Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

鉄瓶との再会?(ゲント)

2007-02-28 17:59:12 | ベルギー
今日は風が強くなってきた。
この前、2月26日のブログはアップしてから・・・・福岡に飛ぶべく出発したのだが・・なんと飛行機に乗り遅れる!という失態をしでかしたkおばちゃん。生まれてはじめての出来事!!

幸い次便(しかも10分後の出発)を割り当ててもらえたので・・なんとか生きながらえ?ている。ああ、職場からだと飛行場に向かう時間が読めない!!大慌ての福岡行き!

昨日帰ってきたのだが・・帰りは時間がありすぎて・・困った。
駅にある『井筒屋』というデパートは3月に閉店だそうで、閉店セールをやっていたが・・覗くと買いたくなるので辞めておいた。その代わり?五島列島の物産展をしていたので、食べ物を買い込んでしまったkおばちゃん・・『ダメじゃん』と一人つぶやいたけどね・・

ああ、時間は過ぎてゆく~

○12月31日(日)

さてさて聖バーフ大聖堂Sint Baafskathedraalの中で友達とはぐれてしまったkおばちゃん・・っていうかお互いに勝手に見学するものだ・・と思ってたからいいんだけど・・たぶん外に出て写真でも撮ってるんだろうなと思ったら・・案の定そうでした。

教会を出たところはやはり観光客がいっぱい!この向かい側にやはり世界遺産になっている鐘楼Belfortがあるからだ。この鐘楼は町のギルドによって1313年から建て始められ
争いや困難の末に一応1380 年に完了したが、その後鐘(カリヨン)が増設され、さらに1967 年から1980 年にかけてリニューアル?がなされたようだ。

そしてこの鐘楼の根元にあるのが繊維ホール(ラシャ取引所)Lakenhalle。1425年に工事を始め、1441年には一応完了したらしい。1613 年以来は学校として使われたり1742 年から1902年には刑務所として仕様されたりしたらしい。それににてもラシャって漢字で書くと『羅紗』で、外国語だったんだ!!と改めて思ったkおばちゃんです。

さらに、右端に映っているのは・・・どうも劇場・・らしいのだが・・

まあ、由緒ある一角なのだ。

こんなかわいいお店を横目に・・さて、お茶でも飲みますか・・とお店探し。例によってちょっと脇にそれてみる。なんとなく『モダン』雰囲気がしたからだ。

何処にする?って聞かれて・・例によってkおばちゃんが決めたお店はここ!ホントに適当に、決めました。
ちょっと寒くなってきたので・・

空きテーブルを見つけてやっと人心地。注文は友達は『紅茶』そしてkおばちゃんは『っチョコレート(ココア)』でも、運ばれてきたものをみてびっくり!
なんと日本の『鉄瓶』に紅茶が入ってきた!

こんな?ベルギーの地でまさか『鉄瓶』に再会するとは思わなかったのでかなり驚いたkおばちゃんです。

お隣のテーブルで『ワッフル』を召し上がっていらっしゃいましたが・・考えた末にパス!ちょっとカロリーオーバー気味かと思いまして・・でも、結局この旅行では食べる機会を逸してしまった・・ということに帰国してから気がついたkおばちゃんです。
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稼ぎ頭の祭壇画(ゲント)

2007-02-26 18:31:43 | ベルギー
お休みもあっという間に終わってしまった!
土曜・日曜とちょっと用事がありばたばた。今月も1回しか車に乗らなかった・・しかも・・3キロ・・なんだか無駄だなあ~

夕べはあばら家は寒かった!今日は夜から博多で稼ぎなので・・少しはこちらより暖かいのではないか・・・と期待しているのだけど・・

○12月31日(日)

トゥルネーの観光も一通り?終えたので、
さて、次の目的地へ

どこにしようか・・と、kおばちゃんがいくつ提案はするが・・ウェリントン将軍が(あ、これも英国・オランダ連合だ!)とナポレオン(フランス軍)との戦場として名高い本家ワーテルローIn Waterloo(ロンドンなんかにもこの地名があったとおもう)・・実際にはブレーヌ・ラヌーBraine-l'Alleud という場所らしい・・が、ただのそれだけしかないって言うのもなんなので(トゥルネーより人が多いところが良)ゲントに向かうことにした。

ゲントは最初この旅行の宿泊地としてkおばちゃんが候補に上げたのがだが・・友達は昔行った事がある(しかも数回)ということで却下された場所だった。

ゲントはGent(蘭)/Gand (仏)/Ghent(英)と標記される東フランダース州州都。人口25万の「花の都」。近年は工業都市となっているようだが、Scheldt 及びLys川の合流地点からのケルト族の単語' ganda ' から、' Ganda '「(川などが)一つに集まる、合流する」というに由来するらしい。中世後期においては、ここでも織布業の中心として繁栄し、その人口はパリにも匹敵するほどであったということだ。つまり、ここも当然『古都』。

そしてここで超有名なのが上の写真の聖バーフ大聖堂Sint Baafskathedraal

ここも、クリスマスバージョン?広場に面したバルコニーのところを見ると・・・
東方の三賢人がと思われる人物が・・・でも、一番右端の人は何してるんでしょうか?バルコニーに『手』が出てるように見えるんですけど・・・

そして、その中にあるにあるファン・アイクによる門外不出の祭壇画(1432完成)The Adoration of the Mystic Lamb 「神秘の子羊」である。

作者のファン・アイク(兄弟作と言われている)は2月18日のブログに書いたロヒール・ファン・デル・ウェイデンと並ぶ・・というかこちらの方が有名?なフランドル絵画の巨匠。

この有名な絵画は以前は普通に教会堂に安置されていた・・と連れの友人は言っていたが・・今は教会堂の中の特別?な部屋に置かれており、しかもガラスケースに収められている。そして、もともとその絵が掲げられていたところには『コピー』が掲げられており、オリジナルを拝みたければ、きちんと拝観料を払って拝まなければならない仕組みになっている。

拝観料は3ユーロ!でも、びっくり、トゥルネーで中を見ない!といっていた友人が「見ようか?」と聞いてきた。もちろん初心者のkおばちゃんは「そうしましょ!!」とOK。早速中に入って・・ガラス越しのご対面!

