皆様方も、そねみなどによって「憎む者」の言葉をお聞きになったことがあるかも知れません。ご承知と思いますが「そねみ」は、神の王国を受け継がない「肉の業」の一つです(ガラテア5:19、21)。またご承知の通り、「憎む者」は、愛がないので真実を語らず、人を築き上げる会話が出来ません。
聖書の箴言は、「憎む者」の言葉を信じてはならないことを次のように教えています。
「憎む者は唇を用いて自分を気づかれないようにするが、自分の内には欺きを置く。彼がその声を慈しみ深いものにしても、彼を信じてはならない。その心には七つの忌むべきものがあるからである」(箴言26:34,35)。
上の聖句に示されている通り、「憎む者」は、巧みに言葉を用いて、自分がどのような者であるかを気づかれないようにすることが記されています。しかし、その者の心の中には欺きが企てられていることが記されています。ですから、「憎む者」が他の人に慈しみ深いことを語っても、信じてはならない、と教えています。その理由は、彼の心の中には七つの忌むべきものがある、と教えています。聖書の教えを学び、ご意志を行なわないで、悪を憎むことをしない者は、上の箴言の通り、心の中は「悪をたくらむ者」であり、「悪いことを考え出す名人」ゆえに、識別力を働かし、注意深く避けなければなりません(箴言24:8)。
「七つの忌むべきもの」とは何でしょうか。それは、箴言にエホバ神が否とする事柄の「高ぶる目、偽りの舌(騙り)、罪のない血を流している手、有害な企てを企む心、急いで悪に走る足、うそを吐く偽りの証人、そして兄弟の間に口論を怒り出す者」と記されています(箴言6:16~19)。このような七つの忌むべきものを心に置く者が、巧みに慈しみ深い言葉を語っても、決して信じてはならないのです。しかし、「心が純一」で、神の王国と神の義をいつも第一に求め、240の国や地域で、神の王国の良いたよりの真理を証しのために宣明しているエホバの証人のクリスチャンの教える真理・言葉は、信じるに値するのです(マタイ6:22,33;24:14.ルカ4:43;8:1)。そのようにイエスの命じられた教えを守り行うクリスチャンは、愛を動機とし不義を歓ばないで、真実な事と共に歓ぶ人たちなのです(マタイ24:14;28:19,20.コリント第一13:4,6)。イエスの残された模範に見倣い、エホバ神への忠節を保つ「忠節な者」を見分けてくだされば嬉しく存じます(ペテロ第一2:21.詩編4:3)。
暑き日や 忠節学ぶ 民清し 今日の一句
ご近所の鉢植えの「クレマチス」