Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

意地でもSPA(バート・レオンフェルデン)

2010-10-31 21:24:57 | オーストリア
今日は昼間お出かけしたのだが・・その途中に出会ったのは、どうも仮装行列でした。
ハロウィンの仮装??

昨日一緒に演奏したお仲間は『かぼちゃのお祭り』と称してたしね。
今日の行列(パレードとはいい難かった)

本とは万聖(諸聖人hallows)節の前晩祭ということなんでしょうけど、どうもkおばちゃんには地獄(Hell)の釜のふたが開いた・・と思えて仕方ありませんでした。

ま、なんでも良いんでしょう。
道を間違えて歩きすぎて・・足が痛いです。

●7月2日(金)

朝は気持ちの良い目覚め・・といっても、鳥のさえずりが聞こえるような環境ではありません。
岡の上にぽつんと立っている・・という感じの環境です。

夕べたっぷり飲み食いしたにもかかわらず・・もうお腹のすいたkおばちゃんはさっそく朝食を頂に向かいます。

ダイニングは夕べと同じです。サラダバーがあったところの朝食の食材がいろいろと・・


kおばちゃんの目を引いたのはこのコーナーです。


コックさんは見当たりませんが、卵料理をオーダーすると調理してくれそうです。
さっそく、給仕のお姉さんにお願いしてコックさんを呼んでもらいました。

出来上がる間に他の食材でお腹を満たしましょう。


朝は調子が出なくてコーヒーだけ・・なんて言葉はkおばちゃんの中にはありません。
それでも、ちょっと控えめに??

出来上がったオムレツはまるで玉子焼き?になってしまってます。

ふわふわトロトロは・・夢のまた夢でした。

朝ごはんが終わったら・・お部屋で一休みしたあとは・・お待ちかねのSPAです。

こちらのホテルはチェックアウトの時間が遅いですからね。夕べ楽しむことだできなかったので・・ちょこっとだけでも気分を味わいたかったんです。


朝のためか他のお客さんの出足は悪いようです。
kおばちゃんみたいに1泊だけなんていうせわしいお客さんはいないでしょうから、皆さんゆったりなんでしょうね。

kおばちゃんはなぜこのバート・レオンフェルデンBad Leonfelden に泊まる事にしたのか・・というのは理由が3つあります。

夕べまでのイフラヴァから次の本来の目的地に直接移動するのがちょっときつそうだったから・・といのと、その目的地が夕べは止まることが出来なかったから(随分前から満室でした)・・そしてどうせだったらSPAリゾートに泊まりたかったからです。

ですから、SPAを体験しなきゃね・・目的を達していないことになります。
とかなんとか言い訳はたらたらですけど、まあ平たくいえばこれも『料金のうち』なので巣からン利用しないと・・という貧乏人根性であります。

でも、むなしくぼこぼことエアーを出しているSPAを無駄にしないように・・kおばちゃんは入りました。


室内もありますが、こちらもだれもいません。


休憩室も隣接してありますが・・誰もいません。


それでも実はkおばちゃんのほかにも一組のカップルがもうデッキで日光浴です。


最近でこそ紫外線の害が認識されるようにこちら欧州でもなってきて、特に子どもの紫外線には敏感にはなっていりょうですが、大人は日本ほど敏感ではありません。

それどころか、長い冬に備えて、カルシウムの形成に欠くことのできないビタミンDを紫外線の照射によって促進させるためには大切という生活ですから、夏の間にたっぷり紫外線を受けていないとね。

日がな一日、こんな高原で本を読みながら・・気持ちよさそうですね。

kおばちゃんも真似をしたいところですが・・半日だけです。さあタイムリミット!お部屋へ戻りましょう。

そうそう、このホテルはお部屋から、直接スパエリアに出ることのできるエレベーターがあります。

それを利用しないと・・バスローブ姿でロビーをうろつく羽目になりますからね。
幾らリゾートホテルといってもねえ・・

なんとか『元をとった?』と思っているkおばちゃんです。
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わさび豆(バート・レオンフェルデン)

2010-10-30 23:30:08 | オーストリア
今日は朝から台風騒ぎ。その中をお出かけしなきゃいけなかったのだが・・おかげさまであばら家にいなかったせいで、その騒ぎが良くわからなかった。

夕べ大騒ぎしていたC国との首脳会談騒動。
kおばちゃんに言わせれば、あの握手の瞬間に勝敗はきまってたでしょ。
彼はまったくの逃げ腰だったじゃないですか。それに会談で向こうの国にメリットはありますか??

だったらする分けないじゃない。それをまるで実現可能のように解釈するわが国政府の考え方のほうが理解できませんよ。

kおばちゃんだってそのくらいはわかりますよ。それをねえ・・何を考えているかわからない政府の面々です。

○7月1日(木)

お夕食を頂いてとりあえず人心地ついたkおばちゃん。
お部屋に戻って・・部屋飲みを仕様かとも思ったのですが・・考えを変えました。

他のお客さんの見物をかねてバーコーナーに向かいました。
一応リゾートホテルなので、そういう施設もあります。

さすが緯度が日本より高いので日が長い・・とはいえもう日に没です。

で、バーコーナーにはテラスがあり・・外に出てみました。


宵の明星がきれいに輝いていました。

10人くらいのグループがひざ掛けに包まりながら皆でわいわいと飲んでます。
そういう賑やかなグループは一人旅のおばちゃんにはちょっときついので室内にもどりました。

お飲み物を眺めると結構ワインの種類もあります。

室内はこんな感じで皆さんゆったりと会話を楽しんでます。


kおばちゃんはお一人様なので・・文庫本をお供に静かに頂きます。美味しい白ワインです


で、おつまみで出てきた物体をおっかなびっくり食べてみました。

それが冒頭の画像です。
口にしてびっくり・・・なんと山葵豆です。こんなおつまみ・・こちらでは一般的なんでしょうか?

