Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

夕暮れの散策(プレーン)

2016-07-05 23:17:19 | ドイツ
今日はびゅわんと北の町まで・・・夕食にラーメンを食べようと思ってたのだけれども、その前にいっぱい食べすぎて入らない。

ま、しょうがないね、
明日にご期待。


○2015年8月2日(日)

さて、夢破れ・・・といいながらしっかりお食事して、軽く飲んてしまったkおばちゃん。
酔い覚ましのためにも街の散策にでかけます。

お城からプラプラ下ってゆきます。


左の方向に船のマークが・・


夕方、9時くらいの時間です。街中は静か・・


この奥が・・湖に出られるのかな?


ここから船がでてるんですね。


最後の船は18時なので当然もう船はいませんが・・散歩を楽しむ人がいます。


船のルートでしょうか?


こんなに明るいのにね。もう夜ですから。


湖の反対側は線路!列車が通過します。


湖に注ぎ込む水路


脇には柳が・・でもお化けはでそうもありませんね。


抜けると教会のある広場がありました。


市庁舎もありました。


教会ですね。Ev.-luth. Kirchengemeinde Plönルーテル派の教区教会??


このあたりが町の中心ですね。

なんのモニュメントでしょうか?


このあたりにやっと、人々が集うような飲食店がありました。


こんな少女と白鳥?の像もあります。


気持ちの良い夕暮れですからね。


こんな小道の奥にも飲食店が見えます。


おやまあ、この辺りは一段と古い町並みなんですね。1236年ですって。


日本は鎌倉時代でしたね。

パン屋さん?プレッツェルの看板が・・


なんとなくドイツの南の方のものだと思ってたんですけどね。

ほんとに小さな町でした。


さ、酔いもさめたかな。
暗くならないうちに宿に戻りましょう。

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湖を眺めながら(プレーン)

2016-07-04 18:05:53 | ドイツ
バングラディッシュで悲惨な事件がおこってしまった。
たまにお仲間が出入りしていた場所なだけにちょっと心がざわつきます。

そもそも、この国の存在は子どものころからご縁があって、ご近所さんが駐在されていたりと認識のあった国。

このような国に交通インフラを整備するには、それこそ法律整備からしなきゃいけないと聞いている。

犠牲になられた方々の心の平安を今更ながら祈ります。


○2015年8月2日(日)

さて、kおばちゃんのお宿は、ダースアウ Dersauという地区にとりました。
チェックインして、お宿の方に『夕食の予約はしますか?』と尋ねられたのですが、これからちょっとお出かけするので・・『いいえ、結構です。』と断ってしまいました。

ということで、そこから20分もかからない所にお出かけです。

目的地はわかっているのですが、駐車場がわからない・・
いったん目的地につけて・・駐車場を聞いて、近くのパークハウスに駐車してきました。


kおばちゃんの目的地は・・一応ここプレーン城Plöner Schlossですが・・


実はここで、今日シュレースヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭Schleswig-Holstein Musik Festivalの演奏会があるのですが、気が付いた時は切符は売り切れでした。
メールで聞いて見たりしたのですが・・キャンセル待ちもできず、ダメ元で訪れてみました。

見事・・・当たって砕けましたけど。
中々人気のプログラムらしくて、着飾った男女が次々と集まってらっしゃいます。

しょうがないので・・お城をチラ見してみます。


休憩時間のブッフェ会場に利用される廊下・・のようですね。

この奥の階段で演奏会会場に入るようです。


そして1階部分ですが、何故か若者の出入りが多いのです。


それも大荷物を持っていたりします。
後で分かったのですが、現在このお城はFielmannというメガネメーカの所有になっており、そのアカデミーがここをベースに設置されているようです。つまりメガネメーカーの研修施設となっているのですね。

この場所にお城が出来たのは12世紀のことのようです。、


その後プレーン公爵の居城となったり、1840年に城は、デンマークの王、の公式の夏の住居となったりしたそうです。
また近年には陸軍士官学校として使われたりもしていたようですが、度重なる大戦の戦火ものがれ、第2次大戦の後は寄宿学校とシテも使われたりしたようですが、2002年に眼鏡会社のFielmannが権利を買い取り、その後修復、アカデミーとして主に利用され、たまに今日のような音楽会に会場を提供したりしているようです。

残念!

さて、これからどうしましょうね。とりあえず時間が出来ちゃいました。


お城はプレーン湖に面して建っています。


お城は修復中でベールに覆われていました。


お城の下にカフェがありました。


そうだ、夕食を食べちゃおう。お昼もろくに食べてなかったですからね。

メニューもお手ごろそうだしね。


湖を臨むテラス席でゆっくりとお食事しましょう。


心地よい風に誘われて、ワインもいっぱいいただきます。


ワインのお値段はこんな感じです。


もちろんデザートもしっかりいただきました。


ちなみに、このカフェののあった場所は、昔は守衛所だったようです。



さて、ワインも飲んじゃったし・・酔い覚ましのために少しお散歩しましょう。
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橋・・・を通って(Lindaunis)

2016-07-01 17:56:24 | ドイツ
あっちでこっちでドタバタと・・

あっという間に半年過ぎてしまいました。
さてどうしましょう・・


○2015年8月2日(日)

kおばちゃん達を乗せた船はシュライ湾と呼ばれる細長い湾をクルーズしたようです。

で、その締めくくりはバスです。


こちらのバスで振り出しに戻るのですが・・今日はお客さんがいっぱいいるのか確か3台待機していたと思います。kおばちゃんは2台めに載ったような記憶が・・

人数が多いので載りこむにも時間がかかります。


ようやく出発したのですが・・


なんだか様子がおかしいのです。飛ばす、飛ばす。

いえ、田舎道なので100キロでてもかまわないんですけどね、集落にはいったら40キロ規制とかがあるはずなんですが、一向にスピードを落としません。

あれれ?????

とにかく必死で走ってると言う感じです。
振り出しのスーダーブラルップSüderbrarup駅に到着してその理由がわかりました。
列車の出発時間に間に合わせようとしていたんです。

でも、残念ながら・・・・無常にも列車が出発するところでした。残念!!

kおばちゃんはちゃっかり駅駐車場にとめたままでしたからね。


それはなんと、kおばちゃんだけではありませんでした。

赤い車の向こうに乗り込むのは・・・さっきのご一族集団の中のメンバーです。



そして、あちらの車も・・


彼らもここに止めてたんですね。

で、それぞれ別れのご挨拶をして別々の方向に走り去りました。

さて、kおばちゃんも今度は今晩のお宿に向います。
ナビ様をセットして走り始めたら、あら、信号が赤になっちゃった。


で、この信号が中々変わりません。

脇はさっきのシュライ湾?


待っていると、向い側から車や自転車がやってきました。


ああ、交互通行ね・・なんてのんびり構えていたら・・信号気が青に。

先頭だったkおばちゃん、走り始めてびっくりです。


なんと線路の上!!!
何で??何で??とにかく走って前に進まなきゃ・・

もう直ぐ終り???


