Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

生活の楽しみは普遍です(サラミス)

2011-02-20 23:48:13 | キプロス
今日もお休みで、これといったご予定のないkおばちゃん。いっぱい眠らせていただきました。目が・・腐った。

本とはお買い物にでも出かけようかと思っていたのだけれど・・そんなエネルギーは残っておりませんです。
何背お天気が今ひとつ。お布団が干せないのが何よりも辛い。

花粉も飛んできていて・・薬にまた頼ってしまいました。
あーーあ。春は嫌いだ。それにしてもカエルだけは元気に鳴いています。

ニュースではパンダ先生の来日を伝えていますが、いったい幾らのリース料かというのをはっきり伝えていないのは何でなんでしょうね?
パンダのリース料金。ものすごいですらしいです。だらか四川では稼ぎ頭としてほうどうられテいるそうな。
何だかな・・夢を壊すということなんでしょうけど、現実をちゃんと報道しないのは遺憾と思うkおばちゃんであります。


○12月31日(金)

聖バルナバス修道院には先ほどのイコンの展示だけではなく、考古学的遺物の展示もあるようです。

その展示室は、修道院時代修道士たちの部屋となっていた中庭に面した小部屋を繋げてあります。


順番はわかりせんが、手前から入ってみました。


説明書きは小さく年代だけだったような記憶が・・何処からの出土とかはなかった気がします。あっても見落としていたのか??
まあ、サラミスあたりなんでしょうね。

破損も少なく立派な状態ですね。みんな紀元前のものです。


kおばちゃんの気になっているのはこれです。


拡大するとよくわかりますよね。人間?おサルさん?の後姿です。何をしてるんでしょうか?


kおばちゃんには『食べ物の配給をする人とそれを待つ人』にみえちゃったのですけどね。

そのほかにもこの様な鉄器?でしょうか?火の取り扱い具ですね。


鏃でしょうか?こんなもものありました。


これは毛糸などをつむぐ時につかったものでしょうね。


そしてkおばちゃんの一番のお気に入りはこちらです。


子どものおもちゃ・・もしくは祭祀用の用具でしょうか?


兵隊さんのフィギアといったところですね。

丁度半分ほど見学したのでしょう。回廊の向かい側には聖堂が正面に見えます。


こちらの部屋に展示されているのは装飾品ですね。

こういうデザインを見ていると、太古の昔からちっとも変わっていないと思ってしまいます。

こちらは明かりを灯す器具だそうです。ランプの原型ですね。

『アラジンと魔法のランプ』を思い出しました。

こちらは・・透明性は今ひとつですがガラスの容器です。


こちらは陶器。上薬の色といい、かかっている形といい・・日本の茶器を思い出しました。

唐三彩のような色です。唐三彩のルーツは何処?中国ですか?それともこちら?

こちらはスフィンクスの像ですね。
ギリシア神話のでは、ライオンの身体、美しい人間の女性の顔と乳房のある胸、鷲の翼を持つ怪物だそうです。

そしてこちらもスフィンクス?狛犬の原型のような気もします。シーサーみたいですね。


こちらなんてまるっきり『犬』ですよね。


他には女神像の『首』とおもわれるものです。


こちらも大きさこそちがいますが『首』です。


これは像の制作上の問題なんでしょうか?首だけ別つくり・・それとも意図的なものなんでしょうか?
以前マルタでみた古代の像は首が挿げ替えられるように『別作り』になっていましたけどね。

これは子どもの棺おけ・・だったかしら・・わすれてます。


一通り見学を終えて回廊に出たkおばちゃんです。

修道院時代はこの回路を修道士が歩いていたんですね。


さて、これからどうしましょうね。
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聖バルナバスのお導き?(サラミス)

2011-02-19 23:59:10 | キプロス
今日はお休み。うれしい日。その上天気予報では『晴れ』だったんだけど・・残念!

スーパーに買い物に行ったのだが・・やっぱり際は高いなあ。
しばらくは冷凍庫のお掃除をしないとね。

最近kおばちゃんの回りに乳がんを患っている女性が多い。
お年を召したかたから・・お若い方まで。kおばちゃん自身は・・多分大丈夫だとおもうのだけどね。
このまえの検診で『測定不能』ってでてきてるのではありますけど。

○12月31日(金)

さてようやくサラミス遺跡の見学を終わったkおばちゃんでありますが・・・お次はどうしましょうね。

実はもう一箇所ここ、ここ北キプロスに来たら行きたいところがあるんです。
で、そこに行こうかどうしようか・・考えはしたのだけれども、ちょっと躊躇もあるのでやめることにした。

あ、お昼を食べていないのだけれど・・そのことはすっかりと忘れ去っていたkおばちゃんなんです。

お宿からここまでは大体2時間?かからないかもしれないけれども・・今朝通ったあの山道を考えると、暗くなる前にギルネに帰りたいということもあるし・・
うーん中途半端!な感じでした。で。とろとろと・・走りながら・・実はさっき道を間違えた時に見かけた看板を思い出したのです。

ここ北キプロスも、トルコ同様、観光地の方向案内に一定の法則があるようです。
それは、道しるべが『茶色地に白い文字』ということです。
それで案内されているところは観光地ということで、非常に判りやすいのです。
で、さっき道をまちがえたときにその看板をある交差点で見かけ、サラミスの遺跡への入り口近くでもみかけていました。

じゃあ、あそこを覗いてみようか・・まあ、とりあえず通過してもよいかな。方向的には帰るのとおなじでえすからね。

案内板にしたがって・・おっと、行き過ぎてしまいましたが、考え直して寄ることに決めました。
せっかくですからね。

これですね。きっと・・


で、ここで早速のお出迎えはこの方々。単にえさをもらおうとしているようですが・・ごめんね。


kおばちゃん自身の食べ物も無いのよね。チョコはワンコにはだめでしょ?

入り口はここですね。

ここはこういうところです。

聖バルナバス考古学博物館とイコン美術館とでもいうのでしょうかね。
入り口から中に入ると、チケット売り場がありました。そこで入場券を買って・・入場です。

ここはもともとは教会だったところのようです。
聖バルナバスSaint Barnabas とはキプロス生まれの聖人で、先ほど見学したサラミスの時にも書いた、パウロ最初の宣教旅行の同行者バルナバこと。
ここでギリシャ系ユダヤ人の子どもとして生まれたそうです。生まれた時の名前は『ヨゼフJoseph』といっていたようです。

エルサレムでキリスト教と出会い、そこでアラム語で『預言者の息子』という意味のバルナバスという名前をもらったようです。

その後、45年に聖パウロの第1回目のキリスト教伝道の旅に同行してここキプロスの戻ってきましたがその後はまた他の場所に伝道にでかけていたようです。
75年に再び戻ってきた時に、ユダヤ人たちによって捕らえられ、シリアの暴徒によって『殉教』させられたようです。

その後、彼の遺骸は不明だったのですが、448年にキプロスの大司教アンテミスの夢に3度現れてその場所を告げたとか・・で無事発見されたということです。
しかも・・彼の遺体は腐っておらず、しかもその胸に聖書を抱いていたといいます。