前にウイーンのイン○リアルホテルのバーで柿ピーが出てきたことがありましたけど・・山葵豆とは!!
山葵は日本の専売特許かと思ってました。だってね・・山葵じゃなくってこっちではホースラディッシュでしょ??なんて思ったのでけどね。

とりあえず懐かしいお味をお供に本を読んでいたら突然声をかけられました。
『その本は中国語か?』って。びっくりしました。
kおばちゃんは『いいえ、これは日本語ですよ。』と答えると『日本語と中国語は違うのか?』とのおことば。
『同じ形の文字もあるけど、基本的に違いますよ』と答えると・・『へーそうなんだ』とおじ様は納得して去ってゆきました。

よっぽどものめずらしかったのでしょうね。

そろそろkおばちゃんもお疲れモードになってきましたので部屋にかえます。
今晩はSPAは楽しめませんでしたが、お部屋のバスタフでゆっくりして心地よい眠りにつきました。

ああ、今日も一日楽しかったです。
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お待ちかねのディナー(バート・レオンフェルデン)

2010-10-29 18:10:21 | オーストリア
今日は昨日よりは暖かいそうだか・・良くわからない。
そう言われればそのような気もするけど、ここの所の温度差に体がなまってしまった感じであります。

昨日お仲間と話していて、女性陣(といっても3人しかいなかった)皆が口をそろえていったのが・・もし、『痴漢』という行為が『犯罪』じゃないとしたら・・してみるか・・と言う設問。
男性陣には『屋って見たい』と言うヤツもおりまして・・その気持ちが女性には『全然判らん!!なにが楽しいのか??』って議論に(酔っ払いのたわごととも言う)なってのだが・・結局理解できなかった。

『やっぱあいつらは違う生物』と言う結論に達したのでありました。


○7月1日(木)

やっとこさ辿り着いた今晩のお宿は、リゾートタイプのホテルであります。で、そういうところの環境からしてハーフボード(夕食・朝食)付なのであります。

今日は朝ご飯以来、テルチでアイスを食べたっきり・・まともに食事をしていないkおばちゃんははらペコです。

お部屋でまったりしたあとは、早速ダイニングに向います。ああお腹が空いたよ!!

時間は・・もう7時も後半だったとおもいますが、お客さんはぱらぱら・・ですね。平日ですしね。

お席に案内されて渡されたメニューに目を通します。


食前酒代わりにグラスワインをkおばちゃんはお一人様ですからね。

スターターは、サラダブゥッヘでこのありさまです。

まったく飢餓児童ですね。手当たり次第もって来た感じがモロ出てます。

お席から窓の外を見れば・・まだ明るい!!目に入るのはただの『田舎の景色』です。


スープは仔牛のスープに細切りパンケーキが入ってます。ここのスープは余り塩辛くなかったと思います。

このお席が満席になることはあるのでしょうかね??夏休み前なので、滞在客も少ない感じです。


kおばちゃんの選んだメインはティラピアTilapiaのフリッターでした。豚肉にもあきましたから。


でも、ティラピアの味は薄味なので・・なんだかただのフリッターと言う記憶しかありません。


デザートはレモンシャーベット

のキウイソースカクテル風です

本当はデザートの前に、各種チーズでワインを・・なのですがお無し相手のいないkおばちゃんは・・


そこそこ頂いて・・ちょこっとお部屋におもち帰り。部屋のみのつまみの予定です。

胃袋にそこそこモノが入ったので何とか『生気』を取り戻したkおばちゃんでありました。
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間に合わなかったSPA(バート・レオンフェルデン)

2010-10-28 17:50:18 | オーストリア
今日はまた一段と寒い。
寒い寒いの大合唱のニュースに背中を押されて家を出たので沢山着込んだのだが・・電車がいつもにも増して超混み混み。ああ、暑かった!!

体がついてゆきません。アレルギーも少々でておりまして、お鼻ぐずぐずであります。

政治の方は、やれビデオを公開すとかで大揺れ。kおばちゃんとしてはあんなものは見ないほうがよろしい。だって、どうせ公開したってC国は都合の良いコメントしか付けないでショ?

やらせだ、とか追い詰められたとかね。
Cシェパードだってそうだったじゃない。だから今更公開してどうするの??
それより、早く島に施設でもつくって政府の役所でも置いたらいかが??と思うkおばちゃんです。

なんせkおばちゃんの大嫌いな●共闘世代の壊し屋が政治をしきってるんだからね。壊すことは得意でも建設的なことなんてできっこないでしょ?
尻拭いをさせられ続けてる世代としては、もういい加減にしてくださとしか言いようがないけど、とりあえずは産みの苦しみを十分味わってください。

○7月1日(木)

ようやくオーストリアの地に辿り着いたkおばちゃん。ああなんだかホッとした様な・・


オーストリア側の税関もまあ、用無しというかね。誰もいません。

さて、ここからは今晩のお宿まではそう遠くはないはずです。ナビさまを信じて・・また田舎道です。


一応集落らしきこんな場所を通りますが・・なんか違う??


kおばちゃんの今夜のお宿は、ホテルのはずです。それもハーフボード(2食付)です。しかもSPAもついてる近代的なホテルのはず・・なんでけど・・

どうもナビさまは、googleさまによると、このように国道126号をひた走ればよいものを・・

わざわざ『田舎道』を選択なさったみたいでありました。

暫く走ると・・まともな国道に出ましたです。


で、なんとなくあの左に見える建物かな??近代的だから・・なんて思って走ってたのですが・・


ナビさまの指示は違います。真っ直ぐ進め・・と・・町中に入りました。


どう見回しても近代的な建物はみあたりません。

でも、今朝ホテルでチェックした予約サイトの地図とおりセットしてあるのよね。

だからこのような道をにあるはず・・・・なんですけど・・

ナビさまもその通り進みましたは・・・何故か一般住宅街にでつきあたってしまいました。ホテルの影もありません。

googleさまのサテライトでもこんなとです。

困った・・・一体何処だ??

町の人に聞こうとも思ったのですが・・とりあえず、さっきあそこかな??と思ったところに向いました。


案の定・・というかkおばちゃんの予感どおりでした。いかにもSPAリゾートホテルと言う感じでしょ??


早速チェックイン。夕食は8時までですってそしてSPAも8時までですって・・ということは・・今日はもうSPAに入れません。

お部屋にはいるとバスローブがペアでむなしくおいてあります。


本とはもっと早く到着していたかったのよね。ひと風呂!?浴びたかったのよね・・

ヒュンダイ君を駐車場に止めに行くと・・子猫が一匹・・ねえ、遊ぼ!!


はいはい、ちょっとだけね。と子猫に遊んでもらいました。ああきょうも無事到着することができました。

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チェコの道・・いろいろ・・

2010-10-27 19:46:47 | チェコ
今日は一段と寒い。まったく『秋』はすっ飛ばされてしまった感じ。
そろそろシチューの美味しい季節なのよね。
そうそう、kおばちゃんわざわざ北海道からジャガイモをお取り寄せしている。

一度秋に、出稼ぎに行ったとき、たまたまデパ地下で注文したら・・その後も毎年ご案内がくるようになって、色々な種類のある詰め合わせをご注文でございます。
普通宅配で頼むと送料が偉く高いのだが、ここのデパートはおそらく関東地方まで混載でくるんでしょう。ワンコインの送料!!だから頼んでるのよね。
届くのがとっても楽しみなkおばちゃんです。

あーあー食欲の秋になってしまった・・

○7月1日(木)

チェスケー・ブディェヨヴィツェCeske Budejoviceを泣く泣く離れるkおばちゃん。
しかし考えて見たらヒュンダイ君のガソリンをまだ一度もチェコで入れておりません。とりあえず入れておかないと。


