例年7月になると庭にヒオウギの花が咲きます。
紹介するヒオウギの花は、橙色の花弁にオレンジ色の斑点があるのが特徴です。
華やかさはありませんが、夏の花として親しまれています。
用途は切り花、鉢植え、庭植へです。
今日は橙色のヒオウギの花とピンクのサルスベリの花を紹介致します。
庭に咲いている「ヒオウギの花」
庭に咲いている「サルスベリの花」
例年7月になると庭にヒオウギの花が咲きます。
紹介するヒオウギの花は、橙色の花弁にオレンジ色の斑点があるのが特徴です。
華やかさはありませんが、夏の花として親しまれています。
用途は切り花、鉢植え、庭植へです。
今日は橙色のヒオウギの花とピンクのサルスベリの花を紹介致します。
庭に咲いている「ヒオウギの花」
庭に咲いている「サルスベリの花」
現在の社会は、聖書が予告している通り「対処しにくい危機の時代」です(テモテ第二3:1~5)。ですから、驚愕する事件が起こり、かつ不法が増し大半の人々の愛が冷えた状態ゆえに、様々な事柄によって気落ちしてしまうことを経験するかも知れません(マタイ24:12)。あるいは、学校や職場や地域で落胆する事柄に遭うかも知れません。例えば職場で、仕事の遂行が上手に行なえず、期待する適切な助言も得ることができず落胆している人をどのように助けることができるでしょうか。
聖書の箴言には、「鉄で鉄を研ぐ」ことを教える言葉が次のように記されています。この教えをどのように適用できるでしょうか。
「鉄はまさしく鉄によって研がれる。同じように、ひとりの人が他の人の顔を研ぐ」(箴言27:17)。
皆様方もご承知の通り、地上の自然界に存在する最も硬い物質はダイヤモンドです。そのダイヤモンドを美しくカットするにはダイヤモンドで作ったカッターを用います。では、人の顔はどのように研がれるのでしょうか。鉄製の刃物を研ぐのに硬度が同じか、もしくはそれ以上の硬度の一片の鉄を使うように、一人の人が別の人の知性や霊性を鋭敏にするのです。例えば、何かのことで落胆して気がめいったとしても、み言葉・聖書によって、霊性を培った別の人が、愛を動機として築き上げることば、実際的な助言によって大いに元気付けられることがあります(コリント第一8:1)。聖書の教えに基づく助言は、気落ちした人の気落ちの原因が薄らぎ、元気付けられ希望によって、再び熱心に活動したり、仕事を遂行するようになります(箴言13:12)。霊性の高い人の実際的な助言は、箴言27章11節が述べている通り、他の人を研ぐ面で大きな力になります。箴言9章9節は次のように記しています。「賢い人に与えよ。そうすれば、彼はさらに賢くなるであろう。義なる者に知識を分け与えよ。そうすれば、彼は学識を増すであろう」。
イエス・キリストは人の顔を研ぐ面で優れた手本を残されています(ペテロ第一2:21)。有名な山上の垂訓の始まりに「幸いな人たち」は、「霊的な必要(神エホバから出る教えの必要)を自覚している人たち」、「(不義を見て)嘆き悲しむ人たち」、「温和な気質の人たち」、「義に飢え渇いている人たち」、「憐れみ深い人たち」、「心の純粋な人たち」、「平和を求める人たち」、「義のために迫害されてきた人たち」、である事を教えられました(マタイ5:3~10)。簡潔な教えの言葉ですが、熟読すると確かに顔が研がれることを実感することができるでしょう。さらに、イエスが「すべて、労苦し、荷を負っている人たちよわたしのところに来なさい。そうすれば、わたしがあなた方を爽やかにしてあげましょう」、と招かれ、ご自身は「気質が温和で、心のへりくだった者」なので「あなた方は自分の魂にとってさわやかなものを見いだす」と励まし、イエスの教えは「心地よく、わたしの荷は軽い」と、保証された通り、イエスは人の顔を研ぐ優れた研ぎ手であることの手本を残されています(マタイ11:28~30)。
