Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

マルガリータの成長(ウイーン)

2011-09-29 18:46:35 | オーストリア
ちょっと昼間は動くと暑さを感じるお天気。でもちょっと前のあの暑さを考えると・・天国ですが、もしかするとこの気候は『詐欺』?と思ってしまう悲しさよ・・

夏の間の節電・・ではありませんが、ちょっとびっくりしたのはTVの電気使用量。ここのところの電気量の請求書に去年の同時期の使用量がのっているのだが、見てびっくり。
kおばちゃんの地デジ化対策の遅れからずーーとテレビを付けなかったら・・結構使用量が違っていました。
8月は半分出かけていたので使用量は比較できませんけど、今月はばっちりです。

まあ、地デジ化しても余りテレビを見なくなっていますけどね。
やっぱり節電にテレビを消しましょう・・ですね。

○5月1日(日)

美術史博物館はkおばちゃんの大好きな絵画がいっぱいありすぎて・・脳みそがオーバーヒートしてしまった。

kおばちゃんのお好みのカラバッジョCaravaggio Michelangelo Merisiも数点あります。彼のハチャめちゃな人生。
これが芸術を生み出す良い意味でのエネルギーになっていたのか、エネルギーがコントロールしきれなくてああいう人生を送ったのはは不明ですけどね。
彼の絵画に接するたびに、やはり物凄いエネルギーを感じます。

こちら『ゴリアテの首を持つダヴィデ』


聖書のものがたりからだそうで、巨人ゴリテアを倒した後のイスラエル国王ということでしょう。
ちょっとグロテスクなまのリアル感がたまりません。

そしてこちらは『荊冠のキリスト』


死刑判決がくだされたイエスは「兵士の赤いマント」「茨(イバラ)の冠」「葦の棒」で「ユダヤの王」もどきに仕立てあげられ刑場に・・その場面でしょう。
こういう姿のイエスをみるとヒッピーと言う言葉を何故か思い出してしまうkおばちゃんです。

そして冒頭の画像でもある『ロザリオの聖母 Madonna del rosario』


ドメニコ修道会聖堂の依頼による作品だからか、マリア様よりもドメニコ会修道士の神父の人気があるのが気になるんですけど・・

カラバッジョの作品は一昨年の夏ローマの教会で数点みたけれど、彼の絵画は聖堂のなかよりも美術館のほうが合う様な気がしたkおばちゃんです。
だって、なんだか聖堂の中だと毒毒しすぎるというか・・人間臭すぎるというか。

その次にkおばちゃんのお気に入りはマルガリータ王女の成長記録!です。
マルガリータ王女とはマルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャMargarita Teresa de España王女のこと。
彼女はフェリペ4世とその2番目の妻で神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の娘であるマリアナ(マリア・アンナ)の間の初めての子ども。11才の時に縁続きのオーストリアの神聖ローマ皇帝レオポルト1世と政略結婚。
この結婚に際して、スペイン宮廷は「お見合い」の現代で言えば写真代わりに、ベラスケスに描かせたマルガリータの3点の肖像画をウィーン宮廷り、それが現在残っている。そのうちの2点

「薔薇色のドレスのマルガリータ王女」


「青いドレスのマルガリータ王女」 


でこっちもそうか・・と思ったらこれはこれは異母姉「マリア・テレサ王女 Infanta Maria Teresa の肖像」だそうです。


で、こっちもご幼少のころの肖像画と思い気や・・弟「フェリペ・プロスペロ王子Prince Felipe Prosperoの肖像


いずれもベラスケスDiego Velázquezの手になる肖像画であるとともに近親結婚が繰り返されていたハプスブルグ家の血筋のためた・・とても似ていると思ったkおばちゃんです。

いあやー、一人の女の子ではあるけれど・・大変な時代だったんだなあと思ったkおばちゃんでした。

まだまだ見所はあります。
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レンブラントがいっぱい・・(ウイーン)

2011-09-28 19:37:21 | オーストリア
今日も良い気候。何時まで続くか疑心暗鬼!でもね。こういう気候食欲も湧くのよね。

先日冬の脱国の手配の第2弾を早々としてしまった。航空券をネットで買うとkおばちゃんのマイルのクレジットカードが使えないので直接支店のカウンターで購入したのだけれど、こういうカウンターで売る航空会社少なくなった気がする。

殆どが、ウエッブ購入の航空会社のような気がするのは気のせい?
でも、カウンターで航空会社の職員に『まだまだ先のお話ですから購入するのはもう少しお考えになりますか?』と尋ねられ『いいえ、結構です。幾ら考えてもどうせ一緒。それなら為替レートの読めてるうちにね。』なんて行ってとっとと購入してしまったkおばちゃんです。

まあ、払い戻しのチケットなので・・行けなかったらドブに捨てた事になるのね。
そういえば、最近の若い子は『ドブ』って知ってるのかしらね?

○5月1日(日)

ウイーン美術史博物館Kunsthistorisches Museum, Wienで感慨にふけるkおばちゃんでありますが・・あのころと見るところが変わったのかな?と思うのが、有名どころではなくても展示に目が向くようになったということです。

有名どころじゃない・・とはいいきれませんがね。それはレンブラントの絵画です。
レンブラントはご存知の通り17世紀を代表する、オランダの画家レンブラント・ハルメンス・ファン・レインRembrandt Harmensz. van Rijnのことです。

彼のコレクションはもちろんオランダにありますよね。でもね、ここウイーンにもあったのです。その中で目だったのは自画像です。
彼は数多くの自画像を描いている画家でも有名のようです。もちろん自画像を依頼する依頼人なんかいないでしょうから、自分の勉強のため、記録のために描き続けたのでしょうけどね。

そんな自画像がここにも展示されていました。で、相変わらずデジカメの画像が粗いので・・スライド・ショーでごまかします。


そして、なんとなくははーーと思ったのはこの絵画


誰の絵画か忘れてしまいましたが・・なんだか現在のこの博物館の状況と時代がちがいこそすれ同じようなかん字じゃないかとおもったりしたのです。

だって・・こんな光景になってますから。


行為展示の仕方をされると・・上の方の絵画はどうでもよいのかしら・・なんておもっちゃいますね。

明かりとりは天井部からなのでたしかに上部の絵画にもひかりがあたりますけどね。


さて、まだまだ興味はつきません。

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再びのブリューゲル(ウイーン)

2011-09-27 18:09:08 | オーストリア
ここのところ本当に過ごしやすい・・けど、これは偽物じゃないか・・と疑ってしまう悲しさ。

国会を横目で見ていて思うこと。例の原発の『やらせ質問』といって攻め立てているけど、『やらせ』というのは違うような気がするんですけど。
本当は『反対意見』をもっていたのに、『賛成意見にしてください』と強制されたならそれは問題だけど、『賛成の意見を言ってください』と促しただけじゃないかってね。
なんせ、日本民族、長い物に巻かれちゃう性格だからね。

『反対意見』を持っている輩が、大声で必要以上にマスコミを先導して洗脳する事の方が問題じゃないんでしょうかね?
自分で考えて、結論を出すことに訓練されていない民族。
その成れの果てが、今の国家運営であり国政じゃないんでしょうかね?