分けが分からず進んだkおばちゃんです。

後で調べたら、ここはさっき船の上から見たあの鉄橋だったんです。


鉄道と自動車道路の共用橋のようで、Lindaunis Brücke, リンダウニス橋というようです。

だから遮断機がついていたんですね。


びっくりでした。

それからしばらくするとまた変なところで渋滞・・


今度は信号機が壊れていました。

時間を気にしながらもなんとか今晩のお宿にチェックインです。
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船に乗って(カッペルン)

2016-06-29 17:55:11 | ドイツ
今日も涼しいけれども、お日様はお出ましではありませんでした。

朝、飛び込んできたニュースはトルコのイスタンブール空港での自爆テロ。
最近、格安航空券検索サイトで必ず上位に上がってくるのがイスタンブール経由のトルコ航空。
時間的にも良いので、利用しようかどうか悩んでいるところだったので、チキンのkおばちゃんはやめにしました。

トルコの空港は空港の建物そのものに入るのに手荷物検査があるのだけれども、検査があったってね。そこにいたる途中で自爆テロに遭遇しないとも分からないと思ったのでした。

本とはトルコにも行きたいのだけれども・・・しばらくお預けですね。



○2015年8月2日(日)

カッペルンKappelnの町に汽車は到着です。


この町は、バルト海に面した海の町だそうです。

これがkおばちゃんの乗ってきた列車の機関車です。


この鉄道Angelner Dampfeisenbahnは1990年に鉄道愛好家によって設立された組織が運営しているそうです。だから運行はシーズンの土日のみ。
この機関車はスウェーデンからやってきたみた。

それにしても、この究極のオタクパワーはすごいですね。

そしてここにも一人のオタク・・右側のおっちゃん、全然動きません。


だから全体像が撮れないのよね・・ま、乗車したからいいか・・

さて、この後はkおばちゃんお船に乗ります。そういうコースの券を購入したのです。

ここカッペルンKappelnはバルト海に面していると先に書きましたが、正しくは面した入り江の奥の町というとです。

だから海というより河口のようなかんじ。橋もあります。


橋の下をくぐります。


視界にはいかにもという海辺の景色です。


次ぎの出発は・・2時です。


微妙な時間。お昼をどこかで食べる時間ではありません。



乗船するのはこちらの船ですね。

これがカッペルンの町前代の地図。川みたいでしょ。


kおばちゃんも乗船しました。


船のデッキはコンナ感じで、満席です。


この上の階もあるのですが、野外、つまり屋根がありません。


こんなカンカン照りの太陽の下にはいられないkおばちゃん、内側のデッキに座ったのですが、ここは軽食をとるテーブルだったようです。


そしてお一人様のkおばちゃんのテーブルにやってきたのは・・さっき汽車の中でご一緒だった団体。


同席を求められてもちろんOKですよね。

時間となり船は岸壁を離れました。


先ほど袂の下を通った端は開閉式でした。


我々の船の他にも通行があるようです。


橋の上では車が渋滞??してますね。


船内は子ども連れで大賑わいです。この2人はおもちゃの舵の奪い合いをしてました。


そうそう、同席の団体さんを観察して分かったのは、どうも一族の遠足・・ということのようです。
おじいちゃんとおばあちゃんを囲んで、息子夫婦と孫・・これが2組ほど・・とまだ独身の弟(おっちゃんですけど)という団体のようで、列車内でお菓子を配ってたのは嫁さん。で、船内では別の嫁さんが、お土産用のパンを配ったり、孫たち(といっても中学生くらい?)がおばあちゃんのところに挨拶しにやってくると・・・お小遣いをもらったり(ひとりあたり20ユーロ)をもらっているのを目撃したりと楽しくすごさせてもらいました。

そして、息子に当たる男どもは・・・ずーーとビールを飲んでました。どこでも見かける風景ね。
つまみは『ポムズ』とよばれるポテトフライです。
kおばちゃんも乾杯を一緒にしましたが・・残念ながらノンアルコールです。

船は入り江をさらに深く入っていくようです。


持参のナビ様によると・・・こんな感じです。


そろそろ到着のようですね。


みんなのみている視線のさきには・・鉄橋がみえます。


面白いですね。


下船です。こんな桟橋を渡りました。


載ってきた船は、少しの新しい乗船客をのせて再び出発して行きました。


到着したのはこんなところのようです。


ここから、お次はこちらに乗ります。
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麦畑に響く汽笛(スーダーブラ ルップ)

2016-06-28 17:44:35 | ドイツ
今日は雨もよう。
水源地で降ってくれれば良いんですけどね・・・こんなところで降ってもねぇ。

英国の混乱はまだまた続くんでしょうか。
一旦決まっちゃったんだからね。取り消しはなしよ・・ってことでしょう。

ささ、先に進まなきゃ


2015年8月2日(日)

長--い一日の翌朝。まったりとしてはいたいのだけれども・・やっぱりご予定の詰まっているkおばちゃん。通常モードであさのしたくです。

kおばちゃんよりも遅くまでお騒ぎだった近所のお部屋(こちらはご一族様と言う感じ)はまだお休みのようです。

ドイツの朝ごはんをたっぷりといただいて・・


元気に出発です。

一応目的地を画像におさめて・・ナビさまの検索があまりうまくいかないかもれしない・・という気もしていたのです。


順調にゆけば1時間半くらいで到着の予定ですが、夏のバカンスシーズン。なにがあるかわかりませんからね。


到着したのはこんなところ。


でも、ここが会ってるのか違うのかも分からないkおばちゃんです。

実はこれからkおばちゃんは汽車に乗ろうと思っているのです。だからここは駅なんですけどね。
スーダーブラルップSüderbrarupという駅です。
でも、どこにも『汽車』の痕跡がありませんよね。たしかにここは折り返しのえきではあるのですけれども・・

なんせ出発の1時間近く前に到着してしまったので、周りまったく人がいません。
ここでいいのかな・・と周りをうろつくと、こんな張り紙がありました。


大丈夫のようです。

今日は日曜日なので駅前は閑散としています。
唯一時間がつぶせそうなのは駅の中。カフェのようなものもありました。

ここで、時間つぶし。


おトイレの鍵もここで借ります。

このえきは汽車の駅だけではなく、普通にDBの駅なので列車が着くと賑やかです。


到着した列車からは・・汽車のお客さん??と思しき親子連れも!


時間が近づいてくると、どこからかお兄さんが現れて・・チケット売り場が出来上がりました。


あれ?このお兄ちゃんさっきのカフェにいました。
kおばちゃんがチケットを買おうとすると『英語は分からないから・・』最初に言われてしまいました。
周りのお客さんが助け舟を出してくれて、kおばちゃんも目的のチケットを入手することができました。

こちらが入手したチケットです。


そんな事をしているうちに、汽車がやってきました。

さて、この客車指定席ではなさそう・・と早速乗り込みます。


この車輌にしよう!


