Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

青は大人への入り口(イスタンブール)

2011-03-31 23:45:16 | トルコ
今日は月末期末・・っていうのはあまり関係ないのかもしれないが、久しぶりに顔をあわせる人が多かった。
そんな時の会話は、この前の震災の時にどうしていたか・・という話。

kおばちゃんの所は震災の被害は直接ないのだけど、みんな帰宅難民になりかけたり、子どもが立ち往生したりと記憶に残る一日だったからだ。
で、kおばちゃんも『いやぁ、なんな揺れ今まではじめてで・・』といったら『なにいってるのよ。80年生きてる私もはじめてだったんだから・・』と言われてしまった。

被災地にいらっしゃる方の、経験なんかに比べようがありませんが、東日本の共通の話題の一日ということで、改めてことの大きさを感じましたです。

そうそう昨日も書いた、仙台行きのバス。きょうは2台しかみえないな・・ともったら少し遅れて3台目が・・今日もトリオで走っておりました。

そうそう、今有名なブログがあります。この方は被災地に医療支援のために入ったかたで、その時に感じたことを素直に書いてらっしゃいます。言葉に力があるので、その思いが良く伝わってきて、皆さん感動してらっしゃいます。
もちろんkおばちゃんも感動いたしました。

で、コメントのなかに何回か出版業界のかたからの出版を誘うようなものがあるのですが・・kおばちゃん的にはやはりネットの社会の中にあるのことが価値のあるように思えるのですが・・

○1月3日(月)

何時まで経っても終わらないkおばちゃんのトプカプ宮殿の見学です。
第4の庭園のエリアで、バグダッド・キオスクの見学を終えて戻りましょう。


テラスの端の方にあるこれは泉というか噴水らしいのですが・・水がでておりません。

右側にある建物は見学できるよう様なので行って見ました。この部屋にはガードマンがおりました。


天井はドーム型ではありません。

部屋全体は割と細かい模様のタイルで覆われているようです。

この部屋は割礼ルームSünnet Odasıと呼ばれる部屋で、王子が大人になる通過儀礼としての割礼をこの部屋で行っていた夏の部屋Yazlik Odaということらしいです。割礼という儀式は現在でもイスラム教徒、ユダヤ教徒では行われており、特にトルコでは日本の『七五三』のように、お祝いとしてとらえられているようですが、当時も祝い事の一つだったんでしょう。
この様に歌舞の祝宴がもようされたりしていたようです。

この絵はアハメド3世 Ahmed IIIの3人の息子の割礼の祝宴で15日間の昼夜続いたそうです。

部屋の内装はそれほどでもないのですが。この部屋の特徴は外壁にあったと思います。

冒頭の画像もそうですが、この様に美しい青色をしたタイルがはめ込まれています。


色鮮やかで明るいこの青色は大人への入り口に差しかかった王子たちにはどううつったのでしょうね。


建物を繋ぐ通路もなかなか味がありますね。
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バグダッド・キオスクからの眺め(イスタンブール)

2011-03-30 19:48:48 | トルコ
ここのところ朝出会うのが、回送のためにスタートの駅に向う高速バス。
その行き先は『仙台』である。震災以降気が付けば、いつも3台連なっている。
被災地により近く行く公共交通機関としては、鉄路の繋がっていない今はこのバスしか足がないのでしょうね。

つい先日までは一番後ろのバスに『ペースカー』と書いてあった。多聞迷子にならないように3台いつも連なっているんでしょうけどね。
今日のバスにはこの『ペースカー』という標示が見当たらなかった。

被災地に向う道路の復旧が進んできっと走り易くなったんでしょうね。

毎朝、彼ら(バスに)『気を付けていったらっしゃ』と心の中でご挨拶しているkおばちゃんです。

もうすぐ桜も咲きますね。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿で、とりあえずお目当てはクリアしたkおばちゃん。お腹もいっぱいになったので満足満足です。

ところで、kおばちゃんがお食事をしたレストランはこの宮殿の一番奥にあります。だからどっちみち引き返さなきゃ行けないのだけれど、来た順路じゃない方に向いましょ。

そうそう、その途中で見かけたのがこのトプカプ宮殿の『通用門?』でしょうか。


こんなところから荷物の搬入をしておりました。

そんなものを横目に眺めながら皆さんの人波に乗っかって歩きます。はい、長い物に巻かれちゃいます。



途中こんなエリアがありました。多聞これは『薬草園』だったんじゃないか・・と思いますが・・


この辺りは第4の庭園とよばれるエリアだったと思います。辿り着いたのはこんなところ。


向こうに東屋風の建物が見えますね。その手前のテラスの中ほどにこんな見晴台のようなものがあります。


ここからの眺めはこんな感じで新市街が見えます。


さて、この東屋風の建物にはいりましょう。ここはバグダッド・キオスクBağdad Köşküと呼ばれるたてものだそうです。
この建物の天井も美しく色彩が施されたドーム型ですね。

この建物は1638年にムラト4世 Murād-i rābiの『バグダッド奪還』を記念して建てられた建物のようです。だからコンナ名前で呼ばれてるのね。
彼は実際に先頭きって戦いを指揮するタイプの王様だったようですが、もう一方でイスタンブールのアルコール、タバコ、コーヒーを禁止し、禁を犯すものは直ちに処刑するという冷酷な面も持ちあわせていたようです。
そして・・・なんと彼自身はアルコールの愛飲酒者だったというから・・いかに冷酷な王様だったかということでしょうね。
kおばちゃんこの時代に生まれなくてよかった!

この壁にはそんなことでも書いてあるんでしょうか???


この建物には窓の外に少し見えるようにテラスがぐるりとついています。

この螺鈿の細工の扉の向こうも窓でしょうか?