野党だったときに散々つかってきた揚げ足取りの質問に晒されているM党をみると・・ほれみたことか・・と意地悪く思ってしまうkおばちゃんです。

あ、別に原発に関してはkおばちゃんはケース・バイ・ケースだと思ってますから。

○5月1日(日)

さてさて美術史博物館にやって来たkおばちゃんのお目当ては・・とまず最初に向ったのは冒頭の絵画の展示してある部屋。
なんせ、広大な展示室。全部見て周る気力がありませんので・・

こちらの部屋はピーテル・ブリューゲルPieter Bruegel de Oudeの絵画の部屋です。
一番最初にウイーンを訪れた時にここで絵画を見たのがとっても強烈な印象として残っていたんです。


農民画家といわれる彼の絵画のちょっと変わった題材。
そしてそういう庶民達を活き活きと描いている・・ってお若いお嬢さん?だったkおばちゃんはショックを受けたのです。

それまでのこの時代の西洋絵画に対する印象って、『聖人』もしくは『偉人』、貴族の肖像画などというものが殆どだという偏見をもっていたのです。

極、普通であろう題材を絵画でわざわざ描く・・ということに『へぇー』こんな絵もあるんだ・・ということともに、一体誰のために書いたのかしら??という疑問も残りました。

で、今回はさらに疑問が発生しました。下のスライドショーのようにブリューゲルのコレクションがここには沢山あります。


今回カメラの調子が今ひとつだったのか・・あまり美しく撮れませんでしたので・・スライドショーでごまかしてます。

で、これらの絵画がなぜここのコレクションとしてあるのか・・ということを疑問に思ったんです。

結構な量だとおもいますし、ウイーンのブリューゲルといえば有名ですよね。
もともとここの美術品はウイーンの王室のコレクションで、それぞれの代でイロイロ集めたのであろうけれど・・一体誰がブリューゲルを入手したんだろうな?って思ったのです。
どう見ても、貴族趣味とはかけ離れてますよね。

なんかこの絵画室でブリューゲルを眺めていて・・そう思ってしまいました。

そうそう、このブリューゲルで思い出す絵画が日本にあります。ブリューゲルとは全然関係ないんですけどね。
それは森岡柳蔵という大正時代の画家の『村ににて』という絵画です。たしか今は鳥取県の倉吉博物館に収蔵されているようです。

この絵画は柳蔵氏がパリで絵画修行を行っていたときにおきた『関東大震災』のニュースが『日本は全滅』と伝わり、望郷の念に筆をとった絵画と聞いています。
故郷の風景、子供達の遊ぶ平和な故郷・・そんなイメージを描いたのだと思います。

もちろん『日本全滅』は大誤報でしたけどね。

『村にて』の存在を知って、逆にブリューゲルはどういう気持ちで描いたのだろうか?と思ったり、もしこういう絵画を『注文した人』がいたのであればそれはどんな人物だったんだろう・・と思ったり・・と変な事を考えたkおばちゃんです。失礼しました。

ブリューゲルの絵画はこの美術史博物館でも人気のコレクションではあるけども、部屋の混み具合日本のそれとは全然違うので・・ゆっくり鑑賞することができました。


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入場券は共通!(ウイーン)

2011-09-26 18:34:50 | オーストリア
昨日もお休みだったのだけれど・・イロイロご用のあったkおばちゃん。
ここのところの良い気候に誘われて?街中に出れば真っ直ぐ帰らず困ったもんです。

で、某所にでかけたのですが、そこはkおばちゃんがお子ちゃまのころ長逗留をしたことのある病院。
あまりにも景色が変わりすぎていて感慨にふけることもできなくなっていました。
ああ、時代は変わったんだな・・と。

○5月1日(日)

さて、本日の第二の目的地に向うべく・・日本救済のチャリティーイベントの感情を後にしたkおばちゃんです。


鯉幟が・・まぶしいです。

第二の目的地に向うには・・リンクを横断しなければいけません。
そして、そこは観光客のメッカ!ウイーンに来たならば必ず寄るであろう・・というところです。
だからリンク沿いには、このような観光バスの大軍が!!間違えそうですね。


リンクを渡ると・・このような光景が目に入ります。


左端に見える像はあの、子沢山の王女、マリア・テレジア・フォン・エスターライヒMaria Theresia von Österreichオーストリア大公です。
そしてここはマリア・テレジア広場Maria Thelesien Platzです。この広場を真中に同じような建物が左右に建っています。kおばちゃんが来た方向からいうと、左が自然史博物館Naturhistorisches Museum Wien 、右が美術史博物館Kunsthistorisches Museum, Wienです。

本日のkおばちゃんの第二の目的地は右の方、美術史博物館だったのです。
昔々の、そのまた昔、ウイーンをはじめて訪れた時に来て以来です。四半世紀以上前のお話なので・・ちょっと懐かしくなりました。
それにね、日曜日ですとねショッピングの楽しみもありませんからね。

で、同じように考えている観光客は沢山いらっしゃるようで、チケット売り場には長蛇の列でした。あらら・・

しかし・・kおばちゃんはあわてません。実は、さっき耳よりなお話を聞いたのです。
さっきというのは新王宮博物館でチケットを買ったときです。
なんと、売り場のお姉さんが『このチケットは、美術史博物館と共通ですからこれで入場できますよ。』とのこを教えてくれたのです。
え!!そうなの?っと半信半疑です。kおばちゃんとしては、もう一枚入場券を買わなきゃ・・と思っていたんですけどね。

で、HPをよーく眺めて見たらここの下の『i』マークの脇に書いてありました。あら、知らなかった!

