古典講読「歌と歴史でたどる『万葉集』」第47回 を聞いてのメモ。
大伴家持(おおとものやかもち)の歌
うらうらに照れる春日にひばり上がり 心悲しも独し思へば
古文の教科書に出ている家持の歌。
この歌が「素晴らしい!」と言われるようになったのは、100年ほど前らしい。
『万葉集』は1200年余り前にできたので、この歌が「秀歌」と見なされてなかった期間は、非常に長い。
評価が高まったのは、明治以降で、日本の近代国家形態が成立した「近代」以降のこと。
「孤独の表現」を受け止められるのは、西洋文化が溶け込んだ後で「近代的な自我」を認識できるようになったから、だそうだ。
宮廷歌人は、天皇への「過大な期待」を並べ、それを称えた。
皇族や官僚の「長寿」を寿いだ。
しかしこの歌は、喜びの季節と躍動する生命の傍に置いた我が身の「淋しさ」を歌っている。
その淋しさに、共感する私たち。
「期待は失望の母」であり、「長寿を祝われる」のは「老いている」ことのあかし。
ほめたたえる言葉と裏腹の「現実」は、ただただ悲しい。
だから、1000年以上後の世に生きている私たちにも、理解できるのだと思う。
(家持の淋しさの原因は、政治的に抹殺される勢力側だったからですが…。
またの折に…)
大伴家持(おおとものやかもち)の歌
うらうらに照れる春日にひばり上がり 心悲しも独し思へば
うららかな日差しの春の日、ひばりは空高く飛んでいる
ひとりで物思いにふけっている私の心は、悲しい
ひとりで物思いにふけっている私の心は、悲しい
古文の教科書に出ている家持の歌。
この歌が「素晴らしい!」と言われるようになったのは、100年ほど前らしい。
『万葉集』は1200年余り前にできたので、この歌が「秀歌」と見なされてなかった期間は、非常に長い。
評価が高まったのは、明治以降で、日本の近代国家形態が成立した「近代」以降のこと。
「孤独の表現」を受け止められるのは、西洋文化が溶け込んだ後で「近代的な自我」を認識できるようになったから、だそうだ。
宮廷歌人は、天皇への「過大な期待」を並べ、それを称えた。
皇族や官僚の「長寿」を寿いだ。
しかしこの歌は、喜びの季節と躍動する生命の傍に置いた我が身の「淋しさ」を歌っている。
その淋しさに、共感する私たち。
「期待は失望の母」であり、「長寿を祝われる」のは「老いている」ことのあかし。
ほめたたえる言葉と裏腹の「現実」は、ただただ悲しい。
だから、1000年以上後の世に生きている私たちにも、理解できるのだと思う。
(家持の淋しさの原因は、政治的に抹殺される勢力側だったからですが…。
またの折に…)