麻生総理の著書『とてつもない日本』(新潮新書・2007年6月)を読み返してみました。来るべき衆議院総選挙(および、来年の参議院選挙)でその大勢が決まるだろう政界再編の帰趨を考えるためにもう一度読んでおきたいと思ったからです。蓋し、「非自民」や「反自民」という否定的な媒介項にせよ、来たるべき政界再編の軸となり向こう4年から5年の(2013年の参議院選挙、あるいは、衆参同日選挙の結果にそれが順接するとすれば今後10年の)日本の政治のあり方を決めるものは、現在の自民党のあり方であり、畢竟、麻生政権のあり方と理念に他ならない。ならば、来るべき政界再編の意義とその着地点を闡明にするためには宰相・麻生太郎の政治哲学を知るに若くはない、と。
本書は安倍政権が地滑り的敗北を喫し政界の風景を一変させた<7・29>の参議院選挙直前に上梓された。しかし、今読み返してもそれは新しい。そこには、中庸と伝統を尊ぶ姿勢、日本を誇りに思い日本の文化伝統を継承している自己に感じる誇りと心地よさを隠さない保守主義が息づいている。我々保守改革派が希求すべき「伝統の恒常的な再構築を通してする日本再生の指針」が著者の30年に及ぶ豊富な政治経験に裏打ちされつつ平易な言葉で綴られている。蓋し、来るべき政界再編においても保守改革派は麻生総理の状況認識と政治理念を基軸として行動すべきである。本書を再読していよいよそう確信しました。
細川連立政権の発足(1993年8月)に始まる政界流動化。その後、自社さ連立政権(1994年6月)から自(自)公連立政権(1998年7月)とこの16年間で三回を数えた政界再編は(小泉政権-安倍政権下の6年を除き)この国の社会と経済の迷走の原因となり、また、その結果だったと思います。人口に膾炙している如く、それは社会主義体制の崩壊にともなう「冷戦構造の終焉」によって、東西冷戦への適応に特化していた内政外交の政策軸が神通力を失い、而して、所謂「55年体制」や所謂「40年体制」が具現していた「貧弱な社会的規制と強固な経済規制」「複雑長大な流通機構」「許認可権と行政指導を手段とした官僚支配」「税制面での地方在住者による大都市圏住民の搾取」「低い消費税と高所得者に対する高い累進税率」「日教組・全教・自治労という寄生虫的な労組の跳梁」「差別利権団体の跋扈」「伝統と国家を軽視する学習指導要領と反日マスコミの乱舞」「国防・安全保障のアメリカへの丸投げ体制」等々の見直しが迫られた結果でしょう。
この間の政界再編は、「冷戦勝利の事前配当」とも言える「バブル経済」(1985年~1991年)の崩壊が誰の目にも明らかになり「失われた10年」に突入する中で、つまり、「経済のパイ」が縮小する中で始まり続行されました。それもあり、三次に亘る政界再編はあらゆる政治勢力とその支持者にとって極めて中途半端で不明瞭なものに終始するしかなかった。かつて、ワイマール憲法の時代のドイツは「右からも左からも最悪の時代として回顧される時代」と呼ばれましたが、小泉政権発足(2001年4月)までの日本の「失われた10年」は政治・経済の両面において「漂流していただけの最悪の時代」だったのかもしれませんから。
而して、小泉改革が中途で終えた改革の更なる断行と小泉改革において高い優先順位が与えられていなかった地方の再生および伝統の蘇生、畢竟、官僚支配から政治支配への移行、すなわち、社会主義的な国家権力主導型から保守主義的な市民社会主導型への政治の仕組みの変革。「あらゆる政界再編動向を終らせる最後の政界再編」になりうる政界再編が現実味を帯びてきている現在の状況において、我々保守改革派はこれら小泉改革の継承と展開をこそ政界再編の軸として顕揚すべきであり、それらを槓桿にして日本の再生を期すべきではないかと私は考えています。そして、麻生太郎『とてつもない日本』にはそのような保守主義からの日本再生に向けた指針と現下日本の置かれている状況の認識が書かれている。正気の沙汰とは思えないマスメディアによる麻生内閣に対する誹謗中傷、揶揄嘲笑が渦巻く現在、保守改革派の皆さんに改めて本書の一読再読をお薦めする所以です。
■『とてつもない日本』内容紹介
本書は、前書・後書の他全7章の構成。目次を入れても190頁(400字原稿用紙約170枚程度)の小著です。文体もむしろ「上質の街頭演説風」の、上でも述べたように極めて平易な言葉で綴られており4時間もあれば一読できる「読者に優しい新書」です。
以下、総論的叙述と内政に取り組む麻生総理の基本となる考え方が述べられている前半の5章を紹介します。而して、本書の圧巻白眉たる麻生外交の準拠枠組、すなわち、(対支那外交戦略や所謂「靖国神社」分祀論批判をも含め)最後の2章で展開されている麻生外交の判断枠組みについては、是非、直接本書で読んでいただきたいと思います。
目次:
はじめに
第一章:アジアの実践的先駆者
第二章:日本の底力
第三章:高齢化を讃える
第四章:「格差感」に騙されてないか
第五章:地方は生き返る
第六章:外交の見取り図
第七章:新たなアジア主義-麻生ドクトリン