この拝観料にはオーディオガイドの使用料も含まれているのだが・・丁度日本人の団体さんと一緒になったが・・誰も利用していないようだった。

しかし、この展示、けっして広くない場所に『わんさか』人が居る。けちなkおばちゃん・・いったい一日幾ら拝観料が入るのかしら・・・なんて考えてしまった。一緒に入っていた日本人の団体さんも、この部屋は別料金らしく、入る人と入らない人が居るようだったが・・まあ、本とガラス越しのご対面は『鑑賞』するのに疲れてしまった。

このガラス越しのご対面の「神秘の子羊」、実は1934年4月10日にそのうちの2枚が盗難にあっており、身代金?騒ぎになったりしたらしい。うち1枚は回収できたが、The Just Judges とう左下の白馬にまたがった裁判官?が描かれている部分は未だに回収されていないそうである。

絵画鑑賞の後、kおばちゃんは一応お堂内を見物・・地下の展示では・・なぜかヘンデルの『メサイア』の曲の一部(有名なハレルヤではない)ずーーとかかっていた・・

友人ともはぐれたの・・まあ外に出てみるべぇと、外に出たkおばちゃんです。
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有名人3(トゥルネー)

2007-02-22 18:00:36 | ベルギー
昨晩は自分の不注意で・・ヒヤッと?した。ちょっと大げさか??

何故かというと、『夜間断水』を忘れていたのである。それを忘れて入浴してしまった・・髪の毛を洗っていたら蛇口から「ゴボゴボゴボーーヒーー」って言う音とともにミ水が出なくなってしまった。あらららら・・・とりあえず、浴槽のお湯ですすいだりしたけれど・・トイレはどうしよう・・なんて思たkおばちゃん。とりあえず、洗濯機の中の水もあるし・・まあ、浴槽のお湯でもいいか・・なんて色々と考えた。

お水はが出ないのはとっても不便。出るのが当たり前と思ってた生活を考えさせられましたです。

そうそう、昨日から英国がイラクから撤退ってニュースで報道していたが・・撤退のきっかけはヘンリー王子が原因じゃないよね・・って疑ってるkおばちゃんです。なんでも、士官学校を卒業して以来『特別扱いしないでくれ』とイラク行きを強く希望している・・って先週のニュースでみたばっかり。派遣先を『あまり過激なところ』にもあてられないし、『そのための沢山の警護をつける』というのもいかがなものか・・というところだったんじゃないかと思っていたからだ。それなら『ええいめんどくさ!派兵をやめちまえ・・とおもったりして・・・あ、ブレアさん失礼な事言ってもうしわけありません!

ただ、先日思いがけないところでイギリスの若いお嬢さんが『戦場にいる兵士』のために流した涙を目撃?してしまい、ああ『戦場はイギリスにとって現実に存在してるんだなあ』とあらためて感じていたらよけいかもしれないが、○ッシュさんこのHPを毎日眺めて!!って言いたいkおばちゃんです。戦死者はけっして数字ではないんです。彼らにも名前があり人生があったんです!って叫びたいkおばちゃんです。ごめんなさい、真面目に語ってしまった・・・

○12月31日(日)

Christine de Lalaingの像の隣?にいらしたのは・・・去年の12月15日のブログに書いたベレン人形?おフランスではなんていうんでしょうね?まあクリスマスは終わったけれども1月6日の主顕日まではクリスマス・・とばかりにグランプラスに飾ってあった『キリスト生誕シーン』・・どうでもいいんだけど、これマネキン人形にみえるんですけど・・

コレで思い出したのは、もう一人のトゥルネーでの有名人!しかも女性!そしてキリスト教と深いつながりがある人・・のことである。

彼女の名はジャンヌ・ダルク(仏:Jehanne Darc:Jeanne d'Arc , 英:Joan of Arc)『オルレアンの乙女la Pucelle d’Orléans』とも呼ばれ100年戦争Guerre de Cent Ansのときに活躍した、フランスの国民的英雄である。

なぜ、彼女がこの町トゥルネーと関係があるのか・・それは、そもそもドンレミDomrémyというお水で有名なVittelの近所出身の彼女が『オルレアンの少女』と呼ばれるようになった元の「オルレアンの囲みを解き王太子をランスに伴い、戴冠させるため王太子のもとに赴いた、と唱えた“乙女(ラ・ピュセル)”」という意味で、100年戦争中の要となるオルレアン攻防戦のとき、当時毛織物の原材料輸出国として重要であったイギリスと手を組む周辺の町の中で、このトゥネーはフランス側に付いた・・ということを感謝した、ジャンヌ・ダルクがその礼状をしためた・・・という史実があるからである。

その手紙は1429年6月29日の日付となっており、その手紙の中に『Tournai の町の忠節なフランス人に』という下りが最後に出てくるそうである。

そして、そのすぐ後の1429年7月17日にジャンヌ・ダルクが王太子としてあがめていたシャルル7世は2月13日のブログでも書いたこのトゥルネー出身の初代フランク国王クロヴィスClovis1世が洗礼を受け歴代のフランス国王がで戴冠式を挙たランスの大聖堂la cathédrale de Reims(La cathédrale Notre-Dame de Reims)で戴冠し正式なフランス国王となったそうだ。

ただ、トゥルネーの町のHPでは、そのことに触れていないようであるが・・・どうなんだろう?

昨日のブログにあったChristine de Lalaingはその100年もしない後にイギリス側について戦った・・・とkおばちゃんには思われるので・・う~ん・・・kおばちゃんには判んない!!

そもそも『百年戦争』はシャルル4世が男子の跡継ぎの無いまま不意に死んでしまったことに直接の原因(継承争い)はあたようだ、その他にも当時としては重要な産業であったこのフランドル地方の毛織物の利権をめぐる争い・・・的要素も十分あったといわれているそうだ。

1337~1453年にわたって実質100年以上続けられた「百年戦争」、現在のイスラム圏の争いがそうならないことを祈っているkおばちゃんです。

ああ、今日は真面目になってしまった。・・・でも内容については・・・ちと自信がない。なんせ付け焼刃ですから・・ガセだったら御免なさい!

何時の世の中も争いは・・いやだとおもうkおばちゃんです。
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有名人2(トゥルネー)

2007-02-21 19:26:20 | ベルギー
今日は予報どおり・・花粉がすごい!夜中というか明け方に花粉で目が覚めた!
花粉でというより、『鼻水』で・・ああ、きちゃない・・・

今日は本とは歯科検診を予約してあったのだが・・・キャンセルしておいた・・正解!
こんなんじゃ口でしか息ができないから苦しいのだ!

○12月31日(日)

一休み・・して、お店の前のグランプラスに出たkおばちゃんたち。
そこで冒頭の人物像を発見!だれだろう・・・と思いながら(なんのお勉強もしておりませんので・・)とりあえず(いつもの事ならが)写真だけ撮っておいた。

帰国後ちょこっと調べた・・が系統だって調べられなかったので・・『ガセ』がまじるかも。。

どうも、この人物は台座にも書いてあとおり、Christine de Lalaingという方らしい。彼女はMontmorenc(ゲントの北西?)のCharles Lalaing伯爵の娘で、1579にMelun のPierreというトゥルネーの総裁?人と結婚したらしい・・違うか?

