Kおばちゃんのつぶやき

日々徒然に思うことの備忘録

なんとなく中心地(マウサ)

2011-02-04 23:28:01 | キプロス
今日は比較的暖かいよう。こうなると心配なのが・・花粉症。
とりあえず、火曜日に危なくなったので薬を早めにのんではあるんですけどね。

ここのところ騒がしいのが相撲の話。
まえまえから『うわさ』のたえなかった賭博、と『貸し借り』の話。
もともと、相撲が紳士的なスポーツだなんて思ってないし、勝負事には掛けは自然発生てきに付いてくるものだとおもっているのだが、それを『神聖なもの』に祭り上げちゃったのが間違いじゃないんでしょうかね。

いっそのこと『サッカーくじ』じゃないけど、国営ギャンブルにしたほうが税収があがって良いんじゃないかなんて考えたりしてね。

それにても『八百長』という名称、いまでこそ賭け事全般で『わざと負けること』をさして言われているけれど、その語源はここによると『相撲の勝負』というんだから・・ねえ。

○12月31日(金)

さてさて、 ベシパルマック・ダウBeşparmak Dağlarıを越えたkおばんですが出発してきたのは『A』

これから向かうところは『B』の場所です。

ルートはピンクのラインです。

googleさまのサテライトでみると・・高い山があるのがわかりますよね。

これが ベシパルマック・ダウBeşparmak Dağları五指山ですね。

この黄色いラインの道を走りました。


googleさまでも、ここキプロスではルート検索の機能が働きません。
たぶん、ナビ情報がないのでしょう。
で、ここでは原始的に『ヘッドボード』だけがたよりです。

そのヘッドボードを頼りに辿り着いたのは『B』の場所です。

たどりついたのはファマグスタFamagustaトルコ語でガーズィマウサGazimağusaと呼ばれる街です。
一般的にはファマグスタのほうが通用していますが、kおばちゃんとしてはガーズィマウサもしくはマウサmağusaと認識していましたので・・今回はその名前で・・
『ヘッドボード』にはその名前が書いてありましたしね。

この町ガーズィマウサは、紀元前300年には古代にはエジプトのプトレマイオス朝の女王にちなみアルシノエと呼ばれていたそうです。その後「砂に隠された」という意味のアンモコストスと呼ばれるようになり、西ヨーロッパでは「ファマグスタ」に変化し、トルコ語で「マウサ」(Mağusa)に変化したということらしいです。

ちなみにアルシノエ4世はクレオパトラの妹で、去年kおばちゃんがエフェソスを訪問する動機を与えてくださったかたですよね。若くして『殺されて』しまった方で、でお墓参りをしました。

アルシノエという漁村であったこの港、キプロス島のなかでも水深の深い水辺にあるその地形から港として発展していったようです。

1192年、島の支配がフランスのリュジニャン家に移ったことが大きな転換点となったそうです。
リュジニャンの最初の王はここを城壁をもつ安全な街に造りかえることとしたからです。
そしてその目論見はあたり、地中海東部のキリスト教の町としては、裕福な町へと発展を続けてったそうです。
がその富を狙い1372年にジェノヴァ共和国が、1489年にヴェネツィア共和国が港を襲撃したおそうです。
この町の裕福な商人たちはそろって教会を寄進して建てたということで、これらは現在も残り観光名所になっているそうです。
また、1481年に訪問したレオナルドダビンチの助言に従って、町の城壁はさらに高くされたといわれているそうです。

1570年から1571年にかけ、オスマン軍による13ヶ月の包囲と恐ろしい砲撃に耐えたのだが、陥落。後、町はオスマン帝国の一都市として変貌していったということです。

1878年のベルリン会議により、イギリスがキプロス島の施政権を獲得したため、ファマグスタはイギリスの支配下となり、トルコ系住民は旧市街、ギリシャ系住民はヴェロシャ地区と棲み分け。
第二次世界大戦中には、ホロコーストから生還したユダヤ人5万人を収容するキャンプが置かれ、収容されたユダヤ人たちはイギリス領パレスティナへその後移住したそうです。

と、なんと波乱万丈な町がマウサです。

実は前にも書きましたが・・一昨年キプロスを旅行した時に『行きたい』と思っていながら辿り着けなかった町なのです。
昨年も諸般の事情であきらめましたし・・ということで、今回の旅の第一の目的はこのマウサの訪問でした。
やっと、辿り着けたkおばちゃんですが、町の状態が今ひとつわかっていません。

とりあえず手元のガイドブックの地図に駐車場のマークがひとつ書いてあるので、城壁の中にコルドバ爺と一緒に場内に入りました。

しかし入ったら、当てにしていた駐車場は一方通行の出口のように反対側。
しかたがないので、町の様子を知るためにも適当に走ることにしました。本と適当です。
何処を走っているのか・・トンとわかりませんでしたが、なんとなく賑やかで車の駐車している地区があり、しかも1台分だけあいていたのでコルドバ爺を駐車させました。


うーん、ここは何処だ??とりあえず、あっちの方向に行って見ましょう。


斜め後ろにはなにやら由緒ありげな、教会の遺構のような建物が・・


とりあえずkおばちゃんの本能は前に進め・・そっちがきっと海だ!と叫んでいましたのでそちらに向かいます。

と、見つけたのは冒頭の画像の町の地図。

で、よーく見ると・・・kおばちゃんの野生の感もあながち捨てたモンではありませんでした。


コルドバ爺で進んできたのはオレンジ色の矢印のライン。で、駐車したのは赤丸のところ。
ということで、どんぴしゃの真ん中に辿り着いていたのであしました。

振り向くと、さっきの教会の遺構が見えます。結構大きな教会だったようですね。


さてさて、とりあえずここに登ってみましょうね。
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ベシパルマック・ダウを越えて

2011-02-03 19:21:00 | キプロス
今日は昨日に比べたら暖かい。お日様偉大!

夕べニュースを見ていて感じたこと。
エジプトのニュースで、反政府のデモ隊と政府支持者立ちとの間で30分前に小競り合いが発生した・・とある局のニュースが伝えている同じ時刻で、別の局は長々エジプトとアメリカの関係をトークしてたんですけど・・なんか時差ありすぎない??あれはニュース番組じゃないと確信いたしました。

ま、日本のマスゴミさんはその程度なんでしょうね。

とあるサイトの解説で、フーーンと思ったのはエジプトのイスラム教の立場。
かの地では1割のキリスト教コプト派を除けば抱いた数がイスラムのスンニ派だとか。で、今回の反政府運動の影に、まったくイスラムの影が現れないのは・・現大統領に保護されてきたから・・という見解がのっていた。
なるほどね。と持った次第。大統領派が崩壊すれば・・そっちの方が不都合ということでしょう。

まあ、何でも都合の良いように解釈してしまうあの宗教にはkおばちゃん付いて行けません。
(こんなこと言ったら『ぼうとく法』にふれて告訴されたりして・

●12月31日(金)

今日は今年最後の日。大晦日であります。
夕べはゆっくりと休めたので、元気を取り戻したkおばちゃんであります。


起きて空を見たら・・トルコの国旗そしてここ北キプロスの国旗にも描かれているお月様がきれいに浮かんでおりました。

朝食は・・昨日スーパーで仕込んできたサンドイッチとバナナでさくっと済ませました。

実は今日のご予定こそ、今回の旅行のメインか??と思うところであるので、さくっと行動したかったのですが・・メールのチェックなんかしたりしてまたぐずぐずです。

ホテルはカジノホテルでもあるので朝は割りと静かです。kおばちゃんのお部屋は玄関の斜め上かな?


