ずっとバラの話ばかりを報告してきたが、梅雨入りを思わせるような天候が始まったので、バラの話は一休みして、少し前に読んだ小松理虔(りけん)著「新復興論」を紹介したい。
400ページと長いが抽象的な議論ではなく、ほとんどが実践の記録なので読みやすい
その前にまずは、5月9日(日)に放送されたNHKスペシャル「被爆の森 見えてきた初期被爆の実態」の話から始める。事故後、人間がいなくなった原発周辺の町々はイノシシ、アライグマ、アカネズミなどが住宅の中で繁殖している。10年間に駆除されたイノシシの数がなんと6万頭だそうだ。(余談だが、今年のタケノコでは昨年全く見なかったイノシシによる食害を多く見かけた。豚コレラにより激減したイノシシだが、復活しているのかもしれない。)
阿武隈山地では見かけることの無かったツキノワグマの繁殖が確認されたりしている。猿は初期被爆しているうえに、放射線値の高い葉っぱなどを食べ続け、外部被曝よりも内部の被爆が高い。猿への影響を調べ続けることによって、人間がどれくらいの被爆に耐えれるかの知見が得られると学者が述べていた。要するに、フクシマは世界の科学者が注目する壮大な実験圃場となっているという。今や、農業できなくなった農地にはメガソーラーが林立している。そして、ここで発電した電力は首都圏に送られる。番組では、森林の再生のきざしが見えていることを伝えていた。そういえば、広島でも原爆投下後は草木も生えないとか言われていたのに、自然はたくましく再生してきた。
もちろん、おじさんは原発には絶対反対である。唯一の原爆の被爆国であるのにかかわらず、原発を推進し、そして二度目の放射能の被害を受けた。今から50年前の大学生の時に敦賀原発を見せてもらったことがあるが、当時は原発について深く考えることはなかった。先週中日新聞で浜岡原発のことを特集していた。防潮堤とか災害対策に10年間で1兆円を投資してきている(もちろん東京電力はそれとは桁外れの費用を費やしていることは言うまでも無い。)。最も危険な場所に立地しているという浜岡原発、将来の東海沖地震や南海沖地震でも起これば、再びの原発事故になりかねない。こんな地震が頻発する狭い国に原発が立地してしまったという事実を重く受け止める必要がある。「夢のエネルギー」ではなく「悪魔のエネルギー」だったのだと気づくことがあまりに遅すぎた。
長い前置きで申し訳ない。「新復興論」の紹介をしたい。まず、この本をなんで知ったかだが、東浩紀著「ゲンロン戦記」〔中公新書ラクレ)に紹介されていた(東浩紀のこの本、結構面白かった。この著者は一般向けには「動物化するポストモダン」という本を書いている(今回初めて読んだが、なんだかあまりわからなかった。)。福島関係では2013年に「福島第一原発観光地計画」という本を書いており(もちろん読んでいない)、各領域で様々な議論を巻き起こし、本は売れなかった。この東の本では原発事故を後世に伝えるため、原発と周辺地域を観光地化しようという大胆な提案であった。そして、この本に反応したのが、小松であった。
小松は「浜通り」いわき市(映画にもなった「スパリゾートハワイアンズ」がある)の出身で現在もそこに住み、地域の問題を発信し、つねに地域の振興について考えてきている。「復興」によって変わっていく地域、果たしてこの復興は将来の世代に評価されるのだろか。課題解決や復興の名のもとに、文化事業が行政と急接近していくと、アートが持つ批評性は去勢され、短期的な評価、定量的な評価ばかり下されるようになってしまう。300年後に地域の誇りとなるようなものを何一つ残せない、そこに暮らす人はほとんどいない。あれだけの予算をかけながら、防潮堤だけだったということにならないか。小松がこの浜通りで見てきたものは、現場における思想の不在というものであった。100年先の未来を創造することなく、現実のリアリティに縛り付けられ、小さな議論に終始し、当事者以外の声に耳を傾けようとしない。ふるさとの人たちは「二度目の喪失」に対峙している。
いわき市