このろのトゥルネーはどうも1513年にイギリスのヘンリーVIIIに征服されて以来、イギリスの支配下にあったようだ。宗教的にはプロテスタントに多大な影響を与えたカルヴァン主義(Calvinism)が地中心だったようである。
そんなときに、神聖ローマ帝国はカール5世からフェリペ2世Felipe II (スペイン王)に変わり、彼はがちがちのカソリック。カトリックによる国家統合に力を入れ始めた。
それに、反対して1568年にはネーデルラントの反乱がネーデルラント連邦共和国(蘭:De Republiek der Zeven Verenigde Nederlanden、英:The Republic of the Seven United Netherlands)の独立へとつながってゆくのだが・・この時フェリペ2世のもとで、ネーデルラント総督を命じられていた第3代パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼ (Alessandro Farneseは、このトゥルネーの町も攻撃の材料としたらしい。

そして、1581 年に征服されるのであるが・・・1年間に渡り16000人の歩兵と5000人の奇襲兵を率いるアレッサンドロ・ファルネーゼに抵抗し、町の人たちの先頭に立ち放火などに怯むまず、女性や子供達を勇気付けたのは・・このChristine de Lalaing女史であったらしい。征服されたのではあるが、降伏の条件として、プロテスタントの住民が彼らの所有物を販売し、移住するのに1 年間の猶予を与えられたのである。宗教反対者は単に虐殺されたていたのが通常とされていた当時では、かなり慈悲深い考慮された方針といえるようだ。

従ってトゥルネーの歴史上では戦いに敗れこそすれ『英雄』として扱われているようである。

Christine de Lalaingまたの名をPrincesse D’espinoyと呼ばれたということだ。

女は強い!!と思ったkおばちゃんです。
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おフランスの香り(トゥルネー)

2007-02-20 17:57:54 | ベルギー
今日は一日すっきりしないお天気。
お鼻のほうもすっきりしない。いよいよ薬を飲まなきゃだめかな?
一応この前の土曜日に処方してもらっている。そうそう、この前医者に行ったとき聞いた話。
kおばちゃんの通っているのは近所の耳鼻科。先生はkおばちゃんの家庭の事情?を良く知っている。このまえ「今朝、名前も名乗らないで『1回打てば花粉症がワンシーズンでない薬があるって聞きましたが、そちらではやってますか?』って電話があったのよ」といわれた。そんな薬があることも知らなかったけれど・・けっこうきついホルモン剤だそうだ。うちの先生は「私は強すぎると思うので扱わないの」って言ってた。なんでもおばあさんの生理が始まってしまうくらい・・・とか。
花粉症も困るけど、ホルモンのバランスが崩れる方がもっと怖いと思っているkおばちゃん。もちろんお願いはしなかった。う~ん究極の選択か??

○12月31日(日)

歴史的?散歩も疲れてきたkおばちゃんたち。もう少し人間味のあるところへ・・・って訳じゃないけど、グランプラスの方向に歩いて行った。

そこは・・kおばちゃんの大好きな通・・・お店特に食べ物関係が・・軒を?連ねていた。そのだい1発目は冒頭のお店。
何のお店だと思います?

よく見ればわかると思うけれど・・パン屋さんというかチョコレートやさんというかお菓子屋さん。でも、ディスプレーがおされ・・私の友達いわく『ゴスロリ』のようだ・・
うーんちょっと雰囲気は・・わかる。
でも、建物はVAN HOVEというお店らしい

その先にはお惣菜やさん・・しかも営業中!

おフランスの香りチーズ屋さ(これも営業中)

肉やさん

こういう生活感のあるお店は大好き!

でも・・・そろそろ歩きつかれてきたkおばちゃんたち。ちょっとお休み・・といことでタベルナへ・・AU VIEUX TOURNAIというお店


そこにもおフランスの香りが
友達の頼んだのはチーズとお茶kおばちゃんはオニオンスープ!

冷えた体にとっても美味しかったです。お値段も体に優しいこんな感じ・・

そして・・おトイレに貼ってあるポスターも文化の香り??が・・

なんて思ったkおばちゃんです。
ホントとおフランスから近いトゥネーの町でした。




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町歩き2(トゥルネー)

2007-02-19 19:17:49 | ベルギー
今日からまたお仕事なのだが・・・昨日一日だらだらと寝転んでいたのだが・・・変なところにクッションを当ててた為か腰が痛い。しかも片側・・うう、何もしない罰が当たった!

職場の環境も慣れてきたが・・やっぱり日の当たらない分だけ寒い・・太陽が恋しいよ~

ささ、続き・・その前に・・・『町歩き1』で、ガゼ情報を流してしまったようだったので・・・訂正しておきました。はは・・失礼いたしました。お粗末さまでした!

○12月31日(日)

『町歩き1』のときに橋がかかっていたエスコー川とはフランス語読みで、アントワープではスヘルデ川と呼ばれている。1月31日のブログに書いアンティゴーンいた川の上流。やはり上流というだけあって流れが・・・狭い!

しかし、この少し上流では世界遺産にもなっている巨大ボートリフト(67mの高低差を解消)を持つサントル運河を経由しムーズ川と繋がっており、このムーズMeuse(マース)川は運河によりパリを流れるセーヌ川
とも繋がっている・・・とか。はっぱりおフランス圏です!

ということで、もう一度川を渡って、今度はこの町で2番目に美しいといわれている聖ヤコブ教会Saint-Jacques へ!それが冒頭の写真。
この教会の塔の骨組みは1215寝んのものを使用しているらしいが、回廊部分は1368年空のもらしい。聖ヤコブ教会はこの地方(フランダース)の巡礼教会のひとつで、巡礼の宿舎として使用できるような構造にもなっているらしい。
全体がトゥルネー風のゴシック様式というらしい。素晴らしいステンドグラスがあるらしいが・・通常は公開していないそうである。ま、公開していても見たかどうか・・ノートルダム大聖堂でさえも見ないkおばちゃんたちですから・・


ただ、この一角はトゥルネーの町の中でもひときわ古い17世紀の家並みが残っており、それが現在も使用されているとか。

たぶんこれかな?
今ひとつ確信・・・・無い!

この一角では無かったと思うのだが・・忘れてる・・こんなレリーフのある『普通の家』があった。

ちょっと拡大してみると
なんだか歴史を感じさせるでしょ?