で、その後この場所に教会というか修道院が建てられ、1750年代からの建物が現在目にするものなのでしょうね。
修道院としては1950年ころまでにはたった3人の修道士しかいなくなってしまっていたようですが、1974年の紛争以降はそれらもいなくなり、修道院としての機能はまったくなくなりましたが、その後3兄弟が守り、現在のようには1991年からの修復プロジェクトにより博物館、美術館となったようです。

まずは聖堂だったと思われる場所にはいりました。聖壇と思われる場所はぼけてますがこんな感じです。


で、ここでkおばちゃんの粗忽全開!この聖壇の一番右側の方が立派だったのでてっきり聖バルナバスだと
思ったのですがどうやら違うようでして・・

その右側にいらっしゃったこの方のようでございました。こちらからお借りいたしました。

年代的にはばらばらのイコンが展示してあります。


北キプロスの元教会から集めてきたのじゃないでしょうかね。

聖壇と思しき場所ですが、持ち去られているものも見うけられます。

紛争の折にいた修道士が思い余って持っていたのでしょうかね。

こちらは随分と古い感じのイコンですね。


こちらのキリストさんも古そうです。


こちらはまだ新しい感じですね。


イコンのほかにもこの天井からのシャンデリアが素敵ですね。


さて、お次は・・・中庭に出見てみました。



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オリーブ工場は元お屋敷??(サラミス)

2011-02-18 19:50:21 | キプロス
今朝は大雨。で、昼間は予報どおりの晴れ・・・だけど風が物凄く強い。

夕べは生暖かかったせいか、なんと池のカエルが活動を始めて初鳴き!あんたたちよっぽどお腹が空いてるの??

今日の大臣の会見、いやになってしまう。調査捕鯨の中止。
いえ、鯨云々のことじゃないんです。やになっているのは。外交姿勢です。
だって、鯨云々を文句言ってる団体って、海の『やくざ』でしょ?暴力に訴え、しかも代表の湾マンショー。どこかのマスゴミのような団体。やらせあり、脅しあり、過剰演出あり。

そんな団体の抗議に屈するなんて、屈辱的とは思わないんでしょうかね?ここの政府の方々は。
情けないを通り越して、○カじゃなかろか・・と真剣に思います。

外交もへったくれもあったもんじゃありません。ヤクザの脅しに屈するような卑劣なことしか出来ないのかとあきれはてて・・エジプトじゃありませんが暴れたくなりますね。

○12月31日(金)

サラミス遺跡のなかをまだ彷徨っているkおばちゃん。
でも、たよりの(勝手にたよりにしてるだけだけど・・)3人組はさっさとお次に向ってしまいました。


で、ここKampanopetra(campanopetra)の聖堂まで来たら、さっきの3人組の他にも観光のお客さんがいるのをみつけて、安心しました。
きっとゴールは近いんだ!ってね。

お次ぎの見学場所は・・あそこですね。


このような案内板がありました。

『オリーブ挽きの建物』とでもいうんでしょうかね。

そう言われても殆どが廃墟の遺跡です。


先程の神殿、とか聖堂とか言われる遺跡にくらべるとたしかに空間が狭いです。


そんな空間の一つにこのような屋根のようなものが係っておりました。

なんだろう・・と中に入ってはみたのですが・・今ひとつわかりません。なにが大切なのか・・

ここはかつてローマ時代はお屋敷として使われていた2階建ての建物だったそうです。


で、その後放棄され・・建物はオリーブの工場として再び利用されたということらしいです。

中庭でしょうか?こんなものが放置されていました。

これはオリーブを挽くなにかでしょうか??判りません。

それにしても、なんであそこに屋根がかかっているのか・・謎のままです。


もう少し先に進むとこのような看板がありました。

『Port street』港への道とでもいうのでしょうか?

石畳がのこっていますね。でむ・・むきが違うか。


この先に港があったのでしょうね。

さて、また二股が現れました。


出口(入り口)の方向は真っ直ぐですね。

あ、これはさっきの野外劇場の客席の背中の部分ですね。


ああ、あそこにあるのは・・コルドバ爺・・じゃありませんけど・・まあアッチです。


左を見ルと・・さっきのギムナジウムの遺跡が見えます。


結局、ショートコースじゃなくてロングコースで見学してしまったんですね。

先程観光バスが止まっていた場所をよくみると、こんなものが・・
おいてありました。

これは梁の装飾部分なのでしょうか?柱の上の部分とはちょっと違いますね。


それにしても体育会系3人組のストーカーをしてへとへとです。コルドバ爺にころがりこんで・・しばらく休憩したいですが、とりあえず次ぎの目的地を考えるkおばちゃんです。あーー足が棒のようだよ!!
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神様は東の海から(サラミス)

2011-02-17 19:01:43 | キプロス
今日は暖かかったかな?まあ、あわてて朝、薬を飲んできたのでなんとか治まっています。お鼻のほうですが。

昨日ニュースを聞いていて・・判らなかったのが、高速道路の通行料金のニュースでどうして一般人(レジャーで車を使う人)の話ばかりするかということ。
だって、高速道無料化っていうのは、そもそも物流コストを押さえる効果うんぬんかんぬんをM党さんは唱えてたんじゃなかったっけ?
それを、マスゴミもすべて忘れたふりして、一般使用者の利便性ばかり言うんでしょうね?
そもそも、物流コストはどうなってるの???

なんかこれも、有権者へのばら撒きにしかおもえないんですけどね。
高速道利用の一般利用者の経済効果なんて殆どないんじゃないでしょうかね?香川の人が言ってました。
高速が値下がりして関西圏から車にのってくる観光客はただ『うどん』を食べにくるだけで、宿泊もしなければみやげ物も殆ど買わないとか。
土日の交通量が増えただけ。地元の経済効果なんかまったくない・・ってね。

たぶんそんな程度の感じでしょうね。

ガソリンの消費と空気の汚染に拍車をかけるだけだと思いますけどね。

○12月31日(金)

さてさてサラミス遺跡をさまようkおばちゃん。
勝手にたよりにしていた3人組の姿が・・・

あ。いたいた!よかった!!こっちでよかったんですね。


おお、これは海の方向に歩いているんですね。あの向こうに見えるのは・・もしかするとヴィローシャVaroschaと言う町でしょうか?

現在はゴーストタウン。それは例のキプロス紛争の勃発のために、所有者のギリシャ系キプロス人が帰れないから・・もぬけの殻の町になっているとか。

おっと、うかうかしているとまた迷子になります。ストーカーのkおばちゃん、頑張ります。


すると、目の前にこんな光景が現れました。


さっきの遺跡よりはまだ『遺物』が多いようですね。


でも、大きさはさっきのアゴラの半分もないかな?


そして、冒頭の画像のように海から直ぐ側の場所にあります。

一番海に近い東側だったとおもいますが、このようなモザイク模様が残っています。

ちょっと大きくしていましょう。


ここは案内板によるとKampanopetra(campanopetra)の聖堂とでもいうんでしょうかね。

5世紀後半ユスティニアヌス1世 Justinianus Iの頃建てられたものだそうです。その当時キプロスで一番美しいキリスト教の大聖堂だったようです。
大聖堂だけではなく、その付属物として集会場や宿泊施設も備えていたんでしょうね。

ただ、その建築物は後に17世紀のアラブ(オスマン)の進入によっては会されてしまったようです。

この辺りは南方向でしょうか。壁も少々残ってます。


初期キリスト教にとってはキプロスはパウロ最初の宣教旅行の同行者バルナバの出身地キプロスのサラミスに到着した・・とあるように大切な場所だったのではないでしょうかね。

南側にはこのようなところもあります。

ここに残っているこの四角い長細い箱状の物はなんでしょうね?