これからkおばちゃんは国境を越えてこんな移動をいたします。

最初はごく普通の、地方に行けばどこにでも網の目のようにある『国道』を走ります。


ね、割りと対向車もそこそこいます。


いわゆろ『E』級の道・・ですが、だんだん寂しくなってきます。


そんなとき、ナビ様はこの『E』級の道を外れろ・・とご託宣あそばしました。


ちょいと不安になるkおばちゃん。ホントにあってるの??
ある村落にはいり、前方を走っていた車はチョい先を右折したのですが、ナビさまはその手前を曲がれとご指示をだします。
ここではナビさまを信じて・・驀進いたしました。

で、結局はkおばちゃんの方があっておりまして・・先程の車はkおばちゃんの車の後を必死に付いてきます。


車一台がやっと通れるような道なんですけど・・それも舗装もあやしそうなかなりがたがた道です。


kおばちゃんとしては、ここで対向車に出会ったら大変!!と必死に走っていたんです。見通しの良い所は良いですけどね。


こういうところだとお手上げですから。特に倒木があって、道をさっきまで塞いでました・・といわんばかりの箇所もあり・・はらはらのし通しです。
kおばちゃんの後ろをついてくる?車は、kおばちゃんの車よりはかなり大きいのでこういう道は向いていないと思います。

どうもナビさまは、素直に163号線から161号線を選べばよいものを、こんなど田舎道を選択してくださったようです。


ナビさまの画面には常に左側に国境線が写っております。
必死で走っていたので、周りの風景の画像をありませんが、なんだか裏くたびれた・・家畜小屋なんかも崩壊しかけたまさに疲弊した農村部と言う感じです。資本主義国家に付いて行けなかった地域という印象がありました。

このときkおばちゃんは『ホントに着くのかな??』とはなはだ疑問は持って走っていたのですがまあ、まだ明るいからいざとなったら引き返せば良い・・と腹を括ってました。(大げさですけど)

ここまでくるとちょっと安心と思ったとたん・・後ろの車は停車しておりました。


Studánkyという集落に出て左折すると・・そこはまた『国道』に出ることが出来た様でひと安心でした。


ところがです・・この国道161号線を国境に向って走り出すと・・あれれ??な風景に出あいました。
googleさまのサテライトで見るとこんなところです。

それは昨年も見た光景です。2009年11月16日のブログに書いた・・Vimperkというところで見たヒッチハイクの光景です。
でも・・今年はkおばちゃん『これは違う!!ヒッチハイクじゃない!!』と確信しました。

なんと世間知らずだったんでしょう。これは紛れもない『街娼街道』だったんです。
昨年の国道4号線もドイツの国境に向う直前でした。女性ばかりのヒッチハイカーでおかしいな??と思ったのですが、kおばちゃんに向って合図してきたのでてっきり・・と思ったのですが・・

今回は『バドガール』とみまごうばかりのボディコン女性もおりました。でも皆若いのよね!!
点々と街道沿いに立ってヒッチハイク風に立っております。今回もkおばちゃんしっかりとアピールされちゃいましたけど・・
どうも、これはドイツ語(英語でも同様)でいうところの『Street H00kers』のようです。検索をかけたら・・出てきました。こんな感じです。ただし、この辺りじゃありません(Komotau)けど・・みなドイツ語圏との国境沿いのようです。

ああ、なんとお子ちゃまなkおばちゃんだったんでしょうね。ヒッチハイクと間違えてたんだから・・
それにしても、女性のkおばちゃんにアピールしてくるってどういうこと??女性に見えないって!!ま、しかたありませんね。
きっと、ドイツナンバーの車に乗ってるから・・ってことにしておきましょう。

この国道沿いに立っている女性はほんとみな若いです。スタイルもそれなりに良い子がほとんどです。
なんで、こんなところで・・と思うのですが、さっき通った打ち捨てられた農村地帯を見たばかりの目には、資本主義経済のゆがみが彼女達を街娼にしてしまったのかなあ・・なんて思いました。

とりあえず謎が解けてすっきりしましたが、なんだか苦笑いのkおばちゃんです。もう少しでチェコの税関です。


この辺りに来ると・・さすがもういませんね。EUに加盟してからはフリーパスですからね。


暫く緩衝地帯を走ると


お隣の国オーストリアの税関が見えてきました。


ただいま!!オーストリアですね。
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テルチを後にチェスケー・ブディェヨヴィツェ??

2010-10-26 21:49:19 | チェコ
今日もすっきりしないお天気。天気予報は朝から『寒くなる!寒くなる』の連呼。
結局寒くなったのは夜になってからのような気がしますね。

そうそう、テレビ大好きおばちゃんのkおばちゃんが昨日見た番組でなるほどなと思ったのは、バレリーナの足の指。
ロイヤルバレエにいらし吉田都さんのドキュメンタリーのような番組のなかで、彼女が素足になるシーンで足の指が映し出されたのです。

いえ、あのトウシューズのなかで、バレリーナの足の指ってどうなってるのか常々疑問に思っていたのですが、彼女の指をみてびっくり。
きれいな指で、しかも足の指だからこういう呼び方をしないと思いますけど、中指と薬指が独立して動いていったように思います。
足のそれぞれの指で衝撃を吸収するって行ってましたけど。kおばちゃんの足の指なんて立派な外反母趾になっちゃってまして・・見るも無残でございます。

これもひとえに足の指にかかる体の重さのためですね。ああ、足の指さんごめんなさい・・と思った番組でした。


○7月1日(木)

テルチのお城Zámek Telčを後に再びフラデツのザハリアーシュ広場Náměstí Zachariáše z Hradceに戻ったkおばちゃんです。


今頃になってですがインフォメーションを見つけました。

もうこの町を去るので・・用はありませんがこの夏の行事予定のポスターがありました。

その中にあったのはFrancouzsko-česká hudební akademie 音楽の講習会の予定です。
今日から11日までだそうです。だからさっき楽器をもったお嬢さんがいたのですね。

それからこんなものも張ってあました。

これじゃ良くわからないでしょうがこの街テルチの地図ですがこちらは1835年のもののようです。


で、こちらは現在のもの・・ということでしょうね。あんまり変わってませんね。


そういえば・・kおばちゃん今日はお昼を食べてません。いい加減おなかが・・でもね、ここで食べてる時間はありません。

ということで、お手近なこちらでアイスを購入してお終いです。

最後に 聖マルケータ像の噴水 Dolní kašna se sochou sv. Markétyにお別れを告げましょう。

次ぎの目的地は・・一応2時間弱かかりそうな場所です。ああ・・時間がない!


