醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより 156号  聖海

2015-04-20 11:21:43 | 随筆・小説

 
 芭蕉は遊び人だった
      木曽の痩もまだなおらぬに後の月
 
 山の中を歩き回った木曽路の旅寝は忘れがとうございます。仲秋の名月を更科の姨捨山に追憶の限り尽くし、生きる哀しみを味わいました。今「木曽の痩せでございます」。今宵は宇多天皇の詔により、世に9月13日は名月、後の月とも二夜(ふたよ)の月とも云われております。今宵は十三夜でございます。今宵の月を愛でないわけにはまいりません。先人も十三夜の月を愛でて歌や句を詠んでおります。私ども閑人(ひまじん)が十三夜の月を迎え、この名月を愛でないわけにはいきません。先人の文人に倣って一杯いかがでしよう。こんなわけで皆様に声をかけさせていただきました。拾ってまいりましたこの栗は中国の誉れ高い白鴉(はくあ)の谷名産の栗に匹敵する栗でございます。この栗を肴に盃として、この瓢を叩き、歌を唄い、楽しみたいものでございます。このような俳文を書き、「木曽の痩もまだなおらぬに後の月」と詠んでいる。
 芭蕉は遊び人であった。本当に遊び好きの人間だと自分で自分に呆れている。ここに芭蕉がいる。芭蕉は自分を閑人(ひまじん)と自覚している。俳諧という遊びに一生懸命な人だった。農民のような一所懸命の人ではなかった。一所の田んぼや畑に命を懸けて働く人ではなかった。また一所に家を構えて商いや鍛冶、大工、表具などの技に命を懸ける町人ではなかった。
 いつのことだったか、昼時テレビを付けるとタモリの番組「笑っていいとも」が映った。この番組のテレホンショッキングに安倍首相が生出演してきた。タモリは遊び人である。番組を見に来て下さいとは云わずに番組に遊びに来て下さいと呼びかけていた。舞台の上の出演者と客が一緒に遊ぶ番組が「笑っていいとも」である。この番組に現役の総理大臣安倍が出演し、タモリと安倍総理と客がこのテレビ番組で遊んだ。タモリはやっとこの番組が現役の総理大臣によって認知されたと喜んでいた。SPの人間が番組会場に二人いた。現役の総理大臣によって番組が認知されて間もなく、三十数年続いた番組は終了を遂げた。安倍総理の出演は象徴的な意味を持っていた。遊びの番組に現役の総理大臣が出演する。遊びが遊びで無くなった時、その番組は終了した。
 遊びは遊びに徹してこそ、生き長らえる。遊びは正業として認められない。遊びに生きる人間は正業として認められない職に生きることの辛さがある。不安がある。安定がない。安定しない不安な世の中を自分だけの力にすがって生きなければならない。誰からも助けてもらえない。助けることができない。それが遊びである。
 一所不住の漂泊の俳諧師は正業の人ではなかった。江戸時代の身分制、士農工商は正業の人々を意味する。この士農工商に含まれない法外の人々の中に俳諧師はいた。俳諧師の世界は実力の世界であった。笑いの芸人の世界は実力の世界である。実力のある芸人は差別されることはないだろう。実力があるから。このことは江戸時代にあっても変わらない。芭蕉のような実力のある俳諧師は身分制社会にあっても厳しい差別を受けることなく生きることができた。芭蕉は身分の違う武士と一緒の座敷に座ることができた。身分制社会にあって農民出身の人間が武士と一緒の座敷に座ることなどできるはずがない。道行く武士がいると農民や町人は道路わきに土下座するのが慣わしだった。この慣わしに反すれば切り捨てられてもやむを得ない社会であった。農民や町人の仲間にも入れてもらえない人々が俳諧師だった。被差別の人々であった。自分の実力だけで生きる人間が俳諧師だった。
 芭蕉は俳諧という遊びに殉じた人であった。

 毎日書くことを目標にしていますが、昨日は新潟県南魚沼市塩沢にある酒蔵「高千代酒造」の蔵開きに行ってきました。そのため書くことができませんでした。高千代酒造蔵開きについても書こうかなと思っているところです。私と同じように高千代酒造に4月19日に行った人があったらご連絡ください。メールアドレス jyorakuan@tcat.ne.jp





醸楽庵だより 154号  聖海

2015-04-18 10:16:23 | 随筆・小説

 日本語には穏やかな優しさがある
        
 能島龍三氏の書いた短編小説「青の断章」の合評を数人で数年前したことがある。。
 この小説の中で「都市の多くが、見る影もない程の焼け野が原になっていた」という文章を読んだ私は「焼け野が原」という言葉に違和感を覚えた。「1945年3月10日の大空襲で東京は焼け野原になった」。このような言葉が私の記憶の中にあるからである。「焼け野が原」と「焼け野原」。どのような語感の違いがあるのか、「焼け野が原」と「焼け野原」、声を出して唱えてみた。声を出して唱えることによって気付いた。「焼け野が原」は「焼け野」にアクセントが付くように感じた。その結果、「焼け野」が強調される。「焼け野原」は「焼け野」にアクセントが付かない。そのため「焼け野」と「原」とは一体化し、平板な一つの熟語を形成している。このようなことを考えた。
 合評会の席で私より年長の人にとって、「焼け野が原」という言葉に違和感はないという発言があった。この発言を聞き、戦前・戦中に学校教育を受けた世代の人々にとって、「焼け野が原」という言葉が普段に使われていたのかなと思った。「焼け野が原」という言葉は時代と共に「焼け野原」という言葉に移り変わってきているのだろう。
 戦前の日本人は「大日本帝国憲法」を「大ニッポン帝国憲法」と読んでいた。「日本国憲法」を現在の日本人は「ニホン国憲法」という。「ニッポン」という言葉には「ニ」にアクセントが付き、力強さのようなものが感じられる。「ニッポン」という言葉には海外膨張主義の匂いがあると憲法学者が話しているのを聞いた。なるほどと思った。「ニホン」という言葉には穏やかな平和があるとも述べていた。
 サッカーワールドカップが行われた。残念ながらニホンは一次戦で敗退してしまったが、日本中の人々がいろいろな場所に集まり、「頑張れ、ニッポン」、「ニッポン、チャチャチャ」と唱和して盛り上がった。このような時に「ニホン」では意気が上がらない。「ニッポン」ではなければ気分がでない。「ニ」にアクセントを付けた言葉は平常に戻ると「ニ」のアクセントが失せ、「ニホン」になる。
 私が小学生だったころ、「ヒットラー」という言葉を聞いた。この言葉が脳裏に焼き付いていた。成人して私は高校の世界史の教師になった。ファシズムが台頭する戦間期の授業をしていた時のことである。生徒たちは皆眠そうな目をしているのにもかかわらず教師である私だけが一人、熱を込めて「ヒットラー率いるナチスは国会議事堂に放火した」と発言すると、一人の男子生徒が突然声を出した。「先生、教科書では『ヒトラー』になっているよ」と授業を邪魔するような発言をした。私は生徒を睨みつけ、教科書をじっくり見てみると確かに「ヒットラー」ではなく、「ヒトラー」になっている。この生徒の発言で私の意気はしぼんでしまい、淡々とした授業になった。ドイツ語でも英語でも「ヒトラー」は「ヒ」にアクセントが付く。しかし日本語では「ヒ」にアクセントが付くことはない。「ヒ」にアクセントを付ける読み方は時代と共に「ヒ」のアクセントが抜けていった。
 日本語には高低のリズムはあるが、アクセントはない。日本語にアクセントがある場合、このアクセントを無くしていく働きのようにものがあるのではないかというのが私の主張である。
 前の言葉を強調する働きをした助詞「が」は昔、連体助詞と呼ばれていたが室町時代の頃、格助詞に吸収されていった。その頃、前の言葉を強調する働きをした係助詞がその生命を失い始めたようだ。「係り結び」という言葉を強調する働きが失われ始めたことは、日本語そのものにある本質的な運動法則の結果ではないのだろうか。
 日本語とは穏やかな優しさに充ちた言葉なのであろう。

醸楽庵だより 155号  聖海

2015-04-17 09:20:55 | 随筆・小説

  子供は発見された
  
 子どもの存在を近代社会は発見した。子どもの誕生なくして近代社会は存在し得なかった。子どもの発見が近代国民国家を成立させたのである。
 江戸時代には子どもはいなかったのかと、言えばそんなことはないだろう。子どもはいたに違いない。江戸末期には人口が急増していたから子どもの数は増えていたに違い。それにもかかわらずに江戸時代には「子ども」はいなかった。なぜなら江戸時代には公教育制度がなかったからである。公教育制度が成立するためには「子ども」を発見し、誕生させなければならなかった。
 三浦綾子の書いた「母」を詠むと子守に出された小林多喜二の母が小学校の教室の窓の下に行き、赤子を背中に背負い教室を覗き込み、一心に教師の話を聞く、子守少女の姿が描かれている。そんな子守たちが教室の窓に集まると追い払う教師がいた。この教師の姿に権力者の本質が表現されている。
 明治時代前半のころ小学校に通えない子どもたちにとって小学校は憧れの場所だった。小学校に通える子どもの数は限られていたのである。だから明治政府は子どもたちを学校に通わせるよう地方自治体に強制した。この強制に対して小作農民や中小の商工民は血税と言って反対したのである。青年男子が兵隊に取られることと子どもを小学校に通わせるよう強制されることはまさに小作農民や中小の商工民にとって働き手を国に取られる血税だったのである。
 子どもを保護の対象にする。国家が子どもを教育の対象にする政策をとるようになるのは近代社会成立の結果なのである。教育によって子どもを国民にしたのである。子どもを国民にするということはまず国語を子どもたちに教えた。教えるということは強制することでもあった。普段、家で父母が使う言葉を汚い言葉として否定した。国語とは明治政府がつくった日本語である。方言を否定し、共通語を普及させることによって国家統一を進めた。このように子どもを保護の対象にすることは父母に血税を払わせ、国民を形成していくことであった。
 公教育制度の普及によって国家を国民のものにしていった。その成果が日清・日露の戦争だった。世界最強を誇ったロシアのバルチック艦隊に対して東郷平八郎率いる日本海軍が「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」このような電報を大本営に打ち日露戦争に勝利でたきたのも日本国民の心底からの協力があったからである。しかし真に国が国民のものになったのかというと現実にはそうではなかった。現代にあっても国は国民のものにはなっていない。国を現実として国民のものにすることが現代日本社会の課題になっているのである。それは公教育制度を現実として国民のものにしたときに公教育というものが人類の文化遺産を継承する生徒・学生中心の教育になるのだ。
 資本主義社会にある公教育制度は生徒・学生が中心になった学習が実現されていない。生徒・学生が疎外されて存在しているがゆえにまた教師や教授もまた疎外されて存在している。現在も多喜二の時代も公教育制度は疎外されて存在している。現在の公教育制度歌下で学ぶ者は地獄に生きることなのだと多喜二は小樽高等商業学校機関誌に書いている。