いつのまにか沢山の乗客がいます。

この汽車は折返し運転のようで・・機関車の付け替えがありました。


機関車が近づいてきます。






あら、機関車は後ろ向きに走るのね。
それにしても、煙突の赤い帯の上にくっついてるのは???なんでしょうね??

さ!煙を吐いて出発です!


そうそう、kおばちゃんの車は・・さっきの駅の駐車場に置きっぱなしです。だって、振り出しに戻ってくる・・予定ですから。

線路沿いの道には汽車の追っかけ??ではないでしょうが、手を振る人や、三脚をたてて列車の画像をねらう人なんかもみかけました。


走りはじめてすぐに、線路脇で給水をしたりして・・10キロちょっとを45分ほどで走るようです。

車内は、どうもkおばちゃん以外は知りあい??のようで、あちこちでご挨拶・・と食材の配布大会!!
なぜかkおばちゃんのところにまで廻ってきました。


ごちそうさまです。

車窓の景色は・・収穫直前の麦畑です。


この中を汽笛を鳴らしながら走るのですが、その蒸気の音におどろいたのでしょうか、うさぎが飛び出してきました。


うさぎの走り去る場所は麦の穂が倒れて行くので一筋の道のようによく判ります。

なんと気持ちの良い光景!!と大感激のkおばちゃんです。


あーここまで来てよかった!何だかよく判らなかったけど・・

なんて思っていたら、なんだか大きな町にはいってしまいました。


水辺の町、カッペルンKappelnに到着です。
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深夜の到着

2016-06-27 19:24:41 | ドイツ
UKのEU離脱。きっと一番びっくりしているのは国民自身でしょうね。
現政権の政治に不満があるから、と投票した国民もいるようで。。今更ながら後悔のつぶやきをもらしているのを聞きますが、国の政治を決めつというのはそんな感情論で行ってはいけないこと。

将来の国の姿をきちんと見極めなきゃ。
子供に投票権がないように、こうなると高齢者から投票権を取り上げと・・という意見が出るんじゃないかとおもっちゃいます。

さて、たまりにたまった旅行の記録。とりあえず2015年の分をさっさと進めないと・・

●2015年8月1日(土)

世間様の夏休みと同様にkおばちゃんも夏休み。
今回はマイルを利用した航空券と、後で買った航空券を利用した旅程を組むことにしました。

とりあえずは遠くはない飛行場へ。人間力あふれる鉄道を利用します。


この会社の、IT化とは程遠い人間力で勝負している感じがむんむん。
この駅の混みこみのダイヤに増結したり、分離させたり・・まったく大したもんです。
今朝はちょっとグモったこともあったのですが、ま、なんとかのりきってます。

さてチェックインは、買い足したチケット分も合わせて通しで完了しました。っていうかそれを狙ってたんですけどね。
最終目的地まで荷物から解放されて気分爽快・・といきたいところですが、まだちょっと難関がね。

再生した鶴丸さん。最近の機内食は本気入ってるようで、kおばちゃんとしては貧民席でも満足しています。


映画のほうも結構面白くて、寝るのが惜しいくらい。ま、それは嘘ですけどね。長距離フライトの苦痛が少なくなった感じがします。

ということで、赤茶けたおフランスの台地がお出迎えしてくれました。



さて、これからが長いのです。実は・・
16時台に到着したのですが、乗継便の出発はなんと21時台。4時間は待ち時間があるんです。



でも、中途半端な時間。
以前のように、ちょっぴりSevran - Beaudottesまで外にでる?いえ、そんなことはしません。
というのも、事情があります。

日本のチェックインはわりと大まか。というか手荷物の計測はほとんどないのですが、CDGは結構欧州内路線は厳しい。
過去にチェックインカウンターでもめた実績?もあるので、今回も軽くはない手荷物をもっているので用心して国際線から直の乗り継ぎルートをつかうことにしました。

それに外に出る元気もね、ありませんでしたし。

でも暇・・

私のような暇を持て余したお客さんは、ゲートの端っこのほうにお集まりで・・


kおばちゃんも似たような恰好をしておりました。


まだ明るい外を眺めながら、そう手荷物にちゃんと入れたナビ様をいろいろと設定してました。まずは今夜のお宿からね。

ようやくゲートに移動するころは、西日がガンガンです。


搭乗時間になる頃は、お日様もかなり西に傾いてきています。


やっと登場完了。


で、今回もあてがわれた席は・・なんと非常口。


手荷物は全部格納されてしまいました。

ほんの1時間ほどの飛行ですが、一応国際線。軽食が出されました。


いつもだったら、ここでワインを頼んで・・なのですが、到着したらすぐに運転しなきゃいけないのでお酒は控えます。

飛行している間に、お月様がお出ましです。


こうやってみると、お月様って明るいのね。


到着するころはもちろん真っ暗!


このくらい中を知らない土地を運転しなきゃいけないと思うとちょっと気が重いのですけどね。

心配した荷物もちゃんとご対面できて、急いでレンタカーを借りに向かいます。たしか23時に営業終了だからね。
そうそう、到着したのはハンブルグ空港です。

こんな夜遅くレンタカーを借り出すのはkおばちゃんくらいしかいないようで、カウンターではお嬢さんがkおばちゃんを待っててくれました。
彼女が書類を作成している間に、そのカウンター前に荷物を放置してトイレへ急ぐkおばちゃん。すっきりしておきたかったんです。

トイレから戻ってくると、書類作成も終わっていて、キーを渡してくれました。駐車場は別棟だそうで・・車のある場所にたどりつくのにちょっと時間がかかりました。

こちらがこれから1週間お世話になるオペル君です。


空港からそれほど遠くはないホテルに到着した時は、もう翌日だったかな。
空港から幹線道路にでるのに迷ったのでありました。



部屋ではレトロなラジオがお出迎えをしてくれました。


あーー長い長い一日でした。
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滑走路から逆戻り(ミュンヘン)

2016-06-16 17:30:07 | ドイツ
まあ、都政のどたばた・・あれは広告会社が仕組んだんじゃないか・・とう疑いたくなってるkおばちゃんです。

だってね、オリンピックのエンブレム問題。あれで無駄遣いをしたの広告代理店のせいでしょ?
それに今回行われるだろう選挙にたいして広告代理店っていったいどれだけの制作費がはいるんでしょうね。

kおばちゃんとしては、反省して報酬を返納してもらってあとの任期はタダ働きで、税金を節約させてもらうほうが最善だと思ってたんですけどね。
だって、現在の行政は法律でがんじがらめになってるんだから、ある程度どんな人がやったって同じ。こんな俄か選挙で立候補されたって、その人物の可否なんかわかるわけないじゃない。
お灸をすえられた人物に大人しく粛々とやってもらったほうが、都民のためになると思えますよ。もう無駄遣いもできませんからね。

それにしてもいい加減なマスゴミ。あの情熱があったら、オリンピックの裏金の報道をきちんとしてくれないでしょうか?
あれだって、広告代理店の最王手が犯人でしょ?パナマ文書にも名前が上がっているあの電通のことにはまったく触れないってどういうこと?
結局は既存のマスゴミは同じ穴の狢ということなんでしょうね。

ばかばかしい大騒ぎで衆愚政治をあおるだけあおるのに罰則はなんにもないっていうのも嫌なもんだと思ってます。


さて、先日の脱国のときに遭遇した出来事をとりあえず忘れないうちに書いときましょう。

今回の脱国からの帰途はドイツのミュンヘンからだったのですが、へそ曲がりのkおばちゃんは直帰便は利用しません。
直行便、じゃ無くて乗り継ぎ便を利用するつもりだったのですが・・・結果からいうと直行便になってしまいました。残念!

