夏本番となり朝早くから庭にアゲハ蝶が来ています。
蝶たちは活発で、急浮上し移動して行きます。
アゲハ蝶の羽は、今は美しく損傷が見られませんが、
秋口になると損傷が見られるようになり、痛々しさを感じます。
今日は夏を楽しむアゲハ蝶と黒アゲハ蝶を紹介致します。
朝早くから庭に来ている「アゲハ蝶」
庭のランタナに来ている「黒アゲハ蝶」
夏本番となり朝早くから庭にアゲハ蝶が来ています。
蝶たちは活発で、急浮上し移動して行きます。
アゲハ蝶の羽は、今は美しく損傷が見られませんが、
秋口になると損傷が見られるようになり、痛々しさを感じます。
今日は夏を楽しむアゲハ蝶と黒アゲハ蝶を紹介致します。
朝早くから庭に来ている「アゲハ蝶」
庭のランタナに来ている「黒アゲハ蝶」
皆様方は、明敏な者として知られた方であれば幸いです。「明敏」とは、物事に明るく、頭の働きがすばやいことを意味しています。聖書の箴言は、「人が知恵と懲らしめを知り、理解のことばをわきまえ、洞察力、義と裁きと廉直さを与える懲らしめを受け入れ、経験のない者たちに明敏さを、若者に知識と思考力を与えるためのものである」と、説明しています(箴言1:1~4)。その箴言は、神エホバからの知恵や識別力は求めるなら、知恵が心に入り、知識が快いものとなるとき、思考力が身の守りとなり、識別力が保護することを教えています(箴言2:1~11)。
聖書の箴言には、「災いを見た明敏な者」に関し、次のように記されています。
「災いを見た明敏な者は身を隠した。進んで行った経験のない者は(災いの)報いを身に受けた」(箴言27:12)。
上の箴言は、「明敏な者」と「経験のない者」を対比して教え、災いを受けないように「明敏な者」となり、災いから「身を隠す」ように教えています。
聖書の箴言は災いは、「悪い道」、「ゆがんだ事柄を話す者」、「廉直な道筋を捨てる者」、「悪を行なうことを歓び、悪のゆがんだ事柄を喜んでいる者たち」であることを教えています(箴言2:12~15)。では、「明敏な者」はどこに「身を隠した」のでしょうか。明敏な者は、エホバ神を「砦(とりで)」・「避難所」として身を隠したのです(詩編18:2;91:2;ナホム1:7.詩編18:2.箴言14:26)。ご承知の通り、「とりで」や「避難所」は私たちの身体を保護し、命を守る所です。明敏な者は、み言葉・聖書を日毎に学び、エホバ神からの知恵と識別力を得、思考力を養い、心をつくしてエホバ神に依り頼ることによって、思慮深い人となり災いから身を隠すことができるのです(詩編1:2.マタイ5:3;7:24,25.箴言3:5)。「明敏な者」とは逆に「経験のない者」とは、み言葉を聞いて守り行わない「愚かな人」ですから、災いを被るのです(マタイ7:26,27)。「明敏な者」として知られる人たちは幸いです。
滑らかに 波を描きし 青田風 今日の一句
庭に咲いている「ヒオウギの花」
夏本番、朝からクマゼミが鳴き、短い夏を謳歌しています。
庭の姫ヒマワリやランタナの花には蝶たちが忙しく吸蜜に来ています。
庭には雀たちも餌を求めて来ます。
皆様方のお住いの地方は如何でしょうか。
今日は7月21日から25日までに詠んだ俳句を紹介致します。
紫陽花の 並ぶ田園 爽やかや
家々に 伝道の道 日傘かな
夏山の 緑美し 高速道
道の駅 グラジオラスの 並びおり
豊かなる 青田の里の 霧深し
暑き日や 忠節学ぶ 民清し
静かなる 姿爽やか ユリの花
雲の峰 高速道の 帰り道
良いたより 伝える街の 暑さかな
暑き朝 拘置所の門 開きおり
新潟の写真家の提供の珍しい色の「グラジオラス」
新潟の写真家の提供の「田園とアジサイの花」
鉢植えの「トレニアの花」
爽やかな「デュウランタ」
庭の「姫ヒマワリに紅シジミチョウ」