箴言が述べる「研ぐ」という言葉は、辛抱強い繰り返しの動作を表わしていることにお気付きのことと思います。ですから、他の人を「研ぐ」とは、決して性急になってはならないことを教えています。聖書が「愛は辛抱強く、また親切です」と教えている通り、助言する時は、温和な霊でもって辛抱強く、親切に実際的な知識を、繰り返し教え込む必要があるでしょう(箴言25:15.コリント第一13:4)。学業においても、仕事の遂行においても、神権的な事柄においても、今日の箴言の教えを適用する人たちは幸いです。
球児らの 声の高らか 雲の峰 今日の一句
庭のランタナで吸蜜中の「黒アゲハ蝶」
夏本番となり朝早くから庭にアゲハ蝶が来ています。
蝶たちは活発で、急浮上し移動して行きます。
アゲハ蝶の羽は、今は美しく損傷が見られませんが、
秋口になると損傷が見られるようになり、痛々しさを感じます。
今日は夏を楽しむアゲハ蝶と黒アゲハ蝶を紹介致します。
朝早くから庭に来ている「アゲハ蝶」
庭のランタナに来ている「黒アゲハ蝶」
皆様方は、明敏な者として知られた方であれば幸いです。「明敏」とは、物事に明るく、頭の働きがすばやいことを意味しています。聖書の箴言は、「人が知恵と懲らしめを知り、理解のことばをわきまえ、洞察力、義と裁きと廉直さを与える懲らしめを受け入れ、経験のない者たちに明敏さを、若者に知識と思考力を与えるためのものである」と、説明しています(箴言1:1~4)。その箴言は、神エホバからの知恵や識別力は求めるなら、知恵が心に入り、知識が快いものとなるとき、思考力が身の守りとなり、識別力が保護することを教えています(箴言2:1~11)。
聖書の箴言には、「災いを見た明敏な者」に関し、次のように記されています。
「災いを見た明敏な者は身を隠した。進んで行った経験のない者は(災いの)報いを身に受けた」(箴言27:12)。
上の箴言は、「明敏な者」と「経験のない者」を対比して教え、災いを受けないように「明敏な者」となり、災いから「身を隠す」ように教えています。
聖書の箴言は災いは、「悪い道」、「ゆがんだ事柄を話す者」、「廉直な道筋を捨てる者」、「悪を行なうことを歓び、悪のゆがんだ事柄を喜んでいる者たち」であることを教えています(箴言2:12~15)。では、「明敏な者」はどこに「身を隠した」のでしょうか。明敏な者は、エホバ神を「砦(とりで)」・「避難所」として身を隠したのです(詩編18:2;91:2;ナホム1:7.詩編18:2.箴言14:26)。ご承知の通り、「とりで」や「避難所」は私たちの身体を保護し、命を守る所です。明敏な者は、み言葉・聖書を日毎に学び、エホバ神からの知恵と識別力を得、思考力を養い、心をつくしてエホバ神に依り頼ることによって、思慮深い人となり災いから身を隠すことができるのです(詩編1:2.マタイ5:3;7:24,25.箴言3:5)。「明敏な者」とは逆に「経験のない者」とは、み言葉を聞いて守り行わない「愚かな人」ですから、災いを被るのです(マタイ7:26,27)。「明敏な者」として知られる人たちは幸いです。
滑らかに 波を描きし 青田風 今日の一句
庭に咲いている「ヒオウギの花」
夏本番、朝からクマゼミが鳴き、短い夏を謳歌しています。
庭の姫ヒマワリやランタナの花には蝶たちが忙しく吸蜜に来ています。
庭には雀たちも餌を求めて来ます。
皆様方のお住いの地方は如何でしょうか。
今日は7月21日から25日までに詠んだ俳句を紹介致します。
紫陽花の 並ぶ田園 爽やかや
家々に 伝道の道 日傘かな
夏山の 緑美し 高速道
道の駅 グラジオラスの 並びおり
豊かなる 青田の里の 霧深し
暑き日や 忠節学ぶ 民清し
静かなる 姿爽やか ユリの花
雲の峰 高速道の 帰り道
良いたより 伝える街の 暑さかな
暑き朝 拘置所の門 開きおり
新潟の写真家の提供の珍しい色の「グラジオラス」
新潟の写真家の提供の「田園とアジサイの花」
鉢植えの「トレニアの花」
爽やかな「デュウランタ」
庭の「姫ヒマワリに紅シジミチョウ」