今日は月末期末・・っていうのはあまり関係ないのかもしれないが、久しぶりに顔をあわせる人が多かった。
そんな時の会話は、この前の震災の時にどうしていたか・・という話。
kおばちゃんの所は震災の被害は直接ないのだけど、みんな帰宅難民になりかけたり、子どもが立ち往生したりと記憶に残る一日だったからだ。
で、kおばちゃんも『いやぁ、なんな揺れ今まではじめてで・・』といったら『なにいってるのよ。80年生きてる私もはじめてだったんだから・・』と言われてしまった。
被災地にいらっしゃる方の、経験なんかに比べようがありませんが、東日本の共通の話題の一日ということで、改めてことの大きさを感じましたです。
そうそう昨日も書いた、仙台行きのバス。きょうは2台しかみえないな・・ともったら少し遅れて3台目が・・今日もトリオで走っておりました。
そうそう、今有名なブログがあります。この方は被災地に医療支援のために入ったかたで、その時に感じたことを素直に書いてらっしゃいます。言葉に力があるので、その思いが良く伝わってきて、皆さん感動してらっしゃいます。
もちろんkおばちゃんも感動いたしました。
で、コメントのなかに何回か出版業界のかたからの出版を誘うようなものがあるのですが・・kおばちゃん的にはやはりネットの社会の中にあるのことが価値のあるように思えるのですが・・
○1月3日(月)
何時まで経っても終わらないkおばちゃんのトプカプ宮殿の見学です。
第4の庭園のエリアで、バグダッド・キオスクの見学を終えて戻りましょう。
テラスの端の方にあるこれは泉というか噴水らしいのですが・・水がでておりません。
右側にある建物は見学できるよう様なので行って見ました。この部屋にはガードマンがおりました。
天井はドーム型ではありません。
部屋全体は割と細かい模様のタイルで覆われているようです。
この部屋は割礼ルームSünnet Odasıと呼ばれる部屋で、王子が大人になる通過儀礼としての割礼をこの部屋で行っていた夏の部屋Yazlik Odaということらしいです。割礼という儀式は現在でもイスラム教徒、ユダヤ教徒では行われており、特にトルコでは日本の『七五三』のように、お祝いとしてとらえられているようですが、当時も祝い事の一つだったんでしょう。
この様に歌舞の祝宴がもようされたりしていたようです。
この絵はアハメド3世 Ahmed IIIの3人の息子の割礼の祝宴で15日間の昼夜続いたそうです。
部屋の内装はそれほどでもないのですが。この部屋の特徴は外壁にあったと思います。
冒頭の画像もそうですが、この様に美しい青色をしたタイルがはめ込まれています。
色鮮やかで明るいこの青色は大人への入り口に差しかかった王子たちにはどううつったのでしょうね。
建物を繋ぐ通路もなかなか味がありますね。
そんな時の会話は、この前の震災の時にどうしていたか・・という話。
kおばちゃんの所は震災の被害は直接ないのだけど、みんな帰宅難民になりかけたり、子どもが立ち往生したりと記憶に残る一日だったからだ。
で、kおばちゃんも『いやぁ、なんな揺れ今まではじめてで・・』といったら『なにいってるのよ。80年生きてる私もはじめてだったんだから・・』と言われてしまった。
被災地にいらっしゃる方の、経験なんかに比べようがありませんが、東日本の共通の話題の一日ということで、改めてことの大きさを感じましたです。
そうそう昨日も書いた、仙台行きのバス。きょうは2台しかみえないな・・ともったら少し遅れて3台目が・・今日もトリオで走っておりました。
そうそう、今有名なブログがあります。この方は被災地に医療支援のために入ったかたで、その時に感じたことを素直に書いてらっしゃいます。言葉に力があるので、その思いが良く伝わってきて、皆さん感動してらっしゃいます。
もちろんkおばちゃんも感動いたしました。
で、コメントのなかに何回か出版業界のかたからの出版を誘うようなものがあるのですが・・kおばちゃん的にはやはりネットの社会の中にあるのことが価値のあるように思えるのですが・・
○1月3日(月)
何時まで経っても終わらないkおばちゃんのトプカプ宮殿の見学です。
第4の庭園のエリアで、バグダッド・キオスクの見学を終えて戻りましょう。
テラスの端の方にあるこれは泉というか噴水らしいのですが・・水がでておりません。
右側にある建物は見学できるよう様なので行って見ました。この部屋にはガードマンがおりました。
天井はドーム型ではありません。
部屋全体は割と細かい模様のタイルで覆われているようです。
この部屋は割礼ルームSünnet Odasıと呼ばれる部屋で、王子が大人になる通過儀礼としての割礼をこの部屋で行っていた夏の部屋Yazlik Odaということらしいです。割礼という儀式は現在でもイスラム教徒、ユダヤ教徒では行われており、特にトルコでは日本の『七五三』のように、お祝いとしてとらえられているようですが、当時も祝い事の一つだったんでしょう。
この様に歌舞の祝宴がもようされたりしていたようです。
この絵はアハメド3世 Ahmed IIIの3人の息子の割礼の祝宴で15日間の昼夜続いたそうです。
部屋の内装はそれほどでもないのですが。この部屋の特徴は外壁にあったと思います。
冒頭の画像もそうですが、この様に美しい青色をしたタイルがはめ込まれています。
色鮮やかで明るいこの青色は大人への入り口に差しかかった王子たちにはどううつったのでしょうね。
建物を繋ぐ通路もなかなか味がありますね。