乗継便にしたのには実は、経由地で遊ぼうと言う目論見があったのです。
経由地は花のおパリ!そう、あのテロ事件以降足を踏み入れていないので、寄ってみようと思ったのです。
そのために、乗継時間をたっぷりとろうと朝早くミュンヘンを発つ便を選んで旅程を組んだのでした。

当日は朝ごはんも食べすにホテルを出発。空港では手続きはスムーズに済み、あとは搭乗を待つのみといなりました。


この時は、おパリについたら・・とイロイロと妄想をしていたkおばちゃんなのですけれどね。

搭乗案内はちょっと予定よりも遅かったと思います。
それと、気になったのは上↑画像にも写ってますがゲートの方向に警官が2人歩いていった事だったのですが、今回の騒動には直接は関係無かったのだと思います。

ブリッジを離れたのは定刻よりも30分近く遅くなっていたようです。
機内放送でこの時点でコンピュータートラブルがあり、離陸が遅くなった・・とアナウンスがありました。
まあ乗継時間はたっぷりあるので余り気にしていませんでしたが、滑走路に向っている途中で機体は再び停止してしまいました。

その時のアナウンスはやがりコンピュータートラブルでチェックするために、ルフトハンザの技術者を待っています」・・というものでした。
そのアナウンスとともに、エンジン停止!まるでポンコツ車のエンジンがプスンといって止まってしまったようで、周りのお客さんもその音をきいて苦笑いでした。

この頃になると、朝食を食べていなかったkおばちゃんは腹ペコじょうたい。
でもこの日は準備万端??なんとバナナ2本を持参していたのであります。これで少しは空腹感がなくなりました。

機内は、シートベルト着用サインがついていますが、飽きたお客さんがうろつきはじめました。でもそれを乗務員がとがめることはありませんでした。
そんなうちに、あと15分ほどでエンジニアは到着します・・とアナウンス。

kおばちゃんはまだ時間がかかるな・・と思い、早々にトイレにいきました。

戻ってきて窓を覗くと


見慣れない機材が窓の外に見えます。

それからさらに15分ほどでしょうか?kおばちゃんは通路側だったのですが、奥の女性がトイレにいったり・・としている間に時間は過ぎていったのですが、三度のアナウンス。それによると、エンジニアにみてもらったが、直ぐには直らないのでお客さんは一旦降機してください。と言う内容。あららら・・大事だわ。
そしてそのアナウンスの最後に、機長は『またお会いしましょう!』と言って終りました。

どうも停止した場所からプッシュしてもらって近くのゲートの建物に移動したようです。
そこで降ろされてゲートの建物の下部からターミナルに向うバスに乗せられました。

右隅に写り込んでいるのはトラブルのあった機材です。


さて、ターミナルに戻ったのですが、特に何のアナウンスもありません。
恐らく修理を待つというのが皆さんの姿勢だったと思います。

でも、kおばちゃんはちょっと危ないぞ!!と思うようになってました。
で、ゲート脇にいた職員にチケットを見せながら、質問しようと思ったら向こうから『乗り継ぎ便?』と聞かれたのでその旨告げると、建物のこのエリアを出てチェックインカウンターで最予約をするように。とのこと。
kおばちゃんのやり取りを見ていた他のお客さんも、kおばちゃんに『乗継便?』と聞いてきたので、なぜか私が説明をするはめに・・
そして説明をしながら足は出口に向います。気が付くと10人ほどのお客さんがついて来ている。(笑)

外に出るといっても出方がわからず、うろついている所に空港職員が通りかかったので方法を聞くと、最初は何故?時いて行きました。ソリャそうですよね。一旦チェックインした人間がホイホイと外に出るなんて。理由を話したら方法を教えてくれました。

ようは、到着便の要領で荷物返却のところを通って外に・・とのシステムでした。

小走りにカウンターに向う我々。
でも、kおばちゃんたちはゲートからのバスが2台目だったので出遅れてました。
既に5組ほどのお客さんが交渉中でした。


カウンターでの私達の振替業務は当初は担当が1人のみ。なかなか順番は廻ってきません。1時間くらい経過するともう一人担当者がふえて2人体制にはなりましたが・・気が付くと先程よりも待ちの人数がぐっ増えてます。

待ってる間にはお客さん同志おしゃべりしたり、でお互いに情報収集です。
kおばちゃんも持っているスマホでイロイロ自身でシュミレートして調べてみます。
すると、なんだか今日のパリ便が少ない!!
あと20分後に出発する便はあるのだけれども、この順番じゃそれには間に合わないな・・その後は・・と見ると『キャンセル』の文字が!!えええ??
周りのお客さんに聞くと、『エアフラは今ストライキしてるので減便してるのよ』とのこと。あら、知らなかった。
次にパリに出発するのは18:10発!これは乗り継ぎ便に間に合いません。

そんなことをしているうちにkおばちゃんの順番になりました。

kおばちゃんのチケットをみて・・提示して来たのは直行便での帰国。
何時直るかわからない現在の便を待つ・・という選択肢は出てきませんでした。
ここまできたらkおばちゃんも腹をくくるしかありません。それに帰国日を変更する事はできません。帰国翌日から仕事がきつきつに入っています。

ミュンヘンでの乗継時間がたっぷり出来てしまいましたが、帰れないよりはまし!と割り切ってその代替便の受け入れをしました。
荷物に付いては、預け入れたものはそのまま直接目的地んに向うとの事。
まあ、信じるしかないかな。


便名のメモをもらって、引き換えのチケット?のようなものをもらってその場を離れました。

kおばちゃんのようにすんなり決まるのはまれのようで、隣の窓口で交渉していた女性は適当な便がみつからず、現在の便の修理をまつ・・で、ダメならローマ経由で一泊して向うんだと言っていました。
そのまっている間のミールクーポンがもうすぐ配布されるから待てとのことなのですが、イスに腰掛けてたら聞こえないとこまるからと窓口のそばで待機です。

さらに後の方のお客さんは『まったく!!今日のはキャンセルだ!!』と大声で叫んでいますが、いずれにしても順番に手続きをすませないとキャンセル扱いにもならないということ。

じっと我慢の子でありますね。

やっと開放された頃はもう1時過ぎ!
通しのチケットだったので割と順調に振り返られたのかもしれません。何事も余裕を持って・・と心に誓ったのでありました。
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ドイツ - ドイツ博物館(メドラロイト)