醸楽庵だより 153号  聖海

2015-04-16 11:37:01 | 随筆・小説
 
 
   酒のめばいとど寝られぬ夜の雪  芭蕉43歳  貞享3年(1686)

 「閑居の箴(しん)」と題する詞書をして、次の文章を芭蕉は書いている。
あら物ぐさの翁や。日ごろは人の訪ひ来るもうるさく、人にもまみえじ、人をも招ねかじと、あまたたび心に誓ふなれど、月の夜、雪の朝のみ、友の慕はるるもわりなしや。物をも言はず、ひとり酒のみて、心に問ひ心に語る。庵の戸おしあけて、雪をながめ、または盃をとりて、筆を染め筆を捨つ。あら物ぐるほしの翁や。
あらなんとも、ものぐさな老人ですなと、芭蕉は自分を卑下している。43歳にして芭蕉は自分を老人だと自己認識していた。330年前の日本社会にあって43歳は老人であった。8年後の51歳で芭蕉は亡くなっている。それでも当時の男の平均寿命から比べれば長生きであったろう。身分による平均寿命の格差は大きかったに違いない。武士と農民・町人とでは20歳以上の平均寿命の格差があったであろう。
日頃は人が訪ねてくるのがうるさい。人に会いに行くこともしない。人を招くこともしない。たびたび旅に出ようと心に誓ってはいるものの夜空の月を愛でているときや雪が降っている朝などは友がいればどんなにかいいのになあーと思う。黙って一人酒を飲む。お月さま、綺麗だね、芭蕉さん。自分で自分に話しかけ、相槌を打つ。まだ雪は降っているのかなと、庵の戸をちょっと開け、外を見る。まだまだ降っているなあー。降る雪をしばらく眺めては、盃に酒を注ぐ。「酒のめばいとど寝られぬ夜の雪」としたためた。ああなんと降る雪の寒さを楽しんでいるなんて、酔狂な老人がここにいますよ。降る雪の静かさを味わっている。
誰でもいい。誰かと話がしたい。一人ではいられない。この狭い部屋が広くて広くてたまらない。誰かと一緒にいたい。こんな気持ちになる自分を叱る文章を芭蕉は書いている。「箴(しん)」とは弱音を吐く自分を叱りつけるという意味なのであろう。
田中善信氏は「芭蕉二つの顔」という著作の中で芭蕉は俗世を捨てた孤高の詩人ではない。処世に長けた伊達好みの町人であったと述べている。伊賀上野から出てきた芭蕉は日本橋で俳諧師として成功している。それなりに豊かな生活を実現した。身の回りの世話をする女性を雇う余裕を持つことができるようになった。そのような生活を自ら捨て孤高の俳人たらんとしたということは考えられない。やむを得ず、芭蕉は隠棲せざるを得なかった。隠棲せざるを得ない人生を肯定的に積極的に生きた。そこに芭蕉の文学が生まれた。これが田中善信氏の主張のようだ。
なぜ芭蕉は隠棲せざるを得なかったのか。それは甥の桃印が江戸に出てから17年間一度も帰国していなかった。貞享4年の帰国令にも従わずに桃印は帰国しなかった。藤堂藩は貞享5年10月にも1年奉公人や日雇に出ている者も10月10日までに故郷の役所に出頭するよう命じている。藤堂藩は他国で働いている領民すべてを一時帰国させようとした。が、桃印は帰国しなかった。藩法を犯せば重罪は必至である。重罪が必至であることを知りながら芭蕉はなぜ甥の桃印に帰国を促さなかったのか。桃印は芭蕉庵にいなかったのである。出奔していた。
芭蕉はやむを得ず、桃印は死んだことにして国元へ届け出た。この嘘の報告がばれることを芭蕉は恐れた。そのため人の目につく日本橋から深川に隠棲したのだと田中善信氏は主張している。


 

醸楽庵だより 152号  聖海

2015-04-15 10:36:11 | 随筆・小説

  櫓声(ろせい)波を打(うつ)てはらわた氷る夜や涙 天和元年(1681) 芭蕉38歳

 深川の草庵に隠棲して一年目を迎えた頃の句である。この句の前に「乞食の翁」という句文を載せ上記の句の他に3句詠んでいる。

 窓含西嶺千秋雪(まどにはふくむせいれいせんしゆうのゆき)
 門泊東海万里舟(もんにははくすとうかいばんりのふね)
 我其句を識(しり)て、その心ヲ見ず。その侘(わび)をはかりて、其楽(そのたのしみ)をしらず。唯、老杜(ろうと)にまされる物は、独(ひとり)多病のみ。閑素茅舎の芭蕉にかくれて、自(みづから)乞食の翁とよぶ。
 長江上流に四川盆地がある。三国時代、蜀の都であった成都に杜甫の庵があった。西の窓からは万年雪を湛えた山々が見える。門前には長江を下って呉の国へと旅立つ船が泊まっている。芭蕉は深川の庵を成都にあった杜甫の庵に例えて、西に富士山を望み、目前の隅田川を航行する舟を見る。杜甫の詩を知ってはいるが、その心まではわからない。杜甫の貧しい生活は推し量ることはできるが、その楽しみを推し量ることができない。ただ私が杜甫に優るものといえば、多くの病を抱えていることだ。簡素で質素な芭蕉庵に隠棲し、門人たちからの施しで生きている。
 冬の夜、小名木川を行く舟の櫓を漕ぐ浪音が聞える。腸ので凍るような寒さに震え、涙がとまらない。こんな生活のどこに楽しみがあるのか。この厳しい生活の中に生きる歓びを見つけようと芭蕉は必死になっていた。

 貧山(ひんざん)の釜(かま)霜に鳴(なる)声寒シ  
 霜の降る夜、中国豊山の鐘は鳴ったと言うが貧山、芭蕉庵では霜で釜の音が鳴る。その音のなんと寒々しいことか。乏しい米、暖かな夜着がない。寒さと空腹に耐える生活のどこに楽しみがあるのか。この否定的な現実を肯定的なものとして受け入れるために芭蕉は必死になって句を詠んでいる。句を詠んだところで空腹が満たされるわけではない。体が温まるわけでもない。句を詠むと心が満たされる。

 氷にがく偃鼠(えんそ)が咽(のど)をうるほせり
 買水(みずをかふ)と前書きして、この句を芭蕉は詠んでいる。当時、深川には飲み水がなかった。江東区はゼロメートル地帯だった。井戸を掘っても塩水が出たのかもしれない。舟で飲み水を売りに来た。冬、買い置きの飲み水には氷が張っていた。氷を割り、咽を潤した水はほろ苦い。ドブネズミのような存在である私にはほろ苦い水で咽を潤す嬉しさがある。酒好きだった芭蕉は前夜、深酒をしたのかもしれない。苦い水が美味しかったのかもしれない。貧しく寒い日々であってもその中に足ることを覚えて行った。

 暮々(くれくれ)てもちを小玉(こだま)の侘寝(わびね)哉
 年の瀬が迫ってきた。賑やかな川向うから餅つきの音がこだまとなって聞こえてくる。たった一人の侘び住い。蒸篭から湯気が上がる。家族総出で餅つきをしている。そんな風景を心に浮かべ、芭蕉庵で独り侘びて寝ている自分を意識している。今から300年前の江戸の下町には都会の孤独があった。故郷に生きる場所が無くなった若者が生活の糧を求めて江戸に出てきた。農家の次男坊であった芭蕉は職を求めて江戸に出てきた。江戸はまだまだ新開地だった。仕事があった。芭蕉は俳諧師としての職を確保したが、空腹と寒さと孤独と闘っていた。その中で芭蕉の句は紡ぎだされていった。