夕べあれほど見かけた車も・・いなくなっていますね。

あ、奥に見える建物は・・住宅です。ここのホテルの社宅?かもしれません。

今日の目的地は・・昨日のレンタカー屋さんのお姉さんによると・・2時間位距離が離れているそうです。高速道路も一部あるようですが・・殆どは国道のようなところを走ります。
お姉さんに注意を聞くと『法廷速度を守ってね。取締りがよくあるから』と釘をさされました。

従って今回発の長距離ドライブです。昨年のトルコドライブ旅行に比べれば大した距離じゃありませんね。

しかしながら、昨年のトルコで学習したとおり、ナビはもちろん使いません。というか・・データーがありません。
いちおうIpadgはあるので、いざとなったらローミングで現在地は判るかなとは思いますが・・ととりあえずは、昨日インフォメーションでもらった地図を頼りに行くことにしました。

まずは・・昨日降り立ったエルジャン空港を目指します。30分ほど・・と言ってましたがまあkおばちゃんの場合は1時間くらいは予定しています。

走り始めて20分もたたっていなかったでしょうか?景色が段々変わってきたのにびっくりです。

夕べは夜中に到着したので真っ暗であたりがまったく判りませんでしたが・・多聞ここを通ったのよね・・と思うところは・・物凄い山岳道路です。

目の前に結構高い山がそびえています。まさかアレを越す?????ようです。

一人しか載っていなkおばちゃんのコルドバ爺、大丈夫??と俄かに心配になりました。
殆どセカンド・・でしか上れません。いえ、ゆっくりならねえ。
でも、なんせい1車線しかない道路。後からずんずん来ます。そのうえ、へビのようにのたくっております。追い越させてあげることも出来ません。
小心者のkおばちゃんこういうときにあせるのよね。必死に走ります。

どうもkおばちゃんの越えている山は ベシパルマック・ダウBeşparmak Dağlarıと言う名前のキプロス島に160kmに渡って連なっている山岳のようです。 このBeşparmakと言う名前は『5本の指のような』という意味らしいです。
その連なり方が5本の指のようだから名付けられたのでしょうね。

キプロスの山といえばトロードスしか知らなかったのでちょっとびっくり下のと同時に、夕べはレンタカーじゃなくてよかった!と思ったのでありました。

あの山岳道路を夜中に走ったら・・とおもったねえ。

とりあえず、1山越えてカメラを出す気になったkおばちゃんです。


あーーびっくりした。
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見つからないキプロスワイン(ギルネ)

2011-02-02 18:47:20 | キプロス
今日はお日様が出ない分寒い。
夕べは、久々に日本酒たんとお飲みになったkおばちゃん。でも良いお酒でした。

お腹が空くのは困るけどね。
だって、液体の炭水化物たくさんとってるはずなのにね。

エジプトの政変はどうなるのでしょうね?
軍が民衆と対立もしないけれど、味方にもつかない。でも、下手に味方について『軍事政権』なんてことになったらアメリカさんはもっと大変だろうから、いま一生懸命大統領を説得中でしょうかね。

昨日も話題になったけれど、『引退』というか『引き際』って難しい。
しかも『引退』してからの、付き合い方。距離感というか・・その辺りがとっても尊敬すべき方がいらっしゃるのだが・・ちょっと『別の部分』で困ったチャンになっているのもねぇ。

エジプトの件もロシアのように『傀儡政権』となりそうな雰囲気が市民は感じてるんでしょうね。
わが国民も『自○政権に反対』のスローガンはよかったのだが・・なにぶんにも感情にはしって、中味のない政党に運営をゆだねちゃったんだからね。
今頃気がついてもおそいですよ。

○12月30日(木)

さ、ギルネの旧港のまわりは十分に探索した気がするのでコルドバ爺の所に戻ります。
街角で見かけた床屋さん。

『Yildirim』って『雷』って言う意味のようですが・・うーーん、男は雷のように鋭くかっこよくでしょうかね。

さて、コルドバ爺は蕪辞に駐車場でkおばちゃんを待っていてくれました。
お次は何処へゆこう。そうそう、レストランに入るにはちょっと気がひけるので夜ご飯もお部屋で頂きましょう。
それにしても・・飲み物がない。
さっきスーパーでお買い物をした時は、徒歩だったので重たいお飲み物は最小限にしたんでした。

ということで、先程のスーパーにコルドバ爺と向いました。大きな駐車場もついてるしね。

店内の目立つところの棚にお目当てのモノはありました。

あら、シャンペンまで売っていますが・・もちろん『モドキ』でしょうね。
kおばちゃんもじっくり??品定め。というか値段を見比べて・・2本ほど入手しました。
いえ、これからの予定を考えるとね。何時買えるかわからないし・・

でも、売り場で気がつきました。一昨年訪れた『南キプロス』ではよく見かけていた『キプロス産』ワインがみつからないのです。おかしな・・
独断と偏見で、kおばちゃんが想像するには、あのキプロスワインは『南キプロス』の部分でしか生産されていないんジャ無いかと思います。
同じ島にありながら、未だに分断されている国家の間にはやはり分厚『壁』が存在しているんだと感じました。
人の行き来はあっても、物流、特に産物に関してのやりとり、貿易は認められていないんでしょうね。

それからこんな大きいワンコのエサの袋もありましたが・・ニャンコのは見かけなかったような・・
ニャンコは殆どが『野良』なんでしょうね。

そんな中でkおばちゃんの目をひいたのはこの商品です。


これは何かというと・・醤油です。しかもこんなに種類があります。


残念ながら日本の商品ではないようですね。AMOYという中国のメーカーのようです。ただし、この会社は日本の『味の素』のグループ会社のようですね。

北キプロスで『醤油』は人気があるのでしょうか。こんなおまけ商法もしていました。


kおばちゃんは『半額』の法が良いのですけど・・

結局、朝食用のサンドイッチと夕食用の『クスクスのようなお惣菜』とバナナを購入しました。
バナナは計り売りです。カウンターのおじさんに計ってもらってラベルを張ってもらいます。
大量なバナナが多い中、3本だけと言うのを見つけたので購入したのです。だって10本も20本も・・食べられませんからね。

そうそう、お水も2リッターのペットボトル2本購入。メーカーはよく分からなかったけど、トルコ航空の機内ででたものがあったのでそれにしました。
そういえば、ここキプロスは『水資源』の乏しい島国だそうです。
夏のバカンスシーズンは南キプロスでは、観光客の増大で水消費も増大し、島内だけでは賄えず、ギリシャから輸入していると言う話をきいたことがあります。

夏場ではありませんが、水分不足になると困るのでちょっぴちり多めに購入しました。

コルドバ爺でホテルに戻るころは周辺はもう真っ暗でした。
でも、ホテルは何故かとても賑わってます。そう、併設のカジノがもうオープンしてるんですよね。
まあ、kおばちゃんには関係無いけどね。

お部屋に荷物を一気に運んで・・一休み。お風呂にはいって・・さあ夕食です。
本日のお供はこれです。

このワインはもちろんキプロス産じゃありません。
トルコのデニズリ県産のワインですね。

それと・・一応サラダなんちゃって。

こうして一人宴会の夜は更けて行くのでありました。
本とはカジノでも覗きに行こうかとも思ったのですが、ワインをお飲みになたkおばちゃんはそんな気力はなくなってしまいました。