このシステムは、美術史博物館でも同様で、美術史博物館のチケットで新王宮博物館に入る事が出来るということです。
どうも、この2つを運営している組織が一緒なのでそのような扱いになっているようです。なんだか得しちゃったような気もしたのですが、半信半疑だったところもあり、ちゃんと入場できるまでドキドキしてました。



さっきのチケットの下に付いていたバーコードを入場の際に提示して・・・ちゃんと読み取ってくれました。ああ、よかった。
しゅみません。ガイドブックを持ち合わせていなかったので、そういう情報はしらなかったのですね。

こちらの建物も・・まるで王宮です。内装そのものが美術品!展示室に続くこの階段だってねえ。


階段ホールの上には冒頭の画像のように、美しい天井画もありますが・・これはコレクションの中には数えられていないようです。

絵画のコレクションは多聞膨大な数があるのでしょうが、kおばちゃんがその昔見たのは超有名どころばかりだったと思います。それを見直す・・というのが今回の目的ではありましたが、他にもめぼしいモノを見てみよう・・とキョロキョロしていて目に飛び込んできたのはこの絵画です。


特に有名な絵画ではないとおもいましたが・・この絵画のこの部分に・・


気をとられたkおばちゃんです。だって・・本物の真珠のように見てたんですよ。


まったく物欲にひかれた・・というところですね。

そして、この絵画はもこのようにもう一つの絵画と並べて掲げられていました。


先程の絵画と殆どアングルも一緒。モデルも一緒と思われますよね。


ただ、時代設定が違うだけ・・かな?と。
下の方の絵画はハンス・フォン・アーヘンHans von Aachen(1552年~1615年3月4日)と言う画家の『Bacchus, Venus und Amor』 。つまり『バッカスとヴィーナス、そして愛の天使』っという題のようです。

そして上の絵画のタイトルは『Kuppeleiszene』。直訳すると売春の場とでもいうのでしょうが・・せめて『恋のさやあて』くらいにしたいもんですね。

で両者とも、時代背景が違えでもにたようなものか・・と思ったりしたのでした。
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頑張れ日本!!!(ウイーン)

2011-09-24 21:46:55 | オーストリア
今日もお休みでよいお天気。お洗濯をして気持ちも爽やか・・
でも、家周りの掃き掃除をするとまだ寄ってくるのよね・・蚊が。
夕べもにたっぷりkおばちゃんの血をすって動きの鈍くなった蚊をバチン・・でも遅いのよね。刺されちゃってるんだから。

姉と話していて思わず反論したこと。
義捐金の配分が遅いとの話。ごもっともだとは思う。でも姉はそんなの一律に5万とか配ればよいじゃない・・と簡単におっしゃいますけどね、受け取りに来た人が本当に被災者かどうか、そして他で受け取っていないか・・どうやってチェックするの?
被災者同士で『あの人2重取りしてる』なんて揉め事になりかねない。

トラックの高速無料がその良い例だと思います。

kおばちゃんとしては義捐金そのものを使途不明の機関に預けた時点で、文句を言う資格がないと思うんですけど。
kおばちゃんとしては育英資金にあてられるような義捐金のあて先を災害発生当時に探したけど、まだ立ち上がってはいませんでした。

『誰かに権限を託す』のではなく、自分自身で選んで送らなきゃ『生きた』義捐金にならないと思ったのです。
皆で使ってくださいも良いけれどもね。行き先の自治体と姉妹都市関係のこちら側の市区町村がもっと生きたルートになるとよいと思った次第です。

受けるほうは『早く』と思うのもわかります。でも、皆さんからお預かりした義捐金を『無駄に』するようなことはして欲しくないと思うのも一理だと思うのです。
災害復旧からは長い道のりがかかると思います。だからこそ、生きたお金を使って欲しいと思いますがね。

4月に仕事関係で送金した義捐金の領収証がやっと9月になって発行された現実をみると、配分するほうの苦労も垣間見た気がしたので思わず反論してしまったkおばちゃんでした。

○5月1日(日)

さて、王宮博物館の展示を駆け足で見たkおばちゃん。さっきのお馬ちゃんの覗いていた場所がきになります・・

建物の外に出て・・王宮のもう一つの入り口を見ると・・あらこいのぼりが下がってたんだ!!と思い出しました。


こちらの入り口は民族学博物館Museum für Völkerkundeのものなんですが・・なにか日本の展示があるのかな?

そういえば、入り口で生け花の展示を準備していたのを思い出しました。きっと日本のイベントがあるに違いないと思って向かったkおばちゃんです。

思ったとおり、博物館の展示とは別に会場がしつらえられておりました。
入り口で、傍らの日本人男性に指導を受けながら、地元のお嬢さんがなれない日本語で『GOKIFUWO ONEGAISHIMASU』と声を掛けています。

そうなんです、東日本大震災に被災した日本を救うイベント『Benefizveranstaltung für Japan日本のためのチャリティーイベント』だったのです。

入場には寄付金をよせることが必衰条件です。博物館の入場チケットでは入れません。
何人間の観光客は『何で入れないの?』と入り口で問いかけていましたけどね。

kおばちゃんも心ばかりのご寄付をさせていただきました。救済のボランティアにも向かわずに遊び歩いているんです。当然ですよね・・
中に入ると


ほら、さっきのお馬ちゃんたちが覗いてますよ。なにをやるんだろうね?って言いながら・・


会場はまだぱらぱらと客席にお客さんが座ってらっしゃる程度。
でも、kおばちゃんはずーーと博物館を見学していたのでお草臥れです。早速席を確保!
そして良いものを発見!!日本食のスナックを売っています。
お腹もぺこぺこのkおばちゃんにはもってこい!早速はこちらのチラシ寿司をいただいました。


在留邦人の方の手作りのようです。美味しかった!

でもね、中途半端な量だったので・・もう少し何か頂きたくなりました。で頂いたのはこちら。


抹茶のスムージーと確か鮭だったと思うのですがのおにぎりです。
こちらはTeehaus Chanomaという、ウイーンのカフェの手作りです。
こちらのブッフェがこの会場に出店しており、それは大賑わい。しかもごらんのように日本人以外のお客さんが・・沢山。


オーダーしてから握る状態になってしまいましたが、(ストックがそこを付いた)みんな楽しそうに並んでいました。短気な日本人とは違います。

塩の塩梅も大変よく美味しいおにぎりでした。思わぬところで日本食に出会って島しました。
本当は今日のお昼は別の場所で・・と思っていたのですが、出会いが肝心です。

席に座って待っていると、いよいよ演奏の開始です。最初はお琴の演奏。


演奏の前に・・ちょっと身だしなみをチェック!