だって、さっきの窓のところにも同じ扉がついていますから。


この建物の周りに付いているテラスの部分は立ち入り禁止になっていますが、ぎりぎりのところでとった景色がこれ。


冒頭の画像もそうですがガタラ橋がみえますね。ということは向こうからもこちらが見えると言うことですね。

振り向けば、さっき眺めた見晴台も望めます。


この建物はこのトプカプ宮殿の一番端っこになるんでしょうね。


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マルマラ海を眺めながら(イスタンブール)

2011-03-29 18:59:55 | トルコ
今日は割りと暖かな一日。こういうお天気になると俄然勢力が強まるのが・・花粉症。
いやにないます。

マスク無しでは歩けない虚弱なkおばちゃんです。
マスクといば、このたびの震災の報道で、東京でマスク姿が多いのを『原発を気にして』なんて報道している海外のマスコミもだいぶあると聞く。日本だけじゃなかったのねマスゴミといわれるような報道をするのは。

春はもうそこ・・って来てるか。kおばちゃんの家の庭の梅ノ木とさくらんぼの木はもうとっくに花が咲いて散ってしまった。かろうじて椿がまだ頑張ってるけど。
昼間忙しくて目でる時間が無いのが残念な季節です。

今日のニュースで津波に襲われた地区で梅の花が咲いたというのをやてっいたけど、津波も持って行かれず、塩害も克服して咲く梅の花って何て強いんでしょう。と感心したkおばちゃんです。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿で見学もそっちのけで場所をさがすkおばちゃん。いえ、おトイレではありませんよ。時刻はお昼をとっくに過ぎています。ということで腹ペコ状態だったんです。

ここトプカプ宮殿には有名なレストランがある・・と聞いていたのでそれを捜していたのです。
さっき、一度目に聞いたとき教えられたのは売店のようなところでした。違う違う。
kおばちゃんは一人旅。で、一人旅でまともな食事を、まともなお店で食べようと思ったら『お昼』がいちばんいいんでしすよね。
ディナーだと肩身が狭い一人モンですからね。

ということで、ここトプカプ宮殿でお昼を頂くことにしておりました。探し当てたのは・・こんなところ。


うーーん。イメージが違います。雨が降っているのもありますけど。。違うよな・・
と思ってとりあえず、階段を降りて行きましたら、建物の入り口があり、『レストラン』と矢印がついていました。で、また屋内の階段を上るkおばちゃん。

お外のテラス席ではテントのあるところでお茶をしているお客さんが何組かいました。

で、階段を上ると・・うん。それっぽい!


お部屋の入り口で佇んで室内を見回すと・満席かな??と言う感じです。皆考えることいっしょのようですもんね。

佇んでいたら、ボーイさんがやてきて『お一人ですか』ときかれたので、『そうです。食事できますか?』と聞くと・・テーブルに案内されました。

本当は窓側が・・と思いましたが、お一人様でそんなゼイタクな選択肢はねえ・・丁度相席のような感じで4人+2人のしつらえのテーブルの2人の所を利用させてもらえそうです。


早速座って・・とりあえずのワインです。体が温まります。

このお席は4人が窓際にすわっていますが、kおばちゃんの席からも冒頭の画像のようにお外は見えます。

窓の外に見えるのはマルマラ海です。


この海マルマラ海はエーゲ海から続いていてボスポラス海峡を通って黒海へと続いているんですよね。
隣のテーブルは4人組でご両親とお子さん達です。で、窓際のお兄ちゃんは、お年の頃なら10中ごろでしょうか?親の旅行に付いてきた、けど興味なんかありませんよ・・ってな世代ですね。

kおばちゃん的にはマルマラ海と一緒に、このご家族を観察(失礼!)することが出来て、面白かったですけどね。

さてメニューを眺めて・・うーん。どれも食べたい・・とは思ったけれど、とりあえず頼んだのはイスタンブールなんちゃらと名前が付いていたようなきがするんですけど・・忘れました。

とりあえずのパンと、香辛料その他です。


ワインを飲みながら、そうそう、さっき立ち寄った売店でトプカプ宮殿のガイドブックを買いましたからそれを眺めていました。
宮殿のガイドブックは最初大きな本しかなかったのですが、聞いたら小さいのもあるということでそちらをカードで購入しました。大きいのは持って帰れないとダダをこねたのです。

メインがやってまいりました。


シンプルなシシカバブ(ケバブ)です。でもマッシュポテトも美味しかったし、お野菜が美味しかった!!ぺろりと頂きました。

kおばちゃんんがメインを頂いている間にお隣のご家族は出発してしまい、この眺めを独占です。


メインを終ったら・・デザートを聞きに来たのでもちろん頂きました。


確かミルクプディングだったような・・記憶が曖昧です。
デザートのなかで一番軽めのものを注文した記憶があるんですけど・・

kおばちゃんがお食事を終るころに、またご相席のお客様がいらっしゃいました。


今度もご家族ですが5人なのでkおばちゃんの前のお席にも一人お嬢さんがお座りになりました。
ちょっと線の細い子だな・・と思っていたら案の定余り食欲がないらしくて、メニューを眺めて皆さんがお肉料理を注文しているのに彼女は『スパゲティーなら食べられるかな』と言って胃を押さえてました。

さて、明るいうちにまだ周りたいところもありますのでkおばちゃんはこのあたりで失礼しましょう。

お勘定を済ませて外に出ようと入り口から見ると・・あら結構良い雰囲気ですね。


お食事も美味しいし眺めもステキナレストランでした。
但し、イスタンブールの平均から行くと料金はお高いと思います。でもこれも思い出ですからね。

多聞
窓の外に見えるのは昨日訪問したアジアサイドですね。昨日船の上から見たナイチンゲールの活躍したセリミイェ兵舎Selimiye Barracksですね。

レストランの名前はKONYALI TOPKAPI SARAYI
KONYALI TOPKAPI PALACE RESTAURANTです。
何でもアタチュクル氏はもちろんのこと現エリザベス女王陛下、大統領時代のニクソン氏等々有名人もお食事をされたとか。
あらま、そんな有名なレストランだったんですね。

ところで、出入り口はこちらが正面玄関でした。失礼いたしました。


さて、お腹もいっぱいになったし・・・
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帝国評議会とムハンマドの旗印(イスタンブール)

2011-03-28 23:41:37 | トルコ
今日からまた新しい1週間。月末期末だというのにエンジンが今ひとつである。

さいきん流れてくるがんぱつ関連の情報。kおばちゃんにとちゃ、あっぷあっぷのじょうたいなのであまり聞かないことにしている。
だって、聞いたからって『それがどうした!』状態のニュースばかりでしょ?

