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宗教と憲法--アメリカ大統領選の背景とアメリカ建国の風景(急)

2016年11月18日 14時46分36秒 | 日々感じたこととか

 

 

◆アメリカ革命ーー何が建国されたのか
舞台はジェームズタウン入植から170年後の北米東海岸。「感謝祭」を発明(?)した信仰篤きメーフラワーのご先祖から5~6世代降った人びとが、主力輸出産品のラム酒製造のかたわら、ボストンの港でお茶会に興じていた頃(1763~1775)、ーー人口も英本国とアイルランドの700万と150万に対して250万人超の規模にはなっていた、あっ、ちなみにフランスは2500万、でもって日本は沖縄と北海道を除いても3000万人!ーー北米英領植民地では漸次独立の機運が高まっていました。

人口に膾炙している如く、しかし、所謂「アメリカ革命:the American Revolution」は二段構えの手順を踏んでおこなわれた(★)。而して、では、この二段階の革命を通して、一体どのような〈アメリカ〉が建国されたのでしょうか。一体、どのようなものとしてアメリカは建国されたのか。アメリカ、クオヴァディス?

・二段階のアメリカ革命かたつむりかたつむり
1〉13個のWASP系邦の建国(1776--1783)
2〉13の州が構成する1個の合衆国の建国(1783--1790)

アメリカ独立の最大の政治経済的の要因は、7年戦争(1756~1763)の経費を賄うための印紙税や茶税等の新税による苛斂誅求自体ではなくて、寧ろ、所謂「航海法」の桎梏への不満とともに、ーー7年戦争の勝利によって本国ー植民地の共通の脅威・競争相手であったフランスのプレゼンスが現カナダ域内で消滅し、ミシシッピ以東の「ルイジアナ」に後退したことにともない(1763)ーーカナダ、および、アパラチアから西、ミシシッピの東の広大なエリアの開発ーーネーティブアメリカンの人びとを放逐・殲滅することーーを巡る主導権を植民地側に渡すかどうかでした。

  


では、「ボストン茶会:Boston Tea Party」(1773)はアメリカ革命のプロセスにおいては単なる〈余興〉的のエピソードにすぎなかったのか。私はそうは思いません。

蓋し、それは「代表なければ課税なし:no taxation without representation」の主張と思想を行動で表現したものだったと思うから。而して、ダイ語で言えば、このBTPにおけるNTWRという思想の顕現こそ、英国の宗教闘争の流れの中で北米英領植民地が形成されたことの帰結である。

些か先走ってここで書いておけば、その言葉の正確な意味でのーーすなわち、「君主」の存否などというそれと無関係とは言わないけれど、本質的なものではない、元来のーー「共和主義:republicanism」の思想は、合衆国憲法の発効から南北戦争までの期間(1778~1861)、鉄板に安全に言ってもニューディール諸法が「ウェストコーストホテル vs.パリッシュ事件判決」(1937)以降、連邦最高裁の合憲判決に祝福されるようになるまでの連邦憲法典とその実際の運用における「連邦政府に対する州権の相対的な優位性」の基盤なの、鴨です。

換言すれば、それは「アメリカ国民:We the people」のその国に対するイメージとアイディアの核心を貫くもの。敷衍しておけば、それは、ならば、イエール大学のあの、あっかんべーじゃなかった、アッカーマンの唱える「二重の民主制」を更にまるごと包摂する〈憲法〉、あるいは、動態としての憲法秩序(実定法秩序)の基盤となる〈アメリカの憲法〉の核心だったのではないか。と、そう私は考えるのです。しかも、その経緯は「過去形」のものではなく、進行形的なアスペクトを含意する「現在形」のもの、鴨とも。

・書評予告・阿川尚之「憲法改正とは何かーアメリカ改憲史から考える」
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/7eddb6f57b93ed69fbecdd5f75d06f2a

 

要は、アメリカ革命の第一段階では、13個の「国家=邦」が生まれ、第二段階を潜って始めて13の「半国家=州」が構成する1個の国家(the United States)が国際法的に成立した。この国家は、しかし、南北戦争までの70年間は外政と安全保障面では間違いなく一人前の国家ではあったけれど、内政面では、州間のいざこざの処理と共通通貨の発行・関税・郵便制度・度量衡等々の全州に共通な制度枠組みに関する権限しか持たない(連邦憲法1条8節)、換言すれば、州民に対する「ポリスパワー:police power」ーー住民の福祉を増進させ、その前提となる社会の安寧秩序を維持する権能ーーを欠いた、これまた「半国家」だったのです。