中味はからっぽですけどね。

脇にはこのような小さなお花のような彫りこみがありあました。


ここは1964年からリヨン大学のフランスチームが発掘調査していたようですが、例のキプロス紛争で1998年1月まで中断されてしまったようです。


海のそば・・そしてこの海の向こうはエルサレムへと続いています。約200キロほどでしょうか?
だから、このあたりかもしれませんね。パウロが上陸して伝道を行ったのは・・


神様は東の方向からやってきたのかもしれません。

足元にはこんなちいちゃな植物も可愛い可愛いお花をつけていました。


あれれ・・また3人組を見失ってしまったkおばちゃんです。
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アゴラの賑わいは・・(サラミス)

2011-02-16 19:39:01 | キプロス
今日は一日だけ暖かいとか・・ま、今朝は未だ庭の片隅に雪のかけらが残ってたけどもう大丈夫ね。

エジプトの大統領の辞任についてへーーとおもう記述をみつけた。
それは『なんであの日数、18日間もかかったか。ということ。海外のメディアによる解釈だと、その間に財産の保全および移管を行ったというもの。

30年間にだいぶ蓄財をしていたようで、その殆どは外国にあるんでしょうね。
スイスの口座は凍結を既にされてしまっているようだけども、18日間に必死に保全をはかったという解釈。

ま、真実はしらないけで、日本のマスゴミの解釈と偉く違うんで、へーと思ってしまったのでした。
どっちにしてもkおばちゃんには関係ありませんけどね。

○12月31日(金)

さて、さてサラミス遺跡のロングコースの見学に挑んだkおばちゃん。本とは3人組のストーカーなんですけどね。

ここはSt.Epiphaniusの教会?跡のようです。


このEpiphanius氏は403年に没した司教だったようっです。もちろんキプロスで活動していたようです。この建物は4世紀の終わりから7世紀とありますね。


この広場を去った後に向ったのは・・

こんなところです

ここは・・ため池というのでしょうか?


案内板によるとこんな感じで、ここはある部分の一部だそうです。

上から見るとはこんなです。


これを通って水が溜められたのでしょうか?

おお、kおばばちゃんのストーカー対象の3人組がいってしまう・・


彼らに金魚のなんとかくよろしくっついて歩いているkおばちゃんです。

でも、彼ら歩くの早いんですよね。それに冬なのに半袖半ズボンです。

ここはアゴラと呼ばれる広場だったところのようです。

その一角にさっきのため池もありました。冒頭の画像もうそうですが・・広いです。


確か、昨冬訪れたエフェソス(トルコ)の遺跡にもアゴラと言うものがありましたね。
アゴラとは古代ギリシア都市国家の中心街にある広場,市場のことで、市民の経済・日常生活の中心に位置づけられるところでしたね。

でも、ここは今はkおばちゃんと3人組さんだけしかいません。往時はさぞ賑やかだったと思うんですけど。
入り口そばの遺跡に比べたら・・寂しいですね。

さっきのため池と反対側に小高いところがあります。


ここはゼウスの神殿と呼ばれたところだったようです。


ゼウスの神殿・・つまりヘレニズム時代の権力の場所、だったのでしょう。片隅にこんなものがころがってました。


石と石の間になにやら沢山落ちてます。


よーく見ると、木の実のようです椿の実のちいさいような・・これはなんでしょうか?

この様にアゴラと段で区別され、高くなっています。

てっぺんから反対側の貯水池の方向を眺めます。


おお。もう彼らは戻ってあちらの貯水池まで行ってしまいました。


迷子になりたくないkおばちゃんは必死に追いかけます。

貯水池の側に1本だけ柱が残っています。

上部の飾りもはっきり残ってますね。


大変大変!彼らを見失いました。たぶんこっち・・に行ったんだと思うのですけど・・


おーーい。まってくれーーと叫びたいkおばちゃんです。
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右にしようか左にしようか(サラミス)

2011-02-15 23:38:21 | キプロス
夕べは雪が降ったのです。帰宅途中傘に降り積もる雪の重みを感じて、やっぱり雪国の雪下ろしは大変だな・・とつくづくオア思いました。

政治のほうは相変わらずどたばたしているようで、今日も帰りに通りかかったいま渦中の人が良くご利用になる中華レストランのまえに、報道がたむろしているのを見て・・ああ、ここで懇談してるのね。と。
どっちにしても、馬脚を現すとはこのことか・・と思っています。
選挙の時は擦り寄っておきながら、旗色が悪くなると逃げてしまう・・M党さん。やってることはJ党さんと変わらない・・というかもっとたちが悪いと思ったkおばちゃんです。

○12月31日(金)

さてコルドバ爺のところ出少し身軽になったkおばちゃん。またサラミス遺跡Salamis Tiyatrosu の見学を続けましょう。

さっきは野外劇場に気をとられてしまってここは見過ごしたような・・


円形劇場Amphitheaterですって。

このあたり・・なんでしょうけど、ローマ時代初期に建設されたようですが6世紀の大地震で壊れてしまったそうです。


野外劇場を通り過ぎて、こちらはローマ時代のお風呂跡。


こんな感じで配置されているようです。

ここの石組みは・・さっきの劇場の崩壊した石を持ってきたのでしたっけ?


ここを見学しようと思ったら・・さっきの団体さんのメンバーのお一人の女性がひょっこり現れました。あれれ?一人??
と思ったら・・さーーとカメラで撮影するとあわててバスのほうへ・・きっと、ちょっとの自由時間をさいて見学にきてらしたのでしょう。

それともう一組・・突然遺跡のなかからぬーーとあわられたのは3人組。親子でしょうか?
最初はびっくりして固まってしまったkおばちゃんです。

びっくりしたkおばちゃんですが・・彼らを見て・・とっても確かな足取りで歩いているのを感じました。まるで慣れてる!!
ガイドブックもみていないし、(kおばちゃんはかじりついてます)地図ももちろん見てません。

で、冒頭の画像のような案内板のところに来ました。

文字のところを大きくするとこんな感じで書いてあります。右に行こうか左に行こうか迷いました。


つまり、左はショートコースの見学で、こちらは終わったのではおしまいなので。
右に行くとロングコースになります。どうしようか・・とまよっていると、さっきの3人組さロングコースに向かってゆくのはみえました。
で、とっさにkおばちゃん彼らについていくことに決めました。

ロングコースはまづはここからです。

こんな道が続いています。


これやローマの並木道colonnadeだそうです。
並木というよりは列柱通りですかね。

こんな道を彼らはすたすたと歩いていってしまいます。

ああ、なんと体育会系の人たちでしょうか。

石畳道は終わってこんな道になりました。

道端にこんな植物が生えています。まるでブロッコリーの茎ににんじんの葉っぱがついているようです。

こんなところに到着です。


7世紀のビザンチンの壁だそうですが・・

壁??