醸楽庵だより 151号  聖海

2015-04-14 11:35:13 | 随筆・小説

   パックス・アメリカーナの終焉

 パックス・アメリカーナの終焉に今、私たちは立ち会っている。フローレンス・サマーズ元アメリカ財務長官は4月5日、「今月は、米国が世界経済のアンダーライターとして地位を喪失した月として後世に残ることになるだろう」と自身の公式サイト「larrysummers.com」を通じて述べた。中国によるアジアインフラ投資銀行(AIIB)の発足は米国が戦後進めてきた世界銀行とIMFによる世界秩序(ブレトンウッズ体制)を崩すことになると異例の警鐘を鳴らした。同時に絶えず日本がトップの座を占めていたアジア開発銀行もまたその生命を失うのかもしれない。
 第一次世界大戦後、イギリスに変わってアメリカ合衆国が世界の大国として君臨し始めた。1920年代、大量生産、大量消費の大衆社会がアメリカに出現した。フォードの車が世界中の憧れになった時代である。1929年の大恐慌後、1930年代の第二次世界大戦へと向かう時代の企業倒産と失業者増大の苦しい時代を経て、1940年代の第二次世界大戦でアメリカは大恐慌で疲弊した経済を回復し巨万の富を築いた。1950年代と1960年代がアメリカの黄金期だった。この時期のアメリカ外交政策の失敗がパックス・アメリカーナの終焉を準備したといっていいだろう。そのアメリカの外交政策とは中国封じ込め政策である。アメリカ合衆国の勢力圏化にある東南アジアの国々がドミノ倒しのように社会主義国化するのを恐れたアメリカは社会主義国中国の勢力が周辺地域に及ばないように中国を封じ込める外交政策である。1950年には早速、北朝鮮が南の人民を開放するという戦争を始めた。スターリンのソ連も中国の毛沢東もアメリカの勢力圏化にある南朝鮮人民解放戦争を支援している。アメリカは中国の勢力が南朝鮮に伸びて来るのを阻止しなければならない。台湾に中共の勢力が伸びないよう、金門島、馬祖列島での砲撃事件があった。第二次世界大戦後、インドシナに再び進駐してきたフランス軍に対してベトミン軍が蜂起した。1954年にはディエンビエンフーの戦いによってフランス軍は手痛い敗北を喫した。北緯17度線で停戦協定が成立したが北ベトナムが南ベトナムを開放する戦いは何としても阻止しなければならない。これがアメリカの中国封じ込め政策であった。この戦費がアメリカ経済に重くのしかかった。ベトナムでのアメリカの敗北が濃厚になるに従い、この敗北を最小限に食い止める対策としてアメリカは中国と接触を始めた。キッシンジャーの忍者外交である。
アメリカは1971年7月15日、ニクソン大統領の訪中を発表した。日本の頭越しに中国との国交回復交渉を始めた。日本政府のショックは計り知れないものがあった。
 また一方、アメリカは1954年フランスに代って1975年までのベトナム戦争でベトナム人を殺し、自国兵士も殺した。枯葉剤を散布し、ベトナム人に何十年にもわたる被害を与え、自然を破壊した。これらの人殺しと自然殺しのためにドルを使い過ぎてしまった。1971年8月15日、金1オンスを35ドルと交換していたのを突然停止すると発表した。金とドルとの交換比率を保証することによって成り立っていた戦後のブレトン・ウッズ体制、IMF体制の根幹を揺るがす出来事だった。それも事前に予告されることなくアメリカは一方的に発表した。この出来事によって日本政府が受けたショックもまた計り知れないものであった。1971年に起きた二つの出来事、ニクソンショックはパックス・アメリカーナ黄昏の始まりだった。あれから40年、いよいよ大国の地位を中国に譲る時がきたようだ。
 アメリカはAIIBに加入しないようG7の国々や勢力圏化にある国々に圧力をかけたようだ。しかしイギリスが加入を表明するとドイツ、フランス、イタリアが加入を表明した。米韓FTAを結んでいる韓国がアメリカの圧力を受けながらAIIBへの加入を表明した。同じ英語を話すオーストラリアまでがAIIBへの参加を表明した。アメリカからの指示を守ったのは日本一国のようだ。安倍政権は時代錯誤も甚だしく中国包囲網を築こうしていたが反対に日本はアジアで孤立を深める結果になりそうな形勢だ。中国市場なくして日本経済は成り立たないことが分かり切っていながら、中国との関係を悪化させようとしている。日本はウクライナとは遠く離れ、経済的にも関係がほとんどないにもかかわらずアメリカの指示で安倍政権はロシア経済制裁をした。その結果、北方領土返還交渉は頓挫したままである。
 今や中国の国際基軸通貨ドルの保有高は台湾政府、香港政府とを合わせると4兆6000億ドルに達する。AIIBを設立するだけの力を中国は持っている。今までIMF、世界銀行、ADB(アジア開発銀行)という組織を使ってアメリカは欧州と日本を手足として発展途上国を半ば経済的に支配する新植民地体制を強いてきたがこの体制が崩れさることだろう。これからは発展途上国が欧米や日本に発展を妨害されることなく、順調な経済の発展がのぞまれる。
 習近平やプーチンには大人の風格があるが安倍晋三にはアメリカの腰巾着のような風情がある。日本国民に苦しみを強いて、アメリカのご機嫌を伺う賤しさがある。残念なことである。
 

醸楽庵だより 150号  聖海

2015-04-13 10:32:03 | 随筆・小説

 
   「たら」「れば」ということ
 
 リベラルな論客である孫崎享さんが講演会で話すことやIWJの岩上さんの孫崎さんに対するインタヴューの回答にいつも共感している。また私は孫崎さんが書いた著書をほぼ全部読んでいる。私は孫崎さんのファンである。その孫崎さんが岩上さんの質問に答え、朝鮮人の安重根が伊藤博文を殺したことは悪かったと話すのを二回聞いた。一度目は孫崎邸で岩上さんのインタヴューに応えて話していた。二度目はIWJの岩上さん、一水会顧問の鈴木邦男さん、孫崎さんの三人による対談本刊行イベントで聞いた。
 安重根が伊藤博文を殺さなかったら、その後の歴史は変わっていたに違いない。伊藤博文が生きていれば、関東軍が満州を侵略するようなことは無かっただろう。このような話だった。伊藤博文が殺されなかったら、伊藤博文が生きていれば。これが歴史における「たら」「れば」の話である。この問題は歴史の必然性と偶然性の問題でもある。また別の見方をするなら、歴史は愚行の堆積物なのか、それとも輝かしい人類の遺産なのか、という問題でもある。現在の安倍政権がしていることは愚行なのか、それとも日本国民にとっての遺産になるようなものであるのか、という問題でもあるだろう。
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公と妻のゾフィーは、バルカン半島の国、ボスニアの都サラエボで19歳のボスニア系セルビア人、国家主義者ガヴリロ・プリンツィプに拳銃で殺された。サラエボ事件である。この事件によって第一次世界大戦が始まった。もし、19歳の少年、プリンツィプがオーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公を殺さなかったら、その後の歴史は変わっていたかもしれない。オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子フランツ・フェルディナント大公が生きていれば、世界大戦は起きなかったかもしれない。サラエボ事件というテロ事件が起きなければ世界の歴史は違っていたかもしれない。
私は孫崎さんの主張を面白く思う。ただ残念なことに私自身が孫崎さんの主張をもっともなことだと認識できる知識が欠乏していることである。ただ結論的に言うなら、直観的に私は孫崎さんの主張は間違っていると思う。その理由はすべての歴史的事件は偶然の出来事ではあるが必然的な出来事でもある。伊藤博文という政治家は人類の歴史の中で東アジアに生きる人民を苦しめる役割をしたことには変わらない。それに対して安重根という個人が東アジアの歴史において果たした役割は間違いなく人類の遺産としてこれからも継承されていくに違いない。また日本の伊藤博文が個人として東アジアの歴史において果たした役割は人類が継承してはならないことであろう。
 サラエボ事件というテロ事件が起きなくても第一次世界大戦は勃発したに違いない。なぜならこの戦争を阻止する力が弱かったからだ。他国の富を奪うことは許されないという国際世論が形成されていなかった。イギリスという大国に後れて力をつけてきたきたドイツがアフリカや中東への侵出しようとことに英仏が阻止しようとすれば戦争を阻止する力が弱ければ世界大戦は必然的なものであったろう。
 伊藤博文がテロで殺されることがなかったとしても、福沢諭吉の侵略肯定論の思想に染まっていた当時の日本政府は朝鮮から中国への侵略をしたに違いない。当時の日本には日本の対外膨張主義を阻止する力は圧倒的に弱かった。しかし現在は違う。いくら安倍政権であろうとも対外侵略を声高に唱えることはできない。国民を騙し、窮乏生活を我慢させ、「積極的平和主義」を唱え、世界資本の暴力になろうとしているが全世界の人々によって戦争は阻止されるだろう。これが21世紀だ。国家対国家の大規模な戦争はできない。全世界の人民が許さない。このような時代になっている。
 「たら」「れば」では正しい歴史認識は得られない。これが私の主張だ。


 

