福岡国際マラソンは、一般参加のジョセフ・ギタウがそれまでの自己記録を15分近く更新する2時間6分56秒の好タイムで優勝した。広島の駅伝強豪校である世羅高校(ちなみに、県立高校である。)出身で、地元企業JFEスチールに所属する、「広島育ちのケニア人」の予想外の快挙となった。
1988年のソウル五輪銀メダリストのダグラス・ワキウリ以後、多数の外国人(大半がケニア人)が日本の企業や大学、高校の陸上競技部に在籍して、駅伝を中心に活躍を続けている。そのあり方には、賛否両論、功罪相半ばするが、北京五輪のマラソンにおいては、ついに、日本の高校出身のケニア人、サミュエル・ワンジル(故人)が金メダルを獲得した。
そこで、留学生、もしくは実業団の「助っ人」(あまり使いたくない言葉だが)として来日し、主として駅伝で活躍してきたランナーたちの、マラソン成績のランキングを作成してみた。
1位 サミュエル・ワンジル(トヨタ自動車九州) 2時間5分10秒(2009)※◎
2位 ダニエル・ジェンガ(ヤクルト) 2時間6分16秒(2002)※
3位 ジョセフ・リリ(NTN) 2時間6分49秒(2004)◎
4位 ジョセフ・ギタウ(JFEスチール) 2時間6分58秒(2012)※
5位 サミュエル・ドゥング(愛知製鋼) 2時間7分4秒(2012)
6位 コスマス・デティ(コニカ) 2時間7分15秒(1994)◎
7位 チャールズ・カマチ(富士通) 2時間7分33秒(2008)
8位 ジョセファト・ダビリ(小森コーポレーション) 2時間7分36秒(2011)※
9位 ギルマ・アセファ(SUBARU) 2時間7分43秒(2011)◎
10位 ジェームス・ムワンギ(NTN) 2時間8分38秒(2011)※
11位 エリック・ワイナイナ(コニカ) 2時間8分43秒(2002)
12位 ジュリアス・ギタヒ(日清食品) 2時間8分57秒(2008)※
13位 アンベッセ・トロッサ(テクモ) 2時間8分58秒(2006)◎
14位 ダグラス・ワキウリ(エスビー食品) 2時間9分3秒(1989)◎
15位 サイラス・ジュイ(日立電線) 2時間9分10秒(2011)※
16位 アルン・ジョロゲ(小森コーポレーション) 2時間9分38秒(2012)
所属企業は、在籍当時の名称で記している。※をつけているランナーは、日本の高校、大学の出身者、◎をつけているランナーは、所属企業を退社後に自己ベスト記録を出したランナーである。12位のトロッサがエチオピア人で他は全てケニア人。
とりあえず、サブ10ランナーが15人だったので、15位までのランキングを作ったが、これを見ていて、どのような点に気づかれるだろうか?
箱根駅伝を走ったランナーが一人もいない!
留学生として、来日したランナーのうち、大学に進学して、箱根駅伝の予選会を走ったのは、流通経済大学のジェンガと、ダビリとジュイ(この2人は中退)のみである。箱根駅伝を走った留学生ランナーはマラソンでは大成できない、というのは既にジンクスとなっている観がある、というか、ワンジルの金メダル獲得に際して、
「日本のマラソン・トレーニングは間違っていない。」
という声が聞かれたが、少なくとも、箱根駅伝で勝つランナーを育成するためのトレーニングは、卒業後のマラソンという点でケニア人ランナーとは相性が悪いようである。
この中で異色の存在はカマチだろう。彼は世界選手権の10000mで金メダルを獲得後に富士通入りした、いわば「大物助っ人」という存在である。
1994年のボストンで、コースレコードを作ったデティ。彼はコニカ(現コニカミノルタ)に入社するも、駅伝中心のスケジュールに反発し、退社。ボストン優勝時にも、日本の実業団に対し、批判的なコメントをして、日本人記者の眉をひそめさせた。彼に代わってコニカ入りしたのが、後に五輪で2大会連続してメダルを獲得して、今もなお走り続けているワイナイナだが、コニカの関係者が、彼をスカウトした際に最も気に入ったのは、「人柄」だったのだという。
さて、昨年の福岡でダビリが優勝した後、今年は別大でジョロゲ、びわ湖でドゥング、そして福岡でギタウと、実業団所属のケニア人ランナーの優勝が続いている。その秘訣は何か?