当事者にとっては「観光化」なんて不謹慎きわまりないように感じるかもしれないが、観光は常に外部へと扉を開く、外部を切り捨てない。福島を観光することで福島の良さを知った人、不安が解消された(例えば福島産品への風評)人、友人が出来た人、学びを得た人がどれほどいるのだろうか。著者も旅行社まかせではないミニツアーを現地で何回も企画している。さらに、著者は2013年の冬から福島第一原発沖1.5km~10kmで海洋調査プロジェクト「いわき海洋調べ隊うみラボ」を行い、海底の土や魚を採取し、その放射線量を測定、公表している(魚などからは放射線は検出されていない。しかし、安全だと科学的に証明されても、それだけでは人間は動かないことも書かれている。人間とは一面非科学的で情緒的なのである。)。
著者は福島は(東京にとっての)バックヤードだと言っている。東京向けの食料生産、下請けの工業、そしてかつての石炭(常磐炭鉱)、原発である。原発が止まっている現在、広野火力発電所、さらに国家備蓄用の原油、電力会社向けの重油もある。著者は、この浜通りを原子力災害の被災地、マイノリティの立場から、自ら方法的差別の道を選び、震災や原子力災害の悲惨さを後世に伝え、文化的なアプローチによって対話や創造力をはぐくむ土地にしていきたいと述べている。楽しくなければ理念も伝わらない。面白くなければ興味も持ってもらえない。おいしくなければ口にしてもらえない。そして人は簡単に何かを忘れてしまう。福島に、そして原発事故に関心をもってもらいたいと思えばこそ、私たちは、不真面目に徹し、遠くの誰かに、その面白さや楽しさを伝えていかなければならないはずだと最後の方で述べている。
400ページと長いが抽象的な議論ではなく、ほとんどが実践の記録なので読みやすい
その前にまずは、5月9日(日)に放送されたNHKスペシャル「被爆の森 見えてきた初期被爆の実態」の話から始める。事故後、人間がいなくなった原発周辺の町々はイノシシ、アライグマ、アカネズミなどが住宅の中で繁殖している。10年間に駆除されたイノシシの数がなんと6万頭だそうだ。(余談だが、今年のタケノコでは昨年全く見なかったイノシシによる食害を多く見かけた。豚コレラにより激減したイノシシだが、復活しているのかもしれない。)
阿武隈山地では見かけることの無かったツキノワグマの繁殖が確認されたりしている。猿は初期被爆しているうえに、放射線値の高い葉っぱなどを食べ続け、外部被曝よりも内部の被爆が高い。猿への影響を調べ続けることによって、人間がどれくらいの被爆に耐えれるかの知見が得られると学者が述べていた。要するに、フクシマは世界の科学者が注目する壮大な実験圃場となっているという。今や、農業できなくなった農地にはメガソーラーが林立している。そして、ここで発電した電力は首都圏に送られる。番組では、森林の再生のきざしが見えていることを伝えていた。そういえば、広島でも原爆投下後は草木も生えないとか言われていたのに、自然はたくましく再生してきた。
もちろん、おじさんは原発には絶対反対である。唯一の原爆の被爆国であるのにかかわらず、原発を推進し、そして二度目の放射能の被害を受けた。今から50年前の大学生の時に敦賀原発を見せてもらったことがあるが、当時は原発について深く考えることはなかった。先週中日新聞で浜岡原発のことを特集していた。防潮堤とか災害対策に10年間で1兆円を投資してきている(もちろん東京電力はそれとは桁外れの費用を費やしていることは言うまでも無い。)。最も危険な場所に立地しているという浜岡原発、将来の東海沖地震や南海沖地震でも起これば、再びの原発事故になりかねない。こんな地震が頻発する狭い国に原発が立地してしまったという事実を重く受け止める必要がある。「夢のエネルギー」ではなく「悪魔のエネルギー」だったのだと気づくことがあまりに遅すぎた。
