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『娘たちと話す左翼ってなに?』のあとがき書評

2005年07月30日 15時31分11秒 | 書評のコーナー

◆『娘たちと話す左翼ってなに?』
 アンリ・ウェベール著、石川 布美訳(現代企画室・2004年11月)


本書の内容は可もなく不可もなくだったけれど、島田雅彦さんのあとがきというか解説「サヨクについて、息子との対話」(同書125~131頁所収)が面白かった。『優しいサヨクのための嬉遊曲』の作者はそこでこう述べられています。(以下、引用開始)

---パパはサヨクなの? ウヨクなの?
サヨクだよ。その前に教養人たらんとしているつもりだがね。ところでネットで「サヨク」を検索にかけてごらん。とんでもないことになっている。一万六千件もヒットして、その大半がウヨクによるサヨク攻撃だ。(中略)

---どんな人たちがそういう悪口を書いているの?
自分たちが「良識的」な「庶民」で「健全なナショナリズム」を主張していると思っていて、産経新聞や読売新聞が好きで、朝日新聞を嫌い、小泉純一郎や石原慎太郎が好きで、共産党や市民運動や中国・韓国・北朝鮮が嫌いな普通の人々だよ。彼らは「日本人としての誇り」や「伝統」を重んじたいのだけれども、その拠りどころになるものがないので、サヨクを攻撃して自己満足を得ているんだ。

---サヨクってほかの国にもいるの?
難しい質問だな。日本特有といってもいいかもしれないな。でも、社会を変革するとか、環境問題に取り組むとか、反戦運動をするとか、政策を批判するといった活動をする人々のことを左翼と呼ぶなら、ヨーロッパにもアメリカにも左翼はたくさんいる。

---中国にもいる?
中国は社会主義の国だから、政府自体が左翼ということになるが、日本のサヨクやヨーロッパの左翼とは比べられないな。(中略)ヨーロッパやアメリカの大学ではマルクス主義者が強い影響力を持っている。つまり、左翼にはインテリが多い。

---どうして?
言葉で自分の主張を通すにはかなりの知性が必要だ。誰もが理論や思想の裏付けがある主張をできるわけじゃないのでね。

---頭がよくないと、サヨクにはなれないの?
そういうわけじゃない。でも政府を批判したり、制度を改革したり、戦争に反対したりするには説得力のあることばが必要だ。でも人々は複雑な政策論議よりわかりやすいメッセージやパフォーマンスを好む。理論的であるよりは感情的であった方が人々の共感を呼ぶからね。(以上、引用終了)



社会思想の辞書を紐解くまでもなく、同じ「左翼」と言っても共産主義と社会主義は別物です。

(甲)共産主義(communism);
主要な生産手段を国有化する中央集権的な経済体制と一党独裁の政治システムを特徴とする全体主義、その革命の動力としては「失うものは何もない」労働者階級の団結を想定する社会思想

(乙)社会主義(socialism);
富の再分配に主眼を置く社会保障制度を組み込んだ資本主義経済体制と複数政党を認める政治システムを特徴とする自由主義、その政治体制への移行は教養ある有産階級(普通選挙制度導入以降は広範囲の国民大衆)を想定する社会思想


日本ではなぜか曖昧にされてきたけれど、共産主義と社会主義はことに欧州では明確に区別されています。そりゃそうですよ。欧州の社会民主主義の政党(=社会主義や構造改革派の政党)にとって見れば、(特に、冷戦華やかりしきころは)共産主義と社会主義の違いは自分達の存在意義にかかわることだったから、それは当然だったでしょう。それに対して、日本ではソヴィエト=ロシア共産党主導のコミンテルン(=国際共産主義運動)の戦前の影響を大東亜戦争後に総括したとはいえ、共産主義に親しい講座派が主導する日本共産党の影響が長く言論界に続いていましたから、共産主義の正当性を相対化することにつながる(「共産主義も左翼の one of them じゃん」というのりの)共産主義と社会主義を区別する論議は、進歩的文化人の先生方の間ではオオッピラには語られなかったのかもしれません。