2009年からニューイヤー駅伝に導入された、外国人ランナーの出場区間を最短区間に限定するルールが、影響を与えたのではないだろうか?と僕は見ている。出場区間が短くなったことで、駅伝よりもマラソンで自身をアピールしようという意識が高まり、駅伝よりもマラソンを重視するランナーが増えたのではないか?
僕は当初からこのルールの導入には、批判的だった。プロ野球で、外国人のバッターに4番を打たせるな、外国人の投手を先発に起用するな、というルールを作るようなものではないか。
「日本人のエースランナーの育成」というのも、このルール導入の理由の一つだったが、皮肉なもので、日本のマラソン・ランナーたちに、手強いライバルを多数育成する結果となった。なるほど、それも日本のランナーに対して「試練」を与えた、ということか?
付記
12月8日にアップしたこの記事に対し、記録の漏れや誤記の指摘があり、ランキングを修正した。9位にエチオピアのアセファが加わることとなり、日本の実業団在籍歴のある外国人サブ10ランナーは16人。そのうち、14人がケニア人というわけである。
昨年の東京から今年のびわ湖にかけて、ジュイ、ダビリ、ムワンギ、ジョロゲ、ドゥングと立て続けにサブ10ランナーが生まれたことで、「ケニア勢強し」との印象が強いが、今年のシカゴも7分台で走ったドゥング以外は、2大会続けて結果を出していない。この点も少し気になる点である。
1988年のソウル五輪銀メダリストのダグラス・ワキウリ以後、多数の外国人(大半がケニア人)が日本の企業や大学、高校の陸上競技部に在籍して、駅伝を中心に活躍を続けている。そのあり方には、賛否両論、功罪相半ばするが、北京五輪のマラソンにおいては、ついに、日本の高校出身のケニア人、サミュエル・ワンジル(故人)が金メダルを獲得した。
そこで、留学生、もしくは実業団の「助っ人」(あまり使いたくない言葉だが)として来日し、主として駅伝で活躍してきたランナーたちの、マラソン成績のランキングを作成してみた。
1位 サミュエル・ワンジル(トヨタ自動車九州) 2時間5分10秒(2009)※◎
2位 ダニエル・ジェンガ(ヤクルト) 2時間6分16秒(2002)※
3位 ジョセフ・リリ(NTN) 2時間6分49秒(2004)◎
4位 ジョセフ・ギタウ(JFEスチール) 2時間6分58秒(2012)※
5位 サミュエル・ドゥング(愛知製鋼) 2時間7分4秒(2012)
6位 コスマス・デティ(コニカ) 2時間7分15秒(1994)◎
7位 チャールズ・カマチ(富士通) 2時間7分33秒(2008)
8位 ジョセファト・ダビリ(小森コーポレーション) 2時間7分36秒(2011)※
9位 ギルマ・アセファ(SUBARU) 2時間7分43秒(2011)◎
10位 ジェームス・ムワンギ(NTN) 2時間8分38秒(2011)※
11位 エリック・ワイナイナ(コニカ) 2時間8分43秒(2002)
12位 ジュリアス・ギタヒ(日清食品) 2時間8分57秒(2008)※
13位 アンベッセ・トロッサ(テクモ) 2時間8分58秒(2006)◎
14位 ダグラス・ワキウリ(エスビー食品) 2時間9分3秒(1989)◎
15位 サイラス・ジュイ(日立電線) 2時間9分10秒(2011)※
16位 アルン・ジョロゲ(小森コーポレーション) 2時間9分38秒(2012)
所属企業は、在籍当時の名称で記している。※をつけているランナーは、日本の高校、大学の出身者、◎をつけているランナーは、所属企業を退社後に自己ベスト記録を出したランナーである。12位のトロッサがエチオピア人で他は全てケニア人。
とりあえず、サブ10ランナーが15人だったので、15位までのランキングを作ったが、これを見ていて、どのような点に気づかれるだろうか?