その後は尺八のソロです。


このころになると、会場は満員です。


ソロの演奏の後は二人で演奏。


このステージ前を横切るおチビちゃんたちは・・どうもこの尺八奏者さんの子どもたちのようでした。

演奏は無事終了!ここで思わず可笑しいな・・と思ったのは・・


それぞれの足元です。尺八奏者さんはステージの上でしっかり『靴』を履いています。
で筝曲奏者さんの方は・・草履をステージの下で脱いでいます。ステージ上は椅子に腰掛けての演奏ですが。
その昔、邦楽の曲でバイオリンなんかも入っている曲を演奏するお手伝いをした時に・・舞台上は毛氈が敷いてあるので靴を脱いであがって演奏してください・・と言われて違和感を覚えたのを思い出しました。

尺八奏者の方は・・靴を脱ぐことに違和感があったのかもしれませんね。

次のステージは茶の湯のお手前のデモンストレーションです。


大変美しいお手前でした。

ゆっくり全てのプログラムを見ていたけど・・時間がね・・観光客ですから。kおばちゃんは。


お名残惜しいですが・・さよならします。

そういば、このあとウイーン日本人学校の子供たちのパフォーマンス『YOSAKOIソーラン 』がるのですが、その関係でしょうか?保護者と思しき方たちも大勢いらっしゃいました。



この催し物はウィーン大学の東アジア研究所/日本研究所Ostasienstudien/Japanologie der Universität Wienの方たちのご尽力で実現されたようです。

そして、もちろんこの民族博物館の多大なる支援の下です。HPにもその活動結果は報告されています。

日本の為に本当にどうもありがとうございました。
いの一番に日本から逃げ出したといわれている国家ではあるけれど、日本のことを心配してくださる方が沢山いる現実を垣間見て胸が熱くなったkおばちゃんでした。
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強さと美しさ(ウイーン)

2011-09-23 23:59:11 | オーストリア
今日はまたまたお休み。うれしい限り。でもね、このお休み本とは来週欲しかった。
だって来週はフルに一週間ですもんね。これが辛い・・

さて、昨日のお仲間との飲み会の話題は一昨日の台風。
kおばちゃんは昨日のブログにも書いたとおり、敵前逃亡というか職場放棄してとっとと帰ってしまったけれど、それが許される環境だったから良いのだけれど、お仲間の中には帰りたくても帰れなかった人もいた。

それも、会社としては『部署の判断に任せる』という決まりであったのだが、その部署の長が『帰ってもかまわない』という指示を出さなかったから定時までいたために帰りにひどい目にあったという。
特に急ぎの仕事があった分けてもなかったという。部署的に。
誰もいなくなってもなんの支障もないはずなのに・・ただ『会社に居残って仕事をしてるふりをして自己アピールしている長につき合わされただけで帰りに死にそうなめにあった(いろんな物が途中で飛んできて)』と怒っておりました。

確かに目に見えるような話。
逆にお仲間の息子さんは某企業の人事課長だとかで、その息子の話だと昨日の台風は人事と総務で話し合って、午後から皆を帰宅させる決定をしたんだって。
と・・帰れなったお仲間が叫びました。『そこが一流と三流の違いなんだから!』みんな納得して大笑い。
笑い話になってるからいいようなものの・・帰れなかったお仲間の会社は一時整理ポストに入ってたのよね・・

判断が出来ない、判断実行能力に欠けるというのはやはり企業人としては致命的なのかもと思ったkおばちゃんでした。

○5月1日(日)

王宮博物館の武器と鎧のコレクションCollection of Arms and Armourに迷い込んだ?kおばちゃん。
まあ、嫌いではありませんけどね。

このお馬ちゃんたちの覗いていたのは・・

こんな格好で覗いてるんですけど・・



吹き抜けの下に見えたのは・・


何でしょうか?こちらか側から覗くと・・


あれ?あそこに見えるのは・・お茶の風呂釜とお琴・・じゃないでしょうか?


いったい何の会場でしょうね??
あそこまで行くのには??建物の構造が今ひとつわかりませんが、kおばちゃんのいるところからは道がないようです。

ということで、あきらめて他の展示をみましょう。

日本でもそうですが、強いということと美しいということを融合させようという本能が人間にはあるのかもしれませんね。
ボケてしまっていますが、剣もこのようにかけると美しいですね。まるで時計のよう。


こちらもおおボケの画像ですが、美しいと思いました。


が、本来の使用目的を考えるとね・・ちょっと恐ろしいですね。

冒頭の画像も同様ですが・・


なんとなく様式美を感じてしまいます。


それにしてもこのたまねぎ坊主の兜は・・まるで宇宙服ですね。


さて、一通り武器と鎧のコレクションの展示は終わったようです。

次の扉をあけると・・あらら、振り出しに戻ったようです。


これは・・古代の楽器の復元・・だったと思うのだけれども。このレリーフの破片に基づいて・・違ったかな?

これなんかも角笛と打楽器・・原始的といえば原始的でしすよね。


これもボケボケだけど・・古代の出土品から・・音楽を奏でる人物の模様があるものだったような・・


これも・・楽器だったのかな?多分・・鍛冶屋の音が出る??もう忘れてますごめんなさい。


ここから先は・・さっきも見たところ。
これで一応王宮博物館のコレクションといわれるとことは・・見終えたようです。

さて、さっき上から覗いた会場が気になりますよね。なんなんでしょうね?
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お馬ちゃんも・・・大変!(ウイーン)

2011-09-22 18:38:57 | オーストリア
昨日の台風、kおばちゃんはぎりぎりセーフで帰宅できたけど、遅くまで交通が混乱していたようですね。

ただ、ボロ屋が倒壊するのでは・・とちょっぴり心配。
昨日は早々と職場放棄したので、時間があったので100円ショップでも覗いてゆこうか・・とおもったけれれど、地下鉄から1歩外に出たら・・そんな気は失せてとっとと帰りました。

今朝は道路に我が家のモノと思われる葉っぱが散乱しているのを横目に・・明日片付けます・・と心の中で唱えて出勤してまいりました。ご近所さん。ごめんなさい。

それにしても、今朝はなんとドアーの鍵が閉まらなかった。多聞鍵穴に水でも入ったのかな??とおもうのだけれども・・
鍵をかけない訳にはいかないので、内側から鍵をかけて・・車庫からお外に出ましたです。
ああ、ボロ屋は辛いね。

○5月1日(日)

王宮博物館のエフェソスコレクションの見学は一通り終りまして・・お次に目に付いたところにも一応行って見ましょう。

こちらは王宮博物館の武器と鎧のコレクションCollection of Arms and Armourだとか。

こんな方がお出迎えくださいました。


まあ、日本でもそうですが、こういうコレクションって男性方はお好きなようですね。

こちらは馬上槍試合の図とでもいうのでしょうか?