こんなルートで走るのですが・・冒頭の画像もそうですが、『池』がところどころにあります。


池の水はどこからから流れ込んでいるという風ではなく、湧き出ている・・というより染み出しているという感じです。

googleさまの地図でもほら、池だらけでしょ?なんだか水がいっぱいの地区ですね。

高低差はそれほどないこんな平原です。


そうそう、kおばちゃんが一応目指していたのはチェスケー・ブディェヨヴィツェCeske Budejoviceという街です。でも、ここが今晩のお宿ではありません。

街に辿りは着いたのですが・・時間が・・


今晩のお宿に早くつかなきゃ行けない理由もあるし・・


暫く町の駐車場でモンモンと悩んだ結果・・先に行くことにしたkおばちゃんです。

ああ、残念!!この街チェスケー・ブディェヨヴィツェCeske Budejoviceって名前は言いにくいですね。
それに聞いたことないでしょ?でもバドワイザーなら聞いたことありますよね。

そうなんです。この町はビールの醸造で有名な町なんです。ブディェヨヴィツェのビールはBudějovický Budvarブドヴァルと呼ばれ、銘柄「ブドヴァイゼルBudweiser」として製造されているそうです。BudweiserとはBudejoviceのドイツ名だそうです。

ちなみに一般的にバドワイザーBudweiserと日本で呼ばれているのはアメリカのビールで、アメリカのドイツ系移民が『あやかり商品』として命名したようで、ご本家とは関係無いので、その命名をめぐってややこしいことになっているそうです。

まあ、ヒュンダイ君がいるので、ビールは飲めませんけどね・・

ということでチェスケー・ブディェヨヴィツェCeske Budejoviceの町を後にするkおばちゃんです。
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チェコ最古のお庭(テルチ)

2010-10-25 19:12:57 | チェコ
今日もお天気は今ひとつ。雨が降らないだけまし??

ここの所、この前ウイーンでお見舞いをした知人から頻繁に電話がはいるのだが、どうも処方されている薬が気になってルみたい。
kおばちゃんだって専門家じゃないんだからねえ・・日本語でちゃんとした説明を聞きたいらしい。
日本語でも医学用語は判りにくいもんね。どうも話を総合するとへパリンの副作用のようなんだけど・・分かる範囲でお答えするしかありませんね。
本人がインターネットを使えれば問題は全然ないのよね。なんせ超アナログな御仁。どうしたものやら・・携帯も持ってないとおもった。
情報弱者になっちゃうちょっと怖いと思ったkおばちゃんです。

○7月1日(木)

さてさて、テルチ名物?『池』を眺めながら待ったり使用と思ったけれど、C国語の洪水でいささかうんざりしてしまったkおばちゃん。
気をとり直してお城の見学をすることにしました。

テルチ城Zámek Telčは本来は14世紀にゴシック様式建築物として建てられたそうですが、現在の姿は1530年の大火後の1551年に再建されたものだとか・・ああ古いのね。

このお城の中には博物館もあるようで、昔の子どものおもちゃを展示しているようですが・・


残念ながら時間がありません。だって・・今日はお隣の国まで戻らないといけないのですから。

お城全体はこんな感じの配置になってます
内部はガイドツアーでしか回れないようですけど。

とりあえずフリーで入れるところで中庭のようです。

この紋章というかエンブレムは何でしょう?お城のものとは違うみたいですけど・・


バルコニーもありますね。ここで演説するのでしょうか。

コリドールにはこんなレリーフもあります

エデンのアダムとイブですね。


あちらに入り口がありますお庭でしょうか?


中に入ると冒頭の画像のような景色が広がっていました。
このお庭は、ルネッサンス様式の庭園で1570年に造られたチェコで最古の庭園だそうです。

高い塔はイエズス教会kostel Jména Ježíšのものですね。

入り口と反対側から眺めるといかにもルネッサンス様式と言った感じですね。


真中の池には懐かしい睡蓮が今にも咲きそうですね。


右下のレリーフは馬車とネプチューンだそうです。


さて、そろそろ戻りますか。
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池に囲まれた町(テルチ)

2010-10-24 23:59:24 | チェコ
今日も大忙し・・のはずだけど、ちょっと半分お休み。
だって一週間おくたびれですからね。

それにしても昨日のお天気は何処へやら・・困ったもんです。

困ったといえば今日は唖然とする光景を・・電車に乗っていたら閉まりかけた扉に小さな女の子が飛び込んできた。
で、その後からお父さんが・・いったいどういう感覚しているの??ドアーにはさまれた大変でしょ?
もしはさまれたら、扉を閉めた車掌を責めるの??扉が閉まりかけてところの子どもを飛び込ませる神経・・・あいた口がふさがらないというか・・何を考えているのやら・・
と同時にこんな子が大きくなったらどんな風に育つのかと思ったら空恐ろしくなりましたよ。

事故がないから良いというものじゃないでしょ。と思わず親をにらんでしまいました。
ちっとも気がつかなかったみたいですけどね。

○7月1日(木)

テルチの町は世界遺産の名前にたがわず・・というかさっきのトシェビーチに比べると・・美しい町並みです。

ただし・・特別という感じはしません。
だって、ここチェコの田舎の都市は美しいところが多いからです。
イフラヴァだってお化粧直しをしたらたいそうきれいになると思いますよ。
ここの町並みだってそうとうお化粧直しをしていると思います。


美しい建物が軒を連ねるフラデツのザハリアーシュ広場Náměstí Zachariáše z Hradceです。

この広場の建物の前にはこのような回廊のようなアーケードが付いています。

この町はこのような姿になったのは1386年の町の大火災の後のことのようです。町は交易の中継地として栄えたようです。
16世紀には大きな影響力を持っていたイエズス会の力により発展し現在の姿ったようです。



kostel Jména Ježíš イエスの御名教会でしょうか。イエズス会修道院教会として1663~67年に建設されましたそうです。その向こうに・・道が続いています。

でも、kおばちゃんはこちらの右側に続く道のほうになんとなく行ってみることにしました。


大きな荷物と楽器を持ったお嬢さんにくっついていったのかな??

お城の門のようなところを抜けると・・目の前に広がるのが『池』でありました。


この町はそういえば3つの池に囲まれている・・と書いてありました。googleさまによるとこんなです。


3つの池のうち左上の池です。kおばちゃんが見ていたものは。

池を見ながら静かに物思いにふけようと思うと・・背後から賑やかな声が・・振り返ると東洋人の観光客の一団です。
現在一番パワーのあるC国の皆さんのようです。

さっき通ってきた城門はあちらです。

かつての日本もあんな勢いだったのでしょうか?
クトナー・ホラでも出会ったのはC国パワー!!まあ、日本の方々は有名地じゃないと行かないようですからお会いすることも少ないでしょうね。

これがお城を外側から眺める・・の図です。


お城の直ぐそばも池がありますが・・けっしてお堀というわけではないと思います。お散歩の親子もいますね。


再び広場に戻ってきました。こうやって見ると結構広いですね。

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強くない日本円(テルチ)