而して、なぜに、W半国家の結合ーー「州=外政×:内政◎」と「合衆国=外政◎:内政△」の結合ーーを北米英領植民地の人びとが選んだのか、そして、建国の非常事態が過ぎ去った後、第3代のジファーソンから、共和党のリンカーンが16代大統領に選出されるまでの間(1800--61)基本的に、共和主義、就中、州権優位を掲げる「anti-Federalist=Republican:民主党の前身」がこのW半国家結合を支配したのか。共和主義の理念こそその理由でしょう。尚、「州権優位」の是非を巡る共和党と民主党の立場の襷掛け的な交替はアメリカ政党史のメインディッシュの一つです、ご興味があればネットにいくらでも情報ありますよヒヨコ

蓋し、アメリカ大統領選におけるーーメーンとネブラスカを除く、48州+DCにおけるーー大統領選挙人の「州ごとの勝者総取り方式」自体この「アメリカ的共和主義」(←「American republicanism」といっても、朝日新聞の社説のように内容に薄く、民進党の蓮舫代表の如く中味がスカスカというわけではありませぬ。為念。)の具現化でしょう。而して、トランプ氏の勝利はこの思想が21世紀初頭の現在のアメリカにおいても現役バリバリの実定法秩序の要であることを示唆しているのではありますまいか、ありますまいか。

実は、私自身、まだインターネットが普及していなかった30年近く前にこのことを皮膚感覚であらためて体感したことがあります。1980年代半ば、無線を使った遠隔地教育のあり方を見学させていただいていた、中西部はミネソタ州のある大学のディスタンスエデュケーションの光景が今でも目に浮かぶのです。 

それは、ちょうど、3月上旬のこと、それこそ隣家まで車で30分という大平原に住んでいる高校生から「HarvardとUniversity of Chicagoからどちらも奨学金付きでアドミッション(合格通知)が来ました」と無線が入ったとき、そのデパートメントの全スタッフが歓声をあげた光景をです。 

>アメリカとは50の州が集う半国家であり共和国なのです
>自己責任の原則と自由・平等がアメリカの根幹なのです 


★註:「国家」とは何か、それ美味しいの?ーーアメリカの建国はいつか
例えば、「いいくにつくろう」鎌倉幕府の成立時期について、鎌倉殿頼朝の征夷大将軍叙任(1192)に着目する往年の考え方の他にも、「鎌倉幕府」の定義の違いによって、あるいは、〈時代区分〉をおこなう各論者の学術的な区分目的の種差にともなって百花繚乱、百家争鳴、諸説あるように、あるあるすごくある。「アメリカ合衆国」の建国時期を巡っても複数の理解が可能です。曰く、第一回大陸会議が開催されたとき、あるいは、それが「連合規約:the Articles of Confederation」を締結した年(1775, 1781)。否、独立宣言の年(1776)、いやいや、英国がパリ条約で北米英領植民地各邦の独立を容認した年(1783)。やっぱ、アメリカ合衆国憲法の発効またはその連邦憲法に基づき連邦政府の統治機構が成立した年でしょう(1788-1789-1790)。ちょこっと遡って、MAはレキシントン=コンコードで独立戦争の火蓋が切られた年(1775)、独立戦争が実質的に幕を閉じたVAのヨークタウンの戦いの年(1781)、寧ろ、独立戦争中、フランス等々の第三国から「新しい主権国家」として国家承認を受けた年(1778)……。

これらの主張はーー「1192」の是非当否が「鎌倉幕府」の語義と時代区分の学的の目的に収束するのとパラレルにーー、「アメリカ合衆国」の意味によって、そして、論者が採用する認識の方法論によってはすべて間違いではないのでしょう。

南北戦争によるアメリカ社会の変動に着目して、しかし、「アメリカの建国はいつか」の問に関しては、謂わば「三段階論」的な認識もまた充分に成立可能だと思います。そして、蓋し、「二段階」と「三段階」の認識の妥当性もまた建国された〈アメリカ〉を巡る「国家」の定義の差異に収束する見せ掛けの問題にすぎないの、鴨です。

すなわち、「国家」を単なる「主権国家」と考えるか、あるいは、「国民国家=民族国家」たる主権国家と考えるかによって正解は異なってくる。

換言すれば、英国国教会を創設した英国の「国王至上法:Act of Supremacy」(1534-1559)、および、ルター派が容認されたアウクスブルクの和議(1555)による領邦教会制の確立にその萌芽が認められ、カルヴァン派までをも容認したウェストファリア条約(1648)で確立したーーボダンの言う意味での国家と国家主権、あるいは、ホッブスの言う「可死の神」としての「国家」、要は、国内においては包括的全体的かつ最高の、対外的にはすべての他国と対等かつ独立の主権を帯びるーー「主権国家」の建国ということであれば二段階的の理解が適当であり、他方、フランス擾乱(1789--1814)に始まる、また、国際連盟の結成を期してウイルソン大統領が提唱し、もって、国連憲章1条2項に書き込まれた「民族自決原則:Principe of self-determination of peoples」(←TOEIC受験者の方、ここ注目!「people」に「s」ついてますよカメラ)の対象たる「国民=民族:a nation」なるものが形成する「国民国家=民族国家:a nation state」がアメリカにおいて成立した経緯についてはーー〈南北戦争〉の契機を更に重ねたーー三段階的の認識のほうが諸々の事象をより整合的に理解できるの、鴨。と、そう私は考えます。

