kankoのひとりごと

外出できず、ネットと電話・ラジオで日々が過ぎています

竹は藤にやられる

2022年11月27日 | 古典聞きかじり
またまたご無沙汰でした。
NHKラジオの古典講読、「歌と歴史でたどる『万葉集』」での講師の話が頭から離れず、悩み多き昨今だったので、つい…。

そんな折、
「親戚の竹林で、藤が勢いを増し、藤のツルに絡まれた竹が、まとまって林の外へ倒されそう。
そのツル退治に20日通っているが、まだまだやっつけられない」と困っている話を聞いた。

「まあ、それはお疲れ様です」と言えばいいのに…。
うっかり、「そこは、藤が乗っ取るんですよ…」と言ってしまった。

そう、729年の「長屋王の変」のこと。

長屋王の父は、たけちのみこ(高市皇子)。
長屋王を排斥しようと、館を包囲し、妻子まで自害させ、一族を滅亡させたのは原氏。

天皇の外戚として、権力を固めていくスタートが、これ。

ところで、長屋王の側近だった大伴旅人は、その前年728年の春、大宰帥(だざいのそち)として赴任させられており、都(平城京)から遠く離れた大宰府で、長屋王の滅亡を知った。

その頃の宴での歌。
328)あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり
 作者は、大宰府の様子を報告する役目を終え、奈良の京から戻ってきた小野老(おののおゆ)

330)藤波の花は盛りになりにけり奈良の都を思ほすや君
作者は、大宰府の防人を司る大伴四綱(おほとものよつな)
「奈良の都を思ほすや君」と呼びかけられた「君」は大伴旅人であろう。

331)我が盛りまたをちめやもほとほとに奈良の都を見ずかなりなむ
作者は大伴旅人。それでも都に帰りたい。帰るところは都しかない。

この宴は、すっかり暗い雰囲気。
暗いままでは終わりに出来ないと思われ、置かれた歌。

337)憶良らは今は罷らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむぞ



<付記>
近年になって「長屋王」の名が広く知られたのは、遺跡の発掘による。

1988年1月、平城宮跡の南東隅が長屋王の邸宅跡だと分かった。
出土した多数の木簡を調べた結果を、奈良国立文化財研究所が発表した。
「そごう」のデパート建設にあたり、1986年から発掘調査が行われていた。

・1989年「奈良最大の都市型本格百貨店」として開業した「奈良そごう」は、10年余りで閉店、

・跡を継いだ「イトーヨーカ堂」も業績不振により、閉店

・現在は、観光型ショッピング施設「ミ・ナーラ」になっている。

<最後までお読みいただきありがとうございました>

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