こういう一騎打ちって、たいていは『名誉を掛けて』とか何とかいう理由で戦われるんじゃなかったでしょうか?
で、それぞれの騎士の思い人の品を身に付けている・・というところでしょうか?赤いほうはダチョウの羽飾り、で白いほうは刺繍のハンカチ・・

本人たちは大真面目で命を落とすこともあると思うのですが・・・でもね、お馬ちゃんまでカバーをかけられて大変ですよね。

冒頭の玉ねぎ坊主のような形をしているのは所謂兜にあたるぶぶんですよね。なんだか宇宙人みたいですね。

こちらは完全武装型


けっこうオチビのサイズのもあるのですね。


完全武装型はこのようにお馬ちゃんも鎧を着ていますが・・・重そう。


このように馬ズラ専用の兜というか面当てもあるんですが・・おうまちゃんにしては良い迷惑蚊と思ったkおばちゃんです。



ボケてしまってますが・・これはスマートじゃないと着用できませんね。きっと・・


でも、こんなもの付けていたら偉く動作が鈍くなりそうな気がします。


鎧、兜の他にもこのような


武具の展示もありました。


お馬ちゃんのプロテクターは、飼い主の鎧とのコーディネイトもあるのでしょうね。


こちらのお馬ちゃんなんかみると・・アラブのダンサーかとおもうような・・


プロテクターと言う意味合いよりも、アクセサリーと言うかんじですね。

あら、こちらの2頭はシンプルに家紋というかエンブレムをあしらった衣装のみですね。


それにしても、彼らは一体何をのぞいているんでしょうね?
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ケルススの女神再び(ウイーン)

2011-09-21 21:25:20 | オーストリア
今日は前評判どおり台風のお出まし。
kおばちゃんのところも・・現在通過中のようで大風がふいております。ぼろ屋が飛ばされそうです。

で、今日はお帰りの時間帯がもろにかぶりそうだったので、早めに職場放棄!
とっとと帰ってまいりました。でもね、途中で山手線以外止まったりしてて・・皆さん大混乱。

kおばちゃんのところは全然違う会社の線路が3つ通っているのでなんとか帰り着けるのよね。まあ、バスもあるしね。
震災と違って道路が通行止めとはなっていなさそうですしね。

ということで地デジの写らないテレビを眺めながら・・写るチャンネルもあるのですが、今日は風の影響か電波の受信の受信状況があまりよろしくない・・BSってニュースショウが少ないなと思った本日でした。

それにしても・・この台風の中、様子を見に行くといってお出かけになった高齢者が巻き込まれたというニュースの多いことよ。様子を見てどうするんでしょうね?
どうにも出来ないでしょうにね。こんな嵐の中じゃ

○5月1日(日)

思いもかけなかった王宮博物館のエフェソスコレクションEphesos Museum、見ていても楽しいですが・・あまりゆっくりしている暇はないのよね。残念。

オクタゴンの後は・・こんな展示でした。これはどの部分??


これはコロシアムですね。


ほらここですね。


これのどの部分だったのか・・ちっともわかってませんけど。


こちらの女性像もね・・エフェソスのどこにいらっしゃったのかちゃんと見てません。


そして冒頭の画像でもあるこちらの展示で・・kおばちゃんあれれ??


これは・・ケルスス図書館Celcus Kutuphanesiの一部のようですね。ほらここ。


そういえば、ここに祭られていた女神たち・・本物はウイーンにあると言ってた様な・・オーディオガイドかりたんですけど、忘れてます。

で、こちらのお方は・・Arete徳の女神・・のオリジナル


トルコのエフェソスにいらしたこの方は・・コピーだったようです。


でもね、こんな室内にいらっしゃるとね・・女神様という感じがしない気がするのですけどね。

そして今もなぞなのがこちらのお方、大アルテミスArtemisさま?



たしかトルコのエフェソスにあるエフェソス博物館Efes müzesiにいらっしゃるのじゃなかったでしょうか?

こちらは・・コピー??台座をちゃんと読まなかったkおばちゃんですのでわかりません。
でもね、あまりにも無造作においてあるから・・多分レプリカじゃないかとおもっているのですけどね。
じゃないと・・・エフェソスの博物館がレプリカを飾ってることになっちゃいますもんね。

ということで、最初に後姿を拝んだアスリート君の像のところに戻ってきました。


さあ、これで王宮博物館のエフェソスコレクションはお終いです。
それにしても・・このアスリート君は惚れ惚れとするような完璧な身体だと思ったkおばちゃんです。
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アルシノエ4世の墓再び(ウイーン)

2011-09-20 17:05:34 | オーストリア
今日は休み明けでちょっと体も心もいまひとつ・・暑くないだけよいですけどね。

TVの調子はまあ、やっぱり某国営放送が全然見る事が出来ません。受信料払ってるのに・・っていってもアンテナ繋げてないんだからしょうがありませんようね。
電気屋さんに手配するのがメンドクサイから・・暫くBS中心でよいです。
特に見たい番組がある訳でもないし・・やっぱり朝ラジオの方が落ち着きます。
先導的じゃないからね。

今朝読んだ記事に、震災当日に上空を飛んでいた警察ヘリのかたの体験談がありました。
その記事で印象的だったのは、やはり『津波が来るから逃げろ!』と上空から呼びかけても道端で立ち話をして様子をみている住民達の姿のこと。

上空からは何が・・どんな恐ろしいことが、早いスピードで差し迫っているのが見えるので必死に通常ではありえない200メートルまで高度を下げて注意しても聞き入れない・・と言う光景。
そして・・ついに津波が到達して流されていってしまった・・というのを間近で見ていた方達です。
さぞかし無念だったと思います。『情報』をながしても活用してくれなければなにもなりません。

以前、某番組△してガッテンというので津波の避難の難しさを放映いていたのを思い出しました。避難率が非常に悪い・・と。
ところが、ある地域(確か三重の方だったと思います)の避難率が100%近いところがあった・・と紹介していました。

で、その秘策はなにか・・というと防災担当者がいの一番に逃げる(避難する)ということだと紹介していました。
『避難の指示が出てるから・・』と皆に告げまわるとともに『だから俺は逃げる』といって逃げてしまうのが一番良いのだと言う結論だったのを記憶している。

逃げて・・何も起こらなくて笑い話で済ませられる環境が大切だとそのとき思ったのを覚えています。
逃げ出して・・みっともない、とか、かっこ悪いとかいう気持ちが避難を忌避させているということだと思いました。

かっこ悪い、みっともない・・・こういうことを恥と思う文化は日本でも東北方面に多いような気がします。そんな気質が今回の災害を大きくしたところもあるのかな・・と思うkおばちゃんです。

○5月1日(日)

王宮博物館のエフェソスコレクションEphesos Museumに迷い込んで?しまったkおばちゃんです。
こんなところにねえ・・想像だにしていませんでした。まあ、ガイドブックを持っていないkおばちゃんがいけないのですけど。

ここの展示はやはりエフェソス関係のもの主流のようでして・・これは柱の上の部分


ですけど今年初めに訪れたキプロスのサラミス遺跡にゴロゴロ転がっていた姿を思い出すと・・ありがたみが半減してしまいました。

こちらや


こちらも


あのエフェソスの遺跡のなかにあったらねえ、よかったのに。
ベルリンにあるベルガマ博物館もそうですが、あの当時財力というか権力にものを言わせて自国に持ち帰ったのでしょうが・・その結果、保護されているというメリットもありますが・・ちょっと不自然な感じもしますよね。