とにかく、左翼=共産党の一党独裁をめざすマルクス主義者、サヨク=反体制&反資本主義&反グローバリズムでエコロジーやフェミニズムに親近感を感じる先進国の都会に住むインテリと理解すれば、島田さんの「左翼」と「サヨク」の使い分けはそう根拠のないものでもないしウザッタクもないと思いました。それに現在は、左翼とサヨクを区別する必要がもう一つ(サヨク側には)あるのかもしれないですから。それは、左翼なるものは最早この世に存在する場を持たなくなっているから。「左翼と道ずれになって消滅するのは嫌だ」とサヨクのインテリさんは思っているのかもしれないということです。カタカナの「サ・ヨ・ク」の三文字にはそんな先進国の都会に住むインテリサヨクの悲哀が込められているのかもしれませんね。

実際、25年ほど前までは、唯物弁証法(唯物史観)疎外論(物象化論や物神論)帝国主義論(中心-周辺資本主義体制論)を目印にして、その他の思想から左翼を区別することも比較的容易だったと思います。尚、ご興味があり御用とお急ぎでない方は、下の★補足を参照ください(でも眠たくなりますから運転前には読まれないように♪)。

しかし、ベルリンの壁が崩壊した1989年以降、左翼の政治的影響力自体が世界的に地盤沈下してしまったこと。そして、唯物弁証法と疎外論が(あるいは、物象化論と物神性論が、)左翼かどうかの立場の違いに関わらず社会科学的思考の共有財産になってしまった現在では、左翼思想などは中国かキューバに行かなければお目にかかれなくなっています(その手前の北朝鮮には左翼すら存在しない! 正に、彼の地は「アジア的生産様式」の支配する地上の楽園王土か?)。よって、2005年の現在では、マルクス主義的な旧来の左翼思想に親近感を感じつつ、かつ、反権力的で反資本主義的で反グローバリズム的な、そして、反伝統主義の思想に親近感を抱く人々をイメージするには、カタカナで「サヨク」とでも書くしかなくなっているでしょうか。

ウヨクはサヨクの否定としてのみ自分を確立しているの? 確かに、島田雅彦さんの言われる通り、ウヨクはサヨクの否定としてのみ理解できるという経緯はおうおうにしてあると思います。でも逆もまた真なりで、サヨクはウヨクの否定としてのみ理解できるというのもありがちじゃなかいかな。それにしても島田さん、サヨクがインテリなのに対して、ウヨクは「理論的であるより感情的」で「理論や思想の裏付けがある主張をできるわけじゃない」とは勇み足ではないでしょうかね(笑)。

それはさておき、サヨクは、反資本主義的で反グローバリズムの主張と反伝統主義をどのようにリンクさせるというのでしょうか? 私は昔からこの点に興味があります。しかも、サヨクのインテリさん達はそのリンクが権力行使を抑制しつつできるとおっしゃる。"What do you mean by that!"です。 ちなみに、私は日本共産党の諸君とは25年近く前に1000時間くらい議論したことがありますが、(彼等の機関紙や理論誌を見る限り今でもほとんど変わってない?)、彼等が日本文化の尊重とか「日本が好き」という帰結をどのようにマルクス主義から導き出すのか私にはついに理解できませんでした。

サヨクが「感情的であるより理論的」で「理論や思想に裏付けられた主張ができる」と島田さんが言いたいのなら上の問いに答えてからいいなさいと私は思っています。まさか、「すべての社会的矛盾は私有財産制の廃止と生産手段の公有化によって解決の方向に動き、そして、将来的には支配の暴力装置に過ぎない国家は死滅する。そこでは、各人はその類的性質を真に享受できるはずだ」などというマルクスのマントラを今でも信じていない限り、権力を行使することなく、伝統主義と国際資本主義との間の矛盾を解決することは容易ではないと思うのですけどね。そして、所詮、この矛盾対立は伝統文化をより上位の価値として再定義した上で、資本主義体制をその価値を実現するための制度的条件や枠組みととらえることなしには、つまり、問題自体を再解釈をすることなしには永遠に解けない課題なんじゃないだろうか。そう私は思っています。どうでしょうかね、理論的なサヨクの皆さん?