さて、明日は・・と考えながら結局眠ってしまったのであります。


昨年kおばちゃんがうろちょろしていた辺りです。すっきりした飲み口で、美味しかったですよ。
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旧港沿いをお散歩(ギルネ)

2011-02-01 18:35:06 | キプロス
今日は朝はとても寒かったのだが・・昼間はお日様のおかげでまあまあ。

今日からもう2月。ああ、時の経つのが早過ぎる。
昨日は直帰だったので早く帰宅できるはず・・だったのがた、途中の家電量販店に引っかかってしまい・・

実は、kおばちゃんの携帯はもう骨董品・・なので来年の3月までに何とかしなきゃいけないのだが、今悩んでいるのが、スマートフォンにすべきかどうか・・。
本来だったらリンゴのマークのスマートフォンが良いのだろうけれど、あれは日本では使い勝手が悪い。というのはkおばちゃんの場合だけどね。

地方にゆくとめちゃくちゃ電波が入らないからだ。
それに、お財布ケータイだのワンセグだのkおばちゃんの知らない世界も魅力的で、それはリンゴにはついていない・・。
で、半分以上気分はそれらを満たすアウにするつもりだったのだが・・昨日の量販店での説明で振り出しに・・
アウのスマートフォンは海外では使えないそうである。CDMA1という方式をとっているから、ヨーロッパでは使えないとこのと。
それにWI-FIの仕様も国内限定だとか。うーーんそれは困る。
ということで、また振り出しに戻ってしまった。老舗ケータイ会社がそろそろワンセグ・お財布を兼ね備えたスマートフォンを出すんじゃないか・・とも思うんですけどね。

それともスマートフォンをやめるべきか・・・まだ当分悩みそうです。
あ、リンゴのスマートフィンはね、魅力的ではあるけどIpad持ちのkおばちゃんとしては別の電波会社にしたいと思うところもありますです。

なんでも、シンガポールや香港のリンゴの携帯はSIMフリーだとは聞いているけど、行く予定もないしね。困った困った!

○12月30日(木)

ギルネ城から見事に追い出されたkおばちゃん。さてこれからどうしましょう・・さっき来たのは下の道から


同じ所を行きたくないので・・とりあえず適当に別の道に進みます。本と適当にあるいていると港にでました。
ここは、さっきギルネ城の上から眺めていた旧港です。ここの周りは観光客相手のレストランがいっぱいあります。


お食事の時間にはちょっと早いので、まだ皆さん『お茶』の最中ですけどね。なかなかロマンチックなロケーションですね。

この一角にギルネのインフォメーションもありました。中から人が出てきた・・ということは未だ営業中ですね。


kおばちゃんも中に入って情報収集です。まずは北キプロスの地図を・・レンタカー会社でもらったのはあまりにもアバウトすぎましたから。
それと、ちょっと確かめたいコタとが合ったので聞いて見ました。
それは、年始の観光地の営業時間。さっきのギルネ城は標示のじかんよりも長く開いてましたけど、あれは特別だったみたいです。冬時間の摘要のようでした。

この一角はホテルも多いようです。


堤防の方へ行って見ましょう。外海は波があらいですね。


そんな一角で・・皆さん記念写真。波にさらわれないでね。


ほら、あのあたりは波をかぶって濡れてしまっています。


とりあえず、波のかかりそうなところまで出て行くおばかはおりませんでしたけどね。

再びレストランはホテルの立ち並ぶハーバー沿いに戻りましょう。


でも、さっ通ったところは面白くないので・・クルーザーやヨットのの繋留してある直ぐ側を歩くことにしました。
kおばちゃんが歩いている後ろを・・イギリス人の年配のカップルが着いてきます。さっきkおばちゃんの前を歩いていた人達です。
猫道のようなところを入って行くkおばちゃんをみて、きっと道があるんだと思ったんでしょうね。
実はkおばちゃんだって道があるかどうかしらないのにね。

するとこのようなクルーザーを発見!


え、よくわからない?拡大するとこう書いてあります。『売り出し中』如何です?一隻?なんちゃって。


他にも沢山船が係留していますが、みんなトルコ国旗を付けています。北キプロスの国旗じゃありません。


こちらの船は両方かな?

そろそろギルネ城もライトアップされて来ました。


船の側、レストランの席の裏辺りをうろちょろしていたニャンコに持っていた『小魚(日本から持参)』を上げたのですが・・最初怪訝な顔をして食べませんでした。食べたことないのかしらね??

このあたりでお食事をするのも良いのですが、なんせ一人旅のkおばちゃん。
そんなロマンチックな場所で夜ご飯をたべると、益々さみしそうだし、なんせここはイスラム圏。女性がこんなところで一人で食事しちゃいけませんね。
ということでコルドバ爺のところに戻りましょう。

直ぐ側にはやっぱりミナレットが見えました。

さっき聞こえてきたアーザンもここからでしょうかね?
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閉館の笛に追い立てられて(ギルネ)

2011-01-31 23:16:18 | キプロス
今日から新しい週のはじまりだけど、1月はおしまい。まったくなんと早いことか。
今朝ものものすごく寒かったのだが・・考えてみたら子どものころはもっと寒かった気がする。
体感温度じゃありません。子どものころの思い出といえば池のに張った氷を棒で突っついて壊したり、朝、庭の霜柱をふんずけて歩くのが楽しかったり・・と思い出があるのだけれど、それだけ寒かったのよね。

寒かった・・という記憶はないので、子どもは元気ということだったんでしょう。
お年を召したkおばちゃんは、このところの寒さは骨身にしますです。

そういえばエジプトの混乱。
アラブ国家の中では西よりだっただけに、アメリカは足がかりがなくなると大変でしょうから必死でしょう。

しかし、所詮ムスリムの国。私たちの常識が通用しない国であることは覚悟しておかないとね。

○12月30日(木)

ギルネ城の観光・・まだ続きます。だってまだ見てないところが・・お次に向かったのはここ。


ベネチア時代の塔です。ここはちょっと不気味です。なにやら動物の叫び声のようなものが・・


どうも、アニメーションで『竜』を映し出して、音響もつかっているようですが・・残念ながらアニメーションのほうは不調で、kおばちゃんには見えませんでした。

ちょっとぼけてますけど・・ギルネ城のこのあたり、赤い部分です。


丁度城壁の中を下ってゆくような感じです。

そのドン詰まりにはこんな方がおりました。

火薬の調合デモしているように見えます。

そして、彼の左側にはこのような窓がありました。


あれ??あそこに見えるのは・・車のバックランプ??

ということは・・ここは道路と同じレベル・・ということですね。

この窓の反対側にも通路が続いていて、しばらく進んでみましたが・・迷うと困るのでやまました。

さらに足元にはこのような穴があいています。


ちょっと深そういうか何層にもなっていそうですね。

このベネチアの塔を出て、さっきの地下牢のあった方向の脇にも入り口があり通路があったので進んでみます。

あら、窓が開いていて外が見えました。

ここはさっきこのお城に入る時に渡った橋の上からみえていたところですね。

丁度この下の部分の窓からの眺めでしょうね。


さて、他にも見てないところがありますね。あ、さっき城壁の上からみたときにくっついて見えた国旗です。


この先を進むと・・また展望台のような塔の上に出ました。


ここからの眺めは旧港沿いに立つ建物と


旧港の外に向かって銃先をむける武器です。


ここからは旧港全体が見渡せます。


もう少し上まで登れそうです。先ほどいた場所は、あんなところですね。


反対側は新港です。あら、比較的大きな船が停泊してますね。


フェリーでしょうか?そういえばここギルネはトルコ本土から定期フェリーの航路があるんですよね。


でも、真冬の地中海は荒れますから・・かなり大変ですね。フェリーの移動は。

あら、あんなところに人がいます。登れるんだ!行って見ましょう。

もう少しで到着というところで・・突然の『帰れコール』が!!

