イエスは、ご自分の名によって信仰を働かす人は、弟子たちのように共に行動をしていなくても、祝福を受けることを説明されました。この言葉は、現在のクリスチャンたちにとっても、大きな励みとなる助言の言葉に違いありません。
しかし、イエスの時代の、弟子たちとは行動は共にしていなかったイエスに信仰を働かせた人が、使徒たちの言葉や行動によってつまずいたらどうでしょうか。それは非常に重大なことになります。イエスは次のように述べておられます。「信じるこれら小さな者の一人をつまずかせるのが誰であっても、その者は、ろばの回すような臼石を首にかけられて海に投げ込まれてしまったとすれば、そのほうが良いのです」。
イエスはご自分の追随者たちに、手や足や目と同じほど大切なものでも、つまずきのもとになるものは何であれ生活の中から除くべきであると教えられました。そのような大事なものにしがみついたままゲヘナ(当時エルサレム近辺にあった、火の燃えるゴミの山)に投げ込まれるよりは、その大事なものを失っても、神の王国に入る方が良いからです。当時ゲヘナは永遠の滅びを表していました。
イエスはさらに、「あなた方はこれら小さな者の一人おも侮ることのないようにしなさい。あなた方に言いますが、天にいるみ使いたちは、天におられる私の父(エホバ)のみ顔を常に見守っているのです」と、警告されました。それから100匹の羊の内1匹を失った羊飼いの人の例えを話し、「小さな者」の大切さについて説明されました。その羊飼いは99匹を残して、いなくなった1匹を捜し、見つけると99匹の羊以上にその羊のことで喜びました。それでイエスは結論として、「同じように、これら小さな者の一人が滅びるのは、天におられる私の父(エホバ)にとっては願わしいことではありません」と、教えられました。
恐らくイエスは、弟子たちの間で生じていた誰が一番偉いのか、という議論を念頭に置いておられたのでしょう。イエスは、「あなた方(弟子たち)自身のうちに塩を持ちなさい。そして、互いの間で平和を保ちなさい」と、助言をされました。味のない食物でも塩があれば割に美味しく食べることができるものです。同様に、比ゆ的な塩・築き上げる言葉があれば、助言は受け入れやすくなります。そのような塩、つまり助言を持つことは、腐敗を防ぎ平和を保つのに役立ちます。
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