2016-06-10 15:32:36 | ドイツ
現在脱国ちう。

メドラロイトにあるDeutsch-Deutsches Museum Mödlareuthというところに行きました。

ここは小さな村が東西分れてしまったところ。

ドイツ人団体さんが次から次に訪問していました。

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Gパンのアルフレード(ベルリン)

2016-05-27 20:10:13 | ドイツ
今日は羽田で航空機トラブル。
お友だちが、国内線に搭乗直前でまきこまれて・・荷物を引き出すのに時間が掛かり、代替の新幹線にのるまで2時間以上かかったようです。
間が悪かった・・としか言い用が無いですね。

まあ、広島空港じゃなくてよかったよかった。

どうやら消費税の引き上げが見送られるようす・・せっかく買いだめしようと思ったのに。(嘘)
まだ、分かりませんけどね。

ま、サミットも無事に終ってなによりです。

ところで面白いニュースネタを発見。オバマさんて結構良い役者になりますね。



○2015年6月7日(日)

さて、工事現場見学を終え、一旦お宿に戻ります。
帰りは、バスに乗って。

2階席最前列がゲットできて幸いです。


ガラスがきちゃないので・・ちょっと残念。


Siegessäule戦勝記念塔です。
ベルリンのある意味、シンボルだと思ってます。

宿に戻って一休みした後は・・再び出発。目的地はこちらです。

先ほどの工事現場のオペラ劇場の引越し先。シラー劇場です。


今回の旅行の最後の夜なのです。で、オペラ鑑賞です。

お腹がぺこぺこなのでとりあえずこんなもので腹ごしらえです。


この劇場は小ぶりなので、お安い席でもちゃんと舞台が見えます。


今日は『椿姫LA TRAVIATA』なのですが、開幕前に支配人?と思しき人が舞台に出てきて『本日のアルフレード役は調子がよくないので・・』というようなご挨拶です。

で、釘を刺された通りに・・休憩後に代役が。ドイツオペラで歌っているナンチャラカンチャラ・・と言われたような。ま、ドイツ語のわからないkおばちゃんの妄想ですけどね。

前にも代役でというのは経験しているのですが、今回はちょっと面白かったのです。というのも、さっきまでのアルフレードが舞台にちゃんといるのです。
しかも・・椿姫ビオレッタのお相手役を務めています。
しかし・・歌声は聞こえてきません。

歌声は上手から聞こえてきます。ちょっとお約束違反で撮ってしまいました。(ゴメンナサイ)


上手カーテンの陰に一人いるのが見えますか?
彼が歌っているのです。

思うに、演出が付いていないんでしょうね。この代役には。
だから演技のかけあいが出来ない、ということで演技は本物?が行って歌だけ歌っている・・ということのようです。

なんだか面白いシステムでした。

カーテン・コールでちゃんと出てきました。


黒いガウンのようなものを羽織っています・・・が下がGパンです。
この舞台はビオレッタだけが白いドレスで、後の役者というか歌手どもはみんな黒服・・だったのですが。


ビオレッタから左側4人目のGパン君が歌のアルフレード役でした。



珍しくオケピットでの紹介です。




さ、今回のお楽しみは全て終了いたしました。
お宿に戻りましょうね。

それにしても本来のアルフレード君。どういう思いで演技だけしてたんでしょうね。

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まだまだ続く??工事現場(ベルリン)

2016-05-26 19:30:48 | ドイツ
やっぱり世の中暑いですよね。
なんだか5月じゃないみたいです。

そういえば、職場の方から『ゴーヤ』の苗を頂いていたので庭の片隅に植えたのだけれども・・・見事に無視に食われました。
ゴーヤの葉っぱは匂いがきついから虫が付かないよ・・と言われていたのにね。

真夏のゴーヤ三昧の食生活は夢に終りそうで・・残念!

いつまでたっても終らないkおばちゃんの旅行記禄・・まだ去年の分ダー!



○2015年6月7日(日)

さて、お約束の待ち合わせ場所はここのはず・・


ネットで事前に予約はしてありますが、このボックスで現物のチケットと交換はしました。そして場所も確認したのです。
ちょっと早過ぎたか・・

ここは、オペラのチケットボックス。もともとはベルリン国立オペラ劇場Staatsoper Unter den Lindenのあった場所です。
国立オペラはもともとは東の劇場。kおばちゃんも1度ぐらいしか入った事はありませんでしたが、豪華な内装にびっくりしました。だって共産主義とは相反するものだと思っていたからです。お客さんもブラックイブニング着用の正装でしたね。


そんな劇場が改修にはいったのは2010年。当初3年後には完成する・・と言う予定だったと思いますが・・・未だに終っていないようです。もちろん予算もオーバーですね。
ドイツのすごいなと思うところは、この予定違反を堂々と見学にしちゃうところです。

有料で見学ツアーがあるのです。オペラの工事現場の。
日本だったら、責任問題が大きくなって・・こんな発想はないんじゃないかとおもいますけどね。
それよりも、市民に理解してもらうことが先決。ということでしょう。市民への説明責任と言うとカッコいいけどね。
しかも料金をきっちりとって予約制というのが何とも言えません。

で、kおばちゃんも参加して見る事にしたのです。

予定の時間になると、案内人とおぼしき男性が現れて我々を工事現場の方向に導きます。


まずは現場事務所のような建物のなかで、説明のVTRです。あ、すべてドイツ語ですのでkおばちゃんの説明は想像の賜物途と思ってください。


VTRの内容は、このプロジェクトの内容と意義・・そして何故遅れているか・・でしょうかね。最後の部分は??です。

そしてVTRを見終わった所で、ボードが廻ってきました。


おそらくこれは、権利の放棄とでもいうのでしょうか。
現場でなにがあっても訴えない・・という同意書だと思います。

そしてヘルメットを渡されて・・長靴を選びます。
実はここでkおばちゃん・・なかなかサイズの会うものがなかったのです。日本人なので足の裏のサイズはそれほど大きくないのですが、太ももは『太い』のです。

結局ぶかぶかのこの長靴となりました。


kおばちゃんの顔をみた案内人の男性は困ったように『ドイツ語の説明しかないんだけど・・』と。
kおばちゃんは『問題無いですよ。みるだけだから。』と言ったにもかかわらず、助手のような若い男性も同行する事になりました。彼が英語をしゃべれるから・・ということです。

さあ、見学ツアーの出発です。


まず向ったのは新しく建て増しされている部分・・だとおもいます。


リハーサルセンターとでもいうのかな。オーケストラや合唱。そしてバレエ、オペラのそれぞれのリハーサル室があり、さらに、劇場本体の舞台とサイズの空間があり、本物の舞台稽古ができる、ということろのようです。



かなり大掛かりなもののようです。


そして、そのまま本舞台のあるオペラ劇場と地下で繋がっているということです。

これが、オペラ劇場につながる地下部分。


どうもこの部分が難工事だったようで・・


場所的にはシュプレー川の直ぐそば。
ベルリンはもともと低湿地帯。水がすぐ染み出してくる地質のようです。この水が工事を難しいものにしている・・っていってもねえ。前からわかってるんじゃないの?