いえ、本とは突然ではなかったのです。その前から『何かを叫ぶ』声がしていたのはしっていたのですが・・
『何か』とは『閉館です!』コールです。女性職員たちが大きな声で叫んで回ります。
放送設備なんかはありませんからね。

で、聞こえないフリをしていたわけではないのですが・・もう少し・・なんて思っていたら、今度は『声かけ』だけではなく『ピー』っと笛を吹き始めました。ああ、だめだ!残念無念!
あそこまでもう少しですが・・逆に気付かれずに閉じ込められたら大変!!なんせ守りは堅牢そうですからね。

しかたありません。皆と一緒に帰りましょう。
それにしても・・今日は閉館時間が遅かったみたいです。
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宗教の違いの影(ギルネ)

2011-01-30 19:17:20 | キプロス
今日はほんとに寒い。
結構お急がしの一日。久しぶりに愛車にも乗りました。まったくレンタカーばっかりじゃねえ。
いえ、エンジンがかからなくなるんじゃないか・・と心配でしたよ。

今晩はますます寒くなりとか。困ったことです。

サッカーのほうもkおばちゃんが応援しなかった、いえ、感染しなかったおかげで?無事勝利。
だいたいkおばちゃんは貧乏神なのか、応援してるチームが負けることになってるので、感染しないほうがよろしい・・ということです。

それにしても・・一日が寒い・・・・

○12月30日(木)

城壁から降りたkおばちゃん。とりあえず手近なこちらに入ります。『Lusignan時代の地下牢』だそうで。


いきなり現れたのは冒頭の画像のおっさん・・いえ、人形です。
どうやら牢番のようで、キプロスの名産ワインを飲んで酔っ払ってらっしゃるようで目が据わってます。
牢番ということはここは『監獄エリア』でございましょう。

この不気味な松明の下にあるのは・・地下牢のようです。

そこにはなんと・・女性が裸で横たわっています。


彼女はお名前をジャンヌL’Aleman, Joannaさんとおっしゃるそうで、Lusignan朝のピエール1世Pierre I de Lusignan のお気に入りの愛人だったようです。
ピエール1世の留守の時に彼の2番目の奥さん、アンゴラのエレノア Eleanor of Aragonによって投獄幽閉されたそうです。
この時ジャンヌさんは子どもを生んだそうですが、その子どもも殺害されてしまったということです。

帰還したピエール1世によって、彼女は投獄をとかれ、女王は王の怒りを静めるために教会を経てたという伝説があるそうです。
その場所は南部のパフォスのそばの・・その名もLeman村だとか。

いずれにしても女の嫉妬は恐ろしい・・ということでしょう。

そしてさらにグロテスクなのはこちらこちらは、どうみてもキリスト教の邪悪な面をクローズアップさせているとしか思えません。

これんなかまだ可愛いモンです。でも、これも例の、アンゴラのエレノアがらみのことだそうです。


王の留守中に王妃がRoucha伯なんかと良い関係になったらしい・・ということを王様に報告してしまったとされるジョン・ビスコンティJohn Visconti騎士。そのことが王妃の耳に入ったから大変!!
名誉毀損で訴えられて、これもまた地下牢に投獄。ブッファベントBufavento城に送られたあと、飢えに苦しんで亡くなったとされています。

中世の刑罰はたしかに私刑に近いようで非人道的であったようで、教会、保安官、王、領主なんかが勝手に裁いている感があります。

前述の2人の刑罰にしたって・・でも、彼らはまだ『地下牢』なので覗かないとみえませんが・・目に付くとろにあるのは例の画像です。
特に、あの大きな糸車のようなものに貼り付けられている男性を残忍に見つめている僧侶の手にある十字架が・・なんとも『見せしめ』のように見えてしまうのは、kおばちゃんの考えすぎでしょうかね。

キプロス紛争の大元だって宗教間、民族間の対立だと思います。
イスラムの世界に組み込まれてしまった北キプロスならではの展示かと思ったしだいです。

さて、今度はあっちに行って見ましょう。
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記念写真スポットは城壁の上(ギルネ)

2011-01-29 21:45:54 | キプロス
今日も寒かった。
今年に入って実は新聞をとるのをやめたのだけれど・・・今日、販売員の訪問でくじけてしまった。
いえ、販売員の泣き落としにかかったのかな。『この地区の配達員は奨学金の女学生になったんです』っていう。

本とか嘘か・・わかりません。
でも、確かに奨学金で進学している学生さんたちが配達しているのも知っている身としてはいたいところを付かれた。

紙新聞はほとんど翌日まで読まなくて、ただの新聞紙になってしまっていたんですけどね。

ちょっと偽善者になってみたくて、契約してしまったおがばかなkおばちゃんです。

○12月30日(木)

ギルネ城の観光を続けるkおばちゃん。
△カと煙ではありませんが・・高いところが好きなkおばちゃんは、城壁の上に登れルようなので向かいました。

ぞれにしても港の外は荒れてますね。

西の山に太陽が迫っていますね。早くしないと日没になってしまいます。


この角度から見ると『旧港』と城の位置関係がわかりますね。


丁度さっき見学した塔の上にあたります。皆さん記念写真を撮影してらっしゃいます。冒頭の画像もね。


記念写真のバックの先にあるのは旧港の入り口の灯台。


こちらはkおばちゃんのお宿のある方面です。その手前に『新港』がありますね。


こちらのほうは南の方角。山の向こうは・・あちらに歩いてゆきましょうね。


西の山に太陽がかかってます。


城壁の上は手すりこそ付いていますが・・足元は非常に悪いです。

あら、あちらにはためいているのはトルコ共和国と北キプロス・トルコ共和の国旗です。


それにしても・・風が回っているのか旗がくっついてまるでこの国そのものみたいです。

いよいよ日没が近づいてきました。


まだ城壁を一周はしてませんけど・・このあたりで下に降りて他も見学して見ましょう。


あ、またあの塔の上で記念写真でしょうか?
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塔は防衛の要?(ギルネ)

2011-01-28 19:03:02 | キプロス
本日も寒い一日であります。
本とは税務署にゆきたいんだけど・・御用が終らなくってだめでした。
いえ、鶴丸さんの関係で価値損失にかんする・・なんて証明書をもらってしまったので、これで確定申告すれば戻ってくるかと期待してのことであります。
少しでもとり返そうと言う魂胆であります。

昨日も利用しましたが、確かに平均年齢が若返った感じ。
人件費の高いクラスの方々は引退されたんでしょうね。パイロットのお声も若気・・気を付けて飛んでくださいね。

○12月30日(木)

ギルネ城の見学は未だ続きます。だってせっかく入ったんだからね。
標示に従ってゆくと・・そこは塔です。
Lusignan朝時代に建てられた部分ですね。まずは上部から見学しましょうね。

中に入って目をひくのはこちらの皆さん。

このギルネ城を支配した人達の家臣というか衛兵の人形でしょうか。
一番左側が、ついこの前まで宗主国だったイギリスだから・・反対側の一番右側が東ローマ帝国Byzantiumのものでしょうか??誰か教えてください。

塔の内部は非常に広々としています。


そして窓のところにはこのような、イスとテーブルがおいてあります。

窓の外には地中海です

そしてそんな景色を眺めながら・・一休みでくるんですよね。


現在はガラスが埋め込まれていますからそんなに寒くはありませんが・・昔はどうだったんでしょうね?

