庭にはボケの花木があるのですが、昨年12月から
真っ赤なボケの花が咲いています。ボケの花はこちらでは
見る機会が少なくなり、珍しい花になっています。
花図鑑では花期は2月~4月です。
用途は切り花、鉢植え、庭木です。
花言葉は「早熟な人」と紹介されています。
今日はボケの花とホトケノさの花と妻の描いた点描画を紹介致します。
1.2月8日の小雨の中のボケの花
2.2月8日の小雨の中、道辺の草むらに咲いているホトケノザの花
3.妻の描いた点描画「花」
庭にはボケの花木があるのですが、昨年12月から
真っ赤なボケの花が咲いています。ボケの花はこちらでは
見る機会が少なくなり、珍しい花になっています。
花図鑑では花期は2月~4月です。
用途は切り花、鉢植え、庭木です。
花言葉は「早熟な人」と紹介されています。
今日はボケの花とホトケノさの花と妻の描いた点描画を紹介致します。
1.2月8日の小雨の中のボケの花
2.2月8日の小雨の中、道辺の草むらに咲いているホトケノザの花
3.妻の描いた点描画「花」
神エホバの記された契約の石板を入れる箱はアカシア材で作り、内外面に純金をかぶせ、蓋は純金で作られました。なお蓋の両端には向き合ってケルブが取り付けられました。しかも2本の純金をかぶせたアカシアの棒で担いで移動できる構造に作られました。引き続きモーセは幕屋内の備品について次のように記録しています。
「純金のランプ台を鋳造した。その台座、幹、花の間に接ぎ目はなかった。6本の枝が幹から出ていた。左に3本、右に3本だった。左側のそれぞれの枝に、アーモンドの花のようながくが3っ付き、それぞれのがくの下に節と花が来ていた。右側も同じだった。ランプ台の幹から出る6本の枝はそのようになっていた。ランプ台の幹には、アーモンドの花のようながくが4っ付き、それぞれのがくの下に節と花が来ていた。節は、幹から出る2本の枝の下に1っ、次の2本の枝の下に1っ、さらに次の2本の枝の下に1っあった。6本の枝がランプ台の幹から出ていたのである。ランプ台は、節も枝も、その全体に継ぎ目がなく、純金に鋳造したものだった。ランプ7っと芯つまみと燃えかす入れを純金で作った。ランプ台とその器具全てを34キロの純金で作った。
アカシア材で香の祭壇を作った。縦45センチ、横45センチの四角い形で、高さは90センチだった。(香をたく)祭壇とその角の間に接ぎ目はなかった。(香をたく)祭壇の上面、全側面、角に純金をかぶせ、縁周りに金の飾りを付けた。金の輪を2っ作り、2っの向かい合う側面それぞれに、飾りの下に付けた。その輪に棒を通して(香をたく)祭壇を運べた。アカシア材で棒を2本作り、金をかぶせた。聖なる注ぎ油と純良で香り高い香も作った。上手に調合されたものだった」(出エジプト記37:17~29)。
上の聖句に記されている通り、食卓に置く純金のランプ台を鋳造して作っています。その純金のランプ台は幹から左に3本、右に3本の枝が出て、アーモンドの花のようながくが付いていたことが記されています。アーモンドの花は春の先駆けとして咲く、とても奇麗な花です。モーセが記録したランプ台の構造を日本では模倣し、以前には鋳物の鋳造品のフェンスがありました。驚くことにランプ台は純金で34キロの重さがあったのです。モーセの時代には純金を精錬し作り出す技術が確立されていたのです。
さらに、香をたく祭壇のことが記されています。この香をたく祭壇を、江戸末期に仏教界がまねて、日本の仏教の葬儀の時に喪主や親族が線香を立て、近づくようにしました。本来はエホバ神に近づく祭司職の人が香をたいて祭壇に近づき、エホバ神に清い崇拝を行う行為でした。
さらに、神エホバに清い崇拝を捧げる幕屋の祭壇についてモーセは何を記しているでしょうか。次回に引き続き紹介致します。
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山茶花の 次々と咲く 逞しや 今日の一句
卓上の「白梅」