当日ツーリストインフォメーションもお休み・・そのうえ、毎度のことながら事前調査不足のkおばちゃんたちの旅・・いい加減ですが、歴史の重みだけはひしひしと感じてきましたですよ。
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有名人1(トゥルネー)

2007-02-18 21:44:00 | ベルギー
今日もお休みの日。いつもどおりだらだら・・と過す。
朝から雨の音が聞こえているので・・今ひとつ何にもする気がおきず・・だらだらと・・
結局夕方掃除機をかけるはめに・・
庭を眺めたら・・梅が数輪ほころんでいる。今年はやっぱり早いみたい。

それにしても、ここしばらく暖かかったので、ぼけた蛙が出てきていたけれど、今朝見たら寒々と池につかっている。見てるだけで寒そう・・

○ 12月31日(日)

先ほど歩いてきたノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dameの裏(どっちが表だかわからにいけど・・)最初の写真の像があった。

何なんだろうな?マドンナ信仰でも強かったのかしら・・と思っていたのだが帰国して台座の文章をたよりにちょこっと調べてみた。

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(Rogier Van Der Weyden/Rogier de la Pasture 1399-1464)というヤン・ファン・エイクと並ぶ初期フランドル派のトゥルネー出身の代表的画家らしい。
ロベール・カンパンという当時この町で有名だった画家にの弟子となり画家となってゆくが、不倫騒動のあとリュッセルに移り、エリザベスElisabethという女性と結婚し子供2人をもうけたらしいが1464年 6月18日ブリュッセルで没。ファン・エイクと違い、署名や年記のある作品は残っていないようだ。
「聖母子像」はトゥルネー美術館に収蔵されているが、「十字架降下」(1435頃)はプラド美術館に、「 聖母を描く聖ルカ」(1450頃)はボストン、ボストン美術館にそして、
「七つの秘蹟の祭壇画」(1450頃)はアントワープ、王立美術館にそれぞれ収蔵されているとのことである。

うーーん知らなかった!この次これらの美術館を訪問する機会でもあったら・・・っていつになるか・・・気をつけてみてみよう・・なんて思ったkおばちゃんです。
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町歩き1(トゥルネー)

2007-02-17 22:05:51 | ベルギー
今日はお休み。この1週間はなぜかばたばた・・まあ引越しもあったが・・おちつかない気分の上に、色々と仕事も立て込んでて・・やっと緊張の1週間が終わった!

新しいオフィスでの発見!方角的に絶対に日射がないと思っていたのだが・・隣のビルのガラスに反射する日射を発見!なんとなくラッキーな気分!小さな幸せを感じてしまった。

そういえば今朝なんとなくTVを見ていたら・・丹頂鶴の話をしていたのだが・・11月13日のブログに書いた鶴居村が出てたなあ~と思ったら、見覚えのあるおばあちゃんが・・名物おばあちゃんだったのだ。知らなかった。ずーーと餌付けの世話をされているとか・・頭が下がる。

さてさて・・

○12月31日(日)

Tom Tom様のお導きで・・車を止めたのは、そう鐘楼 Beffroiの近所の路上。駐車禁止じゃないことを確認して。
やっぱり、一番目に付くのは鐘楼。1188年に着工され、内部の43個鐘(カリヨン)は19世紀に鋳造されたものだという。内部をお金を払えば見学できるのだが・・今日はお休み。大晦日だものね。上からの展望も・・見えませんでした。ただ・・入り口から覗いた感じでは・・非常に近代化されていて・・自動ドアーになっているようだった。

ちょっとシーズンオフの町は、それでもまばらには観光客がkおばちゃんたちも含めてぱらぱら・・と。とりあえず、町歩きをすることにした。

目印になもなるのはさっきの鐘楼と、ノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dame。こちら5つの塔をもつそうであるが。1171年5月9日に献堂されたということだが、身廊と交叉部がロマネスク様式、内陣は後にゴシック様式に作りかえられた・・とか。ステンドグラスや、遺物のタペストリーなどすばらしいものがあるのだが・・kおばちゃんも友達も内部に入ろうとはなぜか思わなかった。

近くで見ると・・いっぱい見える。

町歩きを続けると・・川に出た。エスコー川というらしい。橋野からはちゃんと5本塔が見えている。


橋を渡るときに??と思ったのは、橋の直ぐ袂に『信号機』があったからだ。何で?と思ってよーーくみたら・・どうも可動式?の橋のようである。ちょっと大きな船が通るときは・・橋は移動するみたいである。

そもれもそのはず、その橋の上流(だったと思う)にある13世紀に築かれた市壁の名残トル橋 Pont des Trousは。1940年に英国軍により爆破されたあとの47年に修復工事の際には船舶の通行を考慮して2.4m高くした・・というこらしい。
このトルネ橋にも

kおばちゃんたちは・・遠くから拝むだけ・・という手抜きの観光!

橋を渡った路地からもノートルダム聖堂の塔はよーく拝める。

なぜ、橋を渡って・・来たかというと・・『ロマネスクの家』のはずだったのだが・・・正解ははお隣でした・・ああおばか!

というのと『ゴシックの家』これも正解はお隣でした・・・

というのが地図に載っていて..・道に迷ったかな?と思ったら親切なおじさんが教えてくれたんですけど・・・間違ってまし。ただ・・だからどうした・・っていうような建物ではあったけど・・・

そこで、おフランスの洗礼を受けてしまったkおばちゃん。何かって?それはワンちゃんの○ンである。その昔ーーし、青春時代初めてパリに行った時に、初めて洗礼を受け・・なんて○ンチの多い町なんだ!と思っていたのを思い出した。その後・・ドイツ語圏専門?のような感じになってしまったので・・すっかり忘れていた。

連れの友達に大笑いされたkおばちゃん。まったくもう!!植え込みの土で靴の裏を必死にぬぐうkおばちゃん・・まだやわらかい○ンだったのだ!(きちゃなくてごめんなさい)ここできれいにしておかないと・・車が汚れるよ!フン!?

もうすこし町歩きを続けるkおばちゃんたちです。
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歴史の谷間(トゥルネー)

2007-02-13 17:59:11 | ベルギー
今日は新しい事務所での第1日目、失せ物探しでちょっと頭を使ってしまった。
キャビネットの場所は『頭で覚え』ていたのではなく、『体で覚え』ていたのである・・ということを実感いたしましたです。

それにしても、花粉症でなさけない・・・体も学習してくれればいいのに・・

そんなことぐちってもね・・

○12月31日(日)

今日のドライブ・・本当はkおばちゃんの一番行きたかったところがあったのだが・・・却下されてしまった。しかたがないので、第2候補で我慢・・そう今日のたびの目的地はトゥルネーTournai(仏)/Doornik(蘭)という人口7万程度のちいさな町。でも、この町の歴史はすごいのである。

そもそも歴史上に現れるのは2000年前にローマ帝国の兵営都市としてである。その後、5世紀にフランク人サリ部族が占領、その都となった。そして、メロヴィング朝Merovingianの開祖 初代フランク国王クロヴィス1世Clovisが生またのがこのまちであり、フランク王国:Francs(仏)Fränkisches Reich(独)の最初の都といわれている。そして彼こそ妻(王妃)クロティルダ Clotildeの勧めでカソリックに改宗したことからこの王国は発展していった・・・そうだ。(歴史で習ったような気もするが・・すっかり忘却のかなたです)