お次は塔の下の部分に向いましょう。


位置関係はこんな感じです。


ボケてますけど、左側は塔を横から見た図ですね。


こちらも人形の展示で・・武装してますね。


一通り塔の見学を終えたkおばちゃん。外に出ましょ。といっても中庭ですけどね。


おフランスの寒さがウソのようなキプロスの気候。ハイビスカスが咲いておりました。

さてお次は○カと煙りではありませんが、高い所に上って見たくなったkおばちゃんです。

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古代からの歴史(ギルネ)

2011-01-27 23:59:56 | キプロス
今日は粉モンの町まで出稼ぎ。
マイルを稼ごうと飛行機に乗ったのだが、行きはバードストライクでちょっと遅延。
帰りは早くつきすぎて、使用スポットにまだ前の便がいるということで待機。
鉄道のようにはゆきません。

それにしても、日本の飛行機会社はご丁寧。
いちいち状態を機長自らアナウンス。この前のCDGのおそらく霧のための待機のときなか何にもアナウンスなかったよな・・

たかが5分10分のことでね。なんだか日本人は甘やかされすぎてるんだと思うkおばちゃん。
それにしても、行きの飛行機は満杯だったね。景気が回復したのか??

○12月30日(木)

ギルネ城の見学はまだまだ続きます。
難破船博物館だけじゃありません。場内に展示してあるのは。ここギルネの古代史をいろる物もあります。


こんな感じで人類は生活していたんでしょうね。


遺跡から発掘された品々でしょうね。


そしてその遺跡のある場所は・・意外と真ん中で山の近くの赤い部分は今の首都レフコシア(ニコシア)でした。


古代か遺跡がありのはギルネよりも左側(西側)の大きく湾曲している湾の上部の地域のようです。Akdenizという集落の側だと思います。

ここによいると最も古い遺跡は南部キプロスのKhirokitiaで新石器時代の紀元前7000‐6000年のモノといわれているらしい。
北部キプロスはギルネの東側のAyios Epiktitos(Vrysi)というところ約紀元前4500年に居住の痕跡があるようです。

ギルネの西側にあるLapithosも重要な遺跡があるようですが・・・キプロス紛争のあと発掘調査はトルコ側の手になったのでどうなっていることか・・と心配してますね。

こちらはもう少し時代が進んだころの村のお墓でしょうかね。


そしてその場所からの出土品でしょうか?これは何??と思ったら


冒頭の画像のように火を灯す道具のようです。

これはとても巨大なオブジェとしておいてありました。
で、ここでトルコ人のモラルというか・・高校生ぐらいのグループが1眼デジカメで撮影大会よろしく、モデルにおのおのがなってこのオブジェの前で撮影していたのですが・・
このオブジェの前には『立ち入り禁止』のロープが貼ってあるのですが、皆さん堂々とそれをまたいでオブジェによりかかったりして撮影。

学生どうしてこうだということは・・周りの大人も平気でこういうことをするのでしょうね。
昨年、トルコ本土で運転するに当たって注意するように言われたことを思い出しました。
『トルコ人、平気で一方通行逆流してくるから・・』
ルール無用!ということですね。

これからユーロ圏に、ヨーロッパ経済圏に入れてくれ・・と言っているならば、この辺のことから直していただかないと、第二のギリシャになってしまいそうですね。
あ、もっともムスリムのトルコはキリスト教圏仲良しクラブのユーロ圏には入れてもらいえないか。。

最悪感のひとかけらも無い姿を見て・・なんだかなあ・・とおもったkおばちゃんです。
古代史サイトで、トルコ側の手に移った発掘現場の盗掘なんかを心配する気持ちがわからなくもありません。

さて、お次はあっちですね。
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日本にもあるギルネ(ギルネ)

2011-01-26 19:03:02 | キプロス
今朝も寒かった。寒いとのろのろと仕度をするので、結局何時も最後はあたふた。
まあ、これは性格かな??

モスクワの空港爆発はやはり『自爆』によるものらしい。
今、書いている先日の旅行の時にも思ったこと。それは、北キプロスもそうであったけど、空港に入るのが偉く厳しいということ。

空港ビルに入るには、とにく誰でも機械による『荷物チェック』および金属探知ゲートをくぐらないと入れないということ。
だから、出迎えに来ている人も『建物の外』で待つしかないようです。

もちろん、チェックインカウンターのある階でも同様。建物に入るところに全てゲートがあった。
多聞、イスラム圏はみんなそうなのかしら・・なんて思ってるんですけど??

モスクワのような事件があると、やっぱりあの誰でもチェックすると言うほうがより安全かな?なんて思ったkおばちゃんです。

○12月30日(木)

さて、ギルネ城内にやっと入った感じです。


四方をぐるりと石壁が囲んでいる中庭・・のようになっています。


とりあえず、あそこの入り口から入って見ましょう。


ここが入り口です。

Shipwreck museum難破船博物館ですって。

あ、船の形場見えますね。


これは、難破船を発掘研究していたときの写真でしょうか?


このように積み荷を積んでいたんですね。


このような壺を沢山積んでいたようです。

こちらは引上げられた難破船そのもののようです。

この船は紀元前4世紀のギリシャの商船だそうです。
1965年11月にギリシャ系キプロス人のダイビングインストラクターAndreas Cariolou氏によって嵐の中発見されたそうです。しかしながら、なにぶん嵐のなかの発見。その後正確な位置の割り出しまでには2年の歳月がかかりダイビングを200回以上行わなければならなかったとか。

その後、ペンシルバニア大学のMichael Katsev氏の引きいるチームによって70年から引き上げ調査と保存が行われたようです。ただし、その間に起こったキプロス紛争で作業は中止されたこともあったということです。

船全体の形はこんな感じらしいです。


船に積まれていた品々でしょうね。葡萄の種、オリーブの種、そしてイチジクの種でしょうか。


いずれも今日でもここ地中海沿岸でさかんに栽培されている植物ですね。

当時の海易航路図でしょうか。ここキプロス島とロードス島の交易船だったのでしょう。


こんな感じの船だったのでしょうね。


紀元前4世紀のころのこのギルネの港の様子でしょうね。


これが発見当時の写真だと思います。


ギルネ城の沖合いに2000年以上の時を見つめて沈んでいたのですね。


ところで、この難破船ですがなんと日本のこの復元船があるそうです。
もちろんここを見学しているときは全然知りませんでした。まあ、いつもの『後から学習』ですけどね。

キレニア号という名前がついているそうです。キレニア・・って発音だそうです。トルコ語読みじゃあないんですね。
この復元船が展示されているのは福岡市博物館だそうです。HPによると、アジア太平洋博覧会に出展されましたものだったようです。

復元船を製作した会社のHPにもその様子がちょこっと載っていました。これはキレニア3号といったところのようです。

2004年にはその後に建造された復元船にオリンピックの銅メダルに使用される『銅』の積荷を積載し、紛争相手国であるギリシャで向けて出航したと言うことです。
きっと、紛争解決の兆しがみえる出来事だったのでしょうね。

それにしても、日本にこの復元船があるとは思わなかったkおばちゃんです。
今度、チャンスがあったら是非見て見たいと思います。
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観光に出発!(ギルネ)

2011-01-25 19:10:18 | キプロス
夕べは久しぶりにお湿り。多聞あれくらいじゃ直ぐに吸収されちゃうほどの乾燥状態だと思うけどね。

今朝、通勤の途中で手袋を出そうとしたら・・片方しか見つからない。あれ??
家に忘れてきたかな??なんて出勤したら・・イスの上にありました。
つまり、夕べかたら忘れていたということ。まったく今朝になって気がつくんだからね。

モスクワの空港でテロがあったとか。
kおばちゃんはモスクワの空港は利用したことがないけれど、手荷物受取場所とか。ということは、その荷物は飛行機で運ばれてきた・・か、少なくとも厳重な検査をくぐって空港に持ちこまれたと言うことですよね。
となると・・荷物検査の意味が吹っ飛んだということ。何だかね。

民族関対立のテロか、イスラム系のテロか未だわからないといっているけれども、昨年のモスクワ地下鉄テロもチェチェン関係の女性自爆犯による事件だったと思うけど、今回もそうでしょうかね?