そしてこちらは・・・


花崗岩のフォーラムgranite forum?うーーん、そういわれても・・

そしてこちらは・・さっきのところよりも状態がよいですね。



さっき団体さんが見学していたエリアに比べると・・損傷が激しいのか、発掘の手が及んでいないのか・・ですね。
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劇場は団体さんにも人気(サラミス)

2011-02-14 19:42:38 | キプロス
今日は・・花粉症の症状がこの季節きってはっきりと出てしまった。いよいよ本格的シーズンに突入。

エジプトの騒動はなんとか鎮静化?判ったような判らないような結論。
だって、軍事政権のバックは元大統領でしょ?元大統領はあくまでも『辞任』したくなかったんでしょうね。男のプライドというやつで。
でも、このままでは収拾がつかない・・ということで、とりあえず軍隊に政権を委譲して『辞任』という格好をとったように思います。

もともとは、元大統領がその政権を『息子』に委譲する道をつけようとしてのが発端なんじゃないでしょうかね?
臨時といわれて30年。しかもそれを『世襲』するようなかっこうに持っていこうとした。
しかもエジプトの平和は、アラブのせかいでは珍しく強い結束の『軍隊』があるから。で、だれも『悪口』言えない。それだけ『軍隊』に手厚い予算を組んでいたんでしょうね。

自由に物言いが出来るようになるのは良いけれど、段々イスラム色がつよくなってゆくのも考え物。ということでしょう。
昨日もお仲間との話で、結局日本の場合は自然が『防衛』してくれてた国家でズーーと来てしまった。民主主義だって『与えられた』もの。だからありがたみも判らない国民になっているんでしょう。
平和ボケのkおばちゃんもたまに外国に出かけると、日本の国のありがたさがひしひしとわかります。

○12月31日(金)

さてさて、サラミス遺跡の見学を続けるkおばちゃんですが・・体育会系の見学は終りにしてお次へと向います。

入り口にはこんな案内版が。

ここはご覧の通り、紀元前1世紀アウグストゥス時代から4世紀まで使われてたんでしょうね。


その形からも判るように劇場です。

何人かもう見物のお客さんがいらっしゃいました。


と思っていたら・・よく見ると『東洋人』です。


しかも沢山・・・西洋人も団体さんでおりました。西洋人の方は聞こえてくる言葉は『ラテン語』系の言語です。スペイン?イタリア??
東洋人は・・最初は判りませんでした。何処のお国か。
向こうも『じろじろ』とkおばちゃんを見ます。うーーん。このじろじろ視線は・・多聞にニッポン。
そうなんですよね、K国や今経済状態の一番良いC国の団体さんは、すごく『やかましく』自分達のことに一生懸命。すれ違う東洋人のことなんかあんまり気にしない。もしくはニッコリと『銅法的挨拶』をしてくるんですけど・・わがニッポンジンは『こいつダレだ?』的視線をもろに投げかけてきます。

階段ですれ道を譲って下さったご夫妻に『ありがとうございます。』と日本語でお礼を言ったら、『あら日本の方ですか?』と聞かれてしまいました。おまけに『何処のツアーですか?』とのこと。
『いえ、ツアーじゃないんですよ?』とお答えしたら『何処からいらしたんですか?』と聞かれてしまいました。
一番難しい質問です。『今日何処から?』とか『日本の何処から?』とかいう質問なら直ぐにお答えできるのですが・・相手が何を知りたがっているのかわからなくって。
で、逆に『皆さんはどちらから?』とお尋ねしたら、なんと今日ラルナカ(南キプロス)の空港に着いたばかりなんですって。
で、kおばちゃんは『あら、南からいらしたんですね。私は北に滞在してます。』とお答えしました。

お話したご夫婦はとっても感じの良い方で・・ただし・・団体行動なれしてらっしゃらないのか、見学に遅れてました。
で、ここまでの会話で『ああおいて行かれてしまう』ということでお別れしました。


まあ、こんなところ日本に方にお会いするなんて。とびっくりです。
だって、さっきから見学者はkおばちゃんしかいないのか・・と思っていたからです。

日本のパックツアーもなかなか面白いところを回るようになってきたんだな・・と思ったkおばちゃんです。

とりあえず、一番てっぺんまで上って見ました。下に人がいるのがみえますが、あそこがステージです。


もともとこの劇場の座席はこの倍の高さ位まであったようです。50段。収容人員も15000人。
今の半分の高さでこれですかた・・当時はもっと怖いですね。

この若者達はやはりイタリア系のようでした。右上の方にさっきまでkおばちゃんがいた体育会系の遺跡があります。


先程の団体さん達はみなさんあちらに向ってますね。


これは座席ではなく通路です。

階段状になっており、座席の部分よりステップの高さが低いですね。

この石のテーブルのようなものは舞台の丁度中心部分でしょうか?どうもディオニソスを祭ったところのようです。


皆さんここに腰掛けたりして記念撮影してますね。

この劇場は4世紀の地震で大破し、その崩れた石を使ってローマ風呂が造られたとか。

片隅には腕も頭もとれてしまっている女性像が佇んでます。

こちら楽屋だったそうです。

ちょっと歩いたら厚着をしていたkおばちゃん、暑くなってしまいました。で、コルドバ爺のところに荷物を置きに行ったら、一台のバスが・・


あら、これがあのグループのバスですね。

ホラ日本語が書いてあります。


南も北も自由に行けるようになった『平和が近づいた』キプロスだからできるツアーですね。
kおばちゃんも参加すれば良かったな・・と思いました。
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ローマ時代のスポーツジム(サラミス)

2011-02-12 23:59:13 | キプロス
今日はとっても寒い。
で、おおばかなkおばちゃん、お鍋を火に掛けたままるすにしてしまいまして・・帰ってきたらお鍋の中のものが炭になっておりました。
お家がすみにならなくて良かった・・
次からは絶対に気をつけます。

○12月31日(金)

サラミス遺跡の見学を始めたkおばちゃん。とりあえず向かった先こんなところ。


立派な柱がぐるりと残っている。

でも、ここに入る前にちょっと右側の方へ方向転換。


廃墟のようだが何か残っていそうです。道が付いています。


中に入り込むと冒頭の画像のような景色になりました。
手前にある八角形のものは水がたまるところのようです。

床もモザイクとまでは行きませんがタイルが残っています。

その先の部屋はちょっと珍しい構造になっています。


床の下に柱が林立してます。柱の構造もちょとお目にかかったことがないような・・


なんでもここはギリシャ・ローマ時代の蒸し風呂。スチーム・バスだそうです。
この床の下を蒸気がとおっていたようです。

で、こちらにもある八角形のくぼみは冷たいプールだったようです。

蒸し風呂でほてった体を冷やすためのものだったのでしょう。

こちらの一角にはずらりと像がならんでいました。


この像右手前は凛々しい男性像ですが、


左奥のほうは麗しい女性像です。


これらが当時の理想のプロポーションだったのでしょうか?

そのさきは先ほどそとから見た柱がぐるりと並んだ一角です。


真ん中におおきな太い柱のあとがありますね。

等間隔に見事に残ってます。


ここは体育館とでもいうんでしょうか。

ギムナジウムだったところだそうです。

足元にはこのように無造作に天辺の部分が転がってたりします。


なんか鋭利な刃物で切り落とされたようにもみえますね。

こちらはちょっと石の材質も大きさも違うようです。


あら、こんな変わった形のものがありました。


ハート型ですね。どこかコーナーの土台だったんでしょうか?