でも、それが歴史そのものの流れなのでしょうね。

kおばちゃんがこの博物館の展示の中で一番興味をひいたのはこちらです。


こうやってみると・・ただの柱にみえますけど・・神殿のものにしてはちょっと小ぶりですよね。

で、この展示の脇にはこんな模型もおいていありました。


これは・・どこかで見た事があぞ????えーーーと何処だっけ??何だっけ??
で、手元のオーディオガイドをみて『あ!!!』と思い出しました。


オクタゴンOctogonです。そう、あのエフェソス行きというかトルコ行きをkおばちゃんに促したものです。

2010年3月10日のブログにも書いたあのオクタゴンです。といのはあのクレオパトラ7世Κλεοπάτρα Φιλοπάτωρの妹アルシノエ4世Αρσινόη Arsinoe IVのお墓と言われているオクタゴンです。

一説には姉のクレオパトラに殺害されたといわれている彼女のお墓がエフェソスにあると聞いてのこのこ出かけて行ったのですが・・なんだかわびしいものでがっかりしたのを覚えています。

で、ブログをたくにあたって、オクタゴンなる八角堂の姿が想像できなくて・・バーチャルをここで見つけたんでした。


だからこの姿を見た事があったんです。


1/25の模型のようですが・・まさかここでお会いするとは思っても見ませんでした。
で、さっきの柱はこの八角堂の柱の一部分だったと言う訳です。

現地には土台の部分の石の一部しか残っていなかったから大きさも不明でしたが・・やっぱりこの柱からすると、kおばちゃんが想像していたものよりも小さめだったことがわかりました。

思わぬ再会でなんだか嬉しくなったkおばちゃんでした。
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トルコとの関係??(ウイーン)

2011-09-19 23:30:40 | オーストリア
今日もお休み。ありがたや。昨日ほどのお天気ではないのもありがたい。

で、時間があったのでデジタルチューナーとやらを取り付けてみたのだが・・まあテレビの後ろのお掃除の方が大変だった。
BSアンテナはついているので、一応BS番組だけでも・・と思って取り付けたのだが・・なんと地上波テレビも一部視聴できてしまう。
だた、いちばん見たい視聴料を払っている地上波がまったく捕らえられないのが残念。
デジタルアンテナ立ててないからそれは仕方がないこととおもっておりますけどね。

しかし・・局が近い順によく映ってる気がするんですけど・・多分一番遠いのがNHKと日テレになるのか?
とりあえずは画像も見ることが出来る生活にはなったのだけれで・・果たしてみるかは疑問であります。

○5月1日(日)

さてさて王宮博物館の古音楽楽器コレクションSammlung alter Musikinstrumenteの見学が常設展、特別展ともに見終わって・・さてどうしましょう?と思ったkおばちゃんです。

どうしましょう・・というのは博物館の展示がまだ続いていたからです。

ふとホール階段の下を覗くと・・なにか展示してあります。


こなったら、見に行くしかありません。どうやら入場券は共用のようでチェックするところもありません。

こちらは王宮博物館のエフェソスコレクションEphesos Museumといったところのようです。エフェソスEphesusというのは、トルコのエーゲ海沿いにある古代都市のあったところですよね?
kおばちゃんも2010年のお正月に出かけてゆきました。

でも、何でウイーンにトルコトのエフェソスEphesusの名前のついた博物館の展示があるのか、kおばちゃんにはなぞでしたが・・ここによると19世紀のまだオスマントルコであった時代に、ウイーンの考古学者が発掘研究を行っていたから・・ということのようですね。
1907年のトルコの古代法の布告により、発掘品の国外持ち出しが禁じられるまでの間に研究の名のものとに運ばれてきた出土品の展示・・ということのようです。

こちらのホールに展示されて後姿が凛々しいのはアスリートのお姿だそうです。



そして冒頭にもあるようなこのような地図が掲げられていました。


ここエフェソス博物館にはエフェソスの出土品はもちろんのこと、他のSamothrakeとTyasという地名がみえるんですけど。


Samothrakeとは現在ギリシャ領のサモトラキ島のことのようですが、Trysaという地名が検索できませんでした。
どうも、現在のフェニケFinikeの近郊の遺跡にその名前が垣間見えるような・・気がします。
地図上でもアンタルヤAntalyaの近く・・にみえますよね。

で、このTrysaの展示は・・このようなケースに入っておりまして。


これは・・カシュKaşで見かけた石のお棺・・のようなものでしょうか?
石垣で囲ってあるということは・・どなたか地位のある方のお墓だったのでしょうかね?
まさかお墓の本物は・・持ってこられませんよね。

そしてその先に写真で展示されているのは・・どこかで見たような景色。


この地図もどこかで見たことのあるような・・


こちらはこの地図のジオラマというのでしょうか?


これはあのエフェソスのジオラマじゃないでしょうか?それにしてもこんなに広かったかしら・・


このお方たちは・・この遺跡からいらした方たちでしょうか?
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若き日の音楽家たち(ウイーン)

2011-09-18 22:33:16 | オーストリア
今日も暑い。でお休み。
来週はお彼岸なのだけれども・・早めにということでお墓参り・・暑かった!!

なんだか一日仕事で草臥れたなり。
帰りにファミレスにでお食事。カロリーを気にしながら・・でもやっぱり食べたいものに目が行ってしまう軟弱なkおばちゃんです。

イツまであついんでしょうね?
もう結構!

○5月1日(日)

しつこく続く王宮博物館の古音楽楽器コレクションSammlung alter Musikinstrumenteの常設展ではない特別展示、視覚に訴えるものもあります。

こちらはあのニコロ・パガニーニNiccolò Paganini 氏のコンサートの告知だったと思います。


ちょっと見ると、現在のシュトラウスとも言われるアンドレ・リュウ氏André Rieuに似てなくもないか・・と。

こちらはパガニーニ氏の胸像。


病弱だったと聞くけど・・・この胸像からはちょっと想像できませんね。

こんな集合写真もあります。ウイーンフィルハーモニーの記念写真!


ヘルメスベルガー四重奏団 Hellmesberger-Quartett


たしかシューベルトやブラームスの室内楽の初演を沢山していたような気がします。

このような展示の中でkおばちゃんの一番興味を引いたのは・・こちらです。



こちらの青年は・・なにを隠そうブラームスBrahms氏ですって!!


