庭にヒメツルソバが晩秋に咲いています。
淡いピンク色で、一つ一つの花弁の径は約2mmでとても小さいです。
よく見ると可愛い花弁です。
花図鑑では花期は3月~5月と紹介されていますが、
こちらではこの時期に咲いています。
用途は庭植え、グランドカバーです。
花言葉は「消極的な愛」と紹介されています。
今日は晩秋のヒメツルソバと赤の山茶花を紹介致します。
庭に咲いている「ヒメツルソバ」
庭で次々と咲いてくる「山茶花」
庭にヒメツルソバが晩秋に咲いています。
淡いピンク色で、一つ一つの花弁の径は約2mmでとても小さいです。
よく見ると可愛い花弁です。
花図鑑では花期は3月~5月と紹介されていますが、
こちらではこの時期に咲いています。
用途は庭植え、グランドカバーです。
花言葉は「消極的な愛」と紹介されています。
今日は晩秋のヒメツルソバと赤の山茶花を紹介致します。
庭に咲いている「ヒメツルソバ」
庭で次々と咲いてくる「山茶花」
あなたは、畏怖の念を起こさせるまでにくすしく創造されている人間が、なぜ老化し死に至るのかの理由をご存じだったでしょうか(詩編139:14)。多くの方々は「人はなぜ死ぬのか」の疑問をお持ちでいらっしゃいます。医学を調べると、人体を構成する細胞が絶えず新しく更新され、人体のすべての組織が新しくされいるにも関わらず、人は何故老化し死に至るのかを、医学的・科学的にに説明することが出来ないことが分かります。人間が死に至る原因を聖書だけが明らかにしています。人が死ぬ原因を聖書は、最初の人間アダムが神エホバに対し罪を犯したゆえに、アダムの子孫である人間はその罪を受け継ぎ死ぬことを説明しています(ローマ5;12)。人類がアダムから受け次いだ罪と死から解放する贖いの死を遂げるために、神エホバの約束通り、イエスは地上に遣わされ、贖いの死を遂げられたのです(マタイ20:28.ヨハネ3:16)。そのイエスの贖いの死の適用は、神の王国によって成し遂げられる義の宿る新しい社会・地上の楽園が回復してからになります(ペテロ第二3:13.啓示21:4)。お分かりと思いますが、イエスは、全ての人の命と関係する方なのです。そのイエスが地上に遣わされている間、人間としてどんな方であったのかを知ることは、神エホバ神を知ることでもあり、とても重要なのです。
イエスをよく知るために役立つのは、地上に遣わされていた時にイエスは何を教え、何を行なわれたかを調べることです。そうすれば、私たちはイエスの言動を通して、神エホバを詳しく知ることができるようになります。どうしてそのように言えるのでしょうか。イエスは弟子たちの一人に、「わたしを見た者は、父(エホバ)をも見たのです」と教えられました(ヨハネ14:9)。聖書の中で福音書として知られる四つの書・マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの各書は、イエス・キリストの生活や活動や人格特性について多くのことを教えています。
イエスは「師」つまり優れた教え手として有名でした(ヨハネ1:38;13:13)。イエスは何を教えたのでしょうか。イエスの伝えた音信はおもに「神の王国の良いたより」でした(ルカ4:43;8:1)。つまり、天の神の王国政府である「神の王国」が地上全体を支配し、大群衆の温和で従順な人たちに、いつまでも続く祝福をもたらすということです(マタイ4:23.ペテロ第二3:13.啓示7:14;21:3,4)。神の王国の音信はだれからのものだったのでしょうか。イエスご自身が次のように説明されています。「わたしの教えはわたしのものではなく、わたしを遣わした方(エホバ)に属するものです」と、み父エホバからのものであることを教えられました(ヨハネ7:16)。ですから、「キリスト教」というのは神エホバの教えを指しています。世界中の人々が神の王国の良いたよりを聞くことは、神エホバのご意志であり、イエスはそのことをご存知でした(マタイ24:14;28:19,20)。神の王国が成し遂げることは上の前書きにも少しお伝え致しましたが、その内容はまさに「良いたより」です(マタイ24:14)。
イエスは人々にどこで教えたでしょうか。野原でも、都市でも、村でも、市場でも、人々の家でも、とにかく人のいる所ならどこでも真理を教えられました。人々が自分の所に来るのを待つのではく、自分のほうから出かけて行き教えられました(マルコ6:56.ルカ8:1;19:5,6)。イエスがそこまで力を注ぎ、多くの時間を割いて神の王国の良いたよりを宣べ伝え、その真理を教えられたのは何故でしょうか。そのようにするのは神エホバのご意志だったのです(ルカ4:43)。イエスは常に神エホバのご意志を行ないました(ヨハネ8:28,29)。しかし、そのように神の王国を宣明する理由はほかにもありました。イエスは大群衆を見て哀れに感じられた、つまり人々が霊的に顧みられていないので同情されたのです(マタイ9:35,36)。多くの人々は、当時の宗教指導者たちから、本来なら神エホバと神の目的に関する真理を教えられているべきでしたが、無視され、羊飼いのいない羊のようになっていました。そのためイエスは大群衆を哀れに思い、真理を教えられました。イエスは、人々がどれほど神の王国の良いたよりを必要としているかをご存じだったのです。
さらにイエスは温かい気遣いと、深い思いやりに溢れた人でした。ですから人々はイエスに近づきやすく親切であることを実感しました。子供たちも安心してイエスと一緒にいることができました(マルコ10:13~16)。イエスは人々にえこひいきをしませんでした。不正なことや公正に反することを憎みました(マタイ21:12,13)。女性があまり大切にされず、権利もほとんど与えられていなかった時代に、女性の尊厳を認めた優しい気遣いの接し方をされました(ヨハネ4:9,27)。イエスは真に謙遜な方でした(マタイ11:28~30.フィリピ2:5~8)。イエスは弟子たちの足を洗い、他の人の奉仕者になることの重要性を自ら模範を示し、教えられました(マタイ20:23~27.ヨハネ13:4~9)。
イエスは、他の人が必要としているものを敏感に感じ取りました。それが特にはっきり分かるのは、神エホバの霊の働きのもとで、病気の人を奇跡的に治された時です(マタイ14:14)。例えばこのようなことがありました。今でいうハンセン病(長くらい病と呼ばれて来た病気)にかかった人がイエスのところに来て、「あなたは、ただそうお望みになるだけで、私を清くすることがおできになります」と言いました。イエスはそのハンセン病の人の長い間の痛みと苦しみを感じ取ります。そして哀れに思い、手を伸ばしてその人に触り、「わたしはそう望みます。清くなりなさい」と言います。すると、ハンセン病のその人はすぐに癒されました(マルコ1:40~42)。長い間、他の人から触られることのなかったその人が、癒された時にどう感じたか、あなたも想像できるでしょうか。さらに、イエスは大群衆の中の病気の人をまず治し、空腹のその大群衆が満ち足りるまで食事を与えられました(マタイ14:11~21)。ある時には、友人のラザロが亡くなり、埋葬されている墓まで行き、ラザロを瞬時に復活させました(ヨハネ11:30~44)。さらに12歳の少女を復活させ、み父エホバから亡くなった人も復活させる権威を授かっている証拠を見せられました(ヨハネ8:49~56.マタイ28:18)。
このように、地上に遣わされていたイエスは人間としてどんな方であったかを、お知りになるなら、み父エホバ神がどのような方かをも知ることができるのです。
秋の雨 餌場の雀 急ぎおり 今日の一句
近くの柿畑に咲いている「皇帝ダリア」