長い前置きで申し訳ない。「新復興論」の紹介をしたい。まず、この本をなんで知ったかだが、東浩紀著「ゲンロン戦記」〔中公新書ラクレ)に紹介されていた(東浩紀のこの本、結構面白かった。この著者は一般向けには「動物化するポストモダン」という本を書いている(今回初めて読んだが、なんだかあまりわからなかった。)。福島関係では2013年に「福島第一原発観光地計画」という本を書いており(もちろん読んでいない)、各領域で様々な議論を巻き起こし、本は売れなかった。この東の本では原発事故を後世に伝えるため、原発と周辺地域を観光地化しようという大胆な提案であった。そして、この本に反応したのが、小松であった。
小松は「浜通り」いわき市(映画にもなった「スパリゾートハワイアンズ」がある)の出身で現在もそこに住み、地域の問題を発信し、つねに地域の振興について考えてきている。「復興」によって変わっていく地域、果たしてこの復興は将来の世代に評価されるのだろか。課題解決や復興の名のもとに、文化事業が行政と急接近していくと、アートが持つ批評性は去勢され、短期的な評価、定量的な評価ばかり下されるようになってしまう。300年後に地域の誇りとなるようなものを何一つ残せない、そこに暮らす人はほとんどいない。あれだけの予算をかけながら、防潮堤だけだったということにならないか。小松がこの浜通りで見てきたものは、現場における思想の不在というものであった。100年先の未来を創造することなく、現実のリアリティに縛り付けられ、小さな議論に終始し、当事者以外の声に耳を傾けようとしない。ふるさとの人たちは「二度目の喪失」に対峙している。
いわき市
当事者にとっては「観光化」なんて不謹慎きわまりないように感じるかもしれないが、観光は常に外部へと扉を開く、外部を切り捨てない。福島を観光することで福島の良さを知った人、不安が解消された(例えば福島産品への風評)人、友人が出来た人、学びを得た人がどれほどいるのだろうか。著者も旅行社まかせではないミニツアーを現地で何回も企画している。さらに、著者は2013年の冬から福島第一原発沖1.5km~10kmで海洋調査プロジェクト「いわき海洋調べ隊うみラボ」を行い、海底の土や魚を採取し、その放射線量を測定、公表している(魚などからは放射線は検出されていない。しかし、安全だと科学的に証明されても、それだけでは人間は動かないことも書かれている。人間とは一面非科学的で情緒的なのである。)。
著者は福島は(東京にとっての)バックヤードだと言っている。東京向けの食料生産、下請けの工業、そしてかつての石炭(常磐炭鉱)、原発である。原発が止まっている現在、広野火力発電所、さらに国家備蓄用の原油、電力会社向けの重油もある。著者は、この浜通りを原子力災害の被災地、マイノリティの立場から、自ら方法的差別の道を選び、震災や原子力災害の悲惨さを後世に伝え、文化的なアプローチによって対話や創造力をはぐくむ土地にしていきたいと述べている。楽しくなければ理念も伝わらない。面白くなければ興味も持ってもらえない。おいしくなければ口にしてもらえない。そして人は簡単に何かを忘れてしまう。福島に、そして原発事故に関心をもってもらいたいと思えばこそ、私たちは、不真面目に徹し、遠くの誰かに、その面白さや楽しさを伝えていかなければならないはずだと最後の方で述べている。
あれから10年
毎日、テレビから流れる被災地の現状に多くの誰もが感じておられた様に、無力さに祈るしかなかった。
震災後40日程経った頃、友人が被災された仕事先へ見舞いに行ってこられて、ポツリと「見ておくべきだ」と言われたのです。
翌日、私は新幹線に乗り仙台から石巻へ向かいました。が、近づくに連れ窓から見る被害の大きさにいたたまれず途中ひき返すことになりました。
今日のブログを読んで、自分に何ができるかと考える前に(何もできないのだけれど)、忘れてはいけないと思いました。
震災後、私のかつての職場の同僚とかが現地へボランティアで入ったことを聞きました。その時は何もできない自分に愛想をつかしました。
被害の凄さの一端に触れたのも蔵王、朝日岳に向かう途中でした。不謹慎ですよね。
しかし、観光という形でなら参加できるし、十分意義もあるのだとこの本により認識しました。