箱根駅伝を走ったランナーが一人もいない!
留学生として、来日したランナーのうち、大学に進学して、箱根駅伝の予選会を走ったのは、流通経済大学のジェンガと、ダビリとジュイ(この2人は中退)のみである。箱根駅伝を走った留学生ランナーはマラソンでは大成できない、というのは既にジンクスとなっている観がある、というか、ワンジルの金メダル獲得に際して、
「日本のマラソン・トレーニングは間違っていない。」
という声が聞かれたが、少なくとも、箱根駅伝で勝つランナーを育成するためのトレーニングは、卒業後のマラソンという点でケニア人ランナーとは相性が悪いようである。
この中で異色の存在はカマチだろう。彼は世界選手権の10000mで金メダルを獲得後に富士通入りした、いわば「大物助っ人」という存在である。
1994年のボストンで、コースレコードを作ったデティ。彼はコニカ(現コニカミノルタ)に入社するも、駅伝中心のスケジュールに反発し、退社。ボストン優勝時にも、日本の実業団に対し、批判的なコメントをして、日本人記者の眉をひそめさせた。彼に代わってコニカ入りしたのが、後に五輪で2大会連続してメダルを獲得して、今もなお走り続けているワイナイナだが、コニカの関係者が、彼をスカウトした際に最も気に入ったのは、「人柄」だったのだという。
さて、昨年の福岡でダビリが優勝した後、今年は別大でジョロゲ、びわ湖でドゥング、そして福岡でギタウと、実業団所属のケニア人ランナーの優勝が続いている。その秘訣は何か?
2009年からニューイヤー駅伝に導入された、外国人ランナーの出場区間を最短区間に限定するルールが、影響を与えたのではないだろうか?と僕は見ている。出場区間が短くなったことで、駅伝よりもマラソンで自身をアピールしようという意識が高まり、駅伝よりもマラソンを重視するランナーが増えたのではないか?
僕は当初からこのルールの導入には、批判的だった。プロ野球で、外国人のバッターに4番を打たせるな、外国人の投手を先発に起用するな、というルールを作るようなものではないか。
「日本人のエースランナーの育成」というのも、このルール導入の理由の一つだったが、皮肉なもので、日本のマラソン・ランナーたちに、手強いライバルを多数育成する結果となった。なるほど、それも日本のランナーに対して「試練」を与えた、ということか?
付記
12月8日にアップしたこの記事に対し、記録の漏れや誤記の指摘があり、ランキングを修正した。9位にエチオピアのアセファが加わることとなり、日本の実業団在籍歴のある外国人サブ10ランナーは16人。そのうち、14人がケニア人というわけである。
昨年の東京から今年のびわ湖にかけて、ジュイ、ダビリ、ムワンギ、ジョロゲ、ドゥングと立て続けにサブ10ランナーが生まれたことで、「ケニア勢強し」との印象が強いが、今年のシカゴも7分台で走ったドゥング以外は、2大会続けて結果を出していない。この点も少し気になる点である。
ギルマ・アセファ(SUBARU) 2時間7分43秒(2011)◎
が、この中に加わりますね。
http://green.ap.teacup.com/kanchan42195/902.html
彼もニューイヤー駅伝では区間賞をとったことがあったと思います。
本文中のランキングを修正し、さらに付記を加えました。