2010-10-23 23:59:23 | チェコ
今日は久々の良いお天気!お布団が干せて大満足です。
ただし・・・お出かけの都合上時間が短かった。

久々に小編成のアンサンブル・・でしかも・・
緊張しましたけど心地様疲れで美味しいお酒が飲めました。

さあ、明日はどうなるか・・

○7月1日(木)

さてさてトシェビーチTřebíčの町を観光した後は・・徐々に今晩のお宿に近づきつつも・・まだ観光をしようというkおばちゃんです。
お次の目的地は・・ここから40キロほどで・・約40分かかるそうです。

まあ、チェコの道は中央集権的ではありませんが・・ナビ様がないと一人では走れません。

また例によってICOMのバスが走っている後ろを走ります。


目指した先はテルチTelčという町です。ここもkおばちゃんお気に入りの世界遺産の町です。
でも、町といっても人口は6000人弱しかいないそうです。

まあ、例によって入り口がよくわかりませんがこのあたり・・


入り込むと・・たしかにそこには広場が広がっていました。


パーキングもあります。ここにヒュンダイ君を止めましょう。

この町も去年滞在していたリトミシュルとおんなじような感じの楕円形の広場をもつ町のようです。

kおばちゃんがやってきたのはあの塔の脇にある道からです。


広場の片隅の脇にはこんな塔がペスト克服?記念塔でしょう。

kおばちゃんがやってきた方向と逆の方向はこんな眺めです。


左手前にあるのは聖マルケータ像の下部噴水Dolní kašna se sochou sv. Markéty だそうです。

さてさて、ここでkおばちゃん手持ちのチェココルナが少なくなってきました。
しかし・・あと数時間で出国してしまうんですよね。でもガソリンを入れたりしなきゃいけないし、カードはあるけれど・・

なんて考えていたら銀行の看板をみけました。

まだ、営業しているようです。
思い切って建物の中に入り・・聞いてみました。『日本の円は両替えできますか?』と・・
帰ってきた答えは『ユーロしか両替えできません』とのこと。

ああ、円高で価値が増えてるとはきくけれども・・やっぱり流通通貨としての力は全然ない日本のお金だな・・と残念に思ったkおばちゃんです。

kおばちゃんの様に陸路で田舎町に入ってしまうとなかなか円からコルナに両替えするチャンスはないな・・とつくづく思いました。
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再建された教会(トシェビーチ)

2010-10-22 17:54:42 | チェコ
昨日はきしめんの街まで出稼ぎ。
久しぶりに乗った新幹線は、これも不景気のせいかガラガラ。ま、もっともあんなに過密に運行してるんだからしょうがないでしょうけどね。

そういえば、結論が出たリニア線のルート。当然と言えば当然で、もともと2点間の時間短縮のためにけいかくされたんでしょうからね。
それなのに『迂回ルート』を提唱されたら・・時間短縮にはなりませんからね。

先日、高速道路を利用して思ったのは、地方の頭を切り替えないと折角のチャンスを生かせないんじゃないかなって。
所詮利用料が下がったからってい高速を利用して観光する人は、『日帰りで、ちょっとだけ美味しくて珍しいものを食べられれば良い。お土産だって、日常品の延長のような物で。』と考えていると思う。
それを、宿泊客が思ったほど伸びない・・なんて勘違いしている地方の方が考え方が根本的に間違っていると感じるkおばちゃん。
利用者はたんに『日常の延長』を求めてるだけ。ちょっと変わったラーメンでも食べられれば良いと思っているだけなんだと思う。

だから観光の起爆剤にするなら、そう言う施設や食べ物をを増やさなきゃね。B銃グルメで十分なんです。一攫千金はありません。

このまえ出かけた場所で『はかり目丼』と言うのを頂きましたが、こういうの位が丁度良いな!なんて思ったkおばちゃんです。
お土産はご当地の『味噌』とか『醤油』ですよね。車だから持って帰れる・・って言うやつです。
地場を盛り上げるのには丁度良い物品と思うのですけどね。

なーーんてkおばちゃんが考えて分析してあげても何の役にも立ちませんね。

○7月1日(木)

トシェビーチTřebíčの町の観光をしているkおばちゃんはもう一つの世界遺産に向うことにしました。
もう一つの世界遺産は聖プロコピウス聖堂 baziliky svatého Prokopaです。
聖プロコピオスSv. Prokopとはエルサレムに生まれで、パレスチナの地で最初に殉教した人物とされ聖人に列せられてるそうです。
そんな聖人の名前を冠せられた教会堂は、1101年にベネディクト派の修道院の一部として建設されたものだそうです。
当時は聖母マリアPanně Mariiに捧げられたそうです。

この入り口から中に入るようですね。

この建物が・・そのようです。


この建物とは別棟にインフォメーションがありましたので、ガイドツアーがあるかもしれないと思いきいて見ました。
ありました!しかも丁度良いことに午後2時からです。チケットを購入して・・外で待つことに。
外のベンチにはkおばちゃんの他に一組の中年のカップルが座ってました。kおばちゃんも歩きまわったのでベンチで一休みです。

時間になると、さっき受付にいらしたお嬢さんが出てきて我々を引き連れてツアーの開始です。

これが聖堂の入り口です。この画像は出て来てから撮ったものですけど・・
このお嬢さんがガイドさんです。

彼女はたしか鍵をあけて入りました。で・・内部は画像を撮らないでくれといわれた覚えがあります。だから・・残ってません。

この入り口はファザードではありませんが・・立派な入り口です。『エデンの門Brána rajská』だそうです。


この教会堂の特徴は・・当初は中世ゴシック様式で建築されていたのですが、その後13世紀の半ばに修道院、要塞としての機能をもつようにロマネスク様式に改修された・・というところでしょうか。

この後陣の薔薇窓はフランスのランスRheimsの大聖堂のものとよく似ているそうです。

そして、驚きべことには、その元々の12世紀初頭に建てられた当時の柱がまだ残っている地下聖堂
があることです。
1468年にハンガリーからの攻撃を受けたときにもその多くは残り、(確か1本だけ破損といったような・・逆だったか??忘れました)現在に至っているということでした。

当時の柱に普通に触れます。でも、この部分はまた別の鍵がかかってました。

まあ、後色々と説明を受けたのですが・・画像が残っていないので・・古いフレスコ画もあったとおもいます。
ガイドのお嬢さんはkおばちゃんには英語で、もう一組にはチェコ語で案内をしてくださいました。

あとは、外回りをぐるっと周ってお終いです。

そうそう、絵葉書を買おうと思ってインフォメーションに戻ったら・・『あなたは世界遺産が好きですか?』と聞かれて『ええ』と答えたら『じゃあこれを上げます』ってチェコの世界遺産のリーフレットをくださいました。

しかし・・結構重たい!!ありがたいのですが・・帰りの荷物の重量が気になったkおばちゃんです。こんな立派なもの・・いえ文句を言ってる訳ではありませんよ。

ささ、結構良い時間です。おトイレをおかりして・・

ヒュンダイ君のところに戻りましょう

入り口から外を覗くとこんな感じです。

ところで、ヒュンダイ君を止めた駐車場・・よく見て見たらこの聖プロコピウス聖堂の敷地の下でありました。
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ゲットーの町並(トシェビーチ)

2010-10-20 17:36:55 | チェコ
今日も・・曇り。
秋晴れというのは一体何時くるのでしょうね??