こちらのほうはプールだったのでしょうか。床の模様は美しい。


で、こちらは・・44人が一度に使用できたというトイレでしょうか?


画像の順番がよくわかっておりませんで・・

それにしてもこちらは、現代でもあるスポーツジムのようですね。
体を鍛え、各種のお風呂に入って・・

人間の基本はかわらいということですね。
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お車のままどうぞ(サラミス)

2011-02-11 23:59:29 | キプロス
今日はやっと一日のんびり出来る・・と思ったら何だかだらけてしまった。
外は最初は雨・・後雪。で、夕方には庭も白くなり始めた。
明日お出かけしなきゃいけないkおばちゃんにとってはぜんぜんありがたくないんだけど・・

で、だらだら一日している。
夕べお仲間と話していて・・最近まで休職していたお仲間の話になって、完ぺき主義はいけない・・という結論。
まあ、いけないといわれていてもこれも性格。だからよけい葛藤するんでしょうね。

不完ぺき主義のkおばちゃんとしては・・爪の垢をもらわないとね。

○12月31日(金)

さて、マウサmağusa(ファマグスタ)の見所は・・まだありますが、殆どが『教会の廃墟』じゃないかと思っているkおばちゃん。
なんせ、ベネチアが支配していた時代は、貴族たちはこぞってその富の明かしと信仰深さの証明として教会を建立し寄進していたとか。だからこの城壁の中に沢山の教会が建っていたという話ですもんね。

でも、キプロス戦争で荒廃してしまって・・ただの廃墟になってしまっているのであまり見学の価値は内容に思っているので、もうこれでマウサの見学は引き上げることにしました。

それに考えてみたら、今見てきた『王宮の後』というのが、オペラ『オテロ』の舞台だったのよね。タワーのほうじゃなくて・・なんて思ったりして、もうこれで十分です。

お昼は過ぎていたのですが・・どうもお腹はあまり空いていません。
とりあえず、コルドバ爺を止めた前のカフェでなにか・・とも思ったのですが、お客さんが入っていない・・と入りにくい。
で、ま、良いか・・でコルドバ爺に乗り込んで次の目的地に向かうことにしました。

といっても・・はっきりした場所もルートもわかっていません。ただ、今いるところよりも北、そして海のそばということだけです。
まあ、適当なkおばちゃんですからあまり悩みません。とりあえず出発!で左側に海を感じながら走っていたつもり・・だったのですが、どうも一箇所間違えたようで、引き返して・・なんとかそれらしき案内板(しかもトルコ語じゃなくて英語でかいてある)ものを発見して、入り込んだ道を驀進します。

やっと行き止まりになり目の前に飛び込んできたのはこんな風景でした。


夏だったら、最高の海水浴場なんでしょうね。遠浅の感じがします。

でも、kおばちゃんの目的地はこんなとこじゃ無いはずです。と思ったらあちらから車が・・


おそるおそるkおばちゃん、そちらの方向にコルドバ爺を進めます。

お、入り口があってなんか書いてありますね。ゲートも見えます。


おお!ここだここだ!

チケット売り場とおぼしき小屋があります。kおばちゃん、『一人ください』とチケットを購入。
すると、ゲートの遮断機が上がりました。あ、コルドバ爺ごと回れるのかしら・・なんてサファリパークのような感覚に陥ってしまいました。

でも考えがあまった・・少し走ったら駐車スペースとなり、それ以上は乗り入れ禁止でした。ま、それもそのはずですよね。
だってkおばちゃんの目的地はここサラミス遺跡Salamis Antik Kentiなんです。遺跡に車乗り入れはさすが何でもアリのくにでもねえ・・

googleさまだと一応ピンクの矢印のところにコルドバ爺を止めました。

他にも1台止まっていましたが、もう見学お終いでしょうかね。


ここに遺跡の全体地図がありました。

結構広いです。短いコースと長いコースがありました。さてどっちにしよう・・
とりあえず青い短いコースにしておきましょう。あっちですね。まずは・・


ここ、サラミスはその名が示すとおり、サラミスの海戦で有名なギリシャのサラミス島Σαλαμίς Salamísとの関係も示されていますが、一番古くは紀元前11世紀の青銅器時代からの歴史があるようです。
また、キリスト教流布のために、パウロが上陸したところとして知られており、その状況は『新約聖書 使徒言行録 13章5~8節』に描かれているということです。

でも、ここの遺跡として残っているものの大部分はローマ時代のもののようです。

kおばちゃんの他に見学者がいなくなってしまいました。


あそこでしっかりとコルドバ爺は待っていてくれてます。

そうそう、コルドバ爺は走行距離こそ大ベテランですが、結構良い走りをしてくれていて安心安心です。

だんだん遺跡らしい景色になってきました。


だんだん楽しみになってきました。

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歴史を見守る無花果(マウサ)

2011-02-10 19:43:36 | キプロス
今晩は雪が降ると大騒ぎしております。
これから連休なんですけど・・kおばちゃんはちょいと野暮用があったりして余り関係ありませんが・・お休みの日にお天気が悪いのはがっかりですね。

九州の宮崎、鹿児島は噴火で大変だとか。降灰が水分を含むと偉いことですよね。
特に高齢者の多い地域は灰の処理が大変な負担になっているとか・・

で、kおばちゃん不思議に思うことがありました。
それは・・今暇であろう大学生のボランティアをなぜ積極的に活用しないかということです。
今は入試のシーズンだから学校はお休みの所が多いですよね。
先日の新聞記事によると、最近の就職活動で重要視されるのが『ボランティア活動』だとか。で、その点数を稼ぐ為にわざわざ外国にボランティアをするツアーが組まれていてそれに参加する学生が多い・・とありますた。

だったら、なにも外国に行かず、国内で活動をすれば良いのに。
で、ついでに旅行客のキャンセルで悲鳴を上げている『旅館』を借り切って、みんな大部屋につっこんで、食事は朝も晩もバイキング形式にでもして宿泊コストを押さえて・・2食込みで5000円程度。だいたい1週間でローテーションできるような連泊で、その間のシーツ交換もしないで安く押さえる。

昼間は各地域で後輩処理のボランティア・・で、夜は温泉で休むツアーなんてやったら良いのに・・と思ってるんですけどね。

若者が入ると活気がつくしね。
旅館は営業収益は上がらなくても、知名度と貢献度がアップするんじゃないでしょうかね?
こういうことは迅速にやらないと意味無いしね・・

何でこういうツアーを仕切らないんだろうな?と思ってるkおばちゃんです。

○12月31日(金)

マウサmağusa(ファマグスタ)の城壁のほぼ中央に建っていると思われる『Lala Mustafa Paşa Mosque』はもともとはキリスト教の大聖堂だったようです。


その名も・・St Nicholas Cathedral聖ニコラウス大聖堂だったそうです。
1298年から1312年にかけて、フランスのランスの大聖堂(ランス・ノートルダム大聖堂Cathédrale Notre-Dame de Reims)をモデルに造られたそうです。もともと、Lusignan はフランスの出ですもんね。

1571年のオスマンとの戦いにおいて大破してしまったそうです。で、ここでエルサレムの陥落(1187年)以降『Kingdom of Jerusalemエルサレム王国』の戴冠式を行い、Lusignan家は『エルサレムの王』と名乗っていたとか。

そういえば、薔薇窓がおフランスしていますよね。

このジャミーの前は広場のようになっています。


そして丁度、ジャミーの反対側に門のような物があります。


一見すると門のようなのですが・・ちょっと違う??