醸楽庵だより 149号  聖海

2015-04-12 12:21:59 | 随筆・小説

    短編小説 『死のアリーナ』    聖海      


1、闘鶏の眼つぶれて飼はれけり  村上鬼城

 イタリア・カンパニア地方では三月の中旬を過ぎると、灰色に曇った空の一角にある日、突然青空が現れる。青空は春を告げる。オリーブの林が微笑む。剣闘士の試合は春になると始まる。死のアリーナに無産(プロレ)市民(タリア)たちの熱気があふれる。
紀元前一世紀、ローマ帝国内のすべての道はローマに通ずるよう建設が進んでいる。同時に侵略した地域を属州とする直轄支配地が拡大していく。イタリア半島南端の町、タレントゥムからパプアを経てローマに至る軍道・アッピア街道には属州からの富をローマに運ぶ馬車の列が見られた。富を運ぶ馬車の行列を見てパプアの無産(プロレ)市民(タリア)たちは皆、溜息をつく。無産(プロレ)市民(タリア)たちの視線には富への羨望のまなざしがあった。富める者からの施しを得て生きる我が身を省みて我が身をあざける賤しさがあった。帝国の侵略戦争に従軍したパプアの自営農家たちは働き手を失い、先祖から預かり大事に受け継いできた農地を大農園(ラティフン)経営者(デウム)に売り、街に生活の糧を求める無産(プロレ)市民(タリア)になった。富者たちの豊かな生活を街場で直接見るに今まで覚える事のなかった人を羨み、妬む気持ちを抱くようになった。無産(プロレ)市民(タリア)たちの心は貧しい生活に疲れ切り、解消できない不平不満だけが溜まっていた。富者に向って不平不満をぶつけられない鬱屈した憤りは無産(プロレ)市民(タリア)たちの心を荒ませ、猛々しくしていた。
 パプアを通る軍道・アッピア街道はオリーブの林の中にある。無産(プロレ)市民(タリア)にとって剣闘士の試合が街での生活の鬱屈した憤りを解消する娯楽であった。パプアの無産市民たちはオリーブに小さな花が揺れ始めるのを待っている。春になると剣闘士の試合が始まる。剣闘士の試合を見に行くと、ビールがただで飲める。パンも食べられる。日頃の鬱憤を晴らすことができた。アッピア街道に剣闘士や罪人、捕虜、猛獣を乗せた馬車がオリーブの林から現れるのがいつかと待ち侘びていた。とうとう、その日を告げる広告が出た。闘技場の漆喰の外壁や大きな邸宅の壁の前にパプア市民が群がった。
『クロディウス元老院議員提供、三十組の剣闘士、早々に剣闘士が死んだ場合は補欠あり。来る四月一日、二日、三日、天候が許せばパプア円形闘技場において実施。野獣狩り、闘技、名だたるトラキア剣闘士フェリクス出場、フェリスク万歳!護民官の再選を目指すクロディウス万歳!』
 三月二五日、剣闘士を乗せた三十台の馬車がパプアの闘技場に隣接した剣闘士養成所に到着した。剣闘士を一目見ようとするパプア市民が我先にと馬車を取り囲んだ。先頭の馬車から左目に黒い革の眼帯をした禿げ頭の屈強な男・興行師(ラニスタ)アスティナスが棍棒を持って降りてきた。パプア市民は一斉にひいた。闘技場守衛の軍団兵に守られた中、左目に黒い革の眼帯をした興行師(ラニスタ)アスティナスの後ろに鉄の首輪をし、首輪と首輪が鎖で繋がれ、手を縛られた男たちが続いた。それらの男たちは皆キョロキョロしているだけでなく、おどおどビクビクしていた。パプア市民はそれらの男たちを見て、訓練された剣闘士ではないことを見抜いた。鉄の首輪と鎖で繋がれた男たちを見てパプア市民は誰ともなく「罪人たちだ」、「戦争捕虜たちだ」というひそひそ声が人から人へと囁かれた。闘技場で処刑されるべく、闘技場に連れられてきた者たちのようだった。二台目の馬車からは手首を縛られただけの背の高い屈強な男たちが降りてきた。その中にあって一人誰よりも背が高く、筋肉隆々とした男がいた。衣服の間から歩くたびに厚く盛り上がった胸と胸毛が見える。見るからにゲルマン人の大男だった。その男は頭を下げ、体から力が抜けているにもかかわらずパプア市民の間を通ると市民たちの間にぴりぴりした恐怖感が伝播した。しかしその男が通り過ぎるとパプア市民の中から何か期待を逸したような声が漏れた。顔が髭だらけで猛獣のような男だったからだ。美貌の持ち主、トラキア剣闘士フェリスクが猛獣のような顔の持ち主であるはずがないとパプア市民は思ったからである。トラキア剣闘士フェリスクは端麗者として名高い。静かにたたずむ端麗者の姿をそのゲルマンの男の中に見つけることがパプア市民はできなかった。若い娘たちが心ときめかすトラキア剣闘士フェリクスではないとパプア市民は直観した。続いて馬車からは首輪もはめられず、手も縛られず、うなだれたところが何もない背格好も普通なスリムな男たちが降りてきた。その男たちの体は躍動感にあふれ、敏捷な動きをした。闘技場守衛の軍団兵に緊張が走り、パプア市民に恐怖と興味が伝播した。守衛たちは腰を落とし、爪先に力を入れた。その男たちの中にトラキア剣闘士フェリスクはいたが誰がフェリスクであるかをパプア市民は見つけることができなかった。
 興行師(ラニスタ)アスティナスが剣闘士養成所に入っていくと、待ちかねていたクロディウスはアスティナスを自分の部屋に呼んだ。
「アスティナス、トラキア剣闘士フェリスクは来たか」
「はい、無事到着しました」
「最終日の試合に出場させるよう手配しろ、分かったか」
「クロディウス様、大変申し訳ございません。フェリスクは昨年最後の八戦目の試合で左足に傷を受けましてまだ全治しておりません。今回の試合に出せるか、どうか、難しい状況でございます。私としてもフェリスクは大事な財産、宝でありますので、そのあたりをどうか、ご理解賜りたいのでございます」
「アスティナス、それは困るぞ。パプア市民の一番の楽しみはフェリスクの試合なんだ。
なにしろ八戦全勝の端麗者、フェリスクの噂がパプアにも届いているぞ。美貌の持ち主にして、技が綺麗だ、すっきりと技が決まる。特に娘たちだけでなく、ご夫人の方々にも大変な人気なのだ。パプア市民は皆フェリスクの闘技を楽しみにしているのだ。それはお前にも分かるだろう」
「ごもっともなことでございます。しかしフェリスクは左足の太ももの傷が全治しておりません。怪我がある以上、市民の皆様に満足していただけるような闘技ができるかどうか、心配でございます。どうか、お許し下さい」
「アスティナス、トラキアのフェリスクには出場してもらうから、そのように準備をしてくれ」
「クロディウス様、これまで五戦しまして、四勝一引き分けのセクトゥスを初め、ガリア戦の捕虜、ゲルマンの
大男は昨年ポンペイの闘技会でライオンと闘い、倒した強者でございます。きっと、パプアの市民にも楽しんで
もらえるものと思いますんで、ございます。フェリスクの出場はご勘弁願いたいのでございます」
「アスティナス、これは命令だ。パプア市民はフェリスクの出場を待っているのだ」
「クロディウス様、承知しました。それではフェリスク貸し出し料を倍にさせていただきます」
「フェリスクが負けて死ぬことがあっても、その闘技に市民が満足したら、倍の貸し出し料を支払ってやろう。抜け目ない奴だ。それで不満はないだろう」
闘技会提供者クロディウスは興行師(ラニスタ)アスティナスの話に理解を示すことはなかった。興行師(ラニスタ)アスティナスは元剣闘士だった。元剣闘士アスティナスは左目を槍で刺されても命乞いをすることもなく雄々しく闘い助命された。その後、クロディウスの援助を得て剣闘士養成、貸し出しの興行師になった。アスティナスは抵抗することを諦めてクロディウスに頭を下げ、剣闘士養成所にある宿泊所に戻った。
 翌日、猛獣を乗せた馬車が到着した。それらの馬車にはライオン、虎、熊が乗せられていた。暇を持て余した無産市民たちが猛獣を見ようと集まってきた。ライオンの檻より虎の檻のまわりに人垣が多かった。この虎に人間が食い殺されるのを想像し、身震いする女性がいる一方、一刻も早くそのシーンを想像し、目が輝く若い男たちがいた。熊は虎より大きかった。熊の体を覆う毛に刺されただけでも血が噴き出しそうな剛毛だ。熊の手で一叩きされたなら人間は一溜りもないだろう。目が淫乱に輝く市民がいる一方で熊の檻を見ては、悲しみに満ちたまなざしの粗末な服装をした市民もいた。