そんな、古い町にはやはり『世界遺産』と呼ばれているものがあるそうで、
その一つ『鐘楼 』Beffroはベルギー最古だそうである。もう一つはノートルダム大聖堂 Cathedrale Notre-Dameで、冒頭の写真は右側がノートルダム大聖堂の尖塔、左側が鐘楼をグランプラスからのぞんだところです。

日曜日で、しかも大晦日のトゥルネーは観光客もまばら・・人影の少ないまちでした。

こんな寂しい町でも、長い歴史の中で翻弄され、フランス、英国、スペイン、オランダ、再びフランス、そしてオーストリア、またフランス、オランダの領地となった歴史の谷間の町なんだなあと感慨にふけって歩いていたkおばちゃんたちです。
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最後の・・うそ(アントワープ)

2007-02-12 23:12:34 | ベルギー
今日もお休み。良いお天気だし気持ちがいい。
ここの2日家にいて分かったこと、どうも野良2匹がひなたぼっこに定期的に訪れているようだ。それもきちんと住み分けして・・午前中1階の日向は黒猫の日向ぼっこの場所。
お昼からの2階はぶちの野良の日向ぼっこ場。1階の黒は2~3回目があったくらいじゃ逃げていかないが、2階のぶちはすぐ逃げる小心者。どちらも追い払う気はないけど・・でも責任もって飼えないから手出ししないことにしている。
そういえば、2~3日前からカエルも鳴き始めた。どうも冬は終わったのかな?

さあ、続き・・

●12月31日(日)

朝は普通に目が覚めたのだが・・なんか寒い。がたがた震えるほどではないのだが・・暖房が効いてない感じ。ヒーターのまわし方を間違ったのかなあ?とおもいいろいろやってみるが・・一向に熱くならない。ヒーターの元管をを触ってみても・・熱くない!これは壊れてる!と確信した。

そのときにある、考えが思いついたkおばちゃん・・悪い人です。
そう、今日は12月31日・・今年最後の日なのだが・・実は本年中に無効になってしまうマイレージが残っていたことを思い出したkおばちゃん。本とはデンマークの友達のところでPCを借りて手続きしようと思っていたのだが・・すっかり忘れてしまったのだ。
そして、今日になってしまった・・という訳。
確かフロントは朝8時から開いているようなこと言ってたなあと思い出し、暖房の故障を告げるついでに、この辺のネットカフェを紹介してもらおう・・と考えたのだ。もしかすると・・事務所のPCを使わせてくれるかも・・なんて甘い考えもちょっとわあったのだが・・

フロントに行き、まずは「暖房が効いてないから見てくれ」と頼んでみる。フロントの人は昨日kおばちゃん達を受け付けた人。さっそくマスターキーをもって、フロントを閉めて・・kおばちゃんに同行してくれた。なぜか片手に食事用のナイフを持って・・

kおばちゃんの部屋のヒーターをチェック。どうやらナイフは栓がきつかったら使うつもりでいたらしいが・・やっぱり元管を触ってみて『冷たい』ことを確認。kおばちゃんの両隣のお部屋もチェック。片方は空室、もう片方は『改装中』だったのだが・・両方とも同じ状態。kおばちゃんの部屋と向かい側の部屋はばっちり暖房が効いているが、開いているのはスイートタイプのみのよう。一瞬こっちへ移れるのかしら・・と思ったけど、彼の応えは「申し訳ない。すぐに技術者に点検修理させるけど、昼ころになると思うけど」と告げられ、了解するkおばちゃん。

そこですかさず、「あのーこの辺でインターネットを使えいるところを知らない?」と切り出してみた。「少し行ったところにないとショップがあるけど・・たぶんそこで使えるかと思うのだが」という答え。「どこ?」ともう一度聞いたら、説明をしかけて・・「何をしたいの?」と聞いてきた。そこでkおばちゃん・・口からでまかせ・・「あの、自分のフライトのチェックをしたいの」と・・大嘘をついた。(ごめんなさい)だって、接続しようと手いるのは航空会社のサイトだし・・(言い訳)するろと、フロント氏は「じゃあ、オフィスのPCを使いなさい」と申し出てくれた。

ああ、ラッキー!!とばかりに早速申し出を受けることに。「ちょっと待ってて」と言われ、とりあえず彼の作業が終了するまで待つことに。「もういいよ」と呼ばれ、オフィスの中に入れてもらい、PCで無事マイレージを使用する手続きを済ませることができた。

ごめんなさいね。大嘘付いて・・

朝食のとき、友達にその話をしたら・・大笑いされた・・

そういえば、朝食会場の世話をしていた男性・・多分ゲイちゃんだと思うのだが・・食事を終えて出るときにそっと近づいてきたので何かと思ったら・・「ハッピーニューイヤー」と言われてしまった。そうか明日は新年だ!と改めて思ったkおばちゃん。

朝食を終えたら・・今日の観光地に出発なのだが・・駐車場から車を出そうとして・・清算機で清算しようとしてびっくり!38ユーロを越えている・・これは違う!と思い、清算機から券を取り出し、あわててフロントへ・・フロント氏に駐車券を見せたら、違う券と交換してくれた。彼いわく「この券があれば、お出入り自由だよ!」ああ良かった。kおばちゃんが清算しようとした機械はお隣の病院だったのだ!ああ、びっくりした。

そんなてんやわんやで出発!、今日もTom Tom様だよりなのだが・・ここ欧州の町並みは彼のボスの衛星の電波の届きにくい石造りの建物が多いためか、なかなか電波を捉えられなくて・・捕らえても、情報が古くて高速の入り口がなくなってたり・・と大騒ぎをしながら・・やっとまともに走り出したkおばちゃんたちでした
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夜の散歩(アントワープ)

2007-02-11 22:39:51 | ベルギー
本格的に花粉症の季節になってしまった。
春は確実にやってきた。
昨日土曜日は本当は医者にゆきたかったのだが・・・なんせ職場の引越し!
お任せパックではあるけど、一応立ち会わなければいけないので・・一日つぶれた。
移転先の環境は・・なんと今までよりは・・雲泥の差(kおばちゃん的に)いままでの環境が良すぎたからかもしれないけれど、太陽は入らないし、桜の花もみえないし・・となりのビルの壁が見えないだけまだまし・・と言い聞かせていはいるんだけど・・残念!
それにつくりが悪い・・同じ平米数だが・・まあ、同じ地域なので多少の不便は我慢しないとね。

さて、続き

○ 12月30日(土)
とにかくお腹がいっぱいで何にも入らない状態に・・デザートももちろん入らない・・それにすきっ腹に飲んだワインが結構応えてきて、ハイテンションなkおばちゃん。コーヒーを飲んだ覚えが・・・ない。

とにかくお勘定を済ませて外に出たら・・・あらららら・・すごい風と雨。台風並みの風が吹いている。ただし雨の方はザンザン降りというわけではなかったけど・・

外を歩いて数歩も行かないうちに・・・友達の傘が『おちょこ』になってしまった・・そして骨まで曲がってしまって・・挙句に折れた・・ご愁傷様!せっかくさっき買ったばかりの傘。散々迷ってお買い上げになったのに・・なんとはかない命だったんでしょう!