また思い出してしまいました。この番組
前にも書いた通り、夜中にむっくり起きて偶然に見てしまった番組です。
『黒い未亡人』と呼ばれる彼女達。未亡人の名が示すとおり、一度は結婚した女性。
純潔を尊ばれるイスラム教では、彼女達のような立場になってしまったら『アッラー』のために働くことこそ偉大な行為と叩き込まれて実行するのでしょう。
何だかな。同じ女性として生まれて、そう言う考え方の環境に生まれ出なかったことを幸せに思わなきゃいけないなんてね。

いえ、『黒い未亡人』が実行したとは未だ決まってませんよ。

○12月30日(木)

さて、お腹もいっぱいになってお昼ね・・とゆきたいところですが、せっかくここ北キプロスまで来たんですからね。観光しなきゃ!

でも、kおばちゃんの本命はここからちょっと離れた場所なので、今日はちょっと無理・・とあきらめました。
その代わり・・と言うのもなんですが、kおばちゃんの滞在しているギルネGirneはこの国では結構な都会なのです。

その歴史は・・もちろん神話の世界からあります。紀元前10世紀には人の居住があったとか。
そんな中でもアルカディアArcadiaから来たケーペウスKepheusがこの町の祖とされているようです。

ですか歴史的?観光地でもあるんですよね・・手持ちのガイドブックはそれこそ2年前にキプロスを訪れたときに利用したもの。それをもって出発です。

で、とりあえず町の中心地と思われるところにパーキングが在る印がガイドブックにあえるので、それを捜してコルドバ爺を駐車です。


北キプロスも南のキプロスと同様、レンタカーは赤い色のナンバープレートで、一目瞭然です。
忘れない為に画像を撮っておきましょう。

かなり大きな駐車場です。


ここで、駐車するお客さんを見ていて・・あれ?と思いました。観光客というよりは地元の人が多いようです。

何故かというと、ここから一番近い観光地は海側にあるギルネ城Girne Kalesi- Kyrenia Castleですが、皆反対側の方向に歩いてゆきます。

kおばちゃんはとりあえずお城を目指します。でも・・そこに見えてるけど・・行く道がわかりません。

うろうろして駐車場の片隅冒頭の画像のような建造物を見つけました。
後で調べたら(いつもですが)どうもここはオスマン時代の墓地につくられているようです。

駐車場の周りをうろちょろしてやっと下に降りる道を見つけました。


城壁沿いに歩いてゆくと・・海が見えてきました。


昔のギルネ港でしょうね。お城の付け根にあります。現在はヨットハーバーのようです。


あら、港の向こう側は随分と賑やかですね。ホテルの看板が沢山見えます。


さて、本命のお城はここから登ってゆくようですね。

アラ、大変。冬場は開館時間が短いようです。急がなくっちゃ。1時間くらいしかないかしら。

受付で入場券を購入し、石橋を渡ります。石橋の下はkおばちゃんがさっき通ってきた道です。

上から海を眺めると・・結構波が高いですね。地中海性気候というやつでしょうね。


さあ、この入り口から城内へ入ります。

まだ城壁の間というところにこのような看板がありました。ビザンチンの教会?

元々このお城はビザンチンの東ローマ帝国の時代7世紀にに、アラブの覇権を得る為に造られたものが基礎になっているとか。
その後、リチャード獅子王が三回目の十字軍遠征のおり、1191年に中継地として利用したんでしょうか?自らここの皇帝であると宣言したようです。その後、彼はここをテンプル騎士団に売り払ってしまったとか。

案内板によるとここは『聖ジョージ教会』だったとかです。その当時の建造物のようです。
といっても今は昔の物語

構造物として残っているだけです。

どうも、内部のドームは英国統治下の時代に再建されたもののようです。

これが城壁内の外側です多聞こちらがビザンチンのオリジナル??なんて思うのですけど。

更に城壁内を進むと、このような案内板がありました。

青い色の部分はビザンチン時代のモノ、赤色の部分は10世紀のフランス系のリュジニャンLusignan朝時代のモノ、グレーの部分はその後のベネチア帝国時代のもの。
そして濃い青色はオスマン帝国時代のモノ、最後の茶色の部分は英国支配の時代のものだそうです。

そしてこの通路の傍らになにやら古いものがおかれています。


これは1570年にギルネを征服したオスマン帝国の提督サディックパシャSadik Pashaのお墓だそうです。

さあ、あそこをくぐれば本当の城内に入りますね。

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頑張るコルドバ爺?(ギルネ)

2011-01-24 23:47:45 | キプロス
数日前見ていた番組で、『パリ北京クラシックカーレース 』というのをやっていた。
世の中には面白いレースもあるんだな・・と何気なく検索していたら・・来年2013年が次回の開催だとか。
HPによると、ただいま募集中。
ただし、この募集記事・・どこにもお値段が書いてないのよね。

参加費には全てのサポートを含む、とか宿泊料金を含むとか言うような表現はみえるんだけど、『幾ら』という数字が見えてこないんですけど。

いえ、宝くじでもあたって、万が一にもクラシックカーなんてものが手に入ったら参加してみたいとは思うけどね。幾ら必要なんでしょうかね?
kおばちゃんの予想だとお一人様200万程かな・・なんて思うのですけど足りないかな・・
それに次回のコースは昨年とは違ってロシア、ポーランド経由。スロバキア、オーストリアもかすめるようで・・見物するだけでも面白いかな?

6月16日にパリのゴールだそうです。

●12月30日(木)

なんとか今晩のお宿まで辿り着いたkおばちゃん。日付はとっくに翌日、午前1時になっておりました。
今晩からのお宿は、ここ北キプロスの一大産業?でもある『カジノ』が併設されているので不夜城。だから夜中でもチェックインできる・・と踏んではいましたが・・さつが疲れました。

北キプロスのホテルはネットで探すのは苦労しましたよ。以前は超大手のサイトも扱っていたのを見たのですが・・今回見つけたのは1社のみ。
小さい英国系のサイトは幾つか見つけましたが・・なんせ『何でもあり』の国だと思っていたkおばちゃん。長いものに巻かれて安全に過ごしたい・・と思ったので比較的大手のサイトにたよりました。
お値段もkおばちゃんのご予算以内の中級のホテルです。
インターネットも使えます。ただし・・有料。1週間で10ユーロ程。ま、いいか。

名前を告げると、全て通じました。やっと一安心です。
タクシーの運ちゃんには、領収書をもらって・・名刺までもらいました。
彼いわく『観光でタクシーの必要な時はいつでも電話してね。』ですって。そうよね、レンタカーの予約がすっとんでますからね。

ボーイ兼ガードマンのようなお兄さんがお部屋まで荷物を運んでくれました。
お部屋はまあまあ、バスタブも付いてます。このあたりは宗主国であったイギリスの影響が残っているのでしょうね。