  2、殺さるる夢でも見むや石布團       村上鬼城

 翌日からいよいよ闘技が始まるという日の未明のことだった。幾分、肌寒さの残る夜明け前、白く霞んで見えるオリーブの林がぼんやり曇っている。アスティナス剣闘士団の元剣闘士出身の守衛が怒鳴っている。夢うつつの中でフェリスクはなぶりつけられたような声を聞いた。虚ろな意識の中でざわめく人々の声がする。途切れ、途切れに聞こえる。「死んでる」、「死にやがった」「ゲルマン野郎」、「自殺しやがった」。深い意識の底から湧き上がってくる怒鳴り声がフェリスクの意識を刺激した。フェリクスにとっては誰が死のうがどうでもいい事だった。春の夜明け前の睡眠を奪われた怒りが眠気を奪った。起き上がると隣に寝ていた相棒のユべェニスの様子にフェリクスは只事ならぬ事態を察した。ユベェニスは興奮している。
「フェリクス、明日出場予定の心の冷えた野獣のような面構えのゲルマン野郎が死んだ。自殺のようだ。ガリア戦の捕虜として見世物になったあのゲルマン野郎だよ」
「ユベェニス、どこで自殺を図ったんだ」
「捕虜のゲルマン野郎が一人になれる場所は便所しかないだろう」
「どうやって自殺したんだ」
「衣服の布を裂き、糞便を流す棒にその布を巻き付け、その棒を喉の奥に差し込み命を絶った。よくやったもんだ」
 このユベェニスの言葉を聞いたフェリクスは眠気が去っていくのを感じた。寝床で寝ぼけ眼のまま黙って思いにふけった。明日、大男のゲルマン野郎の代わりに捕虜の一人が熊に食われることになるのだろう。そんなことはどうでもいい。糞にまみれて死んだ痛ましさを感じた。ゲルマン野郎はもっと別な死に方は無かったのか。彼奴なら逃げ出し絶壁の上から海に飛び込めたじゃないか。馬車の車に首を突っ込み絶命した剣闘士がいたという話を聞いたことがあるなぁー。台所の包丁を奪い、その包丁で自分の首を刺し死んだ剣闘士もいたな。なぜ便所で糞にまみれてゲルマン野郎は死んだのか、フェリスクは漠然と思い続けた。死に際の汚さに哀れを覚えた。
 闘技場への扉は剣闘士にとっても、罪人にとっても、捕虜にとっても地獄、死のアリーナへの扉である。すべての望みを奪う扉である。この扉を開けると絶望と死が待っている。
 捕虜のゲルマン野郎がナポリの死のアリーナで初めてライオンと立ち向かったとき、フェリクスは死のアリーナの控室の戸の隙間からゲルマンの大男とライオンとの闘技を見たことを思い出した。ゲルマン野郎は何の防具も身に着けていなかった。防具を身に着けることが許されなかったようだ。ただ一本の槍だけを持たされ、アリーナの真ん中に置かれていた。野郎は静かに身動きすることなく、体の力が抜けたままただぼうーっと立っているように見えた。ライオンに噛み殺される運命に心を奪われ、立っているだけの気力しか残っていないかのようだった。恐れをなして足が動かないように見えた。ナポリ市民は息をつめてライオンがアリーナに出てくるのを待っている。突然、一斉にラッパが鳴り響いた。吠えたてた。ギィー、扉が開く。ライオンの檻を積んだ馬車がアリーナに入ってきた。続いて水オルガンの音響が円形の死のアリーナに響く。厳かな雰囲気が観客に伝染していく。水オルガンの音に乗って観客たちの間から拍手が沸き起こり、徐々に喝采へと変わっていった。ライオンを積んだ馬車は円形の死のアリーナを一周した。ゲルマンの大男の正面に馬車がくるとゲルマンの大男から三十メートルぐらいの距離を取り、止まった。水オルガンの演奏が止み、静寂が死のアリーナの時間を止めた。ゲルマン野郎はただ一人、槍を手に静かに立っているだけだ。頭は上げているものの体からは力が抜け落ちている。ライオンに食われるのを待つ獲物のように見えた。ライオンが人間を食いちぎるのが今か、今かと観客は息を飲んでいた。
七日間もの間、餌を与えられていないライオンが檻から出された。ライオンは檻から出ると頭を回し、観客に向って吠えた。数歩、歩み獲物を見つけたライオンは走り出しゲルマン野郎に飛びかかろうとした。その瞬間だった。ライオンが一瞬怯み、目をつぶった。その一瞬をゲルマン野郎は捉えた。ライオンに向うゲルマン野郎は槍を両手で握り、ライオンの心臓を目指し走った。槍はライオンの心臓を貫いた。ライオンの血しぶきを浴びたゲルマン野郎はアリーナの真ん中に力が抜けたように呆然としていた。薄気味悪い数秒間だった。死のアリーナに大喝采が巻き起こった。ラッパが鳴り、水オルガンが吠えた。ゲルマン野郎は生き延びた。
気味悪いほど勇敢だったあのゲルマンの大男がなぜ今、糞にまみれて熊との闘いが予定された前日に自ら死を選んだのか。ライオンとの闘いに勝ったゲルマンの大男は熊との闘いにもきっと勝つだろう。それなのに自死した。なぜなのか、フェリスクには分からなかった。
闘うとき以外一切の武器をそばに置くことが許されない剣闘士や罪人、捕虜は小さな部屋に一人、もしくは二人が閉じ込められ、便所にいく以外の一切の自由がない。ゲルマン野郎は便所で思う存分糞を垂れた喜びを味わった。生きている喜びと満足を味わった。生きる歓びと満足を得たのだろう。熊との闘いには勝つ自信は持っていたに違いない。しかし死のアリーナから逃れられる望みはない。次には凶暴な虎との闘いが待っているだろう。残酷なことを好む市民たちは罪人や捕虜が猛獣に食い殺される見世物を待ち望んでいる。生き延びる術はない。いつかは食い殺されるのだ。生きることができないと悟ったとき、生きることを拒んだのだ。自殺とは気高い行為だとフェリスクは気付いた。興行師に損害を与え、捕虜の死の見世物を喜ぶ市民たちに見世物になることを拒絶した気高い行為だ。このことにフェリスクは思いをはせ、鬱々した気分を払拭したとき、ユベェニスに話しかけられた。
「フェリスク、何を考えていたのだ」
「うん、ちょっとな。ゲルマン野郎の死にざまについて思っていた」
「糞にまみれて死ぬことはなかったんじゃないか、そんなことを思っていたのか」
「まぁーな。ユベェニス、そろそろ朝飯の時間だな。アスティナスの奴、どんな罰を我々に与えるつもりかな」
「守衛の奴等はわが罪を我々になすりつけ、罰を負わせるつもりだろう」
「確かに、そうかもしれんな。興行師にとって、捕虜の死は損害に違いない。いや、犯罪ですらある。事前に自殺を阻止できなかった守衛たちは頭首からの罰を恐れ、何と弁解したのかな」
 自殺は興行師に大きな損害を与える犯罪であった。守衛は二四時間剣闘士を見張っている。その隙をつく出来事だった。
 フェリスクは起き上がり、身支度をした。水場にいき、顔を洗った。ユベェニスは独りですでに食堂に向っていた。フェリスクも少し遅れ薄暗い食堂に入った。大麦の粥を盛った椀を渡され席についた。家畜が食う大麦の粥をフェリスクはまずいと思ったことがない。子供のころから食べなれていた。フェリスクはトラキアの遊牧民だった。ギリシア人が常食にしていた大麦の粥をトラキアの遊牧民もギリシア人をまねて常食にするようになっていたからである。ホルデアリウス(大麦食い)とローマ市民が貧しいものを軽蔑していう大麦の粥は、ローマ市民たちが決して食べないものだとフェリスクは聞いていたが、大麦の粥に不満を持ったことはなかった。左足の傷の治療をしてくれた医者が教えてくれた。大麦の粥は力と健康をもたらすと。木の椅子がギシギシなった。薬味と塩の入ったオリーブ油を大麦の粥に入れた。生野菜にオリーブ油をまぶした。焼いた羊の肉が出た。闘技の始まりを告げる食事だった。普段、朝食に焼肉がでることはなかった。ユベェニスの隣に座ったフェリスクは押し黙ったままだった。これからどのような罰が与えられるのか、神経が高ぶってくる。他の剣闘士たちの緊張が伝わってくる。食事も喉を通らない捕虜たちの姿が目についたが、何事もなく朝食は終わった。
 広場に出ると各剣闘士たちはすでに各自が体を動かし、手足を伸ばしていた。準備運動は心の穢れを流してくれる。フェリスクもまた大きく深呼吸をしてから腰を回し、腕や足の筋肉の調子をみた。特に左足を動かし、具合をみた。太ももの傷の痛みはほとんど無くなってきてはいたが、踏ん張る力がでないことに焦りを覚えた。強面の訓練士が出て来ると「集合」と号令をかけた。いよいよ罰が言い渡されるのか。
「今朝、あのデブのゲルマン野郎が死におった。頭首アスティナス様はお困りだ。頭首様を困らせてお前たちにいいことはないぞ。分かったか。分かったら、なおいっそう訓練に励み、勤め上げれば木剣の栄誉にあずかれるぞ」
 フェリスクは訓練士の話に安堵すると同時に白々しい思いをした。剣闘士たちにとって、日常生活に良いことなんて何もない。訓練士の話が空々しい。剣闘士たちへの罰がなかったことに安心するというより意外な気持ちだった。そうだ。明日から闘技が始まるのだ。我々剣闘士に罰を与える時間的余裕がないのだ。フェリスクは一人、ニヤリとした。医者にまだ闘技は無理だと言われている。俺の出場はない。こう思うと気楽に訓練ができた。この気楽な気持ちに「木剣の栄誉」という言葉が入り込んできた。解放奴隷。興行師になったアスティナスは十八戦し、十六勝、二引き分けの戦績を得て、クロディウスの支援を得て剣闘士の興行師になった。そんな幸運は万に一つの事であるに違いない。生きて闘技場から出られるものは百人に一人もいない。闘技を勝ち抜き、剣闘士奴隷から解放され、「木剣の栄誉」を得て剣闘士養成所の守衛か、それとも訓練士か、有力な支援者を得られれば、解放奴隷興行師(ラニスタ)アスティナスのような存在になれるかもしれない。しかし興行師になれたとしても剣闘士興行はローマ市民たちに見世物を提供する奴隷的存在であることには変わらない。解放奴隷興行師(ラニスタ)アスティナスを見ていてフェリスクは感じていた。
 フェリスクは本格的な訓練をすべく、トラキア風防具、鱗状の金属製カタピラの付いたものを右腕に、脛にも金属製の防具を付け、重い木剣を持った。腹、胸に付ける防具はなかった。裸足のまま、広場の砂の上で木剣の素振りを左手が動かなくなるまでした。左手が動かなくなると鉄の防具を付けた重い右手で重い木剣を持ち、動かなくなるまで素振りした。足の運びを練習した。
 陽が広場の中天に来たとき、剣闘士上がりの訓練士が広場に出てきた。魚人(ムル)剣(ミッ)闘士(ロ)だった訓練士だ。
「フェリスク、傷の具合はどうだ」
「痛みはなくなりました」
「そうか、模擬戦をやってみろ」
 フェリスクは嫌な予感が胸に広がった。やむなく模擬戦をすることになった。相手はすでに広場の中央に出てきていた。魚人(ムル)剣(ミッ)闘士(ロ)だった。フェリスクは背に陽光を受け、有利な位置を意識した。魚人(ムル)剣(ミッ)闘士(ロ)は口元に笑みを浮かべ、フェリスクを睨んでいた。フェリスクが睨み返すと魚人(ムル)剣(ミッ)闘士(ロ)の口元に不敵な笑いが浮かんだ。フェリスクは挑発されることなく盾を持ち、剣を構えた。フェリスクは自分の動きが相手に読まれていないと思い、軽く一撃を与えた。魚人(ムル)剣(ミッ)闘士(ロ)は盾をずらしただけで一突き反撃してきた。ずしりとした重みが盾に食い込んできた。右足を踏み出し、反撃しようとした瞬間、前回の闘技で傷を受けた左足に痛みが走った。その痛みに耐え、一撃を与えたが、魚人(ムル)剣(ミッ)闘士(ロ)は盾で受けるかのようにしてするりと体をかわした。全身の力と気力を振り絞り、小刻みに動き、攻勢にでた。気付くと魚人(ムル)剣(ミッ)闘士(ロ)の背に陽光が当たり、姿が黒く見える。目の動きが分からない。足運びの方向が読めない。不利を悟った一瞬だった。魚人(ムル)剣(ミッ)闘士(ロ)の大振りの一撃に盾で受け止めることができず、後ろにひっくり返されてしまった。広場に倒されたフェリスクの上に魚人(ムル)剣(ミッ)闘士(ロ)の顔が睨みつけていた。訓練士が急いで間に入った。
「フェリスク、お前の負けだ。魚人(ムル)剣(ミッ)闘士(ロ)、ご苦労だった」
 魚人(ムル)剣(ミッ)闘士(ロ)は広場から引き揚げて行った。
「フェリスク、敗因はなんだ」
 訓練士がフェリスクに問いただした。間抜けな回答をすると鞭が飛んできそうな気配だった。
「小刻みに動き回り、陽光を真に受けてしまったため、相手の動きが読めなくなってしまった」
「そうだ、あまりにも動きすぎ、相手の動きの意図を見失ってしまったからだ。足の運びは爪先を少し浮かせ、踵を強く踏め、動きの歩幅に大小はあってもその速さは一定していなければだめだ。片足だけ動かすような動きをしてはだめだ。それは敵に隙を与えてしまう。左足の傷に心を奪われると動きが鈍るぞ」
 訓練士の言葉を聞きながらフェリスクは嫌な予感が的中したと感じた。黙っていると訓練士の言葉はなおも続いた。
「フェリスク、もう一つ言っておこう。対戦相手の武器だけに心を奪われるな。視野を大きく、広くしろ。そうしなければ相手の動きが見えてこないぞ。心で相手の動きを見るんだ。肉眼ではゆったり見るぐらいでいい。遠くのところを近くに見るように、近くのところを遠くにみるように。目玉を動かさずに相手の両手、両足を見るよう心掛けろ。どのような状況にあっても目付きが変わらないように冷静でいられるよう心掛けろ」
訓練士の訓戒を聞き終え、宿泊所に戻ると守衛が来た。
「フェリスク、頭首がお呼びだ」
守衛に付き添われ、頭首アスティナスの部屋に入った。
「フェリスク、四月二日の第三戦に出場することになった。分かったか。準備をしておけ」
 頭首アスティナスはフェリスクに命令すると同時に出て行けと手で合図をした。
 ※
3、冬蜂の死にどころなく歩きけり  村上鬼城
 