酔っ払いのkおばちゃんは、悪いけど可笑しくて可笑しくて『ケタケタ』笑ってしまって・・にらまれた!ちょうど1月30日のブログにも書いたノートルダム大聖堂Onze-Lieve-Vrouwe kathedraalの前を通りかかったときだったので、大きなゴミ箱に投げ入れて友達は『うさ』をはらしていた。

夜の大聖堂はまた、感じが違って見えた。それが冒頭の写真。『フランダースの犬』のネロ少年もこんな夜の聖堂を見上げたんだろうな・・この写真ちょっと明るさを加工してあるけど・・

人のことは笑ってはいけないと痛感したkおばちゃん・・なぜならばkおばちゃんの傘も同様の道をたどったからだ。それくらい激しい風!友達と違うのは・・そのみじめな傘にしがみつきながらもなお、雨をよけようとあるいていること。なんせ酔っ払いですから。

きたときと同じルートでの帰り道、さっき写真を撮らなかったことを思い出してゴディバGodivaのお店を写真を

もちろん、もうお店は閉まっている
この日本でも超有名なゴディバはもちろんベルギーのチョコレート
屋さん。1926年にドラップスDraps一家がチョコレート製造を始めたことに始まり、14歳で家業を継いだその二代目, ジョセフ・ドラップ Joseph Drapが11世紀の英国コヴェントリーの伝説の伯爵夫人レディ・ゴディバLady Godivacに『あやかって?』命名しロゴにまでちゃっかりデザイン、店のティスプレーや包装に細やかさを出したこと、そして2月5日のブログにも書いたバロタンBallotinと呼ばれる容器の発明?も相乗効果と相成ったのか、ブリュッセル、ベルギーを代表するチョコレート屋とないり、現在は世界中にその支店網を広げている・・という大繁盛ぶりである。

確かにゴディバのチョコレートは美味しいし『綺麗』である。けど、kおばちゃんにはどうもあのお値段がいただけない。特に2月5日のブログにも書いたレオニダスを知ってしまった今ではなおさらである。なぜ、あんな高いのか?当然原料は最高級を使用しているのではあろうし、包装資材も高級素材なんだろうけど・・アメリカのある記述をみたら、600% profit margin(600% の価格差益)を会社がうけっとているような下りを見かけたので・・なんだかな~と思うkおばちゃんです。事実かどうかはしりませんが・・なんとなく分かる気もしないではないし・・・

もうすぐバレンタインデー。日本で最大のチョコレートの『消費日』だけども・・kおばちゃんは・・義理のみのさびしい日。だからゴディバのチョコは関係ないけど・・だれかkおばちゃんにも義理でもいいからくれないかしら!!

まあ、ずぶぬれになって宿に帰ったkばちゃん・・シャワーを浴びてババタンキュー・・のはずだったんだけど・・夜中に『買ってきたチョコレートはどこだ??』と一人で大騒ぎで・・・酔っ払ってて良く覚えていなかった・・誰もいないロビーにまで探しに下りたけど・・ない!よーく考えたら『部屋が暑くなったらいけない』と思ってカーテンの外の窓のところに出しておいたのだ・・ああお粗末さまでした。ということで長い一日は終わりましたです。
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涙のムール貝(アントワープ)

2007-02-08 19:06:30 | ベルギー
今日は・・ついに花粉症の始まりを実感した。
鼻がむずむず・・・かゆい・・・ああ、春なのね・・

実はkおばちゃんの職場が今度の土曜日にお引越しをする。まあ、おまかせだから酔うのだが・・自分のデスクとロッカーの中身は自分で・・とわれているので怖い。つい3年前にもお引越ししたのだが・・そのまんもの状態!!

PCのバックアップもしとかなきゃいけないんだからこんなことしてられないのだが・・・段々忘れてる・・怖いよーー

○12月30日(土)

サプライズでしゃっきりしたつもりではあったのだが・・・スープが出てくるまで時間が合ったのでスタータを食べつくし・・かつワインを飲み・・けっこう良い気分になってきた。

お店はこんな雰囲気。

けっして格式ばってはいないが、カジュアルすぎると言う感じもしない。

さーーて、念願の?メインは・・もうお分かりでしょうがムール貝なのです。
この旅行を計画?したとき、kおばちゃんとお友達の唯一一致した意見は『バケツいっぱいのムール貝を食べたい!!』という動機だけ。それだったらベルギーでしょ!ということになり、わざわざはるばる1000キロも車で旅してきたわけだ。夢にまで見みたムール貝!!


お友達は『白ワイン蒸しIn witte wijn』kおばちゃんは・・う~ん。同じものを頼むもの芸がない(本とはそれを頼もうと思ったのだが・・先にとられた)ので、『3種類のセットTrio van mosselen (natuur, curry, room-look) 』しかも、ワイン蒸しのかぶてないやつ・・ああけなげ。

ということで冒頭の写真はお友達の『白ワイン蒸し』

そしてkおばちゃんのは相変わらす写りが悪い・・

左からナチュラル(ただ蒸しただけ)、カレー風味(といっても匂いだけみたい)、そしてクリーム(だったと思うホワイトソースっぽい感じかな)なんだけど・・・友達の白ワイン蒸しもつまんだが・・結論から言うと、ナチュラルが一番お口にあいました。

ムール貝そのものの味が味わえてとっても美味しく感じた。これを美味しいと思ったのはkおばちゃんだけではなく、ブリュッセルの代表部にいらしたお仲間のおじ様もご推薦・・・っだたのだが、この話は帰国してから聞いた・・という間抜けなkおばちゃんです。

ムール貝(ムラサキイガイというらしい)シーズンは7月中旬からイースターまでといわれており、秋から冬(9月~12月ころ)が最もおいしいらしい・・というとでベルギー行きになったのだ。

だた・・・ただ・・・残念・・というか・・心残り・・というか・・・反省・・というか・・この時点で、kおばちゃんも友達もお腹がいっぱいになってしまっていて・・・バケツ(というかお鍋)いっぱいのムール貝を前にして・・・・半分以上のこしてしまったのだ・・・あああああ・・・ないやってるんでしょ・・

写真のとおり、このムール貝にはつけあわせとしてフライドポテトがついてくるのだが・・これもとりあえず1~2本味見した程度・・・なんということ。でも、ゆっくし食事をしたおかげで満腹感がどっしり・・・返す返すも残念無念のムール貝でした。