おわりに
◆日本の凄いところ
麻生総理は、本書の第一章で次章以降の論述の前提となる日本の置かれている状況認識を提示されています。曰く、「国際社会における日本の姿、日本の強みとは何か。この問いに対しては三つの答えがある」(p.21)。而して、その「日本の凄いところ」は以下の三点であり、「経済の繁栄と民主主義を通して、平和と幸福をPeace and Happiness through Economic Prosperity and Democracy」(p.34)麻生太郎は目指して行く、と。
・アジアにおける先駆的存在「Thought Leader」
・アジアに埋め込まれた安定勢力「Built-in Stabilizer」
・国対国の関係に上下概念を持ち込まない国
要は、「人よりも先に難問にぶち当たらざるを得ない星回りにある」先駆者であり(pp.21-22)、「アジアで最も古い民主主義国家、市場経済国家として、アジアに埋め込まれた安定勢力」(p.27)、そして、「アジア各国と、真に同輩同士の関係、対等な仲間としての関係を結んできた」(p.32)フェアな国、それが日本である、と。これは「他国との関係を上下概念」でしか認識できない支那や韓国や北朝鮮と好対照をなす、誰も否定できない日本の現状分析ではないでしょうか。
◆今だからこそ言える日本のとてつもなさ
日本の凄さの基盤のスケッチと返す刀での戦後民主主義の欺瞞の暴露。これが第二章「日本の底力」の内容です。Jポップ・アニメ・産業用ロボット等々、元気な日本を象徴する事象を紹介しつつ日本社会の今を歪めている戦後民主主義的心性の残滓に疑問を呈する、その麻生総理の筆致はあくまで前向きで限りなく明るく朗らか、読んでいるこちらまで元気になってきます。
「政治家、特に野党は「日本はこんなに駄目な国だ」「日本はお先真っ暗だ」といいたがる。もちろん、先の心配をするのは政治家の大切な仕事だろう。しかし、そんなに心配ばかりして、「下を向いて歩こう」でいいのかとも思う。日本は素晴らしい「底力」を持っていると確信している。これは何も国粋主義とかそんな野暮なものではない。(中略)少なくともそう考えてみたほうが、「駄目だ、駄目だ」の野党流よりも、元気がでるんじゃないか。そう思うのだが、どうだろう」(pp.38-39)
「時代が急激に変化していく時には、いつの頃も、社会の中で身の置き場に迷う人が多く出たものである。幕末維新の権力闘争に敗れた徳川幕府の幕臣たちはいうまでもないが、(中略)敗戦直後の軍人や引き揚げ者、戦災孤児などもそうだっただろう。しかし、いずれの時代も、貧しく、生きていくのが大変な時代だったから、甘えたりひねくれたりする暇もなく、(中略)ただただ懸命に生きて行こうと努力していた」(p.44)
「誰もが「こんな仕事をしたい」という理想の仕事に恵まれて、それにより自己実現ができれば幸せな話である。そして社会を、その状態にできるだけ近づけていくように努力するのは、政治家の大切な責務だろう。だが、残念ながら(中略)おそらく百パーセントの人が満足して、仕事で自己実現できる社会というのは不可能であろう。(中略)【ならば】議論の前提として「すべての人が仕事で自己実現すべきだ」などという極端な理想論を置くのはいかがなものだろうか。(中略)だから私自身は、安易に「負け組」などという言葉を使う風潮も気に入らない。「負け組」を応援するという大義名分で、収入が低い人に新しいレッテルを貼って差別しているんじゃないか、という気がしてならないからだ」(pp.44-46)
「戦後、民主・自由・平等を掲げて進められてきた平準化教育は、まだまだ近代工業化社会の発展途上にあった日本には適していたかもしれない。最も必要とされた労働者、サラリーマンを量産する上では、実に優れたシステムだったからだ。(中略)戦後の歩みは誇るべきものだが、冷戦が終結したあたりから、いろいろと歪みが表面化してきた。(中略)私は戦後の日本にはびこっている「平等」への信仰に対し、それは建前、偽りではないかと、常に疑問を持ち続けているのである」(pp63-66)
◆日本の陰鬱な部面に光を見る
日本再生のために日本人が持つべき心性を提案した前章を受けて、第三章から第五章にかけて麻生総理は、日本再生の可能性、すなわち、日本のとてつもなさを所謂「高齢化社会」「格差社会」「地方の衰微」という日本の陰鬱な側面を俎上に載せる中で逆照射される。特に、産業構造の転換の中、衰退著しかった自身の選挙区・筑豊を再活性化するべく汗をかかれたその実践経験に基づく第五章「地方は生き返る」の中の官僚支配批判は秀逸。是非、本書で直接堪能していただきたいと思います。
「昨今の日本では「老い」が嫌われ、「若さ」がよいとされる風潮が強いようである。(中略)だから私は、あえてここで「少子高齢化でもいいじゃないか」という話をしてみたいのである。(中略)「高齢化」を暗黒の未来のように考えることは、実は自分の未来を暗いと考えるのと同じでことだ。そんなバカげた考えは、即刻捨てた方がよい、と申し上げたいのである」(pp.70-74)