ここのろことの円高。実はkおばちゃんにとってはありがたいのですが・・日本経済にとってはね。
先日お仲間に頼まれて、米国で楽譜をオーダーしたのだが、チョとすったもんだあって、決済がおくれたのです。

○7月1日(木)

トシェビーチTřebíčの町を観光するkおばちゃん。
お目当ての世界遺産のユダヤ人街に辿り着いたのですが・・うーーんここをどう観光したら良いのでしょうね?

kおばちゃんがこの町に寄ったり理由は、もちろん世界遺産にひかれたかれですが、そのなかでも『ユダヤ人街』というものに興味があったんです。
昨日も書いたとおり、200年ものあいだキリスト教徒と共生して来たここのユダヤ人街(ゲットー)は1411年に最初に16戸のユダヤ人の記録がのこっているそうですが、その後18世紀後半にはこのモラビア地方で最大のユダヤ人コミュニティーに成長していたようです。

今回kおばちゃんが追っかけてる?マーラーもユダヤ人家系ですよね。
ですから、東欧におけるユダヤ人とは?ユダヤ人の生活とは?ということで興味がありました。

そもそも、何をもって『ユダヤ人』と呼ぶのか・・、もちろん家系もありますが、ユダヤ教を信じている人々というのがその大枠ではないかと思っているのですが・・

現在でもエルサレムで宗教間対立が激しくあり、その民族意識は多神教の日本に育ったkおばちゃんには到底理解できないのですが、先祖代々面々とその宗教で民族が続いてい行く・・国家がなくなっても・・というのはそれだけ信仰心が強いということでしょう。
祖国を追われて世界各地に散っていたユダヤ人達は、それぞれコミュニティーを築き、特に東欧地帯でドイツ語をしゃべるユダヤ人は『アシュケナージAshkenazim 』といわれてコミュニティーを結成しているそうです。

彼らはキリスト教の禁じている『金融関係』のお仕事を堂々と出来たので・・金銭的には恵まれていたようですが、『禁じられている職業』をしている・・ということは逆にいえば、『差別の対象』になっていたのでしょう。その活動には色々と制約がつけられていたようです。

マーラー家だってマーラーの生まれる前後にその移動の成約や、醸造免許の取得などの法律がやっと改正されたということでしたもんね。

蔑視といば、シェークスピアの『ヴェニスの商人』のシャイロックなんてその典型ですよね。
あの物語は結局お金を貸したのに『悪人』に仕立て上げられて、貸したものも返してもらえなかった・・って見方もできなくもなく、あからさまなユダヤ人蔑視の作品じゃないか・・とおもてるのですけど。

まあ、そんなことはおいといて、ここトシェビーチTřebíčでは、キリスト教徒とうまいこと融合して生き抜いてきたユダヤ人達の町並みというのが、世界遺産となっている・・と解釈していました。

とりあえずは・・この地区のインフォメーションを目指して見ます。


こんな風景を見てkおばちゃんの意識はなんでここが??という気持ちになりました。

kおばちゃんの頭の中には『世界遺産』=『美しいもの』と言う認識だったのですが・・ここは狭くて暗ーーい感じのするところです。

インフォメーションは直ぐ見つかりましたこですね。

インフォメーションの前にこの地域の地図があります。

この建物自体ももともとは1670年のものでしたが、19世紀に改装されてユダヤ人ドイツ語学校としてりようされていたようです。


こんなプレートも付いておりホロコーストの展示などもなされているようです。

家と家とが密集しており(ヨーロッパにしては)ゴミゴミ・・と言う感じです。

kおばちゃんのお仲間に言わせれば、『こういうゴミゴミしたところにユダヤ人達はおしこまれて生活させられていたんだ!!ということで、世界遺産なんでしょ。きれいじゃしょうがない。』という解釈です。

ゲットーの端っこまで行って見ましたがこの先は崖ですね。

川の中ほどからユダヤ人街を望むとこんな図になります。


ユダヤ人街の端っこはもう廃墟のような佇まいです。少年が一人サッカーボールで遊んでいました。


そもそもこのユダヤ人街はイフラヴァ川のJihlavほとりに立っています。


このイフラヴァ川って、そうさっきまでkおばちゃんがいた街と同じ名前。もちろんあの町の端にもこの川の下流が流れていました。
そしてのこ川はJihlávkaというところを源にイフラヴァ川Jihlavとなり、Svratkaという流れに合流し、さらにターヤ川Dyjeとなり、モラヴァ川Moravaに合流し 最終的にはドナウ川Dunajに流れて行くそうです。

町の中にはこのように塗り変えられて美しくなっている地域もありますが、基本的には・・あまり美しくないと思いました。

車が通り抜けられるような路地もありますが、止める場所がありません。

建物の1階部分にこのような入り口があり、中に入って見ると・・曲がりくねっていますが次ぎの路地に出られる通りぬけになっています。

こちらにもそのような通路があります

それこそ暗いのと人目がつかない路地の奥なので『ゴミ』が放置されていたりします。
だから余計『ここが世界遺産?』と思うのですが、お仲間のいうとおり『こういう暗いゴミゴミしていたところに押し込まれていた』ということが『世界遺産』としての価値なのでしょう。

この町のとユダヤ人の歴史がわかっていると見方が違うかもしれませんね。


他にもシナゴークとか見所があるのですが・・なんだかドヨーーンとした気分になってしまったので見ていません。

ユダヤ人墓地というのもこの町のももう一つの見所もこの上の丘にあったのですが・・途中まで上って辞めてしまいました。


はい、へたれなkおばちゃんです。すみません。
このぐらいの住宅密集度ならば、kおばちゃんの周りでは『普通』なのですが、西洋人にいわせると『人間の生活するレベルではない』と言うことでしょうね。

富士山が『ゴミ問題』で世界遺産に登録されないと嘆いていますが、いっそのこと日本の住宅密集地でも登録し見たら如何でしょうかね?
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世界遺産の基準(トシェビーチ)

2010-10-19 22:37:47 | チェコ
今日もまあ程よい空気。だけどね、お日様が拝めないのが寂しいです。

C国の排日運動。起こるべきして起きた事象でしょう。
例の、漁船事件。M党はやっぱり対処を間違っていたと思いますよ。

C国は一枚岩ではない国家。とくに次期主導権を争ってる時期にこんな処理をするなんて、あほじゃなかろか。ましてのガス抜きをするのに格好の材料を提供してしまったなんて・・