このムール貝はベルギーとの国境に近いオランダの南西部に位置するゼーラント州産が多いそうで・・その意味でもアントワープだったのだが・・本とおバカなkおばちゃんたちです。

そう、お店の中では皆さんこのようにお静かにおしょくじされておりました。

ただし、このカップルのうしの席に来た独り者の男性はバケツいっぱいのたぶん蟹?(オマールではなかったともう)をむしゃむしゃ食べていた。

ああ、もう少し計画的に食べればよかったと後悔しきりなkおばちゃんした。
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メインの前に・・(アントワープ)

2007-02-07 19:06:01 | ベルギー
今日も微妙に暖かい。
今朝は乗換えのとき気がついたら微妙な位置に電車が止まっていた。kおばちゃんがいたのは進行方向のホームの先っちょだったが、停車位置まであと2両分くらい届いていない。
昨今のことを考えると『え。。飛び込み!!』と心配したのだが、ホーム上の人も別にあわててる様子もないし・・なんだろう?と考えてたら構内放送で『只今○×駅(オタクで有名な駅)付近で防護無線を受信したため停車しております。安全を確認ししだい運転再開いたします。』というアナウンス。

ふーーん。と思ったkおばちゃんですが・・よーーく考えてみたら『○×駅ってまだ先の方よね・・このホームに中途半端に止まってドアーも開かない電車、ほんの少し動かせないものなのかしら。だって原因はもっと先の駅でしょ?この駅は目視で安全確認できるんじゃない??』なんて意地悪に考えてしまった。

kおばちゃん乗車してないからいいけど・・中に乗っててホームが見ていてドアーが開かないのって・・ちょっと・・なんて考えてたら・・・あらら、運転再開いたしました。

すっかい気の短い『日本人に戻ってしまった』と認識した今朝の通勤でした。

さて、さて・・

○12月30日(土)

超特急でカフェに帰ったkおばちゃんだが・・途中で雨がぼつぼつ(結構大粒)振ってきたのに気がついた。あらら・・・

待っていた友達に「どこか良いところ見つかった?」ときいたら「場所がわかんないよ。地図の通の名前は字が小さいし・・」とのたまいました。そう、kおばちゃんが持って来た観光局でもらった案内にはお勧めのレストランが数軒紹介されているのだが、番地しか書いてない。友達いわく「Tom Tom持ってくればよかった。あれだったら住所で検索してくれる・・」そう、1月24日のブログでkおばちゃんが愚痴ったカーナビ様は取りはずし出来、持ち歩けるのだ。まあ、向こうの駐車事情にあわせれば脱着可能じゃないと、駐車中にこじ開けれて盗まれちゃうもんね。町歩きにも便利かも(笑)

ま、そんなことおしゃべりしてkおばちゃんガイドをのぞいたら・・・「うーーん!?このお店、さっきあたりをつけたところじゃない??」と見つけてしまったのだ。そう、ちゃんと乗っているお店だったのだ、これから向かうところが。ということで決心もつきカフェを後に・・

お店から出たら、やっぱり雨が降っている。用心のいいkおばちゃん(無駄なものを買いたくないケチ)は折りたたみ傘(しかも100円ショップの)を持っていたが、友人は持ってこなかった・・ということで、さっきの『通称:100円ショップ』で傘を散々吟味の上お買い上げ。でも、kおばちゃんたちのような人がぱらぱらと入ってきていた。

このお店でレジのお姉さんとお客さんの会話を聞いていて不思議に??に思ったことが・・kおばちゃんに会話の内容が判るのだ。もちろんこの辺で使用されているフラマン語(オランダ語)はkおばちゃん全然知らない。でも、英語とドイツ語の中間?のような言葉というのは聞いていたが・・なんとなく会話がわかってしまうので、思わず笑ってしまった。だって
お客「このお店何時まで?」
店員「18時よ」
お客「あら!明日はお休み?」
店員「そうよ、あさっても」なんてな具合に聞こえてしまう・・正しいかどうかは・・しらない。

傘を手に入れようやくお目あてのレストランへ・・
P.Preud'Hommeと言うお店。ちょっと、こ洒落た感じがする。例によってkおばちゃんが最初にご挨拶して・・お席に案内してもらった。あーーーやっとまともなものが食べられる!!

メニューを眺め・・そう、飲み物は白ワインということで意見が一致。そのために車、宿においてきたんだもんね。銘柄は友達におまかせ。kおばちゃんの数百倍知識があるもの。そのときのスターターが冒頭の写真。

二人ともメインはもう決めてあったのだが・・その前に、あまりに空腹だったので・・スープを頼もうということも一致した。その中でも『魚のスープRijkelijk gevulde vissoep』というのに二人とも心引かれて・・ご注文「時間がかかりますよ。20分くらい」と言われたが・・納得
これが運ばれてきたちょっと写りが悪いけど・・ボーイさんがパイでできた『蓋』を開けてくれた。

空けるとこんな感じ

お味はとってもとってもとっても美味しい。まるでブイヤベースのよう。まろやかな魚やオマールなのど味がするのだが・・身はひとつも入っていなかった。またこのパイの蓋が美味しい!!食べたらメインが・・とは思うのだが・・すきっ腹にはこたえました。

心残り(蓋をのこした)がしたが、お行儀よく下げてもらった。

すると、小さなスプーンを給仕された。「何??」って聞いたら、「サプライズですよ」と教えてくれた。ワクワクしながら待っていたら・・シャーペットが・・・
熱いスープの後だけにとっても美味しかった。たぶん木苺味??なんだかとっても幸せになってきて・・・

kおばちゃんたちの食事はまだまだ続きます・・
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トルコのギリシャのアメリカのベルギーの?(アントワープ)

2007-02-06 16:14:20 | ベルギー
今日も相変わらず良いお天気。
お昼のニュースで『青森の雪祭り』が中止になったとか・・自然には逆らえませんね。
そういえば、kおばちゃんにとっては天国のような感じがすルので何故か・・考えたら、いつもだったこの温度のときは『花粉症』大全開でひーひーいってる温度帯。多少は花粉が飛び始めたようだが・・それほどひどくないので・・天国!!何十年ぶり?そう、kおばちゃんは『花粉症』とお付き合い始めたのが・・高校3年の春休みだったから・・・あ、数えられない(爆)
とにかく、まったりしたくなりようなお天気です。

○12月30日(土)

お友達をカフェに置き去りにして・・・買い物に走るkおばちゃん。すごい物欲!!
実は・・・ベルギー名物?『チョコレート』を買いに出かけたのだ。

聞くところによると、ベルギー人は「チョコレート」と言わず「プラリネ」と呼ぶとか。「プラリネ」は特に中にナッツ・クリームなどを詰めたチョコレートのことで、ジャン・ノイハウスJean Neuhausにより、ベルギーでは1912年製造され、また、バロタンBallotinと呼ばれる現在でも使用されている容器を1915年から使用するようになり、一躍ベルギーといえばチョコレートという『名物』になっていったらしい。