 明日の命がない剣闘士になってフェリスクは三年目を迎えていた。今、生きていることが奇跡だった。今日という日があるのがフェリスクにとって奇跡だった。フェリスクは剣闘士の生活に慣れることはなかった。いつ死んでもいいという心境にはなれない。この世に未練があるわけではないが、腹が減る。喉が渇く。性欲が疼く。体が生きることを強制する。同じ剣闘士団の者と共に闘技の見世物となり、殺し合わねばならない宿命を受け入れられない。殺し合う見世物になるのに慣れることはない。三年の月日を生き延び、闘技に勝ち、止めを刺したことがあった。勝ち誇り無表情に敗者の首を切った後味の悪さにムカつかないときはなかった。無表情な人間でなければ止めは刺せない。だが無表情な人間になれない。生きることを懇願し、声もなく涙がこぼれる顔を見ながら首に剣を当てる。生きることに無関心になり、生きることへの執着がなくなれば無表情な人間になれるのかもしれない。死のアリーナに生きることは死の隣に生きることであった。生への執着を強制的に奪う所だった。
フェリスクはトラキアの平原で羊の遊牧をしていた。家族と共に働くことが楽しかった。食べる歓びと、妻と寝る歓びがあった。ローマ軍がトラキアの金鉱を奪いに来た。フェリスクは率先してローマ軍と戦い、捕虜になってしまった。家族と永久に引き離されてしまった。殺されるものと観念したが殺されなかった。逃亡の危険を防ぐため、焼鏝(やきごて)を当てられ金鉱での強制労働を強いられた。金鉱から掘り出された岩石の塊を奴隷たちが運び出してくる。よろける奴隷に監督官が鞭打つ。鞭打たれた奴隷を見て、監督官に怒りと燃えるような敵意を表した奴隷・フェリスクに目を止めた片目の男がいた。その男が金鉱に剣闘士探しに来た興行師(ラニスタ)アスティナスである。彼はフェリスクに目を止めた。フェリスクの敏捷な身のこなしと筋肉の柔らかさ、監督官への燃えるような敵意、これこそが剣闘士の魂だと興行師(ラニスタ)アスティナスは見て取ったのである。フェリスクはローマ派遣軍から興行師(ラニスタ)アスティナスに売りとばされた。剣闘士養成所では鞭に打たれ、闘技の技を仕込まれた。どうにでもなれという気持ちに落ち込むと鞭打たれる。鞭打つ者への怒りと敵意が生きる気力を生んだ。獰猛な生命力が体に漲った。血を見ると奮い立つ剣闘士になった。気が付くと一人前の剣闘士になっていた。初めて闘技に出たときのことが忘れられない。
死のアリーナ入口に近い控えの間で待機していると、死の恐怖と不安が襲い掛かってくる。その苦しみに耐え、じっとさせられている。盾も剣も持たされず、防具も着けることが許されずにいる。同じ剣闘士団の対戦相手の姿を認めると体が小刻みに震えていた。その緊張感がフェリスクの心を波立たせる。緊張が絶頂に至ったとき、地獄への扉が開いた。死のアリーナは青空の下、きらびやかに装われている。そこは死の恐怖と不安に慄く剣闘士の地獄であった。剣闘士は素顔を観客に晒す。心が死に動物になっていく自分をフェリスクは感じた。観客は一段高い所から死への入場行進を楽しげに眺めている。闘技場の周囲を回ると手を振り花束をアリーナに投げ入れる娘たちがいる。耳をつんざく歓声が自分とは何の関係もない遠い世界の出来事のよう感じられる。それでも胸を張り虚ろに行進する。フェリスクと対戦相手が並んで先頭に立ち、出場する剣闘士たちが勢揃いして行進する。その後ろには大きな斧を持った二人の先導吏が控え、楽士たちが続く。喇叭を吹き、角笛を吹く。貴賓席の上では水オルガンの重奏な音のリズムが行進する者の歩調を整える。行進隊の後には神々の彫像を掲げた者が続く。死ぬ者の魂を鎮めると同時に観客の心を清め、人の殺し合いという見世物を浄化する行進でもある。
死のアリーナを一周する行進が終わると一旦アリーナから退場し、剣闘士たちは防具を身に着け、盾と木剣を持たされ、アリーナに出される。喇叭が吠え、水オルガンの重低音に合わせて死闘の真似事をする。剣闘士の華麗な演技に観客の興奮の波が徐々に絶頂に向かう。観客の興奮は闘う者の体をほぐす。剣闘士に闘う気力を生みだす。闘う気持ちを燃え上がらせる。晒し者になっている剣闘士たちは自分を失う。
本物の刀剣を捧げた者がアリーナに出て来る。一緒に連れられてきた羊の首をアリーナの真ん中で興行師(ラニスタ)アスティナスが切り落とすと、「おーっ」、観客たちの声が響いた。羊の首から血がほとばしる。刀剣が鋭く砥ぎすまされていることを観客に分かってもらう。馬に乗った剣闘士が登場、剣を振り回し、闘技場狭しと疾走する。音楽が鳴り、死のアリーナは興奮の坩堝となる。その中で剣闘士たちは控えの間に退場した。
フェリスクは技量を磨き、体力を鍛え上げ、気力が充実していた。がしかし、心の中は虚ろだった。対戦相手が同じ剣闘士団の仲間だった。どんなに憎もうとしても憎むことができない。トラキア兵としてローマ軍と戦ったときの高揚した戦意が湧いてこない。こんな気持ちに駆られると恐怖と不安が襲ってくる。不安が高まり、頂点に達すると不思議なことに命を失う恐怖感が失われていく。観客が見えなくなった。見世物であることを忘れる。勝つ。勝ってやる。動物的本能が躍動する。フェリスクは闘志が湧いてきたことを覚えた。観客は派手な演出に目を奪われて興奮している。フェリスクはここにいる自分は自分ではないという錯覚に襲われた。控えの間では悶々とした思いに苦しんだことが嘘のように無くなっていた。対戦相手は追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)だ。自分より若い。しかし実戦経験者だ。観客の派手な声援に載せられ、相手は初陣者だと追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)はフェリスクを見くびり華麗な技でがむしゃらに攻め、観客の気を引くようなことをしてくるだろう。この攻撃に載せられてはならない。静かに柔らかに応戦しよう。渾身の力まかせの攻撃をしてくる者には力を抜き、冷静に振舞おう。
突然、死へのアリーナの扉が開いた。呼び出し係に連れ出され、光あふれる死のアリーナにフェリスクと追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)は出された。陽がまぶしく、瞼が開けられない。薄目を開け、進み行くと微かに香水の香りが漂ってくる。その方向を見ると何人もの夫人方が派手に着飾って微笑んでいる。女性の姿がフェリスクの心に生き生きした感情を湧き起こさせた。あの夫人方の喝采を得てやる。慰み者でしかないことを忘れた一瞬であった。楽士たちの奏でる曲は軽快に早いテンポで重量感のある音色を轟かしている。進行役がフェリスクと追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)を紹介する。トラキア剣闘士フェリスク、初陣。追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)は一戦一引き分け。観客の声援に進行役の声がかき消されていく。水オルガンの音楽が葬礼を思わせるような調べに聞こえる。
ゆったりした上衣(トゥニカ)を着た審判が補佐を連れて現れた。細棒で地面の上に白い線を引いた。始めの合図があるまでこの白い線から出てはいけない。先ほど羊の首を切り落とした剣が綺麗に拭き清められていた。鋭く尖った先端が光る剣を渡され、手にすると恐怖が消えて行く。型通りの見栄をはる剣舞をする。貴賓席の中央に向い、フェリスクと追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)は宣誓する。
「興行主様、万歳。護民官、万歳。ローマ帝国、万歳。われわれ死に行く者が最後の挨拶を申し上げます」
対戦相手、追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)に向かう。興行主が闘技始めの合図を出した。気が付くとフェリスクの左前上方に太陽がある。フェリスクは位置の不利を自覚した。追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)の両手が黒い影に隠れて見えない。小さな盾に隠れた右手の短い剣がどこから飛び出してくるのか、分からない。手の動きが暗い闇だ。不安が走る。攻撃できない焦りに汗が噴き出る。追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)が右に少し動いた。太陽がその真後ろにきた。人影に剣が隠れた。その一瞬だった。いきなり黒い人影が近づき、剣先がキラリとした。盾で全身を覆うようにして剣を受け止めた。重い一撃だ。フェリスクは右に素早く回り込んだ。その動きに隙ありとみたのか、さらなる一撃を受けた。盾でどうにか受け止めることができた。フェリスクの思惑を相手は読んでいたのだ。あくまでも相手は太陽を背に負うつもりなのだ。フェリスクの盾は大きい。防戦には長けている、が重い。盾での防戦が重なると左腕がひどく疲れる。その疲れを相手は待っているのだとフェリスクは気付いた。右に回り込み、太陽を背に負う位置を確保せねばならない。相手はそれを許さじと派手な攻撃を繰り返す。フェリスクはまだ一度も反撃するチャンスを捕まえることができない。相手は呼吸を整えた。攻撃が一瞬止まった。その瞬間をフェリスクは逃がさなかった。右に回り込んだのだ。太陽が相手の背後から去り、追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)の全身がはっきり見えた。恐怖感が去り、闘志が漲ってくる。相手は攻撃をやめることはなかったが手の動き、足運びがはっきり分かる。相手は盾の下から剣を突き出し、足を狙ってくる。フェリスクはそれを盾で軽く左、右とかわしていると相手はフェリスクの盾めがけて突進するように剣を突き出してきた。それを撥ね退け、初めて一撃を与えた。相手は盾で受け止めたが、よろよろと後ろに退き、攻撃をためらい、にらみ合いが続いた。長い時間のように感じられたが一瞬のできごとであったに違いない。フェリスクは前に踏み出し、剣を突き出すふりをした。相手は体位を崩した。その瞬間だった。フェリスクは大きく頭めがけて剣を振り下ろした。甲高い喇叭が吠え、水オルガンが唸った。観客の狂ったような怒声が耳をつんざく。フェリスクの心の中には何の音も聞こえなかった。フェリスクの剣が追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)の兜を突き破っていた。追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)は二三歩退き、足を折って前につんのめったが、起き上がり、体勢を整えようとした。フェリスクは進み出て眼前に剣先を突き出した。追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)は観念したのか、盾を投げ捨てた。左手の親指を上げ、降参の意志を表し、兜を脱いだ。頭から出た血が顔中に流れていた。
観客からは怒声のような叫び声が上がった。その声は「許せ」なのか「殺せ」なのか、はっきりしなかった。やがてその声は「殺せ」「殺せ」と唱和していき、「殺せ」の大合唱へとなった。フェリスクの剣を持つ手は固まってしまい、振りほどくことができなかった。剣を持ったまま貴賓席の中央を見ると親指を上に突き出した手を真下にかざしながら、「喉を切り裂け」と叫ぶ興行主の声が聞こえた。フェリスクはザクリと心に刃を突き立てた。
よろよろ立っている追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)の顔には大粒の無言の涙が流れている。フェリスクは追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)の首を切り裂く一瞬に全身の力を注いだ。追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)の頭が前にがくっと落ち、血が吹き上がると、どっと追撃(セク)剣(ト)闘士(ル)は倒れた。無表情だったフェリスクの顔に影が射した。フェリスクの右手に残った感触にぞっとしながら同時に反吐が胸に込みあがってくると、同時に観客の中から喝采が起こった。喝采は死のアリーナに湧きかえった。
殺された者の哀しみも殺した者の惨めさも観客には何も伝わらない。動物としての剣闘士が殺されただけなのだ。敗者の硬直した体は勝者の心を硬直させる。観客は負けた剣闘士を嘲笑い、獰猛な動物としての剣闘士を讃え、楽しんだに過ぎない。誰にだって弱り切って生きている人を衆人環視の中で殺す。こんなことに慣れることはない。剣闘士の気持ちが観客に伝わることはない。黄泉の看守が出てきた。死者を担架に乗せると死の門を出て行った。

