英語と書評 de 海馬之玄関

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英文読解 one パラ道場:決勝前夜-世界が瞠目する<なでしこジャパン>! (後編)

2011年07月21日 14時00分24秒 | 英文読解 one パラ道場

【読解躓きの石】
最初のパッセージの四段目、後ろの2センテンスですが、
気になる語句がありました。

Homare Sawa’s badly mis-placed pass let in the Europeans to open the scoring in Frankfurt, but the star midfielder later put her side 2–1 in front, turning the game on its head.


(澤穂希の拙いパスミスにこのヨーロッパ勢はつけ込んで、両チームにとってフランクフルトでの最初の得点を上げた。しかし、そのミスをやらかしたスター選手は後に自ら得点して、2-1とチームを一歩優勢にした。澤の活躍でゲームの趨勢は逆転したのだ)

まず、let は他動詞であり、
通常は、「let→人→ba-V」の形で「人に~させる」という意味を表しますよね。

let it be.
(それが、本来あるような状態にせしめよ=なるようになったらええやん!)

けれど、「let in →人→to-V」では「人に強く促して~させる」という、
より強い勧誘や強制、所謂「据え膳喰わぬは女の恥」的な美味しい状況を表すのです。



二番目のパッセージの冒頭の段落にはいかには、
いかにも英語らしい表現が使われていましたね。

The atmosphere was great, the soccer dreadful. So slow, so clumsy — the women looked as if they were trying to play soccer under water.


(雰囲気は最高、サッカーは最低。のろい、へたくそ。
 選手達は水中でサッカーをしようとしているのかとさえ見えました)

難しい単語もなく、文法的にも、仮定法過去が「as if」構文を伴っている程度、
ですから意味が分からなかった方は少ないでしょう。けれども、これは省略の典型。
省略されている部分を復元するとこうなります。

The atmosphere was great, the soccer was dreadful. So slowit was, and so clumsy it was — the women looked as if they were trying to play soccer under water.



同じく二番目のパッセージ5段目の比較表現は日本人にとっての躓きの石、鴨。

The quality of play is better,

(確かに、技量の品質は上がった)

特に具体的な比較の対象を明示しない、所謂「絶対比較級」の実例。
ですから、意味を取る時には、作者が、

・漠然とした程度の差異
・同一の対象における程度の定性的な変化

を言おうとしていることを押さえて、こちらも、
「漠然」と「空間や時間に伴う変化」を表すのがコツです。
このコツは、動作主を明示しない受動態の表現にも一脈通じるもの、鴨。


冠詞の話でこのコーナーを締めましょう。実際、「躓きの石」と言えば、
下から二段目の冠詞は日本人英語学習者にとって、お決まりの難点でしょう。
これです。

these are just a few highlights of a very impressive tournament.

(これらは、今回のかなり印象深い大会を彩った、特記すべき要素のほんの一部にすぎません)

ポイントは、なぜに、
「a very impressive tournament」となっていて、
「the very impressive tournament」にはなっていないのか?

だって、この tournament とは「2011年ドイツ大会」であり、
不定冠詞が元来「one of many」の意味を、定冠詞が元来「one and only」の意味を表すもの
とすれば、ここは「the very impressive tournament」と言うべきではないでしょうか?

はい。もちろん、ここは定冠詞でも間違いではありません。
というか、このセンテンスだけ切り出した場合には、定冠詞が自然でしょう。
けれども、作者は、このセンテンスの前後で、今回の大会を例に挙げつつも、
今回の大会を挟む前後の任意の大会のことを脳裏に描いているということ。

つまり、白黒はっきり言えば、作者にとって個別「2011年ドイツ大会」などはどうでもよいこと。
そういうことで、「only and one」の定冠詞ではなく「one of many」の不定冠詞を用いたのだ。
と、そう私は考えています。



尚、英文法の事項に関して疑問を感じられた場合にはこちらを参照してください。
そして、本ブログ記事で使う準動詞用の記号ももう一度掲げておきますね。

◎準動詞のKABU式表記
・原形不定詞:ba-V
・to不定詞:to-V
・動名詞:V-ing(g)またはVg-ing
・現在分詞:V-ing(p)またはVp-ing
・過去分詞:V-pp


・『再出発の英文法』目次
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/4c90b691d5e0e53d8cb87f7803a437ce