現にまだ染み出しているし・・




そしてやって来たのは・・オペラ劇場の本体部分です。


そうそう、この見学ツアーのメンバーですが、休みということもあるでしょうが中年の夫婦が多いです。
一人者はkおばちゃんと、もう少し年上のおばあちゃま。彼女はしきりに質問をしていましたので、やっぱりなんで予定どおりに出来上がらないのか、その理由はなんなのか知りたいのでしょうね。
あとのご夫婦はよ、他の観光地とは違って、男性の方が積極的に質問したり、周りの足場の組み方を観察したり・・と、kおばちゃんが妄想するには建築関係者??という感じでした。


物見遊山はkおばちゃんだけかな?

こちらは上部階のホワイエに当たる分だと思います。


コンナ感じだった場所です。


天井桟敷・・近くです。外を見るとコンナ景色。


そしてここも今回の工事の劇場本体としては最大の工事現場・・なんじゃないかと思います。


というのも、天井の傘上げをおこなっているからです。


5メートルだったかな・・の傘上げ工事だそうです。


右がいままでの天井。左が完成予想図・・だったと思います。


一通りみ終わったので外に出ます。


うーーん。何時になったら完成するんでしょうね。


※少なくともこれを書いている2016年5月にも完成してませんけど・・



再び現場事務所に戻ります。戻りかけに目に入ったのは、現場作業員のシャワールーム。


へー!女性用もあるんだ・・と思ったのでした。

ヘルメットと長靴を返却して・・今回の見学ツアーはお終いです。
結構楽しかったです。

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東のシンボル、西へのあこがれ(ベルリン)

2016-05-24 19:30:56 | ドイツ
今日は銀行に出かけて時間があったので待合室にあった雑誌を読んでみた。
スクープ記事で流行の週刊○春です。で、読んだ感想・・昨日も書いた某都知事の話はやっぱり謎。
だって、あそこまで詳しいリークって??だれがしたの??という謎はますます深くなった。

読んだ感想としては・・女性関係?
きちんと精算しなかったんでしょ。だからリークされた??それに某広告代理店がのっかってきた??とか妄想はふくらんだのです。

何で今さら??という謎は記事を読んでも解けませんでした。

余計な選挙でお金がかかるのが嫌だなあと思ってるkおばちゃん。
だって、広告代理店のようなバックアップのあるプロの選挙広告を上手につかったひとが当選しちゃうのよね。
ま、選挙民が所詮は悪い。

で、選んだ人にいちゃもんつけて後で騒いで税金の無駄遣いをもっとするんでしょうね。あーやだやだ。


○2015年6月7日(日)

Eberswalder Straßeの駅から2号線にのって降りたのはこちらの駅でした。


Klosterstraße駅。修道院通りの駅とでもいうのでしょうね。
駅は・・・ほとんど誰もいません。

ただ、壁面がね。ちょっと特徴がありますね。


駅そのものは1913年にはあったようですが、その後東西の分断時には西には繋がってなかったのよね。
そもそも、ベルリンの地下鉄は東側はあまり走っていなかった・・と記憶してます。
で、壁がなくなってからリニューアルされた駅でしょう。

かたすみにはこんなものまで置いてありました。


それにていも人がいません。
おそるおそる外に出てみました。だって方向が今ひとつ分からないんですよね。地下鉄だと。

あ、知っている建物が見えた!


そう、これこれ。


ベルリンテレビ塔 Berliner Fernsehturmですね。
東ベルリンのシンボル的存在だったんじゃないでしょうか。

今ではお金さえ出せは誰でも上れるのですが、分断当時はここに上れたのはどういう人だったのでしょうか?
だってこの上からは分断された西ベルリンがばっちり見えたんですものね。

テレビ塔の左側にある煉瓦の建物は赤の市庁舎。19世紀半ばの建物ですが、戦後復興されたようです。


実は次ぎのお約束にはまだ時間がはやかったので・・こちらの博物館を覗くことにしました。



Ephraim-Palais
エフライム宮です。Veitelハイネ・エフライムVeitel Heine Ephraimの館。彼はプロセイン王アレクサンダー二世の金庫番だったユダヤ人宝石商だったようです。

そこで行われていたのは・・分断当時の『西ベルリン』を回顧する展覧会。なかなか面白かったです。
元東ベルリンの博物館での展覧会というのもなんだかおもしろいですね。

そろそろ約束のお時間も近づいてきたかな・・ということで目的地に進みます。

シュプレー川のデッキのようなところに写真の展示がありました。で目にしたのは・・・あら、こちらでも有名人ならぬ猿なのね。


気持ちよさそうですね。

目的地は・・・あちらではありません。


あちらは旧博物館。
kおばちゃんの目的地は通りをはさんだ反対側。


こちらの側です。それにても・・・暑いです。


目印はこの建物なんだけれど・・


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日曜日の昼下がり(ベルリン)

2016-05-23 19:25:27 | ドイツ
ここのところやたらと暑い。
土日はちょっとお飲み過ぎのkおばちゃん。一瞬ここはどこ??となるので困ってしまう。
そろそろ足をあらわないと。

そういえば、最近のマスゴミさんのターゲットは都知事のようで、それにしてもまあ、次から次に良く出ますね。

へそ曲がりのkおばちゃんは、何故この時期??とネタの出所を疑ってしまう。
だって昨日今日起こった事じゃないでしょ??
このリークってのは何か理由が絶対あると思っちゃってますよ。

まあ、思い当たる節は・・・・某広告代理店のオリンピック裏金問題。
だって、日本では殆ど実名報道されて無いけど、最初にスクープしたガーディアンにはちゃんと電●と載っているのよね。

kおばちゃんの下衆の勘ぐりとしては、某都知事も選挙対策やら、なにやらで電●とは濃ゆい関係があって、完全に血祭りにあげられちゃったのかなということ。

パナマ文書にも名前があがっているのに、全然スルーだもんね。
よっぽど某都知事の内情を知っているひとじゃないとここまでリークできないでしょう。

なにを世間からもみ消そうとしているのか・・ネットの片隅にくらいしか引っ掛かってこない電●の『電通力』とはにんぞやですね。




○2015年6月7日(日)

プレンツラウアー・ベルク Prenzlauer Bergのぶらぶら散歩、辿り着いたのはマウアーパークMauerpark(壁公園)です。



戦前は貨物駅だったとか。大戦後の冷戦時代には敷地内に壁がそびえていたことからこのMauerparkの名前がついたようです。

なんだか楽しそうに、人がたくさん集まってます。


なんでも日曜日の蚤の市で有名なそうですが、気持ちのよさそうな野外カフェもあります。


奥はピクニックスポットになってるみたいです。


これからピクニックに向うのでしょうか。


引っ張っている荷物のワゴンが可愛いです。

こちらではなにやら人だかり・・


これも売り物??


