Long long time agoの学生時代、アメリカの民事訴訟法(Civil Procedure)だったか不法行為法(Tort)だったか講座名は忘れましたが授業である話を聞きました。それを聞いた時にはさすがの私も、「鬼畜米英」とはよー言うたもんやなアメリカは怖い国なんやなと思いました。その話しというのが、
交通事故を起こしても、アメリカではけっして相手に”I’m sorry.”と言っては駄目。一度でも”I’m sorry.”を口にしたら最後、裁判では(過失配分ではこちらが有利でも)完敗です、と。
それから幾星霜。今出川通りをはさんで京都御所と北隣の学舎から離れて、何の因果か10年以上アメリカと日本を行ったり来たりの仕事に従事してしまいました。といっても今は随分アメリカとはご無沙汰していますが、その間から今にいたるまで、幸か不幸か”I’m sorry.”を巡る鋭い場面には出くわすことなく毎日すごしていました。
ところが先日、日めくりカレンダーを見ていてこの「“I'm sorry.”は禁句」という話しを思い出したのです。『旺文社・日めくり英会話カレンダー』の11月18日の分です。
I’m sorry to hear that.(お気の毒に)
A:His father died last night.(彼のお父さんが昨夜亡くなったそうだ)
B:I’m sorry to hear that.(お気の毒に)
廻る因果は糸車。”I’m sorry.”の私の記憶は走馬灯・・・。
<“I'm sorry.”は禁句!>
前の会社の同僚Y氏の話。彼はサンフランシスコを拠点に富裕層相手に債権や株式を組み合わせた金融商品を販売していたのですが、あるとき大口顧客のD氏に販売した商品が値崩れして追加の保証金をいただかなければならなくなったといいます。
市場の動向となぜ“天下のN証券”の予想が外れたのか等々を誠実に説明するY氏。その実直さに好感を抱かれたのでしょうか、そのお大尽のD氏は「しゃーないな、まあ、これも授業料や。で、なんぼ追加納めたらえーねん。3本か4本か?」と美しい南カリフォルニア訛りの英語でいたって上機嫌。
Y:い、いえ2、2本の200万ドルで十分です。
D:なんやそんなもんか。ほなら明日には振り込ませてもらうわ。
そやけどな、あんさん信用してこっちは取引してんねんからしっかりしてや。
・・・・・・
そして、次のY氏の一言が悲劇を生みました! それが、
・・・・・・
Y:I'm sorry.
このY氏の“I'm sorry.”が彼の運命に何をもたらしたか?
それまで太っ腹に見えたお大尽のD氏は、故意またはプロフェッショナルであるはずの証券会社の重大な過失で自分は2億数千万円の損害をこうむったと激怒され、Y氏はすぐさまプロレスラーのような秘書二人に追い払われ、その後Y氏はもとより彼の上司も二度とD氏との面会は許されなかったということです。そして、Y氏の勤める証券会社にD氏の弁護士からあれこれ含め10万ドル相当の損害賠償が求められたことは言うまでもありません。
そうなんです。冒頭で出てきた交通事故やこのYの悲劇のようなコンテクストでは;それは、①利害が対立し、②生じた事態について自分が何らかの責任を帯びているケースなのですが、”I'm sorry.”は正に禁句なのだと思います。でもね、でも・・・。
<“I'm sorry.”は金句!>
でもね。日本でも少し前に、「Sorry! Sorry! Sorry!」と国会で叫ばれた国会議員がおられましたが(うみゅあれは「総理! 総理! 総理!」でしたか?)、アメリカでは”I'm sorry.”や”Sorry.”は”Excuse me.”と並んでごく普通のフレーズだと思います。実際、アメリカで生活していたら一日に何回、”I'm sorry.”や”Sorry.”を使うか分からないくらいですよね。
エレベーターで肩が触れたら”I'm sorry.”
書店で靴を踏んづけたら”I'm sorry.”
ディトに遅れたら”I'm sorry.”
ミスドで子供がジュースこぼしたら”I'm sorry.”
また、初級ビジネス英会話の本にも”I'm sorry.”を使った定番の例が幾つも載っています。
A:Can I talk to Ms. Heidi?
B:I’m sorry, but she’s on another line now.
(ハイジ先生とお話ししたいのですが)
(申しわけございませんが、彼女は別の電話に出ております)
A:I’m sorry to have kept you waiting.
B:Thank you. No problem.
(お待たせして申しわけございませんでした)
(いいえどういたしまして)
そして最初の日めくりカレンダーの例ももう一度見ておくと、
A:His father died last night.
B:I’m sorry to hear that.
(彼のお父さんが昨夜亡くなったそうだ)
(お気の毒に)
こう見てくると、“I’m sorry.”は神ならぬ身の、完全ではありえない人間が英語圏で生活する上での潤滑油のようにも思えるじゃないですか。そうなんですよ、多分。
①利害が決定的には対立しないコンテクストで、②生じた事態について自分がどのような意味でも主要な責任を帯びていないケースでは;”I'm sorry.”は英語でのコミュニケーションの金句なのだと思います。皆さんはどう思われますか?
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