けっしてメルトダウンがいいとは言いませんが、今の状態って『何とかの生殺し』のような気がしてしまうのはわたしだけでしょうかね。

記者会見で質問している記者の皆さん達は、この事故が発覚した最初からそうなのですが『数字』ばかり追いかけてる。
まあ、社会部の記者さん達は付け焼刃的な知識しかないから、おっかけるとしたら誰にでもわかる数字の違いなんでしょうね。

kおばちゃんとしは、一々数字を教えてくれなくてよろし。
数字を聞いた時点で、脳みそが活動を停止してしまいます。

小さなお子さん達をお持ちの親御さんは考え方が違うのでしょうが、kおばちゃんのようなお年よりは、余命のことはあんまり考えてないから『めんどくさいなあ』と思ってしまうのかもしれませんね。

各国の規制の数値でも一覧表にして、今の電力使用状況のようにグラフにしてくれればまだよいのですけどね。現在の測定値なんてね。

ここのところ数字をみているとイラツイテくるkおばちゃんです。短気はお年よりの証拠ですね。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿Topkapı Sarayıの見学はまだまだ続きます。
さて、考えてみたらハーレムの出口から出てしまって・・門を通っていなかったkおばちゃん。

改めて門から出て、振り返ってみました。

立派な門ですね。『幸福の門Bâbüssaâde』と呼ばれている門だそうです。


この門は特別な式典、特に慶事の行事の祭に使用されたそうです。

そしてその門のまん前にこんなものがありました。


これは、戦いに行く時に預言者ムハンマドの旗を立てた場所だとか。天下無敵のオスマントルコ軍ですもんね。

で、この門の前に広がるのが第2庭園と呼ばれる場所なのですが・・さっきkおばちゃんはパスしてハーレムに直行してしまいました。

そして『幸福の門Bâbüssaâde』を背に右側に見える塔は『正義の塔Adalet Kulesi』


この塔はトプカプ宮殿の中で一番高い構造物。で海から見てこのトプカプ宮殿のランドマークとなっているそうです。
そういえば、昨日夕方アジアサイドから帰ってくるときにも見えていました。


左寄りにちょこんと高い建物・・これがそうですね。

この塔は帝国評議会とハーレムの間に位置しているそうです。ということで、ハーレムじゃない部分を見学しましょう。

ここから入ってみましょう。

ドームの下でという別名が帝国評議会にはあったそうで、その名のとおり、美しいドーム天井が続きます。


圧倒される優雅な美しさですね。

ドーム型の意味するところはなにかあるのでしょうかね?

天井から下がっている金色の玉は『地球』を意味しているとか。

この部屋で市民の問題等の重要事項、行政政治的、宗教的な事がらが議論されたのでしょう。
帝国評議会は別名『Dîvân Heyeti』。Dîvânとは長椅子という意味らしいです。


メンバーは主席宰相や軍事担当大臣、大蔵大臣、外務大臣はもとより、イスラム教指導者ももちろんで、イスラム教徒司法大臣が出席していたようです。


で、スルタンである王様は金の格子越しに各大臣などの自由なやり取りを聞くことができた・・と説明していたような・・
金の格子越しに皆さんのご意見を聞いていらしたということだったと思います。

それにしても、この帝国議会がハーレムと背中合わせとはね。

ところで、kおばちゃんの探しているものはここにはありませんでした。
一応聞いたのですが・・違うところを教えられました。

で、もう一度聞いたら・・やっぱりこの門の内側だそうです。


なーーなだ。と戻るkおばちゃんです。
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生コーランを聞きながら(イスタンブール)

2011-03-27 23:59:37 | トルコ
今日もお休み。3月の下旬というのに寒いです。
しかしお日様燦燦、お布団干しが楽しいのだが、ちょっと覗いたらわが猫の額の庭は野良ちゃんのパラダイスとみえて、あっちでこっちで日向ぼっこ。

見知らぬkおばちゃんの行動をあやしみ、ジーーと見つめる視線をかんじて、何故かkおばちゃんの方が身をかくして行動しちゃうのよね。

日向の縁側で手足を伸ばして寝ている姿をみたら・・ちょと追い出せませんわな。

世の中心配事は色々あるんですけど、とりあえず太陽の恵みを感じた日曜日でしたね。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿の見学はまだ続きます。
で、多分このあたりも撮影禁止だったのだとおもいますが、聖遺物室。
その名のとおりイスラム教にかんする遺物、たとえば預言者ムハンマドの髭の毛が収まっているという小箱などが色々展示してあったと思います。
そういえば、イスラム教って偶像崇拝を禁止しているのよね。だからムハンマドの遺物が聖遺物ということになるんでしょうね。

で、その聖遺物室の片隅で、これも聖遺物の一種なんでしょうけども・・冒頭の画像のように生コーランの朗誦が行われています。
淡々とコーランを朗々と読み上げています。

そしてその読み上げるコーランの節は、このように画像でも写されています。


コーランと一般的によばれているのはクルアーンقرآن qur’ān、イスラム教(イスラーム)の聖典のことで、れはアラビア語で書かれていると聞きました。

トルコ語もアラビア語もまったくわからないkおばちゃんですので、彼がアラビア語で朗誦しているという確証はありませんが、このようなトルコ語の翻訳と思われる画面もあります。


このコーランの朗誦はここによると一時途絶えたものの、1996年以降24時間行われているということですが・・夜中はどなたがお聞きになる・・いえ、これは人様におきかせするというこではありません。

その他の部屋の展示では装束、コスチュームの展示なんていうのもなりましたね。

イスラームの世界に浸ったあとは・・さて・・この右端の建物に行って見ましょう。


ここは拝謁の間
Arz Odasıとでもいうのでしょうか。

拝謁する前この入り口から入りますが・・

この画像に写っている入り口の左側にある金の格子の窓は『貢物の窓』と呼ばれているとか。大使一行の持ってきた貢物をこの窓のところにおいておいたということでしょうか。

そして入口右側にあるこの泉はスレイマン1世の泉というらしいのだが、なんでこんなところにあるかというと、部屋の中の会話を聞かれないために、絶えず水を流していたということだったと思う。

入り口の上にはこの様な文字が書かれていますが、これはアブデュルメジト1世Abdülmecid Iを賞賛するモノグラムですかね??