荷物をといて、お風呂に入って・・結構良い時間です。まあ、明日は早起きしなくていいけどね。

長い一日を終えてベットに入ったのは3時近くでした。ああ、今日も一日ごくろうさまでしたね。

○12月30日(木)

夕べはかなり遅かったので・・目覚めたのは10時近く。
そうそう、ここのお宿は『朝食代別』の格安コースにしたので、今日は朝ごはんはパスするとうもりでした。

ごそごそおきだしたのは良いけれど・・さて今日からどうしよう。
足が無いと・・この島は観光が出来ない。特にkおばちゃんの宿泊してている地域は町の中心じゃないし・・

あ、kおばちゃんが滞在を決めたのはキプロス島の北部の町ギルネ(英語名キレニア)の町外れのリゾートホテルです。

とりあえず、フロントに行って相談してみよう・・と出かけてゆくと、フロントの青年は『そこにいるよ!』とロビーを指差します。
指差した先をみると・・確かにレンタカー会社の名札が・・でも誰もいません。
『あれ??さっきまでいたのにな。あ、お部屋で待っててください。連絡させます』と。
部屋に戻ると直ぐに電話が、『フロントにいますのでお願いします』とのこと。

どうも系列のレンタカー会社のよう。この際贅沢というか、選んでる暇はないので早速色々と質問を・・
まあ、値段もそんなものか・・という許容範囲だし、空港で返却が出来る(ただし別料金)というので、決めることに。カードの支払いも可能だったしね。

で、もって来てくれた車が冒頭の画像の車。
セアトSEAT S.A. というスペインのメーカーのコルドバCórdobaという車です。
このセアトの車は以前、ポルトガルで借りたことがありますね。たしかフォルクス・ワーゲン傘下の会社だと記憶しています。

で、見かけは良いのですが・・・中をみてびっくり!


拡大するとわかりますね17万キロは走ってます。

たいそうなご老体・・中のシートも相当へたれてるし、ハンドルもついるつる。おまけに左側のミラーはヒビが。
昨日の今日なので、車があるだけでもいいか・・と思って文句を言う気力もありません。
それに、前南側で借りた車もそうとうポンコツでしたしね。

『ガソリンは?』との答えに『あ、今は空っぽだからそのまま(満タンにしないで)返してくれれば良いです。』とのこと。『からっぽだから最初にガソリン入れてね』
当然です。

スタンドの場所を聞いて・・早速出発です。だってガソリンは言ってなきゃただの置物ですからね。

とりあえず20リッターだけいれて・・戻ってきました。
次にすることは・・両替えです。フロントで近くの銀行をきき・・徒歩で15分ほどというので出かけました。まだ車になれてませんしね。

銀行は丁度お昼休みのようで・・しばらく待って両替えを頼むと『日本円はできない』との答え。街中の両替え所ならできるでしょとのことばですが、めんどくさかったので銀行のCDでキャッシングをすることにしました。結果的にはこれが一番両替え率がよかった。

ただし・・1万円相当で一日4円の利子が付くことを忘れずに繰り上げ返済しましょうね。

昨日のタクシー代の思わぬ出費で、現ナマ不足していたkおばちゃんもこれで一安心です。

銀行からの帰りは、スーパーを見かけたので見学方々食べ物入手です。Lemarというスーパーのチェーンのようです。

お惣菜売り場があり、かなり興味をひかれ、マカロニグラタンをお買いあげ。
それだけではあきたらず、途中にあったケバブレストランでテイクアウト・・部屋に帰ってがっつきました。


画像をとるのを思い出して・・食べかけでごめんなさいね。

とりあえずスロースタートの一日が始まりました。
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レンタカーが・・ない!!(エルジャン)

2011-01-23 22:11:46 | キプロス
今日もお休み。うれしい!!
でも、そろそろ葡萄のつるを何とかせねば・・また新しいつるがのびてきてしまう・・とばからいに大格闘。少しは運動不足が解消されたか??

夕方つけていたTVから聞こえてきた番組は、なにやら白熱教室の日本版が聞こえてきてところどころ聞いていたのだが・・なんかピントずれてる感しが非常にした。
『自己責任』をめぐる社会システムのありかた・・のような討論なのだけれど、その討論のどこにも『社会保障の原資』の部分に触れていないのである。

『生活保護』のような生存の最低ラインを『国家が補償すべき』のような話にはなるのだけれど、その『保障』は誰が出したお金でまかなわれるのか・・・その部分を討論に含めない限り、聞いていてkおばちゃんには『不毛の討論』に思えましたよ。

片方で汗水たらして働いたお金から『払っている税金』を、働けないのではなく働かなくて生きている人の『生活保障』に使われたらどう思うか・・そこを考えないかぎり不毛だと思うのです。

お国のしている『政策』にはすべてお金がかかり、その原資がなにであるのか認識していない国民が多すぎるとおもうkおばちゃん。
口当たりの良い『何とか手当て支給』をマニフェストに掲げる時点で、その政党の品性のなさがわかるようなものです。

いまごろになって『消費税値上げ』を『ていねいに説明』してわかってもらう??何をほざいているのやら。その前に、党の長期ビジョンを出しなさい!と文句をいいたくなります。
現野党に『細かいことでつつかれて国会が進めない』なんてほざくことあなたたちにはできないでしょ?ちょっと前まで自分たちがもっとじゃましてたじゃない。国会で!

自分たちのしたことを『棚』に挙げてしまった時点で、品性を完全に失ってしまったということにまったく気づいていないんでしょうね。

まあ、国民の皆さんの選んだ政治ですから、kおばちゃんが一人でもんくいってもしかたありませんね。

○12月29日(水)

さて、ほぼ定刻にkおばちゃんを乗せた飛行機は北キプロス・トルコ共和国 Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyetiのエルジャン空港Ercan Havalimanı に到着しました。


2年前に実はkおばちゃんこの北キプロス・トルコ共和国には来たことがあります。
その時は『南キプロス』からの入国で、レフコシア(ニコシア)の町をちょこっと見た程度だったんですよね。
その時に、本格的に『北キプロス』を見てみたい・・と思ったのです。
で、北にゆくにはやはりトルコから入国したほうがすんなり行きそう・・ということで今回のこういうルートの旅とあいなったのです。

北キプロスの空港には降り立ったのは初めてです。南のラルナカ空港もあまり大きくはありませんでしたし、『沖止め』でしたが・・こちらはもっと小さな空港です。

『沖止め』どころか・・ターミナルの直ぐ脇なので・・徒歩でターミナルに移動です。


時間は23:40過ぎ・・もう直ぐ明日です。

kおばちゃんは後ろの法の座席でしたので、機体の後方出口からです。


ターミナルの建物に入ると、直ぐ入国審査場です。
このお国は世界的に認知されていない国。そして何よりもまだ、『キプロス紛争』も解決はしておらず、このような国家体制になっているので、日本国ももちろん承認していない。
で、その紛争の相手国『ギリシャ』はEUの国家(最近は重荷国家)である手前?パスポートにこの北キプロスの入国スタンプがあるとギリシャ渡航が困難になる・・と聞いているので、一昨年と同様に『別紙』に・・
入国審査官に『初めて?』と聞かれたので『いえ、2回目(本とは3回目だったけど)』と答えると・・なにやらコンピューターで照合しようとしたのだが、履歴がなかったようです。
彼は『前はニコシアから?エルジャンは初めて?』ときくので『そうです』と答えるとやっとスタンプをおしてくれましたです。