実は、私自身はカール・マルクスのアイデアは今でも素晴らしいと考えていますし、それがそのまま現実の経済政策や社会政策には応用できないことがはっきりしているにしても、それにしてもマルクスは天才だと思います。例えば、

①生産力と生産関係の矛盾が歴史変動の動因の一つだととらえるアイデア
②貨幣・商品・利潤・資本の間の4次元的な変動として経済活動を理解するアイデア
③市場と市場以外の断絶と交流として市民社会と国家、さらに、生態系と人類史をとらえるアイデア
④物象化と物神性、疎外をキーワードに世界像をとらえる構図の論理的美しさ
⑤そして、マルクスのアイデアの最良の部分は、これら①~④から言えることを総て総合したとしても、文化や歴史や人間のそのリアリティーを語り尽くすことはできないという啓示である。



私は、マルクスの諸アイデアも社会思想の思考における道具の一つとして(そう将棋に喩えれば、矢倉とか中飛車とかの将棋の戦法の一つとしか)考えていません。私にとっての社会を考えるというゲームの目標は(=将棋では敵玉を詰ますこと)、我が神州、豊葦原瑞穂之國を護国することであり、マルクス主義的な思考枠組みがその目的に使えるのであれば私はマルクス主義の手法を使うのを躊躇しません。そして、マルクス主義の幾つかのアイデアは現在でも極めて有効だと思います。私が最も尊敬する政治家の一人、小平先生の言葉ではないですが私にとっては「白い思想も、赤い思想も神州を護国する思想が良い思想」なのです。よって、私はマルクス主義が現在も大好きです。そう、筋金入りのマルクス主義民族主義の立場に私は立っていると思っています。

いずれにせよ、島田雅彦さんのあとがきにも炸裂している通り、サヨクとか朝日新聞とかの戦後民主主義を信奉される論者は、自分の世界認識とか政策提言の根拠の正しさについては、それは証明の必要もないくらい明らかだと考え、他方、ウヨクや政府のそれについては、自分たちがとっくに批判してしまった過去の遺物の再登場に過ぎないと考える傾向がなきにしもあらずではないでしょうか。これ思い込みの強さ以外のなにものでもないですよ。彼等は幸せだな。と、他人事ながらうらやましくなるときもありますけれども。

最後に、島田雅彦さんのあとがきに見つけたバグを一つ紹介。島田さんと島田さんの息子さん。アメリカの大学にはマルクス主義の影響なんかほとんどないですよ! 朝日新聞がよく記事で取り上げる識者;ロバート・ベラーやサイードなんぞはアメリカでは超少数派にして完全に無名、チョムスキーは言語学界では学説史上の人として著名ですが政治コンメンテーターとしては際物でかつ無名です。嘘だと思うなら、ちゃんと新聞でもTVでも自分で読んで調べてみなさい、と。やっぱ、21世紀は、誰かの権威を鵜呑みにするんじゃなくて脳髄と身体に汗して自分で学ばないとウヨクもサヨクも世間様にものは言えない厳しい時代なのでしょうか。それには、英語は大切です(笑)。青年よ身体と英語を鍛えなさい。もちろんその前に日本語もね、と何時もの提言で本記事を終えます。


★補足:KABUの用語集より

◆唯物史観:
歴史の変動を社会の生産力の発展によって一元的に理解しようという考え方。社会の生産力が大きくなれば、その大きくなった生産力を統括するために最適な生産関係化(=社会関係)が考案され、更に、生産力が大きくなればその生産力に適合した生産関係が登場するという図式で歴史の発展をイメージしたもの。マルクス自身は「経済決定論」ではないが、逆に、この図式で歴史の発展;古代奴隷制・中世封建制・近代資本主義・現代社会主義、をとらえるアイデアをマルクスが否定しているわけでもない。

◆疎外:
ヘーゲルの用語。初期のマルクスが盛んに使用した。要は、自分の本質が肝心の自分から見て疎遠なものと感じられること。その疎遠な感覚(外化された感覚)がどのような歴史的や社会的な仕組みの中で生み出されるか究明する議論が疎外論。マルクスは資本主義的な生産関係(=労働に従事する上でのルールの束)において、自分が作った製品が自分のものにならないことなど、本来労働する主体の自己実現の営みである労働が(重層的に)疎外されることに資本主義の矛盾を見出した。