 ・United States of America は「合衆国」か「合州国」か
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0a8d56362d8776e8555e35e4fe83a0ac

・完版:保守派のための海馬之玄関<自家製・近代史年表>みたいなもの--(上)~(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a3221c77ea0add17edf737d21088cf96
 





◆宗教と憲法、あるいは、憲法としての宗教
アメリカ革命は「市民革命」なる意味不明なリベラル派のお伽噺ではなく「保守革命」であった(←実際、マルクス流の「ブルジョア革命」とは異なる、フランス擾乱やピューリタン革命やアメリカ革命を包括する日本語の「市民革命」に相当する英語もドイツ語もありませんから!)。日本では、まだ、ネットウヨ風の極論ととられかねないこのような認識が、米英の歴史学と憲法学の研究者コミュニティーでは、最早、〈通説〉と言ってもそれは満更、「分析哲学系現象学組新カント派現代解釈学班プロセス法学一家」を思想上の現住所とする私の贔屓目や希望的観測ではないと思います(嘘だと思うなら各自ネットで「civic revolution」なり「civil revolution」で検索してみてください)。

而して、では、メーフラワーの5-6代降った北米英領植民地の英国臣民の人びとは、アメリカ革命を通して「何を保守」しょうとしたのでしょうか。蓋し、私はそれこそ、ーー「天賦人権」などといった根拠乏しく由来もあやふやなものではない、記憶することもできないほどの昔から英国臣民に認められてきた由緒正しいコモンロー的な英国臣民の権利であり、そして、北米入植の際に寛容なる英国国王陛下が特許状において確認し保証してくださったはずのーー自分の信仰をその信仰を同じくする同宗派の人びとと共に継続的に、かつ、次の世代もまた貫くことのできる状況とその保証である。

而して、当時の、産業技術水準とーーウォーラスチンの語る所謂「世界システム」のパーツたるーー大西洋資本主義システム内の生態学的社会構造、自然を媒介にして取り結ばれる人とひととの社会関係の総体を睨むとき、それは、自宗派のつくるコミュニティーの自治の権利であった。「代表なければ課税なし」のスローガンはこのような保守主義と共和主義の表明と捉えるべきである。合衆国憲法の原意たる「州権の優位」、あるいは、大統領選挙における「勝者総取り方式」、加之、連邦議会上院議員定数の人口比を無視した各州への配分、連邦政府の権限配布に関する「立法+行政」、執行、司法の三権分立等々もまた同様、鴨。

 

・憲法訴訟を巡る日米の貧困と豊饒☆「忠誠の誓い」合憲判決
 -リベラル派の妄想に常識の鉄槌(1)~(6)
  http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/ec85f638d02c32311e83d3bcb3b6e714

 

尚、アメリカの三権分立は「立法・行政・司法」の分立ではありません。 だから、リベラル派がしばしば口にするようなこと、例えば、総務大臣のTV放送局に対する免許剥奪の可能性の言及に関して、その委員の任命権は大統領にあるものの「アメリカでは政権(行政府)と独立に第三者的機関が放送を監督しており、権力からの自由度が高い」などはーーリベラル派の「隣の芝生」か「願望的観測」、いずれにせよーー噴飯ものの無知の炸裂なのです。なぜならば、そのアメリカの「政権から独立した機関」なる連邦通信委員会(=FCC)は議会の実働機関であり、この分野の行政権は大統領にではなく議会に属しているというだけの話しだから。そして、議会が共和党と民主党に、また、それぞれが南部と北部に別れて権力闘争に明け暮れる、大統領よりも「政治的に中立」ではないかもしれないことは明らかでしょうから。閑話休題。

畢竟、2016年の大統領選挙でトランプ氏に勝利をもたらしたもの。さまざまな要因があるのでしょう。しかし、信仰を同じくするものが形成する政治的共同体の自治自立を優しく包みこむ共和国という〈アメリカ憲法の核心〉がリベラル派のアトム的な人間観と社会民主主義的な権力の万能観によって危うくなっているという、silent majority の危機感ではなかったか。ハーバード大学のサンデルが言うようにフランス流の「社会的アトム」などではない、伝統と文化がが憑依する<私>が結集する<由緒正しい私達の共同体>こそ、あらゆる政治的支配の正当性の根拠でえある。と、そう捉えている アメリカ市民のsilent majorityの皮膚感覚がトランプ氏を押し上げたのではないか。どうでしょうか。

  

・瓦解する天賦人権論-立憲主義の<脱構築>、
  あるいは、<言語ゲーム>としての立憲主義(1)~(9)
  http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0c66f5166d705ebd3348bc5a3b9d3a79


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