2重の構造になっています。

このエンブレムの上にいるのも翼を持ったライオンですかね?

ここは門ではなくて王宮だったところのようです。Palazzo del Proveditore (The Royal Palace)
1369年のPeter IIの時まで使われていたんでしょうか。
その後、地震で大破してしまい、オスマン征服後は『刑務所』として使用されていたとか。

この門のようなものをくぐったさきにあるこのあたりは宮殿の内部で、あちらはまた別の建物だったんでしょう。


この建物は昔の建物を利用してある見たいです。

振り返ってジャミーを臨むとこんな感じです。


こちらもかな崩れてますが・・教会だったんじゃないでしょうかね?


大きな窓がなんとなくステンドクラスを連想させます。


宮廷内だったと思われる場所は公園のようになっており、このように大砲の玉が本物も交えておいてあります。


面白いなと思ったのは木の生え方。よっぽど片側からの風の吹き方が強いんでしょうか?


木と言えばこのジャミーの前に茂っている木は大変長生きの古木だそうです。1220年にはもう植えられていたとか。800年近くの歳月を生きているらしいです。
アフリカの北東部によく見られる木で エジプトいちじく (エジプト無花果) という木だとかFicus sycomorus。

この複雑なキプロスの歴史をずーーと眺めてきたんですね。

そろそろ、コルドバ爺のところに戻りますかね。

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金曜礼拝(マウサ)

2011-02-09 19:21:25 | キプロス
今日のお天気はめまぐるしかった。
朝は・・小雨・・で雪、お昼からはお日様が。天気予報どおりといえばそうナンですけどね。

それに花粉も少々・・あーいやだ。

朝の電車の中での出来事。kおばちゃんのおとなりにいた女性が突然『ちかんです』と声を上げたんだけど・・ホントにそうだったのかな??
そのあとは、次の駅につくまでだんまり。その女性は次ぎの駅で降りて言ったのだが『込んだ電車だからった痴漢しないでください』と言い放っただけだった。

痴漢行為をしたという男性はそのまま電車にのってたけど・・う・・ん・・どっちかな??

以前も同じような状況にあったことがあるけど、そのときは痴漢行為をした人を被害者の女性は告発して駅員さんに突き出して言ったのだけど・・今回のは??

確かに今日はものすごく混んでいた。混んだ電車に乗る極意は・・乗り込んだら絶対に動かないこと。手もむくめて、もぞもぞしない。バランスが悪いようだったら電車のゆれにあわせて徐々に態勢を変えて行く・・だとおもうんですけど。
最近の若者は自分の居場所の権利を主張したくってグイグイと押してくる輩がいるけど、こういうときに誤解されかれないですよね。

被害を訴えた女性、まだ20代前半にみえたけど・・ホントに痴漢だったのか、それとももぞもぞされたのを誤解したのか・・kおばちゃん的にはどっちもどっち・・なんて思ってます。

あ、お年よりのkおばちゃんは痴漢の表的にはなりませんね。

○12月31日(金)

『オテロ・タワーOtello Kalesi』の見学はもうお終いにしましょう。思ったほど大きくも無かったし・・・
なによりも廃墟だったのにはがっかりでしたけれどね。

窓口でもらった案内には(最初は渡すのを忘れられていました)ベネチア時代の壁の内側に黒いラインで描かれた中世の壁という標記がみえます。


もう一度ベネチアのシンボル、翼のあるライオンのレリーフの下をくぐり外に出ました。


お次は何処へ・・向いましょうか?

このニャンコ、さっきkおばちゃんが塔に入る時に一緒に入ってきたニャンコですね。一緒にでましょう。


そういえば、さっきコルドバ爺を止めた直ぐ脇になにやら由緒ありげな『廃墟』がありましたね。

再び海の門の前を通って行きましょう。

コルドバ爺は無事のようですね。

いえ、あそこはレストランの前というか・・だから長時間止められないんじゃないかと思っているのですが、パーキングメーターもみあたらないし・・ただし一番端の方はタクシー専用という標記だけは見たんですけどね。
レンタカーもコルドバ爺の他にも1台だけは止まっていたので・・その付近の住民専用では無いと思うのですがね。ちょっと気になったりします。

さっき気になったのはこの『廃墟』です。表に回ってみましょうかね。


こちらの方が少々人出がありますね。


ちょっとした広場になっています。


広場にはまた別のニャンコ達がいました。早速日本から持ってきた小魚を・・みんな必死に捜してます。


こちら側からだと随分と立派な佇まいです。

それに・・『塔』がついています。アレはどうみてもイスラム寺院の塔、ミナレットですよね。
ということは・・ここはモスク??のようです。
丁度、礼拝時刻の告知するアーザンが始まり・・町中に響き渡り始めました。
すると・・あらら続々と集まってきます。それも男性ばかり・・

ここは『Lala Mustafa Paşa Mosque』モスクでした。後から見た時は廃墟かとおもいましたけどね。

子どもも大人も集まってきました。

中にいるこの方がアーザンを響かせているんですね。ちょっと喉自慢だったりして・・


そういえば、今日は金曜日。たしかムスリムにとって金曜日の礼拝は大切なものだと聞いたことがあります。
キリスト教で言えば『日曜日』みたいに。だから皆、モスクに説教を聞きにゆくのだと・・

調べて見たら、定められた集団礼拝(サラート=ル=ジュマァ)の日だそうで、これはムスリムととしての義務。ただし、男性にだけ課せられた義務だそうです。
で、かねてから疑問に思っていたこともわかりました。『金曜礼拝』の日が稼動日かどうか・・ということですが、全能の神アッラーは、自らの天地創造の仕事に疲れなんてことはないので『安息日』はないそうです。
だから、礼拝の前に仕事をちゃんとするんですって。

こちらでは礼拝前にお清めではありませんが、手足を洗って清めることをウドゥーWudu:abdestとよばれるそうです。


蛇口から流れ出る水を右手のひらに受けて、バスマラを唱え、両手を手首まで三度洗う→ 右手に水を受け三度口をすすぐ→右手に水を受け三度鼻孔に吸い込み、すすぐ→ 顔を額の髪の生えぎわからあごまで、また両耳のところまで三度洗う→ 右腕次い左腕を、肘のところまで三度洗う→ ぬれた両手のひらで頭を前から後になでおろす→ ぬれた指で両耳孔と外側をぬぐうのがよいとされている(随意)→右足次いで左足をくるぶしまで水を注ぎながら三度、指の間までよく洗う。

こんな複雑な規定があるんですね。これも宗派によって微妙にことなるようですけど。

残念。礼拝中は建物の中には入れませんからね。
そうそう、今日は金曜日で大晦日ということを改めて思い出したkおばちゃんです。
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兵どもが夢の跡(マウサ)

2011-02-08 22:47:26 | キプロス
夕べ新聞を見ていたらローザンヌ国際バレエコンクールの日本人入賞者の記事をみつけた。
その下に優勝者の名前があったのだが・・ブラジルからのMagri Mayaraさんとあった。

