あ・・・と言う間に1月が終わってしまう・・
例によって今日は大忙し・・でもなんとか終わった!
お天気もよくって・・昼間のお出かけはコート要らず。桜のつぼみも・・なんとなくついてるのはわかるくらいにはなっている。このまま春にはならないだろうが・・
そういえば、数日前に報道されていた耐震偽造のホテル・・実はkおばちゃんとまったことがあります昨年の4月19日のブログに書いたときがそのときなんだけど・・あのホテルチェーンにしてはちょっとお高い値段だったと思う。地震が来なくて良かった。あの時はけっこう外国のお客さんもネットを利用してかお泊りになっていた。今はどうしているのやら・・ウソはいけません!!
○12月30日(土)
ノートルダム大聖堂の辺りをうろうろ・・
カフェのような佇まいのお店が結構見受けられるが
お腹も空いているのだが、何せ日の短い冬。明るいうちに見物できるところはしてみよう・・ということでもっと先に進むkおばちゃんたち。
すると物凄くにぎわっている一角にでた。
マルクト広場Grote Marktである。アントワープの中心で、まわりを市庁舎やギルドハウスが取り囲。
ただ、このときは妙な混雑具合・・なんでかな?と思ったら・・
中心部にスケートリンクが!
その周りをテント張りのスタンドが出ていたりした。
だからご自慢の市庁舎もこのように・・スケートリンク越しに・・眺めましたです。
この市庁舎Stadhuisは1、561年から1564年にかけて建造されたルネサンス様式の建物だそうです。
この広場のもう一つの目玉は、1887年のジェフ・ランボー作のブラボー像の噴水があるようですが・・・わかりませんでした。(知らなかったのもある!)
りこれは、ブラボーBraboというブラバントという名の紀元となった古代ローマの兵士の像で、スヘルデ川で暴威をふるっていた巨人アンティゴーンAntigoonの手(ant)を切り取って投げた(werpen)という伝説に登場する英雄だそうだ。
そして、この伝説はアントウェルペンという地名の由来といわれているとか・・そう、ここアントワープはAntwerpen(蘭) / Anvers(仏) / Antwerp(英)と書かれます。
この町は、15世紀後半にブルージュを追い越してフランドルの毛織物交易の中心地となり、さらに16世紀にはスペインやポルトガルが植民地から仕入れた品物をさばいて隆盛をきわめたが、一時スペイン領となって衰えたこともあったとか。
現在は臨海工業地帯として、バロック芸術の花開いた芸術の都として、ダイヤモンドの町として、そしてファッションの町と活気がある。
なぜ、ここでダイヤモンドか・・この人口45万ほどの町で・・kおばちゃんは不思議に思った。だって採れるわけでもないし、海に直接通じてる町ではないし・・でも、アントワープはダイヤモンドの取引量の世界一を誇り、世界で20ある取引所の内の四つが存在するとか。
何故??何故?と思ってちょこっと調べてみたら・・
要するに、この産業を牛耳っているユダヤ人が、イスラエルへの1極集中を嫌い、米国も独禁法等の法的規制が強いので敬遠され・・インドもインフラがない。そして、ホロコーストの後ユダヤ人が特に多く居住するようになったことに加え、ベルギー政府が税制を始めとするダイヤモンド産業に対する優遇措置で支えている現実・・というのがあるようだ。
だからここアントワープは、ダイヤモンド鑑定機関、ダイヤモンド取引専門の銀行、ダイヤモンド輸送会社、ダイヤモンド研磨用機材の販売店等々そろっており、その上、街ぐるみの警備態勢がダイヤモンド取引の場としての信頼性を高め、産業として発展している・・ということらしい。
ふ~~ん。と思ったkおばちゃんです
ただし、残念ながら・・・年始年末休暇(土日も含まれていたので)でダイヤモンド産業は覗いてきませんでした。欲しくなったら大変だったかも・・・でも先立つものがないから大丈夫かな??
そうそう、手投げ小僧、下から2番目の写真のをよーーく見たら写ってました!!
でも、現地ではごちゃごちゃしていてちっとも気がつかなかったkおばちゃんたちでした。ああ、お粗末!!
そうそう、ファッションではダッフルコートduffel coatはこのアントワープの近郊のダッフル地方で作られたられた起毛仕上げの厚手のメルトン生地(紡毛織物、ウール生地)を利用してつくられたからこの名前があるそうです。
「フランダースの犬」だけが有名ではないんだなあ~と改めて思ったkおばちゃんです。
例によって今日は大忙し・・でもなんとか終わった!