「平等主義思想を作り出したもとは労働価値説だろう。マルクス経済学の中心となる考え方で、人間の労働が価値を生む、というものである。それ自体は正しいのだろうが、この考え方の場合、個々の人間の差というものを視野に入れていない。極めて限られた、古いタイプの“労働”しかあてはまらない」(pp.89-90)
「かつての中国(ママ)は、仮に皆が平等であったとしても、平等に貧しいというだけだったのではないか。(中略)一方、今の中国(ママ)には、なぜ活力があるのか。市場経済を導入し、「結果の平等」の建前を崩して、「機会の平等」へとシフトしたからである。「勤勉で成功する者を罰し、怠け者を奨励する税制こそが英国社会の衰退を招いた」二十一世紀の日本を考えるとき、私は鉄の女、イギリスのサッチャー元首相のこの言葉を、真剣に検討すべきだと確信している」(pp.91-92)
「格差拡大の第一の理由は高齢化である。(中略)次に、デフレも大きな要因だと思われる。(中略)規制緩和が格差拡大に影響を与えるという論理も【あるが】不況、デフレによって低所得者が増えた話と、規制緩和が所得格差を煽ったという話は、別の話である」(pp.93-96)
「ようするに、格差の是正は、人々の価値観に依存するということだ。最低の生活水準保障や社会保障制度の整備、教育を含め幼児期における格差を小さくして、運・不運の影響を小さくするといったところが、皆で合意できる格差対策の基本ではないだろうか。「格差」と「格差感」は似て非なるものではないか、と思うのである」(p.97)
「福岡の旧産炭地・筑豊が、私の選挙区である。昭和三十年代、筑豊の石炭産業はエネルギー革命の影響をもろに受け、以後、人口の減少などを含め壊滅的な打撃を受けた。昭和五十四(1979)年、私が初めて衆議院選挙に出た頃でさえ、筑豊はまだまだ疲弊から回復しておらず、そこに住む人たちは、未来より今をどう生きるかがすべて、明日をも知れぬ暮らしぶりだった。(中略)一時は筑豊の町々も日本一の失業率と生活保護受給率でマスコミを賑わしたことがあったのである。(中略)
私は当時、国立大学誘致に血眼になって走り回っていた。(中略)私はこう考えた。目の前の問題の解決策を考えるのも大切なことだろう。だが、それでも若者は未来を夢見るべきだし、(中略)ましてや、筑豊を見捨てず、誇りを持って郷土に留まった若者が、自分たちの未来を託す夢を持てるようにしてしかるべきではないだろうか。そのためにも大学誘致は大切だという確信があった。当選から六年後、(中略)昭和六十(1985)年十二月二十六日、九州工業大学情報工学部の創設が大蔵省から正式に認可された。(中略)
スタンフォード大学の中心的な研究機関CSLIと飯塚市との提携や、高度な金型の研究開発など産学官の取り組みも進んでいる。こうしたことも雇用の創出につながっている。(中略)【現在は】大学を呼んだだけではなく、そこから地元に根付いた産業が生まれつつあるという話を聞くと、あの頃の苦労など吹っ飛んでしまうほどうれしい」(pp.104-109)
「戦後、日本が経済復興を目指すにあたり、どの産業から手を付けるかを決めたのは通産省(当時)だった。石炭、繊維、造船、鉄鋼、自動車、半導体など、産業政策によって順番を決め、国策銀行が優先的に資金を回し、あるいは、大蔵省(当時)銀行局が民間銀行に対して優先融資するように行政指導してきた。(中略)
ところが冷戦終結とともに、官僚体制の典型ともいえる社会主義計画経済体制の国家が姿を消していった。世の中が自由競争を前提とした国家、社会を求めるようになった。しかも情報化が進むことで、役所の仕事はどんどん合理化されていった。にもかかわらず、官僚は自分たちの権限(予算、人員・・・)を手放そうとしない。しかも「官僚主義」、つまり前例にこだわり、新しいことに手を出すことに慎重で臆病な性質ははびこったままである。この官僚が牛耳っているシステムが維持されるようでは、地方の活性化はのぞむべくもない」(pp.117-118)
「日本は「とてつもない力」を持った国である。(中略)日本は不況といわれ、格差が拡大したといわれながらも、相変わらず世界第二の経済大国であり、貿易収支、経常収支ともに黒字なのは先進国の中では唯一日本だけだ。しかも、犯罪発生率は最低、特許取得率は一番、外貨準備高も一番。数字で見れば日本が「とてつもない力」を持った国であることは一目瞭然である。これで将来を悲観する方がどうかしている。かつて、あるイギリス人が「日本が不況だというなら、その不況を輸出してほしいものだ」といったという。外国人から見れば、九〇年代の日本ですら、どこが不況なの? ということだったのである。日本への評価は、われわれが思っているよりはるかに高い。そして潜在力も高い。そのことを知っておいてもいいのではないだろうか」(pp.122-123)
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