 4、春の野にとどろき渡る鬨の声  一道

四月二日、フェリスクの相棒、ユベェニスの闘技が実施される。
フェリスクにとってユベェニスは唯一の友だちだった。剣闘士たちは皆、孤独だった。剣闘士団ではいつ同僚が敵として現れ、死のアリーナで闘わせられるのか分からない。自分の得意技を剣闘士は皆隠している。知られることは死を意味した。剣闘士は仲間と口を利くことがない。情を感じることがない。誰に対しても殺意を発散する。恐怖と不安が支配する所、絶えず周りの者たちと威嚇し合う所が剣闘士団宿泊所であった。無口な剣闘士たちの中には殺意と恐怖が漂っている。
フェリスクとユベェニスとは同じ部屋に寝かされていた。ある晩のことであった。早く寝ていたユベェニスが寝言を言った。
「俺が死んだら、母さんは‐母さんは‐」
このユベェニスの寝言にフェリスクの心が動いた。ユベェニスはフェリスクと同じトラキア剣闘士だった。同じ防具と盾、同じ剣を持つ者同士の闘技を観客は好まなかった。ユベェニスが対戦相手にされる危険性は少ない。その安心感がフェリスクにユベェニスへの心を開いた。いつしかフェリスクにとってユベェニスは唯一の肉親、弟のような存在になった。気を許してふと心の内をもらすことがあった。対戦の前日の午前中の練習を終え宿舎に戻る途中、ユベェニスが気難しげな顔をしていた。
フェリスクはユベェニスに問うた。
「何か、あったのか」
「嬉しくない噂を聞いた」
「何だ」
「フェリスクも俺も負ける掛け率が高いということだ」
「もう市民たちには俺たちの対戦相手が誰か、知れているのか」
「そのようだ」
 剣闘士には生死を賭けた闘いであっても市民たちにはお金を賭ける娯楽でしかない。フェリスクは諦めたのか余裕なのか、分からい発言をした。
「アリーナに出れば、対戦相手が誰かが分かるよ。事前に分かったからといってどうなるものでもあるまい」
「そりゃそうだ。相手の手の内を教えてもらえるわけじゃないからな」
 宿舎に近づくと羊の肉を焼く匂いがしてきた。宿舎の入り口の脇の壁に興行師(ラニスタ)アスティナス剣闘士団出場者とそのパプア剣闘士団出場者の対戦相手が紹介されていた。ユベェニスの相手は投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)、フェリスクの対戦相手は重装(ホフロ)剣(マ)闘士(マスク)だった。
対戦前日の夕食には御馳走に彩られた酒宴がある。魚料理の皿がある。羊の肉料理が皿に山盛りになっている。死に臨む人間に食欲はない。食べ物の味が無い。だからビールを流し込む。ビールが胃を刺激する。ビールに飽きたらワインを手に取る。ワインの酸味が食欲を促す。酒が緊張した心をほぐし、我を忘れ、自分が無くなる。肉を焼く匂いに食欲が出る。薄く切られて炙られた鮪が美味しい。女が綺麗に見える。透き通るような女の嬌態に男の体が疼く。透けるトゥニカを羽織る女に男の体が燃える。
酒宴に招かれた女たちの嬌声が夜風に乗ってくる。ユベェニスに目を注ぐ女がいることにフェリスクは気付いた。薄いチュニックを着ている。パプア有力者夫人の一人だ。豊満な胸を強調し、にこやかに周りの者と談笑している。周りの女たちも追従の笑顔を向けている。下座の方に目を向けるとその中にもユベェニスに注目している女がいた。透けるトゥニカを羽織っている。落ちぶれた無産市民の女だ。今夜、闘技を前にしてユベェニスの命が燃え上がっている。チュニックを羽織った女は童顔の笑顔が可愛いユベェニスに今夜、奉仕させるのだろう。フェリスクは女を選べないユベェニスを思った。
パプア剣闘士団の方に目を向けるとユベェニスの対戦相手、投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)をフェリスクは見つけた。その食べる仕種を見つめた。身のこなしに癖を見つけるフェリスクの習性だった。その男は左手を伸ばし、その手で食べ物を口に運んでいる。ユベェニスの対戦相手投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)は左利きなのだ。ユベェニスに目配せをすると即座に事の次第が伝わった。ユベェニスが左利きの剣闘士と闘った話をフェリスクは聞いたことがない。ユベェニスの不利を思うと今まで食べた御馳走の味が失せていく。腹の中の異物感に苦しみ出した。ユベェニスと投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)との闘いに賭けるパプア市民は圧倒的に投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)である。パプア市民はすでに投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)が左利きであること、ユベェニスは左利きの剣闘士と闘った経験がないことを知っているのだ。体の中を冷たい風が吹いていくのをフェリスクは感じた。
この夜、フェリスクは一人寝間に帰った。しばらくするとチュニックを羽織った女が長い髪を垂らし、芳しい匂いと共に黙ってフェリスクの寝間に入ってきた。パプア上流夫人の一人だった。フェリスクを黙って見つめている。その眼差しには女神の輝きがあった。しばらくの間、時が止まったままだった。やがて彼女は手を差し伸べ、フェリスクの手を取るとその手を彼女の胸へといざない、肌を寄せてくる。唇でフェリスクの体を愛撫した。女から受ける快感にフェリスクの体は勃起し、心に安らぎが広がった。女の優しさがフェリスクの心の襞に沁み込んでいく。女はフェリスクの体を求めたがフェリスクは心に安らぎを得た。この夜、フェリスクは夢を見た。故郷、トラキアの平原で妻と共に羊の乳を搾っている。キュッキュッと羊の大きな乳首をしごく音がする。その音に目が覚めると女はいなかった。女がいつ部屋から出て行ったのか、気が付かなかった。
アスティナス剣闘士団の者たちと一緒にフェリスクが外に出ると小雨が途絶えそうに空に虹がかかっていた。朝方の虹は珍しい。フェリスクはこの虹がユベェニスに幸運をもたらしてくれることを祈った。死のアリーナのゲートをくぐると騒然とした観衆の声が聞こえてきた。控えの間に着くとユベェニスはすでに来ていた。昨夜は上流夫人宅で過ごしたことは分かっていた。ユベェニスは見張られながら武器の点検をしている。鋭く堅固な剣を見つけ、安心した様子だった。遠くから見ていてもピリピリした緊張が伝わってくる。話しかけられそうもない険しさだ。控えの間で出場を待つ時間の長さにこれから耐えられるか不安が過った。残酷な時間が遅々として進まない。ユベェニスより一回り大きい大男の投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)はひと際、目立っている。肩から胸にかけて筋肉が隆々と盛り上がっている。肌は戦車競走所を疾走する馬の褐色の肌を思わせた。悪漢に見えるこの巨漢とユベェニスはどう戦うのか、一瞬悪寒が走った。体を振るってユベェニスの勝利を祈った。
ユベェニスと大男の投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)が控えの間を並んで出て行った。投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)は何も防具を身に着けない。柄の長い三叉の鉾と投げ網を持つ。網を投げ、相手の動きを絡め捕り、鉾で刺し、命を奪うのだ。興行主への挨拶が型通り済むと審判が出て行った。いよいよユベェニスの闘いが始まった。
フェリスクは扉の隙間から息を詰めたままじっと闘技に見いった。大男の隣を歩くユベェニスの後姿に怯む影があるように感じたが、向かい合ったユベェニスの顔には宿命を受け入れた清々しさがあった。大丈夫だ。投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)はユベェニスを見くびっている。そこに隙がある。楽士の演奏が高鳴った。自分の闘技の時には感じられない緊張に唇が渇くのをフェリスクは初めて感じた。審判が闘いの合図をした。心臓が高鳴った。
左利きの投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)は右利きの剣闘士との闘技には慣れている。それを観客は知っている。観客はユベェニスが不利であるとみなしている。ユベェニスを応援する娘たちはいても観客の大半を占める男たちは圧倒的に投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)を応援している。
防具を着けていない投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)は身軽に間合いを計ってユベェニスの周りを動く。
「ユベェニス、太陽を背負え」
知らず間にフェリスクは大声を出していた。ユベェニスが陽を背負った一瞬を捉え、投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)に近づき、一撃を加えた。投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)は鉾で剣を払い、身をかわし、右に動いた。剣と鉾がすれ合う金属音が観衆の興奮を駆り立てた。
「ユベェニス、危険だ。右に回れ、早くしろ」
フェリスクは叫んでいた。ユベェニスが払われた剣を整えた一瞬であった。投げ網が飛んだ。投げられた網は大空いっぱいに広がったが、そこには捉える獲物はいなかった。ユベェニスは素早く右にかわしていた。
「そうだ。いいぞ」
フェリスクは心の中で言った。投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)は三叉の鉾で牽制し、網を拾いあげた。投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)は闘技に時間をかけ、重い防具と盾とを持っているユベェニスの疲労が溜まるのを待っているのだ。勝利の鍵はどれだけ投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)に近づけるかにあるのだ。
「間合いを計られ、疲れを見られたら負けだ。早く気付くことだ」
フェリスクは思った。ユベェニスにフェリスクの心が通じたのか、ユベェニスは盾を構え、盾の下から剣を出し、足を狙って投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)に突進した。ユベェニスの剣は投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)の足を払った。投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)の太ももから血が噴き出した。血に興奮した観客から歓声が上がった。血に興奮したのは観客だけではなかった。喇叭が唸った。投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)は血を出しながら痛みを感じないのか、興奮した面持ちで落ち着きはらい、ユベェニスの背に回った投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)はユベェニスの背に向けて網を放った。ユベェニスの兜を捉えた網を投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)が強く引くとユベェニスは死のアリーナの上に仰向けに倒されてしまった。投網(レーティ)剣(アー)闘士(リゥス)はユベェニスに近づき、腹を鉾で突いた。フェリスクは目を瞑った。血が腹から流れ出る中、ユベェニスは左手の親指を立て、負けの意思表示をした。審判が駆け寄り、二人の間に入った。審判は中央の貴賓席に向かい、伺いをたてた。
「殺してしまえ」、「殺してしまえ」
観客が合唱する。興行主クロディウスは厳かに右手の親指を下げた。
宿舎に帰ったその夜、また前日と同じような酒宴が開かれた。フェリスクは独り、ワインを煽った。女の誘いも退け、床についた。哀しみがあふれ、寝入ることができなかった。その夜、フェリスクは夢を見た。トラキアの草原に羊を追い、野イチゴを摘み、妻と一緒に野イチゴを食べている。遠くから聞こえてくる角笛の音が哀しみに満ちている。妻と一緒に涙を流し、羊を眺めている。いつしか羊を捕まえている妻がいる。冬の備えが始まっている。妻が抑えた羊にナイフを当て、羊の毛を刈っている。妻が羊に向かって微笑んでいる。虎の唸り声がする。フェリスクは目を覚ますと便所に向った。台所の脇を通ると仕舞い忘れた包丁が見えた。包丁の刃が月の光に光った。刃の光を見た瞬間、フェリスクの心が狂った。包丁を奪い、剣闘士の仲間たちに怒鳴った。
「逃げよう」、「殺し合いは嫌だ」、「故郷に帰ろう」「ベスビオ山に逃げよう」
フェリスクの呼びかけは闇にこだました。応える声はなかった。フェリスクは興行師(ラニスタ)アスティナスの部屋に向った。何事が起こったか。寝床から起き上がったアスティナスに突進したフェリスクは包丁をアスティナスの首に刺した。返り血を浴びたフェリスクに向って獰猛な叫び声が発しられたが何を言ったのか分からなかった。物音に驚いた守衛が駆けつけてきた。守衛に立ち向かったフェリスクにとって守衛は敵ではなかった。起き出してきた剣闘士たちはフェリスクの血を浴びた顔を見ると興奮し、一緒になって武器庫を破り、武器を携えて、ベスビオ山目指し、鬨の声を挙げ逃げ出した。