お手製のロボットのようです。
バッテリー電源で動いているみたい。なんだか形は日本のアニメによくでてくるような感じですね。

ラベンダーでしょうか?紫色のお花もきれいですね。

この公園はベルリン市民の憩いの場所というか人気スポットなのでしょうね。次から次と駅の方向から人がやってきます。

そうそう、公園の片隅の隠れた人気スポット??


なんでこんなところに?ということと、なんでみんな撮ってるの?ですよね。面白い。

もう少し公園の中に入ればよいのでしょうけれど、午後からご予定もありますので・・駅に戻ります。

Eberswalder Straßeの駅に戻ってきました。
あら、ケバブ屋さんがあります。お値段は・・・kおばちゃんのお宿のそばより安い!


ということでお持ち帰りすることにしました。

まだ早いのかな?お客さんは殆ど無し。店番のおにいちゃんもボーっとしててkおばちゃんが声をかけるまでボーっと佇んでました。


さて、お次ぎに移動しましょうね。
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古くて新しいプレンツラウアーベルク地区(ベルリン)

2016-05-18 19:00:47 | ドイツ
今日も爽やかなお天気。
まだ、梅雨にはいっていなんだよね、と再認識。

私鉄の脱線事故があったとか。結構頻繁に列車の通る路線でしょう。
kおばちゃんも年に数回利用するけれども、あんなところへ??と思ったのであります。

まさか線路の劣化じゃないとは思うけど。
怪我人がいなくて良かったです。

でも何時復旧するんでしょうね。


●2015年6月7日(日)

さて、昨日は激しい腹痛に悩まされたkおばちゃん。
昼間にヨーグルトドリンクを飲んで以来・・一応収まって入るけど、なんとなくダラダラと過ごしてあ、こんな時間・・というスタートでした。

今日は日曜日なのでお買い物もできないし・・ということで町歩き。

まず向ったのはこちら。


U2の地下鉄にのっかって辿り着いたのはEberswalder Straßeエバースヴァルデ通り駅 。

今から考えるとなんでここにここに来ようと思ったのかは忘れてます。
気持ちの良い場所・・という情報だったからだとおもいますけど。

この駅のあるあたりはプレンツラウアー・ベルク Prenzlauer Bergと呼ばれる地区だそうです。
戦前からヴィクトリア朝やユーゲント。シュティル等の建物が並ぶとても美しい街並みだったそうで、対戦中も爆撃をうけることなく建物は残ったけれども、東ベルリンにはいっていたため、その後の修復は最近までされていなかったそうです。

駅前からの眺め。大きな建物が残ってます。


今ではすっかり修復されていますね。




ビヤガーデンPrater Biergartenもありましたが・・お昼前だからかまだ営業していませんね。


通りは広いのですが、駐車スペースもたっぷり採れるほど、車の通が少ないです。ま、日曜ですからね。


歩道の部分はなにやら人が集まってますね。


Oderberger Strです。近づいて見ると・・フリーマーケット?


それに朝食の食べられる臨時?カフェ?のようなお店も。


こちらは消防署のようです。Feuerwache Prenzlauer Berg


営業しているブティックもあります。


綺麗に修復された町並みになっていました。

大きな通りに出ましたが・・・おなんだか沢山自転車が。


なにがあるんでしょうね?
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4楽章はアンコール?(ベルリン)

2016-05-17 19:50:29 | ドイツ
今朝はしゃぶりの雨。
それに夕べは久しぶりに地震の警報音を来てしまった。
でも、携帯のエリアメールの音と揺れが同時にきてしまったけれども。

くまもんのふるさとはいつもこんなにゆれてるんだな・・と思ったりして。
たまに揺れるくらいだから、kおばちゃんのボロ屋でも大丈夫だけれども、これが続くとちょっと怖いと実感した。

さて・・



○2015年6月6日(土)

ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館 Gedenkstätte Berlin-Hohenschönhausenのガイドツアーも終わり、建物を後にします。


そういえば、この建物の直ぐそばというか前にある建物の階段の所に、ご婦人が座りこんでいた。風貌からして・・トルコ系?中近東にしては髪はスカーフのみで隠しているだけ。
なんだかちょっと、この風景と違和感があったので覚えているのだけれども、あとで調べたらここは所謂ホステル(安宿)EASTPAX HOSTELとなっているみたい。
そのホームページをみると、シュタージの建物を利用していると書いてりますね。

kおばちゃんが見た感じではホステルというよりは難民収容所??と思うよな雰囲気でした。

さ、そんなことかまってられません。お腹の激痛はやはり定期的にやってきます。
宿にとっとと戻ります。

戻る途中で、ふと思い立って近くのスーパーに寄りました。
思い立ったのは、ヨーグルトを飲もう・・ということ。何故だかヨーグルトドリンクが飲みたくなったのです。
この激痛はきっと胃酸過多かな??と思うので、アルカリ製品を飲めば良いかなとおもったのです。
部屋に戻って一気飲みです。すると・・・あら不思議。あれほど痛かったのが嘘のようにひいて行きます。

まあ、病の気のせいの部分もあるので、なんとなく効いて来たともってるのかもしれませんけどね。

とりあえ一段落。でも、少し安静にしていました。

今晩は楽しみにしていたコンサートがあります。今回のメイン・・といってもよいくらい。
胃の痛みも治まったのででかけることにしました。

そうそう、今日は『UEFAチャンピオンズリーグ決勝』の日です。このために宿代はうなぎのぼりだったんですもん。
地下鉄に乗ってもこのありさま。


これは、宿に戻る時の光景。だからコンサートに出かける時は・・もうギュウギュウです。
まあ、通勤ラッシュに慣れているkおばちゃんにとっては序の口ですけどね。

たった1駅だけなのですが、反対側の出口に進むのに、いつもの通り?の『失礼~!!』と叫び、『ほらこの女性降りるってよ!』と降ろしてもらったりしました。

これは降りた後のZoo駅。

ここからみんなオリンピックスタジアムに向って行こうということなんですけれども、来る列車来る列車満杯ですからね。それに彼ら混んだ電車なんか乗ったこと無いでしょうから・・・どうなったかは知りません。

結局kおばちゃんコンサートに遅れてしまいました。


まあ、一曲目はあんまり興味が無い・・なんて言ったら失礼ですね。
Jörg Widmann作曲
Teufel Amor, symphonischer Hymnos nach Schiller

ということでして・・

お目当ては2曲目です。

1曲目が終ってみなさん休憩にでてまいりました。


その空き?に席に向うkおばちゃんです。


当然舞台上はもぬけのからです。

後半のプログラムは
Peter Tschaikowsky  チャイコフスキー
Symphonie Nr. 6 h-Moll op. 74 »Pathétique«  交響曲第6番 悲壮
です。

ついこの前、というかなんというか・・記憶にとても新しい曲でした。

実はこの曲4楽章から成立しているんですけれども、第3楽章の一番最後が実に盛り上がる終り方をしているのです。そう、とっても派手!
で、クラッシックをあまり知らない方が聞いてしまうと『あ!これで終った!!』と思ってしまうような終わり方なんです。