政治主導で国家を運営すると言い切ったんだからきちんと対処してもらいたいもんです。
その筋の官僚からの意見なんか聞く耳もたない・・と言い切っていましたからね。
政治主導で責任をとっていただくしかなでしょうね。


大体がなんにでも『戦略』という言葉をつけるのはkおばちゃんは大嫌い。
『戦』の字は何に対して戦うの??『戦略的互恵関係』???ですよ。

まあ、大いに苦しんでください。そういう政府を選んだ国民も同罪です。
いまさら文句をいってもしょうがないんじゃないですが?マスゴミさん。です。

7月1日(木)

イフラヴァの町から移動して到着したのはトシェビーチTřebíčと言う町です。人口3万ほどの町です。
日本では・・あまり名前が知られていませんが、一応世界遺産のある町です。
そうなんです、kおばちゃんのミーハー主義といたしまして、世界遺産の町めぐりの一環でございます。

で、ここの世界遺産登録というのは2つの事象が理由のようです。
『ユダヤ人地区と聖プロコピウス聖堂Jewish Quarter and St Procopius' Basilica in Třebíč: Třebíčská židovská čtvrť a bazilika svatého Prokopa』が世界遺産として登録されているそうです。

二つは密接に関係があるそうです。この町はモラヴィアのユダヤ文化の中心地で、とユダヤ人とキリスト教信者が一緒に暮らしていた問い特色があるようです。

という事前情報はわかっていたのですが・・具体的に良くわかっていないkおばちゃんです。
ですから冒頭の風景を見たときに『ああ、これが世界遺産の町か!』とおもってしまったのですが・・

こんな立派な建物も・・ただのインフォメーションでした。


このインフォメーションで聞いてみました。世界遺産はどこにあるの?と
すると、地図をくれて・・ここじゃなくて・・川の向こうとのこと。

ここは『カレル広場Karlovo náměstí』と呼ばれているただの広場でした。
こんなプレートはありましたけどよくわかりません。

こんな気持ちのよい広場ですけどね。


川の向こうにもパーキングはあるとのことで、kおばちゃんはヒュンダイ君と移動することしました。

そうそう、ここのインフォメーションで訪ねれました。『何処からいらっしゃいましたか?』って。kおばちゃんは『日本からです。』と答えるました。どうも、どこから観光客がやってきているのか調査しているようです。

世界遺産といっても有名じゃあけっしてありませんからね。

ここが世界遺産の入り口ですが・・この直ぐ脇のパーキングはいっぱいでした。


しかたがないので・・別のパーキングへ・・標識に従って進んだらこんなところでした。


2時間のチケットを購入。時間を忘れないために画像に撮りました。

だって、何時までかわすれちゃいますので・・

さあ、歩いて観光しましょう。ここがユダヤ人街ですね。
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古い屋敷壁(イフラヴァ)

2010-10-18 19:28:08 | チェコ
今日からまた一週間の始まり。

今週もけっこうきつい・・しかもお仕事以外で。
先日乗った電車で・・空港に行くのに便利なルートを見つけたのだが・・ルート案内の検索に出てこない。
あれは一体どういう条件でルート案内してるのか・・といぶかしく思った。

実は昨日同乗した若者、彼は西日本の出身だそうだが、東京の降り替えはもっぱらルート検索だのみでなかなか地理的関係を覚えない・・と言っておりました。

長年生息しているkおばちゃんだって、どんどん新しい路線もできるし、いろいろ結合して運転し来るので・・わからないことも多いだが・・検索して出ない理由が判らない。

本来は1回の乗換えで、しかも早いルート。そでが何回も乗り換えるルートが出てくる。
途中通過駅の、乗換えの線のない駅名を経由地としていれたら出てきたけど・・なんで??
まあ、まともに信じちゃいけないとこうことですね。

○7月1日(木)

マーラーの育った家を見学し終えたkおばちゃん。そろそろお次の行動を起こさなきゃいけません。

建物を出て・・マーラーの家の画像を撮ったついでに・・お隣の家を撮影して・・あれ??

それはこの画像です。


最初は薄汚いな・・と思ったのですが、良く見ルと『壁画』ですね。

拡大して見ると『アダムとイブの楽園追放』ではないでしょうか?

そしてこちらは『ノアの箱舟』に見えるんですけど。

真中の壁画は・・何をモチーフにしてるのかは分かりません。

丁度真中に電線の受けが付いてしまっているのが残念ですね。
そうそう、これはトロリーバスの電線です。トロリーバスって懐かしい・・というかkおばちゃんは乗った記憶がありません。見た記憶は・・あります。あはは・・お年ですからね。

うーーんうすボケていて残念ですけど・・描いた当初はどんなだったのでしょうね?そしてなんの目的で描かれたんでしょうね??流行だったのでしょうか??

壁画の描かれていた建物は広場の角のこの赤丸の建物です。

広場側から見ルと・・なんの変哲もない古ぼけた建物ですね。

イフラヴァの町は復興途中ということなんでしょうか?冒頭の画像はkおばちゃんのお宿に向うマーラーが子どものころにおじさんの所に向うために通ったであろう・・道です。
すっかり掘り起されて、kおばちゃんがこの町に到着した時は通行止めで、おかげで宿をもとめてぐるぐる回って上げくのはてに一方通行を逆走して(確信犯です。すみません)やっと到着したんですよね。

この壁画の建物も・・もう少し復元されればよい観光スポットになるような気がします。
ま、余計なお世話でしょうけど・・

イフラヴァの町はまだまだ見所がありますが・・そろそろタイムリミットです。お別れしなければいけません。
ヒュンダイ君の元に戻ります。

お宿に戻り・・チェックアウトをして、出発です。

お次は・・ナビ様のお告げによると40分ほどでしょうか?
こんな感じで走ったので今日も高速(オレンジの道路)を利用しません。


そろそろ『町』に近づいてきましたかね。前を走っているのはここもICOMのバスですね。


さて・・到着したのは良いけれど。。例によって情報が殆どありません。で、いつもの通り適当に駐車!


しかも・・どうも何処かの会館の駐車場のようです。まあいいや。長くは止めません。
場所が分からなくなると困るので・・とりあえず周りの景色を画像に残します。

で、ふらふらと歩いて行った先に広がった景色は・・これでした。あ、きっとここかな??


