学、法学、神学を勉強し、1512年には教区祭司になり、その後マインツの大司教に仕える補助祭司となりました。

 最初のうちは、カトリックの教義に反する説教をしていた宗教改革者たちの熱意を和らげようとしていましたが、やがて自分自身も宗教改革を擁護するようになりました。何をしたでしょうか。様々な教えに戸惑った時、「説教の善し悪しを判断する際の基準となるのは聖書だ。確かなものはそれしかない」と考えました。歴史家のジェームズ・M・キッテルソンはそのように書いています。それでカーピトは、全実体変化(全質変化)に関する教会の教えや聖人に対する崇敬は聖書の教えに反している、という結論を下しました。そして1523年、大祭司に仕える目立った地位を捨てて、当時の宗教改革の中心地であった都市スチラスブールに居を定めました。

 カーピトの家は、宗教上の少数意見派が会合する場所となりました。恐らくは、様々な宗教上の問題や聖書の教えについて話し合ったのでしょう。改革者たちの中にはまだ三位一体の教理を唱道する人もいましたが、「急進的な宗教改革」という本によれば、カーピトが書いたものには「三位一体の教理を持ち出そうとしない態度」が反映されています。なぜなら、カーピトはスペインの神学者ミカエル・セルべトゥスが聖句を引き合いに出して三位一体の誤りを証明したことに感銘を受けていたからです。

 当時、三位一体を否定すれば死刑にもなりかねなかったので、カーピトは用心深く行動し、自分の気持ちを言明しませんでした。しかし、その書いたものを読めば、ミカエル・セルべトゥスに会う前から個人的に三位一体の教理を疑問視していたことが分かります。あるカトリック祭司が後に書いている通り、カーピトとその仲間たちは「宗教の深遠な謎について、仲間内で、他に訴えることなく話し合うようになり、聖三位一体を退け」ました。それから100年後、カーピトの名は、著名な三位一体論者たちの最初に挙げられました。

 カーピトは、に言葉・聖書こそ真理の源であると信じていて、「神学において常に聖書とキリストの律法を至上の規範とすべきである」と述べました。そして、キッテルソン博士によれば、「スコラ哲学の影響を受けた神学者たちの大きな弱点は、聖書を無視していることにある、と主張し」ました。

 神エホバの言葉から真理を学び取りたいと、そうした真摯な気持ちは、1526年にカーピトの家に滞在した若者マルティン・ツェラリウスも抱いていました。

 カーピトは、聖書を勤勉に研究して、真理と誤りとの違いを識別することができました。真理を探究したカーピトは、謙遜な態度で聖書を調査して、知った真理を大切にしました。使徒パウロは仲間のクリスチャンに、「すべてのことを確かめなさい。りっぱな事柄をしっかり守りなさい」と勧めています(テサロニケ第一5:21)。エホバの証人のクリスチャンは、真理を探究する方のために、「聖書は実際に何を教えていますか」という適切な本を備えています。あなたもその本から無料の聖書レッスンを受けることができます。どうぞお近くに住んでおられるエホバの証人をお訪ねくだされば幸いです。

「参考資料」:ものみの塔聖書冊子協会発行、「ものみの塔」誌、2014年6月1日号、12,13P

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      配達婦 速足で来る 秋の午後 今日の一句

                   近くの菊の愛好家の世話する「懸崖」

 

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