【和訳1】

日米ともに準備万端-注目度鰻登りの決勝戦
2011年FIFAワールドカップ・ドイツ大会の準決勝当日。見るものを夢中にさせ、かつ、多くの話題を提供することになった2試合が終わった日。日本とアメリカは難敵のスウェーデンとフランスを各々退けて、日曜日【7月17日】の決勝に駒を進めた。この日米決戦はサッカーファンの興味関心を引きつけずにはおかない好カードである。すなわち、第10回FIFA差別反対宣言の日に行なわれた準決勝で、<なでしこ>は初の決勝進出を果たし、他方、ワールドカップ決勝への<星条旗牝獅子軍団>の登場は三度目のことになる。

直近のオリンピック優勝国にしてFIFAランキング首位に君臨するアメリカはBruno Biri監督率いるフランスを3-1で降した。巧みなパス交換に定評のあるフランスに対して、いつもと変わらぬ毅然とした怜悧さが隅々まで行き届いたプレーでアメリカは応戦。而して、技巧に凛然が優る結果となった。(中略)

米仏戦の余韻漂う夕刻、日本チームの戦略的な統率力とその秀麗な技術の水準から見れば、スウェーデンは到底敵ではないことが明らかだった。スウェーデンは幸先よくゲームの主導権を握ったもののゲームが進むにつれて失速する。すなわち、澤穂希のとんでもないパスミスを奇貨として、このヨーロッパ勢はこのフランクフルトでの試合で最初の得点を上げた。しかし、そのミスを犯したスター選手は、その後、自ら得点して、その結果、チームは2-1と一歩優勢に立つことになる。要は、澤の活躍でゲームの趨勢は逆転したのだ。而して、両チームの攻防は見るものを飽きさせないものではあったけれど、結局、日本が3-1で勝利した。春秋の筆法よろしく記せば、Thomas Dennerby監督率いるスウェーデンにとって、ふくらはぎを痛めたCaroline Segerの出場辞退が試合直前に決まった段階でその敗北は確定していたということ、鴨。

決勝は見て絶対に損のない魅力的なものになること請け合いである。なぜならば、共に高い水準にある異なる流派の激突になるだろうから。すなわち、決勝は、日本の秀麗なパスと入神の域にある技巧を迎え撃つアメリカの剛直な強靭さ、その両者の激突になると思われるから。





【和訳2】
サッカー女子ワールドカップ:大人の観戦に堪えうる水準だ
サッカー女子ワールドカップが1999年にアメリカで開催されたときのこと、私は、絶対にこの大会を応援するぞと心に固く誓ってGiants Stadiumで行なわれた開幕戦を見に行った。そして、そこで見たものは・・・。そう、最高の雰囲気と最低のサッカーだった。要は、とろい、どんくさい。思わず、選手達は水中でサッカーをしているのかと錯覚した程でしたから。その後、2003年、2007年の大会は、ちょうど野暮用が立て込んでしまいTV観戦もできなかった。

しかし、本音と建前の織成す世間の表裏を少しは知っている大人としては、サッカー女子ワールドカップに関して批判的であることは些か憚られるのも事実。一人の女性として、スポーツ好きの一人の人間として、引退したスポーツ選手として、そして、少年少女のサッカーチームを一度は指導したことさえある一人の母親として、サッカー女子ワールドカップに力添えをするべきであったと私は自覚している。サッカー女子ワールドカップを褒め上げるべきだったとも。他方、サッカー女子ワールドカップを揶揄嘲笑して、あまつさえ、サッカー女子ワールドカップなど見るに値しないと言って憚らない友人・知人に対しては、断乎、抗議するべきだったのでしょう。しかし、恥ずかしながら、それら非国民とも言うべき、サッカー女子ワールドカップに懐疑的な友人・知人の意見に私は同意せざるをえなかった。

それから幾星霜。今回は野暮用もない。つまり、今回の大会を観戦するもしないも私は自分で選べる状況にある。ドイツを舞台にして、その方々の都市で16ものチームが第6回の優勝を目指して鎬を削る戦いを繰り広げてきている(ちなみに、男子のワールドカップは今まで19回開催されている)。そして、アメリカはと言えば、試合終了間際の得点で辛うじてブラジルを退け、また、どこまでも諦めないどんなときでも挫けない、そんな真の意味のヤンキー魂によってフランスを降して、とうとうこの日曜日【7月17日】にはフランクフルトでの日本との決勝に駒を進めた。

今回はサッカー女子ワールドカップを観戦するつもりか、ですって?
はい、間違いなく私は観戦するつもりですよ。
でもって、そう私が思うに至った理由をきちんと展開してみたい。

もちろん、サッカー女子ワールドカップで繰り広げられる技量の水準は随分と向上している。しかし、それさえも、まだまだ男子の一流選手の技量の敵ではない。アメリカ以外の国では、この間、女子サッカーへの関心の高まりと、よって、女子サッカーへの梃入れがかなり進められてきた(オリンピックがプロの花形選手にバスケット競技を開放したこともあり、この点に関してアメリカではそう大幅な変化はないと言えるだろう)。けれども、多くの国で女子サッカーの裾野が広がったとは言え、ごく一握りのトップクラスの選手とその他大勢の選手との間には、まだまだ、途方もない技量の差がある。確かに、女子サッカーにもプロリーグは存在している。けれども、正直に言って、女子プロリーグが世間の関心を広く引きつけているとは到底言えないでしょう。

私は何が言いたいのか?