ブラームスBrahms氏といえばこちらの写真のような、晩年の爺さんになってからのお姿しかイメージがありませんよね。


こちらはロベルト・ハウスマンRobert Hausmann氏とブラームス氏だそうです。ロベルト・ハウスマンはブラームスと親しかったチェロ奏者だそうです。

そしてこちらは・・忘れてしまいましたが・・その昔ミュルツツーシュラーク Mürzzuschlagのブラームス博物館にあった女性の写真と一緒かな?と思ってます。


以外に惚れっぽいブラームス氏はたしか彼女の為に曲を書いた・・とあったとおもいます。ほれた歌手には歌曲を書いたり・・意外とマメだったんだな・・という記憶が・・

えーとお名前をすっかり忘れている情けないkおばちゃんです。

それにしても・・使用前、使用後ではありませんけど・・経年劣化というか・・人生を重ねた・・というのか、随分と外見がかわってしまったなあ・・と改めて思ったkおばちゃんでした。

でもね、なんでリストは若いころのカッコイイ肖像がが流通しているのに、ブラームスは・・爺様になってからなんでしょうね?
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苦悩する作曲家たち(ウイーン)

2011-09-17 21:59:11 | オーストリア
ここのところ暑いのと忙しいのでおサボリ。
昨日はきし麺の町に出稼ぎだったのだが・・食事つきだったので思うようにB級グルメを堪能できなくて残念。

地方巡業の楽しみは『食』ではあるけど、お仕着せではなくて自分で選ぶ楽しみがあっておそ楽しいのでしてね。
好きなものを選べる楽しさ・・これってたぶんkおばちゃんお子ちゃまのころのトラウマかも。
食事制限の厳しい病気だったので、食べたいものを食べることのできる楽しみを奪われてた反動かもしれません。
たとえカップめんであってもね。自分で選べるって楽しいですね。


○5月1日(日)

王宮博物館の古音楽楽器コレクションSammlung alter Musikinstrumenteの常設展ではない特別展示もなかなか興味深いです。

19世紀のウイーンの音楽華やかなりしころの様子がわかります。
当時ウイーンにいた作曲家たちでしょうね。彼らの楽譜の元譜の展示もあります。



こちらはあのベートーヴェン氏のバイオリン協奏曲Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 61 von Ludwig van Beethovenの譜面ようです。


で、こちらは・・当時ウイーンの音楽界でたいそうな地位にあったヘルメスベルガーJosef Hellmesberger氏のベートーヴェンのバイオリン協奏曲のスケッチだそうです。



つまりヘルメスベルガー氏にも評価されたということでしょうね。

こちらはベートーヴェンの弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 作品130 Streichquartett Nr. 13 B-Dur op. 130


シュパンツィヒ四重奏団Streichquartettよって初演されたようです。


それにしてもベートーベンの苦悩の後もわかりますが・・これを読みといて出版するのも大変そうですよね。

こちらもベートーヴェンの作品。ヘンデルのオラトリオ『ユダス・マカベウス』の主題によるピアノとチェロのための変奏曲Variationen für Klavier und Violoncello Zwölf Variationen über ein Thema aus Händels Oratorium „Judas Maccabäus“



こちらはあの有名なブラームスのバイオリン協奏曲のカデンツァ。


ヨーゼフ・ヨアヒム Joseph Joachimの手になるものですって。

これはそのヨハネス・ブラームスJohannes Brahmsのチェロソナタ第2番 ヘ長調 作品99 Sonate für Violoncello und Klavier Nr. 2 F-Dur op. 99 (1886)


こちらの作曲でも彼は、このように苦悩したのですね。


そしてこちらは冒頭の画像でもある楽譜。


これもブラームスの手になる作品。ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 op.102 Doppelkonzert a-Moll für Violine, Violoncello und Orchester op. 102だそうです。

細かい曲想の解釈ははkおばちゃんにはわかりませんが・・すんなりと作曲された曲ばかりではないことがわかった興味深い展示でした。
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ヴァイオリンは町の中心(ウイーン)

2011-09-14 18:43:55 | オーストリア
いつまでたっても暑いのよね。
いよいよ新内閣で国会が始まったけど、kおばちゃんはやっぱりがっかり。
M党の代表戦の時あれほどはっきり明言していた『議員定数の削減』、首相になったとたんにお忘れのようです。

まったく所信表明演説に出てきてないのよね。やっぱり彼も口先男なのか・・

今日あの震災当日、からくも津波から逃れて屋根の上というか外で一晩を過ごしたかたのブログを読ませていただいたのだが・・やっぱり気になったところは、『情報がなかったから・・』というよう意味をしきりに書いてらっしゃる事。

災害発生時、テレビは映らず、ラジオも聞いていなかったから、津波の発生がまったく判らなかったと考えておられる事。
耳にしたかもしれないが、頭にはっていなかった・・とおっしゃってるのだけれどもね。
多聞、あの時点でどんな情報を流しても、『また警報か。俺達には関係ないよな』という無意識の意志気があったのだと思うと、どんな情報を流しても被災されたんじゃないかとおもってしまったのです。

人が逃げないから、情報がなかったから・・というよりも、被災した瞬間になり振り捨てて生き延びるという選択がまったく浮かばなかっただけだと思ったのです。
ああいう状態で何が正しい情報か判断するのも難しいから、今からの防災活動としては、いかに瞬間的に生き延びる判断が自身でできるか・・が一番大切だと思ったkおばちゃんです。

とりあえず、あの方は生き延びて良かったと思う次第です。

○5月1日(日)

王宮博物館の古音楽楽器コレクションSammlung alter Musikinstrumenteはまだまだ続きますが、とりあえず大きな部屋はおしまいです。

つなぎの廊下のようなところにも展示がありましたが・・近代の物だと思うのですが・・


蓄音機の元祖??なんてね。で・・こっちは・・パワーストーンじゃないよね。


そしてその先の階段の踊り場のようなところに・・お目当ての特別展示はあるようです。

冒頭の写真はその一部。20世紀の名器たち・・といったところでしょうかね。


でも、弦楽器というより、ま、楽器全般だけど・・フォルムの美しさも大切だろうけれど『音』が出ていないと・・ただの置き物だものね。

『Der Himmel hängt voller Geigen天国はバイオリンがいっぱい?』と言うタイトルの展示のようなんですけど・・
19世紀から20世紀初頭の、所謂小市民と言われた人達に愛されたバイオリンにまつわる展示のようです。
当時はイロイロと名手たちが出てきて・・ここウイーンでも演奏は盛んに行われたようです。

ウイーンで大きく花開いたてバイオリンは演奏する文化はですが、その他に『バイオリン製作』と言う方面でもウイーンは注目されていくようになったようです。

これは・・工房毎のラベル・・だったかしら?・覚えてませんけど。


バイオリンの製作本でしょうか?


これは・・裏板と側面のカーブをつくる型でしょうか?


左下にあるのは・・カンナでしょうかね?