お天気もよくって・・昼間のお出かけはコート要らず。桜のつぼみも・・なんとなくついてるのはわかるくらいにはなっている。このまま春にはならないだろうが・・
そういえば、数日前に報道されていた耐震偽造のホテル・・実はkおばちゃんとまったことがあります昨年の4月19日のブログに書いたときがそのときなんだけど・・あのホテルチェーンにしてはちょっとお高い値段だったと思う。地震が来なくて良かった。あの時はけっこう外国のお客さんもネットを利用してかお泊りになっていた。今はどうしているのやら・・ウソはいけません!!
○12月30日(土)
ノートルダム大聖堂の辺りをうろうろ・・
カフェのような佇まいのお店が結構見受けられるが
お腹も空いているのだが、何せ日の短い冬。明るいうちに見物できるところはしてみよう・・ということでもっと先に進むkおばちゃんたち。
すると物凄くにぎわっている一角にでた。
マルクト広場Grote Marktである。アントワープの中心で、まわりを市庁舎やギルドハウスが取り囲。
ただ、このときは妙な混雑具合・・なんでかな?と思ったら・・
中心部にスケートリンクが!
その周りをテント張りのスタンドが出ていたりした。
だからご自慢の市庁舎もこのように・・スケートリンク越しに・・眺めましたです。
この市庁舎Stadhuisは1、561年から1564年にかけて建造されたルネサンス様式の建物だそうです。
この広場のもう一つの目玉は、1887年のジェフ・ランボー作のブラボー像の噴水があるようですが・・・わかりませんでした。(知らなかったのもある!)
りこれは、ブラボーBraboというブラバントという名の紀元となった古代ローマの兵士の像で、スヘルデ川で暴威をふるっていた巨人アンティゴーンAntigoonの手(ant)を切り取って投げた(werpen)という伝説に登場する英雄だそうだ。
そして、この伝説はアントウェルペンという地名の由来といわれているとか・・そう、ここアントワープはAntwerpen(蘭) / Anvers(仏) / Antwerp(英)と書かれます。
この町は、15世紀後半にブルージュを追い越してフランドルの毛織物交易の中心地となり、さらに16世紀にはスペインやポルトガルが植民地から仕入れた品物をさばいて隆盛をきわめたが、一時スペイン領となって衰えたこともあったとか。
現在は臨海工業地帯として、バロック芸術の花開いた芸術の都として、ダイヤモンドの町として、そしてファッションの町と活気がある。
なぜ、ここでダイヤモンドか・・この人口45万ほどの町で・・kおばちゃんは不思議に思った。だって採れるわけでもないし、海に直接通じてる町ではないし・・でも、アントワープはダイヤモンドの取引量の世界一を誇り、世界で20ある取引所の内の四つが存在するとか。
何故??何故?と思ってちょこっと調べてみたら・・
要するに、この産業を牛耳っているユダヤ人が、イスラエルへの1極集中を嫌い、米国も独禁法等の法的規制が強いので敬遠され・・インドもインフラがない。そして、ホロコーストの後ユダヤ人が特に多く居住するようになったことに加え、ベルギー政府が税制を始めとするダイヤモンド産業に対する優遇措置で支えている現実・・というのがあるようだ。
だからここアントワープは、ダイヤモンド鑑定機関、ダイヤモンド取引専門の銀行、ダイヤモンド輸送会社、ダイヤモンド研磨用機材の販売店等々そろっており、その上、街ぐるみの警備態勢がダイヤモンド取引の場としての信頼性を高め、産業として発展している・・ということらしい。
ふ~~ん。と思ったkおばちゃんです
ただし、残念ながら・・・年始年末休暇(土日も含まれていたので)でダイヤモンド産業は覗いてきませんでした。欲しくなったら大変だったかも・・・でも先立つものがないから大丈夫かな??
そうそう、手投げ小僧、下から2番目の写真のをよーーく見たら写ってました!!
でも、現地ではごちゃごちゃしていてちっとも気がつかなかったkおばちゃんたちでした。ああ、お粗末!!
そうそう、ファッションではダッフルコートduffel coatはこのアントワープの近郊のダッフル地方で作られたられた起毛仕上げの厚手のメルトン生地(紡毛織物、ウール生地)を利用してつくられたからこの名前があるそうです。
「フランダースの犬」だけが有名ではないんだなあ~と改めて思ったkおばちゃんです。