女子のサッカーが凄い勢いで進歩していること、それは、前回のサッカー女子ワールドカップが開催された2007年と比べてさえもそう言えること。そのことに私は衝撃を覚えたということです。そう、あたかも「動かぬ証拠」ならぬ「動いている歴史」を見ているかのような奇妙な感覚に私は襲われたのです。





テニスの世界を考えてみていただきたい。プロテニスの歴史で初めて、Billie Jean King女史が、女子の賞金額を男子の賞金額と同等にするように運動を始めたたき、嘲笑して人々は言ったものです。だって、女子の試合は面白くないでしょうが、と。そして、多分、その後しばらくの間にはその反論は正しかったと私も思います。しかし、女子テニスは世界規模で成長した。それもまた、King女史を始めとする運動の先人達がそのような揶揄嘲笑には見向きもせず、その間一貫して自己の技量向上を追い求め、かつ、試合に全身全霊を打ち込んだ結果ではないでしょうか。

1984年まではオリンピックには1,500メートルより長い女子の陸上競技はなかった。そして、1984年に、Joan Benoitが女子マラソンの初代女王に輝く。その時の彼女の記録は2時間24分52秒。それから20年経つか経たないかのうちに、2時間15分25秒の世界記録をPaula Radcliffeがたたき出した。これなどは、ハイペースの技量向上の事例そのものではないでしょうか。

このような女子競技が雄飛した事例は他に幾つもあります。例えば、1970年代、女子生徒達は、少年野球のリトルリーグは女子に門戸を開放すべきだと盛んに要求していた。そして、その度に、女子は男子に伍して野球をするにはちと虚弱すぎないかという反論が女子生徒達に投げ返されていた。しかし、今やリトルリーグに男女の垣根はありません。私が大学生になったときのこと、実は、私達はその大学が正規の学部学生として受け入れた最初の女子学生だったのですけれども、私達は女子学生仲間で陸上ホッケーチームを作りました。そして、母校を訪れる機会に、私達の世代よりも10倍は上手で10倍は鍛えられた選手達を目にして、あるいは、彼女達が自分達専用のホッケー競技場で、守備陣地を相手のボールを狙って縦横無尽に走り回る勇姿を見るにつけ、競技水準と競技基盤の進歩と向上の凄さに私は感動しないではいられないのです。

サッカー女子ワールドカップ1999年アメリカ大会。Mia Hamm、Michelle Akers、 Kristine Lilly は先駆者として最初のワールドカップ優勝の栄誉を地元で勝ち取った。彼女達の活躍に刺激されて、何百万もの少女達がサッカーに関心を抱きサッカーを始めた。その少女達の中にはプロの世界で活躍してみようという野心を抱いた子供たちも少なくはなかったことでしょう。これらの流れを想起するとき、私は、女子サッカーの先駆者達のことを称賛せずにはおられない。しかし、そのこととサッカー女子ワールドカップを観戦するかどうかという判断は別の問題である。先駆者の功績が称賛に値するからといって、謂わば慈善的な動機から、そう、例えば、自分の住んでいる地元の学校のチームを応援するためにお菓子を買って届けるみたいな動機から、私はサッカー女子ワールドカップを観戦しようというのではないのです。

状況は全く変わった。フランスチームのパスの技量の見事さ、ブラジル代表のMartaの「信じられへーん!」ものの高いパス成功率、そして、日本の宮間あやの入神のボールコントロールの技量とボールから離れているときの矢のような動き、Hope Solo の喧嘩上等的なガチンコのゴール守備、あるいは、高い打点から打ち下ろすAbby Wambachのヘディングを支える跳躍力、蓋し、これらは、かなり印象深い今回のワールドカップ大会を彩った、特記すべき要素のほんの一部にすぎない。


ズバリ言いましょう。

サッカー女子ワールドカップは男子のワールドカップに匹敵するかと問われれば、
正直、そこまでは来ていない。と、そう私は答える。

そして、

サッカー女子ワールドカップは見るに値する競技レベルにあるかと問われれば、
文句なし、その通り、と、私はそう断言する、と。









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