さて、ここまで辿り着いたのですが・・kおばちゃんちょっともう一つの目的を思い出しました。

さて、それはどこにあるのか・・・判っていないので探しに出ます。

あちら側かな?
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行列の先は・・(イスタンブール)

2011-03-26 22:18:49 | トルコ
kおばちゃんのところはおかげさまで計画停電のグループに入っていないのだが、今度細分化されると騒いでいる姉からの相談。
新聞に出ているグループ分けとホームページで検索した細分化のグループが違うと騒いでいるのである。どうしよう・・というのだか、それを私に聞いてどうする!とつっぱねた。

だって、聞くところは違うでしょ?何でもお客様相談窓口に電話しても繋がらないからというのだが、実施は今日じゃないでしょ?そのうちかかるんじゃない?で、私になんて言ってもらいたいの?とちょっと説教口調。

結果としては、地方自治体に聞いて正しいグループを知ったようだが、この時も思った。
よく、『情報がない。情報を知りたい。』と騒いでいるのを色々見聞きするけど、それは情報を得る手立てを考えないのもあるんじゃないかと思うのです。
自分からアクションを起こさなければけいないのを、座して待つ。それじゃ情報は入りませんよね。

あとは、情報がありすぎてどれが正しい情報かわからなくなってしまって『(正しい)情報がない』となってしまうのでしょうね。

なんだかな・・

○1月3日(月)

トプカプ宮殿Topkapı Sarayıの見学は続きます。
やっと本日の目玉のハーレムは見学し終わりました。さて、お次はどうしましょうか。
とふと見ると・・なにか行列があります。


あらま、なんの行列でしょう。とりあえず列に並ぶkおばちゃんです。


まったくいい加減なやっちゃ。今日は雨模様です。

で、行き着いた先には冒頭の表示がありました。
大きくしてみると

あら、撮影禁止ですね。
そして、ここに書いてある通り、『宝物館』です。建物はもともとはメフメト2世Mehmed IIの時に建てられたEnderunハマムだったところのようですね。

さて、入場です。

部屋はたしか3つに分かれていたと思います。
金銀財宝、いわゆる宝石で出来た宝飾品や宝刀・・等々目もくらむとはこういうものでしょうね。
何故かアラビアンナイトを思い出したkおばちゃんです。

それにしても・・アレだけ列をつくって並ぶって言うことは・・世界共通『光物好き』ということでしょうね。

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皇太子様はお船がお好き?(イスタンブール)

2011-03-25 23:59:32 | トルコ
flyjinっていうコトバを今日知った。fly + gaijinという意味、つまり日本を脱出する外国人のことだそうだ。

今日、御用で出かけた銀行でみかけた風景。
最近の銀行はフロアー係がいるのだけれど、kおばちゃんの行く銀行はその場所柄フロアー係は英語も堪能だ。
で、そのフロアーの女性と、おしゃべりをしていた金髪の女性。
喜久井とはなしに、聞いていたのだけれど、どうも今日で最後ということでお別れの挨拶をしているようだった。
いつも親切に教えてくれたありがとう・・というようなことを話していたけど・・彼女もflyjinのようであった。

やっぱり原発が怖いんでしょうね。
まあ、逃げるあてもないkおばちゃんは、どっぷり根を下ろしておきましょう。

そういえば、お水騒動。kおばちゃんは関係ないと思っているけど、今日スーパーで見た光景。
お水を求めていたのは・・すごいご高齢の方。うーーん。お孫さんでもいればよいけど、どう見てもな・・『体に悪いかもしれない・・』という情報のみ拾ってしまって他の部分は耳に入らないんでしょうね。困ったもんだ。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿のハーレムの見学を続けるkおばちゃん。
お次のお部屋はアハメド1世I. Ahmed Has Odasıの私室だったとおもいます。
この象嵌の扉はここのものだと・・

窓に金の格子越しに外が見えますがあまりパッとしない眺めかな?

そしてお隣はアハメド3世III. Ahmed Has Odasıの私室ですが・・撮影禁止です。


Wikipediaさまより借用してまいりました中身はこんなこんな感じです。


美しいですね。

で、お次に進んだのは・・皇太子はŞehzadelerのお部屋だそうです。


お部屋は2つの部分から出来ており、この様に金色(に見えないか?)の天井を持つ部分


この様な絨毯がしかれており、


この様な暖炉がある部分と

この様な天井を持ち


この様な絨毯が敷かれソファが置かれています。


そのソファの処このような窓があります。

この部屋で皇太子は成人するまで過ごしたようです。

そしてこの部屋はハーレムの一番外側に位置しているようで、外にすぐ出ることが出来ます。

外に出ると目に入るのは『お気に入りの中庭Gözdeler / Mabeyn Taşlığı VEDairesiと呼ばれる部分。


この景色は皇太子の部屋を背中に見た感じですね。

そして左奥にはこの様なプールがあります。


解説によると、このプールに船を浮かべたのを見て楽しんでいたとのことです。
その様子は、冒頭の画像もそうですが、この様な窓からも眺めることができるようです。


さっき室内で見た上部に色ガラスの入った窓ですね。

これで、ハーレムの主な見所の見学はお終いのようです。
この道を通って外に出ましょう。

この通路はさらにこの様なところをとおってゆきます。

この細い路地は『黄金の道Altınyol』と呼ばれ、ハーレムの宦官の部屋やスルタンの私室をも結んでいます。
祭日の日等にはこの道で金貨がばら撒かれたようです。

そしてその先に見えるのはこんな風景。

さあ、これでハーレムの見学は終わりました。
別料金ながら見ごたえのある部分でしたね。
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9時5分で止まった時(イスタンブール)

2011-03-24 23:51:45 | トルコ
今日も割りと大きな揺れがあった。いつも揺れてるような感じがしていけませんね。

kおばちゃん、この非常時にまともに動くラジオがない。と、そのことを以前南仏で遊んだ友達に話したら・・送ってきてくれた。うれじい!!
彼女のいるところはkおばちゃんのところから600キロは離れてる西のほう、でぞのまえの晩に宅配を頼んだらしいのだが・・普通扱いで24時間しないうちに到着。

kおばちゃんよりも北の方面に向かう物流は時間がかかるけど、それ以西は通常のよう。
そういえば、今日宅急便のおにいちゃんに聞いたら、被害の激しかった地方は『宅配』ではなくて『ステーションにとりにゆく』ということで、配達を引き受けてるということだった。
夕方見かけた風景はカップめんの入った箱を手押し車の2連結に満載した収集のお兄ちゃんの姿。思わず後ろの車の舵を取ってあげてしまった。だって危ないもん。

多分どこかの企業が緊急物資で放出したものなんだろうけど・・ちょっと前までは受け付けていなかったので、随分インフラが回復してきたんだと実感したkおばちゃんでした。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿のハーレム見学はまだ続きます。バスルームのあと向かったのは・・広くて豪華な部屋


ここは『インペリアル・ホールHünkâr Sofası』と呼ばれる広間です。
現存してるのは1666年の火災以降の内装のようです。
主にこの部屋では、公式の催し物が行われ、皇太后や皇后、それに後宮たいもそろって芸能に興じたり、祝祭的行事を行った部屋のようです。

窓も広く明るいので、画像の光が飛んでしまいました。

このホールの片隅にある時計はビクトリア女王からの贈り物だそうですが・・
9時5分で何故か止まっています。

この9時5分というのは現在のトルコ共和国の祖、初代大統領であるムスタファ・ケマル・アタテュルクMustafa Kemal Atatürkのなくなった時刻だそうです。
彼はここではなくて、ドルマバフチェDolmabahce宮殿で、1938年11月10日になくなっているんですけどね。

その時以来トルコの時は止まってしまった・・ということでしょう。

部屋はとっても広いですね。

見物のお客さんもいっぱいです。

そしてお次はムラット3世III. Murad Has Odasıの私室で、ここはハーレムでももっとも古い部分のようです。


この部屋の天井はものすごく豪華ですね。


ここにあるのはストーブでしょうか。

窓も色ガラスが入ってますね。


この棚のようなものはなんだったけな??

