英語と書評 de 海馬之玄関

KABU家のブログです
*コメントレスは当分ブログ友以外
原則免除にさせてください。

護衛艦「ひゅうが」が照射する憲法9条を巡る<神学論争>の愚劣

2009年04月13日 13時21分20秒 | 徒然日記



一昨日、神奈川県の横須賀で海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」の一般公開が行なわれました。同じ神奈川県でも川崎市新百合ヶ丘と海上自衛隊横須賀基地(JR横須賀駅が最寄り駅)は片道2時間以上離れている。シクシク。でもワクワク。数日前から「ひゅうが」見たさにKABUの霊魂は<幽体離脱>して浦賀水道辺りの海面をさ迷っていましたよぉー。

以下はその産経新聞報道。


●空母型護衛艦を一般公開 横須賀基地

神奈川県の海上自衛隊横須賀基地に配備された海自初の“空母型”ヘリコプター搭載護衛艦「ひゅうが」(13950トン)の艦内が11日、就役後初めて同基地で一般公開された。

ひゅうがは、艦首から艦尾まで延びる広い甲板を持つ空母のような外観が特徴。周辺住民らから「見学したい」との問い合わせが多く、海自は本格的な訓練を前に公開を決めた。「海上防衛の任務のほか、大規模災害の際にはヘリや通信機能を活用し、救援活動を指揮できる能力をアピールしたい」としている。

全長197メートル、乗組員約340人と海自最大級の艦艇。最大で哨戒ヘリ11機を搭載可能。護衛艦では初めて、女性隊員の居室を設置し17人が乗り組んでいる。

3月18日、横浜市の造船所で海自に引き渡され、就役した。
一般公開は11日だけ。

【産経新聞電子版:2009年4月11日配信記事】








さて、而して、いかに海上自衛隊で最新鋭・最大級の、そして、戦後最初の「全通甲板」の空母型護衛艦とはいえ、所詮、物は物にすぎません。KABUの同志の海上自衛隊のある佐官の方は「どんなすぐれた艦船もそれを運用できる人員と運用システムがなければただの海に浮かぶ鉄屑です」と、いつもおっしゃいます。

その通り! 御意、です。

ビジネスでも政治でも、戦争でも外交でも「人は石垣-人は城」:要は、勝負の帰趨を決めるものは「人」なのだと思います。カール・マルクスが示唆し、クラウゼビッツが喝破した如く、英語研修屋の私的な言葉で意訳すれば、「戦争とは武器・兵器という言語で行なわれる外交であり、外交とは言語という武器で戦われる戦争」である。而して、「ビジネスとは銃や大砲を貨幣や商品に替えて、敵の城壁や砲台ではなく敵の城内の生産と消費を攻略目標に見立てて行なわれる戦争」であり、普通選挙制度が確立した福祉国家における、特に、マスメディアが国民の意識に甚大な影響を及ぼすようになって以降の政治とは「弾丸ではなく投票:Not bullet but vote」の形態で行なわれる、政治的な資源の再配分を巡る全国区とグローバルなマーケティング活動に他ならない。ならば、政治でもビジネスでも外交でも、まして、それらに基本的な分析モデルを提供した「戦争-軍隊」において「人が石垣」であり「人が城」でないはずがないではありませんか。

畢竟、「ひゅうが」の勇姿を見るとき、私はそれを造った石川島播磨と海上自衛隊の研究所技術陣を中核とする人々の熱い思い、「ひゅうが」型護衛艦に予算措置を講じた平成の大宰相・小泉純一郎元首相率いた小泉内閣の人々の熟慮と果断、そしてなにより、「ひゅうが」をこれから運用していかれる自衛官諸氏の国防を担う強い使命感を感ぜずにはおられませんでした。正に、自衛官は日本国民の精髄であり花形である。蓋し、昔は「花は櫻花、男は武士」であったかもしれないが、2009年の現在の日本では、「花は櫻花、男も女も自衛官が一番」なのだと思います。


花は櫻花、女も男も自衛官が一番!


ヽ(^o^)丿







しかし、「ひゅうが」の勇姿を目にしてもう一つ考えたことがあります。それは憲法9条を巡る愚劣なこれまでの<神学論争>です。蓋し、敵潜水艦(≒支那やロシアの潜水艦、就中、前者)への対応、そして、敵上陸部隊を運搬する艦船に睨みを利かすことが我が護衛艦の重要な任務である限り、純技術的の観点からは「全通甲板型」の護衛艦が最適であることは端から自明のこと。実際、艦橋が視界を妨げる現行の護衛艦はヘリコプターパイロットにとって必ずしも楽な離着陸環境ではないのです。まして、同額の予算でより多くのヘリコプターを搭載可能な護衛艦の設計を追求した場合、「全通甲板型」の、つまり、所謂「空母」型の船体フォルムに行き着くことは(また、今後、所謂「ハリヤー型」の垂直離発着可能な固定翼航空機の護衛艦搭載を考えた場合にも「全通甲板型」が採用されるだろうことは)必定でしょう。

而して、「ひゅうが」型護衛艦建造とその要員育成のための予算措置を妨げてきたものは、それが<空母>の外見を取らざるを得ないことに起因する笑止千万な反対でした。すなわち、「日本は憲法9条により他国を攻撃することを禁じられており、日本に認められている自衛権行使の形態は専守防衛に限られる。しかるに、空母は他国に侵攻可能な攻撃用の兵器であり、よって、空母の保有は憲法9条が禁止している」、と。馬鹿か、です。これは同じ105字を使うとすれば「南無妙法蓮華経」を15回唱える方がまだご利益があるかもしれない<神学的言説>の類にすぎない。