 参照文献 スパルタクスの蜂起 土井正興



醸楽庵だより 148号  聖海

2015-04-11 11:47:38 | 随筆・小説

 
   小林多喜二の処女作「健」を読む

 福島原発事故を経験して多喜二を読む。
 「健」という短編小説が小林多喜二の処女作である。一九二二年、多喜二が十九歳のときに「新興文学」の懸賞に投稿し当選した作品である。
 粗筋は以下のようである。
 伯母のよしが、大きな財産を小樽に拵えて成功した。おおっぴらに自分の故里(くに)に帰れることを自慢していた。成金風をふかし、昔、水飲み百姓と侮蔑した者たちが反対に下っ腹をすり、手を揉んでおべっかをいうのを痛快に思ったからだ。あるとき、甥の健には見所がある。どん百姓にしていてはいたわしい。健を小樽に連れ帰ってものしてやる。両親を説得する。親には不安があったが偉くなるんだ。小樽にさえ行けば皆んな偉くなれるんだと親たちは思った。
 秋田の田舎から旅立った健にとって初めて乗る汽車に驚く。教科書で見たものとはその迫力が違う。海と汽船に目をみはる。小樽で伯母と乗った馬車に驚く。四階建ての石造りの銀行が並び立っている街に見惚れてしまう。
茅造りの暗い百姓家との違いに心を奪われる。肥溜めと泥の匂いのない家、白米を毎日食べる生活におびえる。故里では学校が楽しかったのに、小樽の学校では秋田弁とはやされ、先生にまで笑われてしまう。健は偉くなるには我慢しなければと思うが学校に行けなくなってしまう。一年後、健は故里に帰してくれと、伯母に頼む。伯母は理解しかねるが、泣いている健をもてあまし、故里に帰すことにする。最後は伯母の言葉で結ばれている。
「あれも馬鹿なものさ、だまって学校に入っていれば立派なものになれるのに。まあ村で馬のけつでもたゝくさ、フゝゝ」と笑った。そして独言のようにつけ加えた。「子供って馬鹿なもので、わしが帰る頃はもう元気ではしゃいでいたよ」
この伯母の言葉について、岩波新書「小林多喜二」の著者、ノーマ・フィールドは次のように分析している。「健が『馬のけつをたたく』生活に戻るとすぐ元気になるのが『馬鹿』なのだが、二度目に「子供って馬鹿なもの」といったとき、健だけでなく、子ども一般が大人の常識では計れないことを直感しているようだ。『馬のけつをたたく』人生に満足するのを「馬鹿」ときめつけるのは、(中略)、貧しい人生観そのものなのだ。しかし、本人もそれでは納得しきれないからこそ二度目の「馬鹿」があるのだろう」。
 このノーマの分析に私は不満である。この伯母の姿に原発導入を推進した地元有力者の姿が浮かび上がる。原発導入に反対した地元住民たちを馬鹿だと原発導入を推進した地元有力者たちは言った。原発を導入したから福島の過疎地は豊かになった。原発反対を唱える者一般を馬鹿なのだと地元有力者たちは考えていた。文明に逆らう馬鹿者だと言った。こう言ったかつての地元有力者たちは自らの故里を事故によって半永久的に失った。
 十九歳の多喜二は直感的に真理を悟っていた。国内植民地北海道のにわか成金には人間の真実はない。故里の百姓たちには人間生活の真実がある。「馬鹿」な子どもに人間の真実がある。ノーマはここがわかっていない。だから「わしが帰る頃はもう元気ではしゃいでいたよ」という言葉で多喜二はこの小説を終えている。

醸楽庵だより 147号  聖海

2015-04-10 09:48:34 | 随筆・小説

   瑞々しく綺麗なお酒、「霧筑波」

 名酒「霧筑波」を醸す浦里酒造は筑波山の麓にある。N市にある小さな酒販店の若主人が試飲会で飲み、心を奪われた。年明けの一月、深々と雪が降り積もる日の夕方になって仕入れに出向いた。私が試飲会で味わった感動を自分の住む地域の人々にも味わってもらいたい。そんな気持ちで仕入れに出向いたという。
 その頃、日本酒全体の需要は年々低下する傾向にあった。日本酒製造量は1970年代の中ごろを頂点として現在に至るまで長期低落傾向にある。日本酒の大量生産、大量消費の時代は終わった。第二次世界大戦が終わり、戦後復興とともに日本酒の製造量も増加の一途であった。兵庫、灘の名酒や京都、伏見の銘酒が大量生産した。日本全国いたるところに灘や伏見の酒が溢れた。地方に住む人々にも受け入れられるような酒が普及していった。日本酒の大量生産は日本酒の均一化を進めた。日本酒は沖縄と鹿児島を除くすべての地域で個性豊かなお酒が醸されていたが、その個性が奪われ、均一化した酒を地方の小さな酒蔵は大手メーカーの下請け会社として生産し、生き延びた酒蔵がある一方で酒造りを止める蔵も多数あった。
 1970年代の中ごろを境にして日本酒の需要が減少し始めると大手メーカーは下請けの地方の酒蔵にお酒の生産を求めなくなった。地方の酒蔵は生き延びる道を求める苦難が始まった。ちょうどその頃である。地方の国鉄が赤字路線となり、廃線になる鉄道が出てきた。地方の国鉄の活性化を目論んで「デスカバージャパン」というコピーがヒットした。地方の発見。細々と日本酒を醸していた酒蔵が発見されていく。その中に新潟の酒があった。純米酒というそれまで聞いたこともない酒が消費者の目につくようになった。醸造用アルコールを添加した酒しか飲んだことのなかった人にとって純米酒は糠臭い匂いにむせって飲めたものではなかった。しかし数年もすると純米酒から糠臭い匂いが抜けてきた。
 1980年代になると特定名称酒と云われる日本酒の生産量は微増ながら伸び始めた。純米酒や吟醸酒といわれるものである。地方の小さな酒蔵の酒は先祖帰りをして個性豊かな酒を醸すようになっていった。浦里酒造には幸運があった。筑波学園都市が近所に出現した。ここに美味しい日本酒を楽しむ人々がやって来た。その需要に応えるべく醸されている酒が「霧筑波」である。
 ナショナルブランドの酒でなく、地方色豊かな個性のあるお酒を楽しめる飲酒文化が今、花開こうとしている。大手メーカーのお酒も中小メーカーのお酒も互いに仲良く共存していく日本酒文化が日本国民のものになっていく過程に今あるように思う。それには消費者が大手メーカーのものを高く評価し、中小メーカーのお酒をまずいものという偏見を捨てることだろう。消費者は情報をたくさん仕入れ、偏見に捉われないよう絶えず、努力しなければならない。