忘れてしまいましたが・・・これもイズニックタイルと呼ばれる焼きものでしょうか。たしかイズニックタイルの特徴は『深い青、ターコイズブルー、エメラルドグリーンそし血の赤』と聞いています。

うーむ。豪華な部屋が続きますね。





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スルタンは孤独(イスタンブール)

2011-03-23 23:30:38 | トルコ
今日も朝から揺れました。
こんな風に小出しに揺れてくれて、エネルギーが分散されて消耗されると良いんだけどな。

原発の方は、やっぱり考えていたとおりの進行。
kおばちゃんのように人生終わりを数えたほうが早い人は良いけど、これからの人生がある若者特に赤ちゃんはなるたけ離れたほうは良いのかもね。

それにしても、某大臣の『処分』発言。一応謝罪会見はしていたけど、発想自体が信じられない。なんでそういう考えになるかな?

結局今までの経緯を見てみると、『国家政府』といのは何もしていなくて、地方自治体が自主的に援助を始めたというところでしょうね。
kおばちゃんの住んでいる地域も、友好関係にある被災地を中心に支援物資、義捐金を送る運動を役所が音頭をとってはじめた。
本来だったら、そこに『政府のお声がかり』があるのですがね。勝手にやってくれということでしょうね。

今のマンマだと『いらない政府』『存在価値のない政府』になってしまうようです。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿のハーレムの見学はまだ続きます。
このあたりはいわゆる、後宮と皇后さまの生活エリアですね。
これはストーブでしょうか。

美しく装飾がなされていて女性的ですね。

シャンデリアも天井も女性的な感じがする気がします。

そしてこの様なお人形もおりました。

この角度からだとよくわかりませんが、こちらからだとよくわかりますね。


真ん中に座ってらっしゃるのが皇太后、その脇にいるのが侍女ですね。

さらに進むと、水周り、バスルームです。お風呂、おトイレのエリアのようです。

こちらもですね。スルタンがお座りになって足をお洗いになったのかしら?


この金の格子で囲われている部分は特別な部分だと記憶してます。

この部分はスルタンの浴場だったと思います。

蛇口には金が使われていますね。

たとえスルタンであっても、お風呂を使うときは『裸』になります。

つまりまったくの『無防備状態』になってしまいます。ですからこの格子で守っていると聞きました。なるほどね。
スルタンといえども、孤独ですね。お風呂に入るには。

こっちはトイレだったかしら。

なんとなくスルタンの生活臭がすると思ったkおばちゃんです。
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ハーレムは別料金(イスタンブール)

2011-03-22 23:26:18 | トルコ
原発の被害は思ったとおり農作物に及んできたのですね。
今朝立ち寄った業務スーパーで福島県産のイチゴが激安になっていました。
この時期のイチゴなんて露地栽培じゃないでしょうし、今出荷されているというのは程んど関係ないと思うのですが『福島』とうい産地がいけないのでしょう。
冷静にと訴えかけたってそれは無理な話です。なんせ潔癖症の日本人です。そのうちお米一粒一粒をトレースしろと言い出すんじゃないでしょうかね?

イチゴはkおばちゃんは気にせずお買い上げいたしましたけどね。
そういえうば、今の首相は『貝割れ大根』がO157に汚染されてるとか言う騒ぎの時に得意満面に食べるパフォーマンスをしたお方。またこの手でしのごうとおもってるんじゃないでしょうね?

舵取り機能の働いていない日本丸はどうなってしまうのでしょうか。心配なKおばちゃんです。

○1月3日(月)

トプカプ宮殿Topkapı Sarayıの見学を始めたkおばちゃん。最初に向ったのは・・そうハーレムです。
ハーレムというのはHarem-i Hümâyûnのこと。アラビア語のハリーム(حريم harīm)と呼ばれている物と同じ物。元々の語源はアラビア語でハラーム(حرم ḥarām)という聖地を示すそうで、『禁じられた場所』という意味も含んでいるらしい。神聖な場所で許可されたものしか入ってはいけないということでしょうかね?

kおばちゃん的にはアラビアンナイトのイメージなのですけど。まあ、平たく言えば江戸城の『大奥』みたいなものでしょうね。

イスタンブールにはトプカプ宮の他に1853年に皇帝の住まを移したドルマバフチェ宮Dolmabahçe Sarayıと言う宮殿があるが、こちらは西欧化の波におされて小規模なハーレムになっていたそうである。
つまり本格的なハーレムを見るにはここが一番ということでしょうね。なんせ、ここには300以上の部屋があり、2つのモスク、そして9つのハマム、病院、寄宿舎、洗濯場等々があると言われています。
ここハーレムはツアーのコースには含まれていないらしくて『別料金』ということで、ガイドさんは外で待てっているようです。

金庫番の門とでもいうのでしょうか、その門をくぐるとハーレムの始まりです。

kおばちゃんはオーディオガイドがお供です。

ここは『清めの泉Şadirvanli Sofa』のホールだったような・・確かスルタンはここまで馬に乗ってきてここ降りたのではなかったでしょうか?記憶があやふやです。
『清めの泉Şadirvanli Sofa』はいわばハーレムのお玄関のようなところだったようです。

ここを過ぎると、宦官のたちのエリアですね。ハーレムはもちろん大奥同様男子禁止制


ここにいる宦官というのはいわゆる男性ではない元男性の人たちです。
美しいタイルで飾られています。

この部屋にいるのが『宦官Harem Ağaları Taşlığı』です。有色人種が多いようですね。

一説には宦官は幼い皇帝を左右するほどの影の実力者といわれる宦官もいたとか。
この美しいタイルもこの一角にあったと思うのですが・・

さらに進むと『皇太后の中庭Valide Sultan Dairesi』とよがれるエリア。


こちらはまだ修復中のところもありますね。


そしてこちらが男性諸氏の憧れのえりあでしょう。

『夫人たちの中庭』と藻言うべきエリアですね。『夫人たち』と呼ぶのは『Kadın Efendiler Taşlığı / Cariye Taşlığı』后の庭、夫人の庭とでも呼ぶのでしょうね。
もちろん女性たちのなかにも歴然とした序列はあったようです。

ここを臨む壁に確か描かれていた絵だと思いました。

女性たちはこの中庭をはさんでどんな人生を送っていたのでしょうね?