第一次世界大戦以後、補給というか広義のロジスティクス、あるいは、兵器の開発と生産を含む「総力戦」が戦争の形態になってから一世紀近くを閲した現在、軍事的にも平和学的にも「攻撃用兵器」と「防御用兵器」の区別など存在しないことは常識。まして、所謂「実体概念」の存立が不可能なことが、19世紀末の「数学における存在論的革命」の中で(≒簡単に言えばカントールの「集合論」の成立と、その成立が求められていた当時の数学界の状況のことです。)、更には、その数学史上の革命を契機として成立した分析哲学とその発展の中で確定している現在、「攻撃用兵器」を、あるいは、「兵器」や「武器」という概念さえもアプリオリに特定することなど誰にもできないことは科学方法論的に明らかなのです。蓋し、「ピストル」や「日本刀」だけでなく「万年筆」も「ハイヒール」も武器として使用されれば<武器>であり、「ライフル銃」も「青竜刀」も壁に飾られれば<装飾品>になる。畢竟、

(イ) 実体概念の否定
記号に意味を付与するものは記号そのものではなく記号の使用に関するルールである

(ロ) 記号の成立条件としての差異性
ある記号を記号として存在させる条件は、その記号がその記号以外の総てから明確に識別されていることと、他の記号との差異である(例えば、「こいし」と「こいぬ」は最後の「し」と「ぬ」の差異によって初めてお互いを、「小石」と「子犬」という別の記号として成立させている。要は、他者との差異が記号の意味なのである)

(ハ) 記号の使用に関するルールの恣意性
記号の使用に関するルールの妥当性は、あるときは慣習、あるときは当事者間の規約、またあるときは権威者の命令によって付与されるのであってそこに天然必然の関係は存在しない


少なくとも何かしらについて、例えば、「空母保有の違憲性」について意味のある言説営為を行いたいと考えるのならば、その論者は自身が使用する「言葉の意味」について(シニフィアンとシニフィエ、および、この両者の関連に関して)上記の3点を前提にしなければならない。よって、①「空母」「攻撃用兵器」「防御用兵器」なる実体的の概念を措定した上で、かつ、②憲法上の固有の権利である「自衛権」の規範意味の内容を曖昧にしたまま(要は、「専守防衛の原則」と自衛権の内容を分節化することなく、時の国際情勢を踏まえた時の政府の施策方針でしかない所謂「専守防衛の原則」なるものを憲法上の自衛権の内容であると強弁してする)、③護衛艦の使用や用途に関する安全保障上の機能や目的を看過してなされる、上述の「日本は憲法9条により他国を攻撃することを禁じられており、日本に認められている自衛権行使の形態は専守防衛に限られる。しかるに、空母は他国に侵攻可能な攻撃用の兵器であり、よって、空母の保有は憲法9条が禁止している」なる105文字は、間違いなく「文学的表現」にすぎず、而して、それを用いてなされる憲法論議は、比喩ではなく言葉の正確な意味での<神学的言説>である。と、そう私は考えます。

畢竟、しかし、小泉元首相、安倍元首相、そして、この両宰相を引き継いだ保守改革派の麻生総理は確実にこれら長らくこの社会の桎梏であり、政治の世界に横行する無責任で不誠実な言説の元凶の一つでさえあった、憲法9条を巡る<神学論争>の神通力を無化しつつある。他方、けれども、その主張がいかに馬鹿げたものであれ、戦後の言説空間、あるいは、大衆民主主義の支配する政治空間では、大東亜戦争終結後のこの社会で跳梁跋扈し猖獗を極めた戦後民主主義を信奉する勢力が一定程度の政治的影響力を保っていることは事実であり、安倍元首相の退陣に至る経緯を見るならば我々保守改革派はその力をいまだに侮るべきではないです。

蓋し、政治も「銃と刀を言葉と論理に替えて行なう戦争」であるとするならば、我々保守改革派は小泉元首相が切り開いた、憲法を巡る<神学論争>から脱却する道筋をなぞって、①集団的自衛権を巡る政府の憲法解釈の是正、ならびに、②軍事法廷・スパイ防止法・非常時の自衛隊の民事的免責を含む自衛隊関連諸法の整備、而して、③憲法改正を実現するべく各自一層奮励努力すべきではないか。「ひゅうが」の勇姿とそれを運用する自衛隊の隊員諸氏の使命感にキリリと引き締まった表情を想起しつつ私はそう思っています。共に闘わん。

尚、集団的自衛権を巡る私の基本的な考えについては下記拙稿をご一読いただければ嬉しいです。


集団的自衛権を巡る憲法論と憲法基礎論(上)(下)
 http://blogs.yahoo.co.jp/kabu2kaiba/65232559.html


・国連憲章における安全保障制度の整理(上)(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9a5d412e9b3d1021b91ede0978f0d2






☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
かなり真面目にブログランキングに挑戦中です。
よろしければ下記(↓)のボタンのクリックをお願いします。 

ブログランキング・にほんブログ村へ 海外ニュース部門エントリー中です♪

☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
花より団子・意味論よりも歴史 (eye)
2009-12-21 14:16:20
どんなに記号をこねくりまわして意味を消していっても、目の前の艦船は残る。そいつは威圧的でグレーで巨大な組織が駆使する暴力で、ひ弱な個人は沈黙するしかない。
そりゃあね、暴力を駆使する側にいる間は得意でしょうがないでしょうがね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。