あとは荷物をピックアップして・・予約のレンタカーをピックアップするのみ・・です。

ここの空港も昨年のアンタルヤ同様、ターミナルの建物のなかには迎えの人間は入れないようで、建物をでたところでわんさかと・・出迎えの人がおりました。

kおばちゃんもレンタカー会社の名前を探しますが・・ありません。おかしいな・・
念のためのにIpadに入っているメールを引っ張り出して眺めます。

一応『到着したら○△×に電話を』とかいてあるのですが・・その番号が番号というか記号のようなもの。周りにいた英語のわかるお年寄りも『??』です。
でも、その方がご親切にメールの添付してあった事務所の番号、携帯番号に電話をしてくださいましたが・・・誰も出ない・・
ええ・・・

そんなことをしているうちに、ホテルの迎えの車たちは次々にお客を乗せて去ってゆきます。
途方にくれるkおばちゃんに、そんなホテルの迎えのボーイの一人が声をかけて、『送ってゆくよ。』と申し出てはくれましたが・・その後の言葉がよろしくない。『美味しいレストランも知ってるし、良い観光場所も知ってるから・・』
kおばちゃん、そんな言葉にのこのこくっついてゆくほど、人はよくありません。『ノーサンキュー』といったものの、気がつけば夜中のターミナルで一人ぼっちです。

いえ、正しくはタクシー2台が残ってました。

タクシーのおじさんは『レンタカーは来ないよ。いつもだったら到着の30分も前からこのあたりに止まってるけど。あきらめてタクシーに乗って、明日レンタカー会社に請求しなさいよ。』と・・

まあ、こうなったらそれしか方法はないでしょうね。

実は、今日の旅程を組む時に随分悩んだんです。今晩は素直にホテルの送迎を利用して明日からレンタカーを利用しようか・・と。
でも、ホテルの送迎がちょっと距離もあるので『40£』もするんです。日本円にしたら5000円ですよね。で、レンタカーだと1日18£なので、貧乏なkおばちゃんはレンタカーを選択してしまったのです。

レンタカー会社はもちろん大手は入っていません。それに事前の情報も殆どありません。
昨年お世話になったアンタルヤの女将さんに聞いたこの空港のサイトから引っ張り出せたレンタカー会社を利用したのですが・・
昨年のカラユハットの『ホテル事件』同様、クレジットのデポジットを請求してこなかったのでちょっと『アヤシイ』とは思っていました。予感的中です。

これこそ一番恐れていたパターンです。夜中の空港に一人取り残される・・
で、それを避けるためにさっきイスタンブールの空港で両替えしたのであります。予備の費用として。

タクシーのおじさんにkおばちゃんの宿泊先までの値段を聞くと・・40£よりは安いです。決めました。もうここにいてもしかたありませんから。

ようやく今晩のお宿に向けて出発することのできたkおばちゃんです。

暗い夜道を30分ひたはりします。回りの景色は全然見えますせん。


運転手のおじさんは『このあたりはとっても景色が良いんだよ』と説明してくれますが・・もちろん真っ暗で何にも見えません。

それにしても、このお国も『なんでもあり』の国なんだ・・・と改めて気を引き締めたのでした。
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夕日に向って飛べ!(キプロス)

2009-04-17 23:32:47 | キプロス
今日は昨日に比べたら断然『寒い』

今までが暖かすぎたんだろうけどね。

ここのところ、いやなことばかり・・池の金魚ちゃんは次々・・
ついに今日はカエルまでも・・ということで水というよりもほかに原因があるのかもしれない。

だから、一残っていた金魚ちゃんをバケツに緊急ひなんしたんだけど・・どうなるかな

○1月4日(日)

kおばちゃんのこれから乗る飛行機はこれです。この画像の右手前機械はいわゆるリフト

これで、足のわるい搭乗客を飛行機に乗せてます。やっぱりお年よりりが多いですからね。

空港のそばはコンドミニアム街のようです。海も近いしね。

あっという間に海の上・・

機内はご覧のように満席です。

それにほとんどは休暇を終えて本国に帰るイギリス人・・・ばかりのようです。
日曜日の夕方便ですからね。kおばちゃんのお隣さんは学生さん。見た感じは・・高校生くらいです。上の棚にものを載せるときに手伝ってくれました。

飛行機は内陸部上空をゆくようですね。

トロードスの付近でしょうか。山が近いように思えます。

飛行機が安定し着たら、お腹がすいてきました。だって・・朝食をたべたっきりですからね。
このクッキーは・・ナイトキャップがわりにベッドサイドのテーブルにおいてあったものを後生大事にもってきたんです。

さっき汗みどろになったので、喉も渇きました。飲み物も2個たのんでしまったkおばちゃんです。

そうそう、このお国(イギリス)でトマトジュースを頼むとウスターソースを入れますか?ってきかれるんでしすよね。お国柄でしょうか。

ワインは白をたのみました。シャルドネです。

2つの太陽の葡萄の酒?『les vignes des deux soleils』おフランスですね。

窓の外には・・

今日の太陽が

お役目を終え様としています

輝きが消滅して行きます

この飛行機は西に向かって・・飛んでいるのですね。
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最後のお土産(ラルナカ)

2009-04-16 18:13:59 | キプロス
このところ、ちょっと精神的にきつい出来事があり書く気になれなくてサボってしまいました。

今詳しくは書けないけれど、人間の運命がどうしてこんな不条理なんだろうと思う事です。

『運』という表現をよくつかいますけど、こればかりはホントにどうにもならないんだと判ってはいるけれども、あまりにも過酷過ぎると思う出来事でした。

私自身に直接関係なかったのがよけいついら出来事でした。

今言えるのは、出来ることをやれる範囲で精一杯・・と自分に言い聞かせる事だけです。

○1月4日(日)

無事に出国審査も通過して、あとは・・出発を待つばかりです・・とも言ってられませんね。


もう搭乗が始まってます。
それにしても行き先がバラエティーにとんでますね。アテネ、ウイーン、ドバイ、カイロ、テッサロニキ、ソフィア・・中でもロンドン行きは多いですね。やっぱり。
日本からツアーで直接このキプロスに入る場合はドバイ経由のエミレーツ航空が殆どだと聞いてます。
わざわざヨーロッパ大陸まで回って・・なんて時間を食うコースはとりませんよね。

そう言えばニコシアでお会いした親子の方もヨーロッパ経由。ただし・・モスクワ経由といっていたような・・・kおばちゃんはスターと地点へ戻るだけですけどね。

結局バタバタの連続でお茶する時間もありませんでした。残念!

しかし執念でお土産だけは入手。

これはなにかって?いわゆるヌガーです。売店っといってもホントキオスクのような売店で売っていました。
売りこのお姉さんに『これはキプロス製?』と確認して『そうですよ』という答えをもらって購入です。
確かに袋の裏のメーカーの住所はニコシア(レフコシア)です。HPもありますね。kおばちゃんの買ったのはコレでしす。

さあ、ホントに時間切れです。外は・・また雨が降ってきました。

飛行機は今回も沖止めでバスで移動です。
今日は日曜日。明日から月曜日・・ということで子供達も帰国でしょうかね。

そろそろバスも出発  空港ビルともお別れです。

構内にはウイーン行きももう待機。

これはキプロス航空ですこの次のロンドン行きかしら・・

あらら、こんな会社の  ローミングになっていたんですね。

でも、利用しなかったけれでも・・お別れです。

いつものことながらハラハラ、ドキドキのキプロス旅行でした。
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