◆物象化:
後期マルクスを理解する鍵概念の一つ(『ドイツ・イデオロギー』にその萌芽はある)。マルクス自身「疎外」と同義に使用している場合も多いが、人間が生産したものや仕組みがそれを作った人間の意志や願望を越えて独自に運動する経緯を意味する。例えば、商品を生産するのは人間であってもその商品が売れるかどうかは市場のメカニズムの中で人間の欲望や願望を離れて決まる。逆に言えば、物象化したものごとの法則性を知ることができれば、理屈の上では、物象化したものごとを制御できることにもなる。

◆帝国主義:
政治史では19世紀後半から第二次世界大戦までの先進資本主義国の(武力行使をともなった)対外進出の傾向;経済的・軍事的な膨張政策をいう。レーニン『帝国主義論』(1916-1917)が社会思想的にこれを定式化した。要は、資本主義の最高で最後の発展段階;金融資本が産業資本と一体化することにより(独占資本主義の形成)生産が高度化し、その過剰な生産力の維持発展を望む総資本の要求に従い、独占資本に従属する国家権力が市場と資源を求めて膨張政策を取ることをいう。

 

 

・読まずにすませたい保守派のための<マルクス>要点便覧-あるいは、マルクスの可能性の残余(壱)~(四)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/385e8454014b1afa814463b1f7ba0448

 

・「左翼」の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
 http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11148165149.html

 

 

 


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2 コメント

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都会に住む者の孤独 (8787)
2005-08-06 13:46:48
この記事については前々からもっと言おうと思っていたのですが、なかなかうまくいきません。今回もやや曖昧な点があるかとも思うのですが、意を決して言います。



島田雅彦さんの『優しいサヨクのための~』の本はいつだか目を通したことがありますが、「何コレ」って感じでした。この人がこれを書くのは構わないのですが、なぜ賞を取るほどの作家さんなのか、が全然わからなかったんです。80年代の文学の退廃の典型ですね。(こういう人を育てる出版界の人たちもおかしい)

この人いつだか「僕はジャニーズ事務所に入れなかったから作家になってカッコをつけたかった」などということをおっしゃってましたが、冗談なのか? 案外本心かもしれません。作家ってかっこいいですからね。でもそういうのはやはり似非作家です。少し他の人よりアタマがよかっただけでしょうね。早くに世に出すぎであるともいえます。



今様々な対立軸があり、「ウヨクvsサヨク」とういう捉えかただけでものを見ること自体に私は懐疑的です。もう少し色々な勉強をしなければ私はものが言えません。少し離れますが、私自身が関心があるのは「グローバリズムvs反グローバリズム」とあと政治家さんのこの人はアメリカ側か、中国側か、という姿勢です。



KABU先生曰くの「マルクスのアイデア」と「★の用語集」ですが、わかるようでわからないとしか言えません。「資本論」とかをちゃんとテクストとして読まなければいけないのでしょうが、「多分私が読んでもわからないだろうな」とも思います。(ヘンな比喩ですが分娩台の上の感情を男性に説明してもわかってもらえないだろう、ということと同じかもしれません。)

わからないことを「わからない」といえる誠実さだけは捨てたくはありません。しかしやはりKABU先生の括る「先進国の都会に住むインテリ」としての「サヨク」は私も大嫌いです。わかったフリをしているだけのただの気取り屋ですね。ちょっとお勉強をして理論武装をすると高みにあるような気になりますし。

ただ、私は帰る田舎のない都会に住むしかない者であります。どちらかというとインテリの部類かもしれません。かなり孤独を強いられます。そこはどうしてもわかっていただきたいと思います。

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まったく同意できない (佐為)
2006-05-03 22:58:19
>社会を変革するとか、環境問題に取り組むとか、反戦運動をするとか、政策を批判するといった活動をする人々のことを左翼と呼ぶなら、・・・

サヨクって改革派だったんですか?憲法を変えるな、社会体制を変えるな、税制を変えるな、何も変えるなと叫ぶのだから、私はサヨクとは超保守主義かと思ってました。

改革を止めるなと叫んだのは小泉で改革するなと叫んだのは民主

やはり理解できません。
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