そんなことを考えながら説明書きを眺めるkおばちゃんです。


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挨拶の門から(イスタンブール)

2011-03-21 23:45:02 | トルコ
今日はあまりお天気が良くない。天気予報どおりか。
ここに来てようやく余震の回数が減ったような気がする。夕方出かけたスーパーで、さすがに牛乳もパンも品切れ。まあ、いいですけどね。
牛乳の変わりにかってきたのはスキムミルク。常日頃から、kおばちゃん牛乳は使いきれないのでもっぱらこっちの愛好者なのである。

それにお米不足も一段落か。きちんと棚に残っていた。
数日前にお米屋さんで、『なんで皆いまさら買うのかしらね?一年分の収穫はもうきまっているから不足しようがないのにね。』と話していたのですけどね。
まあ、kおばちゃんが思うには、世の中の人がみんな『ありとキリギリスの』童話のキリギリスのような生活になっていたんでしょうね。
つい1週間の物流の停滞も怖いというような。

kおばちゃんは、物のない時代を経験した両親に育てられた。彼らの世代は常に『備蓄』なんでも、『買っておく』という生活だったようだ。
それが身についているのか、いつの間にかkおばちゃんも趣味が『買いだめ』になってるみたい。で、今回は特に不便も感じないし、買いだめにも走っていない。

いつ、目の前から物が消えるか・・外国ではそれが普通の生活だと思う。あって当たり前の生活を今まで送ることが出来たほうがかえってまれな生活環境だったんだ思う。

あ、それにkおばちゃんわが身に随分とたくわえはありますので2ヶ月くらい食べなくても死にはしないと思いますよ。

それにしてもドイツの今回の福島原発に対する反応は、ちょっと過剰かな?
多分裏には、ドイツ国内の反原発団体のアピールに乗っかっちゃたな感じなんでしょうけどね。いち早く反応したルフトハンザは成田便撤退後、韓国経由となりドイツ人クルーは日本に足を踏み入れないと聞く。
大使館業務もすっかり西に移してしまって、在日企業においても、スタッフはみな本国に引き上げでいまいるのは日本人スタッフのみなんて聞くと、何を過剰な・・と思うのだけれど、そういう事態になっても世界に対して安全宣言できないわが国政府のありかたも問題なんでしょうね。

最近になって、自国(ドイツ)の過剰の反応について恥じ入る論評もでてきているみたいだけど、まあ、良くも悪くも被爆国日本は経験国です。現在の広島や長崎を見れば、それが世界の終りではない事が判ると思います。

それにしても・・もう少し政府の動きが見えているとよいのなあ・・
それに、○エラの特集。自分で自分の首をしめてるようなもんでしょ?

○1月3日(月)

郵便を出し終わり、一仕事終えたkおばちゃん。さあ、イスタンブールの町を観光しましょう。
しかし・・月曜日って殆どお休みなのよね。何処へ行こうか・・と考えて、出かけた先はホテルからも歩いてゆけるところです。

坂を登ってやってきたのはこの入り口を入りました。


今日はお天気が良くありませんので人では今ひとつでしょうか?


目的地はさらに丘の上にあるので登ります。

途中にこんなものもありました。石の棺?でしょうか。


この良く見ると4人描かれてます。

途中でこんな子にあったので、例によって小魚をあげました。


小道を抜けると広場のような空間に出ました。あらら・・大行列です。
そうですよね、ここくらいしか今日は開いてませんからみんな殺到したのね。出遅れた!


ということでkおばちゃんの辿り着いたのはトプカプ宮殿Topkapı Sarayıです。
ここは1460から1478年にスルタンメフメト2世によって造営され、その後19世紀半ばまで使用されていた宮殿のようです。

とりあえず、この列に並んで入場券を手に入れないとね。

緩々進んで、ようやく門のところに辿り着きました。


この門は『挨拶の門Bâb-üs Selâm』と呼ばれている門で、昔もここから先は許可のあるものしか入れなかったようです。

チケット売り場でチケットを購入、その後空港のゲートと同じように手荷物検査。これで時間がかかり行列が出来てしまうようです。

手荷物検査が終わって中にはいると・・・また行列です。


今回のこの行列の先にあるもものは・・オーディオガイドですね。並ばなくちゃ。


ガイドツアーはないようですから、知識のないkおばちゃんはこれを利用しないとね。

やっとスタートラインにたったkおばちゃん。宮殿内の地図をみていたら、団体さんが入ってきました。


あら、わが同朋の方たちのようです。えーと、ちょっと複雑な心境ですね。
あの、お邪魔はしませんけど、いやな顔をしないでくださいね。
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一仕事(イスタンブール)

2011-03-20 23:20:32 | トルコ
今日は、まじめにお墓参りに出かけてきた。
いつもだったら車でいってしまうのだが・・今回は電車で。いったい何年ぶり?っていうくらい。
郊外電車も計画停電の影響があるようだが、かろうじて今日は動いていた。
kおばちゃんとこのお墓は、お寺さんじゃなくて霊園と呼ばれるところにあるのだが、ここが広い!!