と、前置きが長くなったが・・・要するにベルギーに来たからにはお土産(義理も含め)『チョコレート』と決めていたkおばちゃん。まあ、デンマークにも有名なチョコレートはあるのだが・・如何せん物価が高い!!ということで、おみやげ物はベルギーで入手しようと目論んでいた。

さらに、今は土曜日の夕方!明日は日曜でお店はお休み。その上月曜日は1月1日で休日ときている。ということは、『今』お土産を買わないと・・と買い物に走ったkおばちゃんである。

目指すお店は・・・HOOGSTRAATの入り口?にあったお店。それまでにも何軒かお店はのぞいたけれど・・一番興味がわいたのと、お買い物のお客さんに活気があり、なおかつお客層がkおばちゃんと同じ庶民的だったから、ええい、あそこでいいや!と決めたのだ。

それが冒頭の画像のお店。なんとなく順番待ちして・・kおばちゃんの番になり・・選んでいるのもめんどくさい(人のものだと思って!!)ので、詰め合わせの箱があったので・・それを何箱かお買い上げいたしましたです。

こんな感じでどれも美味しそう

にこにこしながらkおばちゃんはカフェに戻った。

帰国して、お友達に渡したら「あら、レオニダスじゃない。これ美味しいのよね」と言われてしまった。彼女によると銀座や赤坂にお店があるとのこと・・なんと無知なkおばちゃん。だって・・ゴディバやノイハウスは知ってるんだけど・・

そう、kおばちゃんがお買い物をしたのはレオニダスLéonidasというお店の一つだったのだ。

このお店調べてみたら結構面白い。創業者はレオニダス ケステキデスLéonidas Kestekidesと言う人で、現在のイスタンブール生まれのギリシャ人。ローマでワインの商売をしたあと、アメリカに渡りお菓子産業に手を出したらしい。
1910年アメリカからギリシャの委任メンバーとして?ブリュッセルで開催された World Fairに参加し、彼のチョコレートは工房は銅メダルをそして、職人は金メダルを受賞、1913年にはゲントで行われたWorld Fairのために再び、ベルギーの地を踏み・・そしてブリュッセルで若い女性と出会い・・彼の地にずーーと留まり、tea-roomsをスタートしたのが始まりらしい。1935年に経営を引き継いだ甥のバジルBasile Kestekidesはおじさんと同じ名前のギリシャの英雄でありスパルタ王の『レオニダス』の肖像をロゴに組み込んだものを死傷するようになり、さらに商売を発展していった。

この、レオニダスさんはトルコ生まれのギリシャ系アメリカ移民でベルギニーに来て・・あたまがこんがらがってきたkおばちゃんです。

お土産といえどもkおばちゃん、キチンと自分の分も買ってきたものはもちろん食べましたですよ。美味しかった~です。お値段も物凄く安かった!!お店の人が間違えたんじゃないかってくらい!デンマークで買わなくて良かった!!

まあ、よいお土産になったかな?なんて満足しているkおばちゃんです。あ、それいにしてももうすぐバレンタインだな~kおばちゃんには『義理』しか関係ないけど。
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Cafeで一休み(アントワープ)

2007-02-05 18:08:20 | ベルギー
今日も良いお天気。
昨日、一昨日とkおばちゃんと日向を争った?野良は、今日はのうのうと日向ぼっこだろうな~ああ、猫になりたい・・

喉のほうは・・まあ薬飲んでる割には劇的に良くはならないなあ~。でも、気にはならなくなってきているので、良しとしましょ。

本とすすみません・・

○12月30日(土)

いくら楽しいHoogstraatといっても、そんなに長い間時間がつぶれる訳も無く・・かといってここで妥協してというか美味しそうなケーキの魅力に負けてカフェに入り込むのも我慢大会のような気もするので・・なんて思っていたが、どうもはじっこまで来てしまった・・

このHoogstraatの最後にちょっと薄暗い感じのパブのような感じのお店を発見!友人が「大丈夫?」というのをよそに「こういう時は『人を探してます・・』ってふりすれば大丈夫」と(庶民的なところは得意)、面の皮の厚いkおばちゃんが中に入って行くと・・まあ、若者はいない代わりに、スキンヘッドだらけ・・というわけでもないし、中年カップルもいるし・・ケーキこそ飾ってないけどパンケーキぐらいだったら出てきそうな雰囲気なので『ここでビールでも飲みましょ!』と店内に入り込んだ。Sint-Jansvlietとの角あたり、KLEINE TUNNEL BVBAとい名前だったと思う。

たぶん夏はテラス席なんかでて、雰囲気違うんでしょうね。

メニューを眺めて・・ビールのところで知らない名前のビールがあったのでお店の人に聞くと『ベルギーのビールよ』と教えてくれたのでさっそくそれを注文!それが冒頭の画像。

レフLeffeという銘柄のビール。
このビールは多くのベルギービールがそうであるように『修道院』がルーツのビールのようで、もともとはレフ修道院Abbey Notre Dame de Leffeで作られていたビール。

この修道院は1152年にFloreffe の大修道院長の権限の基づいて独立したディナンの宗教共同体として認められたことから始まり、1200年には『レフ修道院』と呼ばれる施設になったらしい。一方、ビールとの関係は1240年にはムーズ川対岸にあったサン・メダールSaint-Médard醸造所を手に入れたことから始まったらしい。
その後修道院は歴史の中で、洪水や火災、戦災等により何回も破壊と再建を繰り返され、特にフランス革命の混乱はこのビール醸造に大打撃を与えたようであるが、その製法とともに脈々と受け継がれてきましたようである。

しかし、1952年ニス修道院長C.Nijsから財政的困難から生産ライセンスをOverijseのロートヴェート家の醸造所に譲り、今日のように有名な “Bière de Leffe”となったよらしい。
ただし、現在のLeffeはこの修道院ではなくレーベンLeuven のStella Artois のビール醸造所で醸造されているようだが、特許権使用料は大修道院に支払われ続ける・・ということである。

そのLeffeビールのかでも特徴的なLeffe Dubbel(Leffe Dark)を頂いたのだった!
ちょっと甘め?でも美味しいビールでしたよ!

ここで、kおばちゃんはさっきの通で買い物をし残してとっても『心残り』があったので、友人にここで待っててもらう間に引き返して買いものに出かけた!(物欲にはかなわない・・)友人には『お食事どころ』の参考になるような資料を残して・・


KLEINE TUNNEL BVBA

HOOGSTRAAT 76
2000 ANTWERPEN
BELGIEN

Telefoon +32 (0) 3/2322216
Fax +32 (0) 3/2322396

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