なんだかあまり見かけたこととのない楽器もありました。
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鍵盤楽器イロイロ(ウイーン)

2011-09-13 18:25:29 | オーストリア
今日も暑い一日。夕べはエアコンを使用せずに眠ろうとモンモンと・・で、その結果寝覚めの悪い・・夢をみた。

原因はもう一つあるのよね。昨日来た郵便物・・
実は8月の旅行の時に・・某国でスピード違反をやらかしまして・・日本で言うところのオービスにばっちり撮られている自覚はあったんですけど、この前来たレンタカー代金の請求に入っていないから『気のせい』で済ませられるかと思ったら・・とうとう追加請求がきてしまったのです。

日本国内でもした事がないスピード違反!まったくねえ。いえ、不注意のkおばちゃんがいけないのです。それと少々焦り気味でしたから。
で、寝る前にその請求書を眺めていたら『細かい請求は含まれていません』という下りをみつけて・・もしかするとまた別が来るの??と戦々恐々としながら眠りに付いたのもいけなかった・・オヨヨ・・

○5月1日(日)

王宮博物館の古音楽楽器コレクションSammlung alter Musikinstrumenteはまだまだ続きます。

なにぶんにも『王宮』ですので広いのです!

お次ぎの部屋も・・先程のベートーヴェン君がいた部屋のように広いサロンのような部屋です。


お隣がベートーヴェンホールの名前が付いた部屋です。


そしてこの部屋にも実は名前がついていました。シューベルト・ホールSaal Franz Peter Schubertだそうです。
でも、シューベルトって生前は世の中にあまり認められていなかったようだから・・ご前演奏なんかしていなでしょうね。

この部屋にも楽器はこのようにイロイロと展示されています。


そんな中でkおばちゃんが疑問に思ったのは・・なんでチェロのケースが展示してあるのか??


説明書きを見たのかもしれませんが・・・覚えていません。

楽器の他にもこのようなジオラマというか町の模型が・・昔のウイーンのリンク内のようです。


こちらの右上の方がここ王宮でしょうか。真中下はシュテファン寺院でしょうね。


そしてこの部屋の展示のメインはなんと言っても鍵盤楽器です。


こんなのや


こんなものもあります。


こちらの楽器はなにやら装飾がゴテゴテと・・1867年のベーゼンドルファー Bösendorferだそうです。


ベーゼンドルファーと言うピアノメーカー、現存してはいますが・・長年に渡る経営難でアメリカの企業に買収されたり、オーストリアの銀行の傘下にはいったりしたのだけで銀行の放漫経営のあおりをくって・・結果的には現在は日本のヤマハが買収したときいている。
一台ずつ手作りの高給楽器と、マス生産の見本のようなヤマハの組み合わせが当時話題をよんだのを覚えている。

こちらもベーゼンドルファー1898年制のようです。


で、kおばちゃんの興味をひいたのはこれらのベーゼンドルファーではありません。

冒頭の画像にもあるアップライトのピアノです。


kおばちゃんとこにも開かずの間にアップライトが鎮座してますけど・・

実はこのピアノを見て母の好きな絵を思い出したのです。それはこれ・・


ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoirの『ピアノに寄る少女たち
Jeunes filles au piano』オルセー美術館musée d’Orsayにたしかありました。
でも、この構図のルノワールの絵は6枚あるとか・・

kおばちゃんの母上はこの絵が好きで、kおばちゃんと姉をこの二人みたいにしようと目論んだようですが・・・それは無理と言うものでした。

なんだかこのピアノをみて・・少女時代のことを思い出したkおばちゃんです。

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皆で歌おう!?(ウイーン)

2011-09-12 18:26:30 | オーストリア
日曜日はお休みだったのだけれど、ご前中は庭をうろついたらすっかり蚊の餌食。
しかも午後からは出かけなくてはならなくて・・暑い中ぐずぐずしていたら余計つかれて・・結果帰りにたっぷり燃料補給したりして・・使い物になりませんでした。反省!

震災から6ヶ月。被災から離れているkおばちゃんの周りで、直接の影響は目にする事はすくないけど、昨晩もうろついた夜の繁華街はやはり元気がないのね。
それまでの不況の影響もあるのだろうけど、前日に買い物にいったスーパーもがらがら。
皆さん節約モードが行き届いているみたいです。

被災地のためにkおばちゃんのしていることなんて・・ちょっぴりしかないけどいつも通の生活を送れる幸せを噛み締めながらいつものように生活することも大切だと思っているkおばちゃんです。
けっして『情報』という暴力に流されずにね。

○5月1日(日)

王宮博物館の古音楽楽器コレクションSammlung alter Musikinstrumenteの見学を続けるkおばちゃん。

静かだった展示室に突然に賑やかな子どもの声が・・小学生の遠足のようですが・・C国の子供達です。ガイドさんを伴っていますが・・まああそこの国民性か・・落ち着きがない。
しかもカメラで画像に納める事だけが目的なのか・・あちいこっちでバチバチと撮り捲ってます。
他の人が見物していようとお構いなし。

kおばちゃんが見ていたガラスケースの前に来てkおばちゃんに『エクスキューズミー』と声を掛けてきた。用は『どけ!』ということ。
根が意地悪なkおばちゃん。オーディオガイドを聞いているフリをして・・気が付かないポーズ!
だって、人の見学じゃまする権利ないでしょう。マナーを守って頂戴!!ですよね。

人のフリ見て我が振りなおせ・・っていうのもあるけど、あそこまで来るとムカッときました。はい、心の狭いkおばちゃんですから。

まあ、展示してあるのはこのような楽器。解説を聞きながら・・じゃないと忘れてしまいましたが・・


現在の楽器の原型になったようなものや・・もうすっかり姿を消してしまった楽器ですね。

このような・・一瞬『仏壇』?かと思ったキャビネットも実は楽器で・・


鍵盤がこんなところにあります。


これも・・鍵盤が仕込まれたテーブル・・とでもいうんでしょうかね?


鍵盤楽器といえば・・こちらは足の部分にも鍵盤が仕込まれたペダル・フォルテピアノPedal-Hammerflügel


うーんどうやって弾いたのでしょうか・・

楽器の他にも・・4人で使う譜面台・・とでもいうのしょうかね。


高さの調整は・・誰にあわせるのか?いえ、イスの方でするのでしょうかね?

そして最もkおばちゃんの興味をひいたのは冒頭画像にもあるこのテーブルです。


Passauer Liedertischパッサウの歌曲テーブル・・とでもいうのでしょうかね。


テーブルの端に楽譜が書き込まれています。テーブルをぐるりと囲んで・・皆で歌ったんでしょうかね?1590年の作だそうです。

その他にはこのようなバイオリンの型紙?もありました。


Franz Geissenhof氏のものだそうです。ストラビバリウスのスタイルを学んだ人で『ウイーンのストラビバリウス』と呼ばれたこともあったそうです。
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