近所の人は散歩にくるようなところ。
霊園内をブラブラ歩きながら、よそ様のお墓比べも面白かった。
神道、キリスト教、ギリシャ正教、イスラム教・・たぶんなんでもござれだろう。
中には管理者(継承者)が不明で、無縁墓地に入れる旨の『告知』の看板があったお墓も・・合同墓のほうが賑やかでよいかもしれないね。

kおばちゃんのような墓参のお客さんも、車での来園者は激減!!
なんて皆良い人たちなんでしょうね。ガソリン使っちゃだめだよね。なんて一人で納得しているkおばちゃんでした。

明るい日差しの中、気分よくお墓参りをこなしましたです。

○1月2日(日)

さてさて、『メブラーナ・セマーの儀式とトルコダンスの夕べ』が終了。7時半から始まって・・多分終わったのは9時前じゃなかったでしょうか。
kおばっちゃんの時間としては『まだ宵の口』なのですけどね。

お客さんは、あっという間にいなくなりました。お迎えの車に乗ったり、タクシーの乗ったり、迎えのバスにのったりとね。

歩いて帰るのはkおばちゃんくらいでしょうかね。さて、どうしよう。
食事でも・・と思いましたが、ここというようなお店もありません。とりあえずお散歩。

夜のイェニ・ジャミイYeni Camiです。


きれいですが・・人はが殆どいません。なんだか寂しいです。
ということで、まじめにホテルに戻ることにしまいした。

お部屋に戻るついでに、フロントでプールのことを聞いてみました。
そうなんです、このホテルには一応室内プールがあるんですよね。すると、夜は10時まで利用できるとのこと。
そうか、じゃあちょっとひと泳ぎしてみましょう、とプールに向かいました。

ちょっとイメージとは違う変形プールが地下2階にありました。


誰も・・いませんでした。
えーと注意書きがあります。

真中の注意書きは、飲酒してお酔いじゃだめ。飛び込み禁止。ですね。

そういえば、ここのプールは結構深いです。150センチ。kおばちゃんは・・首を伸ばさないと


結局kおばちゃんが泳いでた間はだーーれも来ませんでした。

ひと泳ぎしたあとは・・お部屋に戻って、軽く?持参の食料で食事をして、再びシャワーを浴びてバタン、キューです。なんせ朝早かったからね。
ぐっすりおやすみなさいです。

●1月3日(月)

朝は・・トラムの音で目が覚めました。でも、早朝から走ってるわけではなさそうです。
さ、まともに観光できるのは今日一日です。しっかり目覚めましょう。

朝ごはんは地下1階です。ここは、一般的な朝食風景です。


お見苦しいですが、kおばちゃんの朝ごはんです。


そうそう、食事中に見つけたのはテーブルの上においてある小さな新聞。
本日の情報がいろいろと書いてありました。観光地の本日の『閉館』あら、行きたかったアヤ・ソフィアは閉館です。残念!

kおばちゃんのほかに一組のご高齢の夫婦の邦人の方がおりました。『何処にゆきましょうか?』という声で気がつきました。
彼らはもう食事を終えたようです。

kおばちゃんは観光よりもほかにすることがあったので、まづ一仕事しなければいけませんでした。
それは、小包をだすこと。フロントで尋ねるとPTTといわれるのが郵便局のようで、直ぐそばにあるのあから・・と教えられて向かいました。

一度道を間違えて、お店のおじさんに教えてもらい、手前の小さな局に入ったら・・もっと先だといわれ、結局入ったのはPTTの本店のようなところでした。最初入り口を間違えてオフィス棟にはいりそうになったけど・・

で、ここで今回のキプロス行きでご相談に乗っていただいて、去年お世話になったアンタルヤの宿の女将さんに荷物を送ろうと手続きをしました。それがこれ。


なんとなく不安で画像を撮っておいたのですが・・・不安的中!本日3月20日現在も到着しておりません。しかも・・何故か一度日本間で来ちゃいました。何で??


さて、一仕事もおわりました。
ホテルに戻って・・観光に出発です!とりあえずは、今日開いてるところからね。ということでここです。


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回る廻る回る(イスタンブール)

2011-03-19 23:59:15 | トルコ
今日はお休み。今週の通勤の疲れがどっと出た感じ。
いつものようにスーパーに出かけるが・・やっぱり物が少ないのね。
物流が悪くなっているのが如実にわかりました。花粉症は絶好調!

今日うれしいニュースが、お一人見つかったそうである生存の方が!よかった。

原発の方は、関係者の必死の努力により良い方向に向かっているとか。
ホント、関係者とそのご家族の決心には頭が下がります。あろがとうございます。

先日見ていた番組で、災害派遣に狩り出される予備自衛官、ご自分も被災されており後片付けの最中の召集令状に『自分が今行かなかったら、きっと後悔すると思う。何のために訓練を受けていたのかと。』というようなコトバを発しておられた。
召集される方の母上は『本心は行ってほしくないけど、でもしょうがありません。』

こんな辛い思いをする日がくるとは誰も思っていなかったでしょう。
私たちの生活がこんな思いの支えからなりたつなんてね。

大災害で、今まで見えていなかったものが沢山見えてきた気がします。

それにしても・・ここの政府は何をかんがえてるんでしょうね??

○1月2日(日)

さてさて、『メブラーナ・セマーの儀式とトルコダンスの夕べ』の会場にはいったkおばちゃん。
お席は・・一番端っこの隅です。残念!後ろです。

最初はぱらぱらしか座っていなかった客席も埋まってきました。


前半はトルコ音楽?の夕べでしょうか。


独特の楽器とメロディーです。

やっぱり中近東です。

音楽が終わると、奏者と入れ替えに入ってきたのは、独特の帽子をかぶった集団。


コートのような、マントのようなものを羽織ってます。彼らが客席中央に進み出て・・


彼らがなにか呪文のようなものを唱えながら(そうみえた)上着を取り・・


くるくると一人づつ回り始めました。

そしてみんな、くるくるくるくる・・


くるくるくるくる・・回ります。目がまわらなのかしらね。


これが『メブラーナ・セマーの儀式』ですね。
イスラム教のMevlevilikは日本語では旋舞教団という名前をもつイスラム神秘主義の一団で、その名の由来ともなるのはこの『くるくる回る儀式』のようです。
回転は宇宙の運行、回転することで、神との一体を図るということらしい。

教団そのものは13世紀に派生したようですが、その後15世紀頃にはオスマン帝国の庇護を受け、しかし1923年のトルコ革命によって宗教分離がとなえられ、その標的にされたのか信者は激減したそうである。

このくるくる回る儀式はセマーSemaとは回転舞踊のことらしが・・ここで催されているのはいわゆる『ショー』なのでしょうね。

あとで床面をみたら、中心はこんなになってました。

それにしても、くるくると・・目がまわらないんですかね?
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トルコダンスの夕べ?(イスタンブール)

2011-03-18 23:59:55 | トルコ
kおばちゃんは神戸の震災の時、1ヶ月ほどたったときに関西に仕事で出かけました。
その時の印象は、『おおきなリュックをしょった人がいっぱい大阪駅にいる』というなんだか一枚壁を隔てたような、言い方が悪ク申し訳ないのですが、今回の震災ほど実感は湧きませんでした。