ブラジルのバレエといえば以前見た番組のOnly When I Dance(跳べ!世界へ ~リオの“リトル・ダンサー”~)で、リオの貧困地区の子どもにバレエの道をひらいているMariza Estrella女史を取りあげているましたが、その中でこの地区出身の男の子のダンサーがローザンヌで優勝していた・・とやっていたのを思い出しました。

...Magri Mayaraさんがこの地区の出身かどうかは知りません。

ベネズエラにあるEl Sistema というプロジェクトで育った貧困地区の青年達が音楽界で羽ばたいている姿をみるにつけても、子どもの才能を生かすって大切だと思いますね。

それにしても・・今の首相の答弁『いまやろうとしてるんです!』って子どもじゃないんだからさ。
まるで、『勉強しなさい!』て親に言われた答えのような答弁ばかりでなさけなや。

○12月31日(金)

マウサmağusa(ファマグスタ)のオテロ・タワーOtello Kalesiの見学はまだ続きます。
城壁の上の部分?から下にまた降りてきました。


中庭のようなところです。画面左側はさっき見たホールのような天井の高い室内の建物です。

この中庭、あまり広くありません。テニスコート半面くらいでしょうか?壁に沿ってこんなものがおいてあります。


その昔は大理石の柱状のものがあったのでしょうかね?


明らかに壁と石質がちがいますね。

こんなものも立てかけてあります。イタリア語?でしょうか??


Victolという単語しかわかりませんでした。

こちらに無造作に転がっているのは・・


400年の風と雨の中にさらされた大砲。これは銃口に沿って鉄の輪があるのでトルコ式のようです。


ごろごろと転がっているのは砲弾。ほとんどが鋳鉄のようです。

こちらはさっきのホールの建物の入り口ですが・・


このように首のない像が何気に立ってます。


こちらはその建物と反対側の部分・・だったと思いますが・・入り口からして『部屋』という感じではありません。


中に入ると・・このようなトンネル状になっているだけです。

振り返えってもこんな感じです。

こちらはまた別の部分の建物?ですが・・

やはりこのようなトンネルのようになっています。横からの窓がありません。
その代わり?天井に明り取りのような孔があいています。これがさっきkおばちゃんが城壁の上でみた孔ですね。

その上、入口はこのように小さいのです。

これは何でも防衛上の構造だとか。たしかに窓が多いと、建物としてはもろいですからね。
これらの構造はベネチアの支配下にあったときにやってきたレオナルド・ダビンチの助言に従ったとか。

そうそう、このオテロ・タワーの外壁の『塔』の部分も、丸みを帯びた構造になっています。
これも、敵からの襲撃があったときに、玉があたりにくい・・というためにこういう構造になったということです。

ところでこれはちょっと新しい感じがしますね。

国連平和維持軍がはいってからのものでしょうかね?

狭い(ギルネ城にくらべたら)構造でありながらも、無造作に過去の遺物が転がっているさまをみると『兵どもが夢の跡』という言葉を思い出したkおばちゃんです。
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キプロス紛争の爪跡(マウサ)

2011-02-07 23:50:26 | キプロス
きし麺地方の選挙が終わったそうで・・その結果は予想通り。
結局日本の国民は『ノー』という意思表示はできるのだが、じゃあどうしたいの??という具体策は出せない、というか人のやったことに文句いうだけで作り上げるドジョウが無いんでしょうね。

最近の政府の方向は、経済に関して言えば『消費税率の引き上げ』ばかりいっているけど、これこそ日本の国民に一番嫌がられる増税の方法。
もし、本当に税収を上げたいのであれば、流通産業をもっと大事にすればよいのだと思うのですけどね。
最近の政策はその逆、いかに流通業を『中ぬき』して物流させるかの話ばかり。

ちょっと考えれば、たとえば生産者から100円のものを消費者に流通させた場合、生産者が直接消費者に渡してしまえば、5円の消費税しか国庫にはいらないけど、それが卸業者、仲卸業者、商店と3段階を経れば、儲けの分は別にしてそのたびに5円ずつの消費税が発生するンと違いますかね??20円の税収ですよね?

消費税率を上げるよりも効率よいのじゃないですか?そのうえ、業態が色々発生して雇用も発生すると思うんですけど。

なんでもコンパクトなんて言葉で片付けて、6次産業なんて言葉も作り出しちゃうようじゃあ・・末端の消費税しか考えないの変だと思うkおばちゃんです。

○12月31日(金)

長年の憧れの地マウサmağusa(ファマグスタ)のオテロ・タワーOtello Kalesiの見学をはじめたのですが・・ほんと規模が思ったより小さいにです。
廃墟に近い『小さな砦』という感じです。

この様に大部分が天井も抜けてしまっています。

ふと下を見ると、古い石に混ざって、なにやら新しい『石』が見えます。なんでしょう。


これが異質な感じがしました。

不精してズームしてみました。

1974(7?)年7月28日と一番天辺に彫ってあるように見えます
その下のエンブレムをはさんだUNの文字。これは国連軍のことではないでしょうかね?

年号が1974年ということは無いとは思うのですが・・というのは、その1974年7月に起こった出来事で現在の分断されてしまったキプロス島の姿になってしまったからです。

地中海貿易の中継地点として、古代から栄えてきたキプロス。
しかし、それは島の統治の歴史でもり、近年、オスマン帝国誕生後はおおむね2つの文明、キリスト教(ギリシャ系)とイスラム教(トルコ系)が交錯していたのですよね。微妙なバランスをとりながら。

ところが1974年7月15日にギリシャ軍事政権の支援を受けた併合強硬派がクーデターを起こしてマカリオス大統領を追放したことをきっかけに、トルコはトルコ系住民の保護を名目に7月20日キプロスに侵攻。
これにより7月22日にクーデター政権が崩壊。しかしこれを期に、トルコ軍はキプロス分割問題の解決をしようと8月13日に第二次派兵。それ以降首都ニコシア以北のキプロス北部を占領、トルコの支持を得たトルコ系住民は1975年、キプロス共和国政府から分離してキプロス連邦トルコ人共和国を発足させ・・

年号が1974年というキプロス紛争勃発の年なんです。停戦が発効したのは1974年8月16日。
ですから、国連平和維持軍UNFICYPがここマウサに進攻してくるのはもっと後だと思います。

一昨年の南キプロスでは、高速道路などでよくこの国連平和維持軍UNFICYPの車を見かけましたが、こちら北キプロスではまだお目にかかったことがありません。
(UNFICYPのお仕事はここにあります。)(トルコ軍のキプロス進攻についてはここにあります)

石の真ん中に書かれているのは・・人のなまえでしょうか?判りません。どなたかご存知でした教えてください。

キプロスの現在の姿はこの様に南北に別れ北の赤い部分が北キプロストルコ共和国Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyetiと呼ばれる部分です。


こちらの地図は Wikimedia Commonsからのものです。1960年ころのトルコ系とギリシャ系の人口の分布を示しているそうです。


本とはこんなに混在していたのよね。

紛争の種なんて、どちらかが悪いというものではないと思います。だからkおばちゃんには何もいえませんけど。

城壁に囲まれたこの町そのもだって、過去からの人間の紛争の象徴ですものね。

ここから、さっきkおばちゃんがみた、海の門の『海側』が見えますね。


こちら側は、先ほど見た北キプロス軍の施設です。あら、下に門があったんですね。


城壁の上にはうっすらと草が茂っています。


反対側を眺めると、船がすぐそこに・・オテロの率いた軍船もこんな感じで見えたのでしょうか?