と勝手に思ったkおばちゃんです。
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マーラーの育った場所(イフラヴァ)

2010-10-17 21:57:56 | チェコ
今日も朝から大忙し。
久々にマイカーちゃんでお出かけ。海ほたるを2回も通りました。
いやーー安くなって大助かり。だって前は通行料4000円なんてとんでもない値段でした。
今は800円ですからね。

久々のドライブも同乗者ありで結構緊張したkおばちゃんです。

夜の番組でドガの特集をやっていて・・ああ、あの『小さな踊り子』のバックにそんな物語があったのね・・と興味をそそられた。

『小さな踊り子』とは昨年の夏パリで見た『14歳の小さな踊り子Petite Danseuse de Quatorze Ans』のこと。

このモデルについて、彼女が誰であるか・・解明されたというもの。
彼女はベルギーからの貧しい移民で、当時モンマルトルに住んでいたはMarie Van Goethem1865年生まれだとか。

パリのオペラ座のバレー学校に学んでいたが・・・その貧困さゆえか窃盗の罪で捕らえられ、14歳で退学?その後の記録はないという。
当時のオペラ座のバレーの背景。それはパトロンと踊り子の関係が当然のようになりたっていたということ。なかば・・芸者ですわな。

そんな事情を解説していた。なるほど・・ねなんて思いながら見ていたkおばちゃんです。
なんでも、今年のオペラ座のバレエの新作で、この物語を土台としたものがあるとか。
その名もずばり『La Petite Danseuse de Degasドガの小さな踊り子』だそうで・・機会があったら見てみたいと思ったkおばちゃんです。

○7月1日(木)

さてさて、kおばちゃんの今回の旅のテーマは・・一応マーラーです。
で、ここイフラヴァJihlavaの町は作曲家マーラーの生後3ヶ月から15歳まで過ごした町です。

マーラーというのは、ユダヤ人家系に生まれたためか、プラハで認知されなかったためか・・チェコの作曲家として扱われることは少ないようです。
現に、この町も近年になって観光資源としてマーラーを取り上げている・・様な気がします。

ま、いずれにしましても、現在はこの町のマーラーの育った家の一つは博物館として一般公開されています。
それがここ、Znojemskáズノイモ通り4番にあります。

あ、博物館だけではなくてカフェも営業しているようですが・・本日はお休みでした。

マーラーの育った家を示すプレートも掲げられています。

Dům Gustava Mahleraグスタフ・マーラの家の営業時間?です。


ここが入り口です。閉まっていましたが勇気を振り絞り中へ・・

確かに誰もいませんでしたが、中に入ると奥に受付がありお嬢さんが一人いらっしゃいました。

ざっとこの建物の説明と、申し訳なさそうに『展示品の殆どはウイーンの特別展に行っちゃってるの』といっておりました。
まあ、一昨日見てきましたら良いですけどね。

ここの展示の主なものは・・マーラーの書簡のコピーなんかでしょうか。それも成人してここをでていってしまってからのものでした。
妻のアルマに当てた手紙で、アムステルダムの演奏会を前にして『休憩の前に交響曲5番の演奏をすべきか、後にすべきか・・・』なんて内容の手紙を送っていたみたいです。

あ、画像のが残ってないところをみると・・おそらく内部は撮影禁止だったのでしょうね。

そのほかには子供のプレイルームのようなものもありました。

あ、そうそう、マーラーの両親はここでも旅籠のような『イン』を経営していた様で、地下にはその『酒場』のカウンターを再現したようなものもあり、また母親が使っていたであろう作業室のようなものも左舷されてしましたが・・いかんせん地下は下水くさかったです。

現在でもあの状態である(修復してあります)のですから、当時は・・と考えると、マーラーの兄弟が幼くして次々になくなっていったのも納得できるような気がしました。

あ、地下にはコンピューターをつかった『楽器あてゲーム』なんかもあり、子供たちの見学にも興味をひくようなしかけがありましたが・・果たしてマーラーと関係があるのか・・・

そうそう、kおばちゃんの滞在していたMahlerův pension Na Hradbáchも実は、当時マーラーのおじさんが経営していた旅籠で、マーラー少年もたびたび訪問していたようです。近いですからね。
あら、まあ!とびっくりなkおばちゃんでした。
kおばちゃんのヒュンダイ君を止めてある通りを下っていくと、小さな川を渡るようになっており、その先は動物園のようなものが現在はあるようですが、当時もこういった自然をマーラー少年は愛していたようです。
街中よりも楽しいですもんね。

マーラーの家の入り口はこんな感じでございまして・・

ここZnojemskáズノイモ通り4番のほかにもお隣の6番にも住んでいたことがあるそうです。


6番の向こう側に続く家並みもちょっと歴史を感じる外観ですね。
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さて、今日のご予定は・・(イフラヴァ)

2010-10-16 20:57:25 | チェコ
今日はお休み・・なのだが忙しいkおばちゃん。

明日は今日以上に大変なのよね。寝坊しないようにしないとね。

今日出かけたところはいわゆる『下町』と呼ばれる地域。物価の安いこと!!
しかも、住民が気持ちが良い。狭い道を歩く時はちゃんと譲り合う。
しかし・・若者・学生はいかん!譲るという行為をしらない。アレは親が悪いのか、周りが教えないのか・・ちょっと悲しかったkおばちゃんです。

カルボナーラが577円というのにはぶったまげたけどね。

●7月1日(木)

イフラヴァJihlavaの町で最後の朝です。まあ、最後っていったって2泊しかしてないんだから・・
でも、今回では貴重な連泊なんですよね。欲張りすぎた結果ですけど。

朝は結局ぐずぐずしていて8時ころの朝食となってしまいました。


朝食のブッフェの台は、ちょと寂しいですね。出遅れた・・か?



あの奥がキッチンに続いているようです。で、その手前のコーナーがレセプションデスク・・の代わりです。

ここはWIFIがばっちり入るので今晩のお宿の場所を検索して画像に残しておきます。

今日は再びオーストリアに戻るのですが・・kおばちゃんのナビ様はなぜかオーストリアの国名が検索できないのです。地図はもちろん入っているのですが、検索機能がきかないので、自力でナビさまの画面から入力するしかないのです。
で、検索は・・△padで場所を検索して・・と面倒な作業をしています。

しかしこの地図がいい加減だったことが あとで判明しました。

さて、チェックアウト・・は正午まで大丈夫。
でも、部屋で荷造りは終えておきましょう。いつでもチェックアウトできる状態にして・・少し町をうろつくことにしました。
おめあては・・もちろんあります。

とりあえず、インフォメーションをもとめてMasarykovo náměstí マサリク広場へ・・


ほら、一昨日の晩うろついた時にこのバスのところにインフォメーションのマークがありましたね。


で、ここへ向かいましたが・・当然このバスの地方Královéhradecký krajフラデツクラーロベー地方の観光案内のインフォメーションでした。

でも、ここのお嬢さんに聞いてみました。この町イフラヴァJihlavaのインフォメーションの場所を。
もちろん教えてくださいました。この市庁舎の右端赤丸の部分でした。


ここで、必要な情報をとりあえず・・今サラですけどね。
それによるとkおばちゃんの目的地はこっちの方向だそうです。

なーんだ。
この道はkおばちゃんがこの町にはじめて到着した時以来、行き来している道です。
気がつきませんでした。
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