今回は自分自身が過去に経験したことのないような揺れを感じたせいもあるのだと思いますが、あのときよりもショックは大きいようです。

さっきの番組でも『あの時よりははるかに被害の規模が大きく、これから先のことも考えるときちんと国がリーダーシップをとって被災者を支えてゆくことをしなければならない』というボランティア団体の代表の方のお話。まさにそのとおりだと思う。

夕方の官房長官の会見の端々に、内閣の人数を増やそうという思惑が感じられた。
これ以上船頭の人数を増やしてどうするの。やるべきことはトップの『決断』。これがまったく感じられないし、パフォーマンスにしか見えないのが悲しい。

企業でもそう。決断しないトップは必要ないと思うkおばちゃんです。

○1月2日(日)

シルケジ駅Sirkeci Garıの駅でkおばちゃんがみつけたもの。
それは、このポスターです。

『メブラーナ・セマーの儀式とトルコダンスの夕べ』ですね。
メブラーナ・セマーの儀式というのは聞いたことがあります。なんでもコンヤ地方のイスラム教のMevlevilikというイスラム神秘主義の一団の儀式とか。
あら、ここイスタンブールでも見学できるんですね。でも、トルコダンスってなんでしょうね?

まあ、いいです。なんでも。とりあえず場所は近そうですから。


19時半から毎日と書いてありますね。ということは今日もやっているということです。
実は今晩もさっき探しそこねたコンサート会場でコンサートがある予定なのは判っているのですが、なんせアジアサイド。最終の船の時間に間に合うか・・不安もあるし、また場所がわかるか・・という問題もあるのでこっちにしましょう。と場所を
忘れないように画像に残しました。

そうそうこのシルケジ駅には博物館もあるようです。


残念ながら閉まっておりましたけどね。

これはトルコ国内の路線図でしょうかね。


これを見ると、トルコ南部、昨年kおばちゃんが訪問したアンタルヤ近辺はまったく路線がありませんね。

さてさて、とりあえずひとまずお宿に戻りましょう。今度は裏道を通って・・


駅裏は食堂が軒を連ねています。でも、さっき鯖サンドを食べたばっかりですから。
ホテルの入口は明かりがついていました。

お宿で一休みしたkおばちゃん。当日券を狙って・・1時間前に会場に向かいました。
多分お一人様だから大丈夫だとは思うのですけどね。

通り沿いにはこんな美味しそうなお菓子屋さんもあります。


美味しそうなお菓子が・・でも一個が大きいのよね。


指をくわえながらの通過です。帰りだったら・・大丈夫なんですけどね。

地図でゆくとこんな裏道になってしまうんですけど・・合ってるのかしら。


ここはちょっとそれっぽい雰囲気の入り口ですね。

中に入って聞いてみます。
入り口脇にデスクがあり男性がおりましたので『当日券がほしいんだけど』と尋ねると2階へ行けとのこと。

仰せに従って向かうとカウンターがあり、そこに女性2人がおりました。


『当日券1枚ありますか?』という問いかけに、『予約で一杯なのよね』とのお返事。ああつれない・・『でも、キャンセル待ちできるから』と番号の札をわたられました。

ロビーは『踊り』の紹介をモニターディスプレイで流したり、あのロクムというお菓子がおいてあったりコーヒーやお茶が自由に飲ンダリできるようです。

kおばちゃんもコーヒーとロクムを頂きました。

まあ、いいや。入り口だけでも雰囲気に浸りながら・・とうろちょろしていたら割と直ぐに呼ばれました。やっぱりお一人さまは簡単です。
これがチケットです。


最初現金で払ったのですが、今後いつ両替えできるかどうかわかりませんのでカード払いに変えました。

どうも、このショーはホテルや代理店で予約を取っているようです。kおばちゃんも知っていればホテルで頼みましたけどね。

そろそろロビーにお客さんが増えていました。


会場の準備が整ったようです。中に入りましょう。

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あれから一週間

2011-03-18 22:31:50 | つぶやき
今日はあの震災から1週間たちました。
あの時、kおばちゃんはお仕事中・・3時から始める行事についての準備中でした。
3時まで時間がない・・と思いながら必死に作業をしていました。

そんな時に起こったのが地震です。最初は下から突き上げるような揺れを感じで・・次第に横揺れが激しくなりまるで船に乗っているようでした。次の瞬間必死に部屋のドアーをあけて抑えていたのです。

机(テーブル)の下に・・という声もありましたが、幸い会議室はキャビネットもなにもありません。障害物は照明くらい。もしビルが倒壊したら机の下にもぐったくらいじゃしょうがないと思いました。

揺れが収まった時、全館退避の館内放送。流れに従って裏の駐車場に避難しました。
一緒にいたのは地方から出てらした方が殆ど。みな、いっせいに携帯を取り出して情報収集にかかろうとするのですが・・当然繋がりません。
そんな中ワンセグの携帯を持ってらっしゃった方から震源と震度の情報を聞きました。
そしてまた・・大き揺れです。

このゆれは屋外で体験しました。近くの20階程のビルの上層部が大きく揺れるのをみて『まるで映画みたいだ』というコトバにまさにその通りと思ったのを覚えています。

その後、kおばちゃんは部屋に戻り、地方からいらしていた方はそれぞれ帰る手立てをおのおので探してばらばらになりました。
お別れする時、もし手立てがなかったらお戻りください・・と声をおかけして、その結果お一人戻ってらっしゃいました。

あの揺れの激しさから交通機関の麻痺は目に見えていたので、徒歩で帰ろうと決めてはいたけれど、帰宅の波に飲み込まれるのはいやなので夜明けをまって帰宅。
回復し始めた交通機関へは『どうせ待つなら飲んでから・・』と繁華街で時間をつぶした酔っ払いが繰り出してきたくらいで、夜中の町はいつもと同じ。ただ、大きなホテルの前で荷物を持って佇む外人さんを見たのが不思議な光景といえば光景でした。

あの時は、津波の画像に圧倒されてただただ『すごい災害が起きた』ということしか感じませんでした。

あれから1週間。事の大きさがわかるとともに、これからの日本の行く末に自分はいったい何が出来るのか・・考えながらも生きている自分がおります。

被災された方々の茨の道は始まったばかりです。

kおばちゃんの所属している団体のインフラ関係のお仕事をされている方からのメールにあった言葉、これを肝に銘じたいと思いました。

『災害はわれわれの責任ではありませんが、
 復旧はわれわれの責任です。』
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