そうそう、生えている草はこんな感じです。乾燥している地にへばりついてるようです。


これは所々に開いている『穴』です。明り取りでしょうか?でも雨がふったらねえ・・


こちら側は砦の向こう側にさらに壁があります。

石組みのハザマから見える風景は平和そのものなんですけど、紛争の解決はなされてないんですよね。
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オテロタワーは今も昔も軍事拠点(マウサ)

2011-02-06 22:32:00 | キプロス
今日は日曜日。お休みではあるけれど、野暮用の忙しいkおばちゃん。
一日お疲れ様だったので、ついつい甘いものにはしってしまった。ああ・・

今日出かけた郊外の町の和菓子屋さん。けっして老舗ではなく、昔はどこの町にも1軒はあったような・・というようなお団子やおはぎ、お赤飯なんか売っているお店。kおばちゃんのご近所にもあったけれど・・いつの間にか無くなった。
高齢の店主が店をたたんだんだと思うけど、子どものころから結構好きだったのがこのお年になって認識しました。

で、野暮用で出かけた先の町にあったのでつい懐かしくて色々買い込んでしまいました。

○12月31日(金)

マウサmağusa(ファマグスタ)の町にやってきたkおばちゃんは、長年の憧れの地にやっと辿り着きました。
入り口で入場料を払い、この門を入れば・・

この入り口の上に掲げられているのも、翼を持ったライオン、ベネツィアの守護聖人、聖マルコのシンボルですね。ここもベネツィア支配の時代の遺物です。

入口から中に進みましょう。

目の前にあらわれたのはこんな空間です。


うーーん、kおばちゃんの想像とちと違いました。

そうそう、なんでkおばちゃんがこんなところに来たかったのかという動機をまだ明らかにしていませんでしたね。
実はこの場所は通称『オテロ・タワーOtello Kalesi』と呼ばれている場所です。
オテロとはオセロ呼ばれるシェークスピアの悲劇ですね。で、それを元にオペラが何曲か作られています。

その中でも有名なのは、やはりジュゼッペ・ヴェルディのオペラでしょうね。
イタリアのオベラの場合はOtelloという書き方なので『オテロ』。シェークスピアの戯曲の場合はOthelloなので『オセロ』と呼ばれることが多いようです。

で、オペラのオテロを昔、お手伝いしたことがあって、その舞台が『キプロス』というところであると聞き、訪れてみたなと思ったしだいです。
シェークスピアがもちろんここを訪れたことはありません。もともと彼の話は各地に伝わっていた伝承のような話が元になっているとも聞いていますけどね。

オペラのお話はシェークスピアの物語の第1幕に相当するところがばっさり切り落とされて、激しい嵐のなか、トルコ艦隊を打ち破ったオテロに率いられた船団が島に帰還する処から始まります。
物語の時代は、このマウサがベネチアの支配下似合った時代になっています。
主人公オテロはムーア人でヴェネツィア領キプロスの総督ということになっています。

このオテロ・タワーはもともとはェネツィア支配の前のリュジニャンLusignans朝の1192年に建てられたもののようです。
その後、先ほどの海の門と同様にNicola Prioliによって改修、増補されているようですね。

で、kおばちゃんの想像というのは、あのオテロの物語からの想像で、昨日見学したギルネ城のような大きさを想像していたのですが・・1/4位の広さしかありませんでした。

googleさまのサテライトでみてもこんなもんですからね。

中庭に入って周りを見回すと・・たぶんホールがあった部屋への入り口と思われるものがありました。


なんかいかにも後世に入り口をふさぎました状態ですね。

とりあえず中に入ってみました。

すっかり荒れ果てていますが、高い天井が広間だったことを物語っていますね。

手入れをされていない壁面の隙間には

はとが入り込んで巣をつくってしまっているようです。

荒れただけではなく、変に埋められてしまっているのも・・ちょっとがっかりです。

とりあえず上に登れるようなので、あがってみましょう。

中庭はこれだけの広さしかありませんね。


あちらに見えるは、さっきkおばちゃんがコルドバ爺を止めた教会のある方向です。


こちらは町外れの方向ですね。


そしてこちら側は直ぐ先は海、船が見えます。


さっき覗いたホールはあの部屋ですね。


あの先のほうはどこかに向かっていますね。


有刺鉄線が張られているので、あちらへはゆけませんけどね。

あの、赤い看板はたしか『軍事施設』のマークだと思いました。おお、危ない危ない。


オテロ・タワーは昔も今も軍事の要なんですね。

港はこのように、コンテナ船も入る本格的なものですね。
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海からの玄関(マウサ)

2011-02-05 22:46:01 | キプロス
今日はお休み。しかし・・暖かくなりそうなので花粉症の薬をもらいに行きました。

まだまだピークではありませんけどね。
アレルギー症状が出始めたらたまりませんから。

寒くはないけどお日様がちょっと寂しい。

で、表に出たら・・・このところの乾燥気候で地面がぱさぱさになってるところがあるのだけれど・・そこにニャンコの○ンチが・・
あのね、ここ砂場と違うよ!いったい何処の野良の仕業か!

午後からのお出かけのついでには・・ついついお気に入りのタイのお惣菜屋さんで高カロリーの物体を仕入れてしまった。ああ・・

○12月31日(木)

マウサmağusa(ファマグスタ)の町を歩きはじめたkおばちゃん。
実は目的の場所はあるのですが・・そこに辿り着く前にもちょっと見かけた気になるところに寄ってみましょう。それがここです。


ここはPorta del Mare (Sea Gate) といわれるもの。いわゆるここ城壁都市のマウサの海からの玄関口にあたるようです。
ベネチアの支配下にあった 1496年、Nicola Prioliによって製作されたとか。その時に城壁も増補されたようです。

しかし残念ながらこの門は現在使用されていないし・・回収中??


この門は城壁の一部になっているので、つくりとしては『塔』のようになっており、上に登れます。


上部からの眺めは・・当然海側が望めます。


ここが天然の良港であったことは、比較的大きな船がぐそこに接岸されているのでもわかります。


ここでも若者が記念写真をとりまくってます。


実はこの門は海側からのアプローチのほうが特徴があるそうです。


こんな感じで・・これは後ほど訪れた場所から撮ったものですけどね。

入り口の上部に掲げられているのはライオン。
これはベネツィアの守護聖人、聖マルコのシンボルである翼をもったライオンの大理石の利レリーフです。

実はkおばちゃんのいるい城壁の内側にもころがっていたのですが・・気がつかなかった・・あまりにぼろぼろなのと・・ひょこっと転がっていたので。

だって、その上で子どもたちをのっけて記念写真なんかとってましたから。
このようにね。

ここからお借りした全身図です。

しかし、このライオンの口に手をおくと巨万の富を得ることができる・・という伝説はしりませんでした。
だから手をつっこんでいないkおばちゃんは・・・相変わらず貧乏脱却できません。

さあ、いよいよ大本命に向かいましょう。こっちですね。


この傍らにあるのも教会の残骸でしょうかね。


城壁沿いに歩いてゆきます。


あ、あそこですね。入り口が見えます。


3年来の憧れ??の地にやっと到着です。
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