ついこの前の演奏では、見事にだれも拍手をしなかったので・・素晴らしい!と思ったのでありましたが・・


実はこの瞬間が第3楽章が終ったところなんですが・・・万雷の拍手とブラボーの嵐・・指揮者のバレンボイムDaniel Barenboimも戸惑いの笑みを浮かべながら会場が落ち着くのを待ってました。

で、始まった第4楽章。
静かな曲なだけに・・・アンコールに聞こえてしまいました。

今度こそ終了です。


大変情熱的な演奏でした。
それにしても・・・今日、サッカーの中継も見ずに、この場所に演奏を聞きにきているお客さんはクラッシックがお好きな方ばかりでしょうけれども、3楽章で万雷の拍手をしてしまうんだ・・とびっくりしたkおばちゃんです。
あ、ちなみにkおばちゃんのお隣さんはいかにも地元のという老夫婦でしたが万雷の拍手を送っておりました。
まあ、マナーなんちゃらかんちゃらよりも、感動した事を態度で示すのが本来の姿なんだろうな、と改めて思ったkおばちゃんです。



バレンボエム氏もノリノリでした。






美しい花束嬢にもご満悦でした。


恒例の後の席にもご挨拶。


しっかり楽しみました。
もうすっかり腹痛なんかなくなってしまっているkおばちゃん。

ま、安全をとってこっそり帰ります。


それにしても日が長い。まだ外は明るいですね。


楽しい1日でした。
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アイ・コンタクトも厳禁!!(ベルリン)

2016-05-16 19:30:43 | ドイツ
おさぼりをいい加減にしないと、本とに忘れてしまいます。

でも休みの日はエンジンがもともとかかってないのでダメなのですよね。勢いで書いているkおばちゃんです。

さて。。進めましょ






○2015年6月6日(土)

ベルリン・ホーエンシェーンハウゼン記念館 Gedenkstätte Berlin-Hohenschönhausenのガイドツアーは始まりました。

この場所はシュタージStasiと呼ばれた、東ドイツの秘密警察・諜報機関の刑務所。つまり国家反逆罪に相当するような罪人を収監していた場所です。
もともとは、1939年作られた当時は、ナチス管轄下の調理場だった場所。大戦終了後、ソ連が接収して「特殊収容所3」としてナチスの協力者やスパイと見なされた者がここへ送られということのようです。

最初に入ったのはこの最も古い部分、『Uボート』(潜水艦)と呼ばれていた部分です。


半地下の部屋は外の光が殆ど入らない独房。



この場所で、時には水攻めも行われていたとか。


自白の強要。思想の矯正・・10人に一人がシュタージ(秘密警察・密告者)だったといわれている東ドイツの社会です。

どよーーんとした気分のまんま外に出ました。
そして、お次の建物へ。こちらは『新館』です。


ここで印象的だったのはこのゴムの部屋。


所謂『無音室』となっているようです。もちろん光もはいらないようにして。今は小さな窓があけてありましたけど。
そして、この部屋には『角』がないのです。つまり真ん丸い円形の部屋・・ということだそうです。

扉ものこように分厚いのです。
ここに『囚人というか容疑者』を閉じ込めて・・・ただ閉じ込めておくだけのようですが、角の無い部屋というのは人間にものすごい不安感をおこさせるもののようです。そうですよね。電車に乗ったって隅っこの席は人気ですものね。
半狂乱にさせる・・というか狂乱させるのが目的だったのでしょう。

お次はこの車。


このバンは・・容疑者をここまで運んできた車だそうです。


内部はこのようになっています。


そして、この車も窓が一切ありません。
容疑者にここの場所がわからないように・・ということのようです。容疑者を輸送してくる時は、わざと市内をぐるぐる廻り、ベルリンからとても離れた場所であることを装っていたとか。

いずれにしてもこの車が家の前に停車したら・・・それは人生の終わりを示していたということのようです。

続いて、新館の監獄です。


このようにセットされていると、なんだかここで行われていた残忍な行為が・・薄れてしまうような気がしますが、窓があり、ベットガあっても行われている取調べは変わらなかった訳ですよね。


収監されて居る部屋はこのようにブロック毎に檻でまた仕切られています。


そして、この先にある仕掛けがあります。


その仕掛けは天井についているランプです。


ここに収監されている囚人は所謂『思想犯』。西側とコンタクトをとったり、西側に逃亡しようとしたり・・と反共産主義の輩と見られた人達です。
で、彼らのコミニュケーションを断つためにあったのがこの仕掛けです。

囚人達が廊下を使って移動する場合、他の囚人と鉢合わせをしないように、またしそうになったばあい、コミニュケーションを採らせないための仕掛けです。


このように赤いランプがついた場合は、他の収監者がやってくるというサイン。
これが点灯したら、その場にいた囚人は壁の方を向かされます。つまり、顔をあわせると、アイ・コンタクトをしてしまう危険があるということのようです。
赤ランプがついていたらずーーと壁の方だけを向いていないといけいなということです。

単純だけれども確実な方法ですね。


こちらは取調室だったと思います。(なんせ腹痛を抱えていたので・・あんまり覚えていないのと理解で来てませんでした)


小さな机の方に取り調べられる囚人は座らされたのですが、窓の外はこんな景色です。


四季の移り変わりはわかったでしょうけど、ここの場所を確定できるような景色ではありませんね。

こんな列車の展示もありましたが・・よく覚えてません。


Gehrenseestr.駅が近いですから、引込み線があったのですね。


最後に訪問したのは『虎の檻Tiger Käfig』と呼ばれた場所。


囚人達が唯一、外の光を浴びる事が出来た場所ということです。


もちろん『空』にも金網がはってありました。

そういえば、この『虎の檻Tiger Käfig』と『Uボート』の部分は、このまえ見たあのグリーニッケ橋Glienicker Brückeを舞台にした映画『ブリッジ・オブ・スパイBridge of Spies』でも使用されていましたね。

約1時間くらいだと思います。腹痛と戦いながら・・のkおばちゃんの見学は終りました。

こんな塀に囲まれた施設。


当時はこの建物の存在自体も極秘だったようです。

壁が崩れて・・ここで取調べを行っていたシュタージも一般市民に戻りました。
ある日、ここで収監されていた元囚人がばったりと取調べをしていた元シュタージと出会ったそうです。元シュタージはレストランのボーイをしていたとか。
元囚人はそのボーイを思い切り殴った!ということです。恨み骨髄ということでしょう。

時代が悪かった・・と行ってしまえば簡単です。
でも、その時代に育って行った感情はいつまで立っても消えないでしょう。

以前見たある番組で、元シュタージの女性が、シュタージ養成学校の跡地で『私の何がいけなかったの!!!??』というようなことをつぶやいているのを見た事があります。
その時代の優等生として育ち、ここで教育されたことが『国家にとって良い事』と教え込まれた彼女の人生。
かつての『軍国少女』として育ったkおばちゃんの母の影がかさなり、何とも言えない気がしました。
コメント (2)
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