今日も寒い。特に太陽が顔をみせなかったからね。
最近我が庭に生息しているらしい野良猫。この前ちょっとかわいそうかなと思ってししゃもを上げたのだか、夕べも帰宅して家の周りでゴソゴソしていたら隣との塀の上からジーーーとこちらを凝視。
可愛げのちっともないヤツだけれども・・・一応ちょっとお恵みをあげておいた。
どっちにしても生粋の野良らしいのでなつくことはないでしょうけどね。
○2014年10月6日(月)
Teplice テプリツェにやってきたkおばちゃん。一応町の観光をしようというのが目的です。
まあ、通り道だからという理由ですけどね。
この町は、中欧最古の温泉町と名乗っているらしいのです。温泉は762年頃発見されたらしいですが、町は12世紀に創設されたそうです。
一時は『チェコスロバキアの小パリ』と呼ばれ、王侯貴族が湯治に来るような町だったらしいですが・・・現在は周りの他の温泉地の陰に隠れてしまって、日本では殆ど名前をききませんよね。
kおばちゃんはガチャガチャととあることを昔検索していたらこの町の名前が出てきて、ヘェーと思って覚えていたのであります。
だから今回のこの旅行の途中に通過できるかも・・と思った時に計画にいれたのでありました。
しかし、現在では観光地として有名ではないので、余り事前情報はありませんでした。
googleさまの地図をたよりに散策をするだけでもよいかな・・とおもっていたのです。
kおばちゃんの目指す場所は駅からちょっとはなれています。徒歩15分位かな?だから大きな荷物から開放されて一安心です。
駅のそばの割りと立派な建物の前を通って・・
大きな広い通りに出たら、右の方向に進みます。
ずんずん進んでいきます。
なんかそれっぽい公園入り口がありました。
入って見ます。
いかにも温泉地らしい公園ですね。
だいたいこの国の温泉というのは鉱泉の飲泉が主流たどおもいますからね。
オブジェなんかもあったりして。
おお。いかにも・・の蛇口ですね。
そうそう、kおばちゃんがなんでこの町にやってきたというか興味をもったのかというのは、ベートーヴェンが原因です。あの作曲家ので。
彼はこのテプリツェに1811年に滞在してたことがあるそうです。で、ここに滞在していた時の有名なエピソードとして語り継がれているのが、ゲーテとの散歩。
ゲートはテプリツェとは別の湯治場に滞在していて、わざわざベートーヴェンを訪問してきたそうです。
そのゲーテと散歩のおり遭遇したオーストリア皇后・大公の一行とのやりとりが語り草になっているようです。ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然として頭を上げ行列を横切り、大公の方からベートーヴェンに対してら挨拶をした・・ということらしいのですが、そのことはゲーテの後述「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈奔放な人柄だ」という記述に残っているようです。
ま、彼は変人というかゲージツ家にありがちなタイプだったのでしょう。一心になると周りがみえなくなる。
人としてはねー魅力的だったのかな??と思います。
そんなベートーヴェンとゲーテが散歩していたのはこの公園だったのかしらね。
その公園の一角になにやら立派な建物がありました。
高級車もいっぱい止まってる。
そして軒先にベートーヴェンBeethovenの文字。
現在はLázeňský dům Beethovenベートーヴェン・スパというリゾートホテルになっている建物です。
但しここにベートーヴェンが滞在していた訳ではないようです。
ここに書いてあるのはアレクサンダー・フォン・フンボルトAlexander von Humboldtの文字。
ドイツの博物学者兼探検家、地理学者だそうです。
建物にそって更に歩くと
ちいさな噴水?のある場所にでました。
そしてその先に何だか像がみえました。
近づいて見ると・・ベートーヴェン??
でも、なんだか筋肉もりもり・・でちょっとイメージかなー・・
なんか違うよなーー
とか眺めていたのです。
ベートーヴェンというよりはモーツアルト??とか思ったのですが、台座にはなにも書いてありませんでした。
少し先にいったら、この町の地図と名所が掲げてあったので、それによると
・・・モーツアルトの像だそうです。
でもテプリツェとモーツアルトの関係は聞いたことがありません。なんでだろう??
と思っていたのですが、帰国して調べたら少しわかりました。
ここによると、ドイツの彫刻家フランツMetzner(1870年ー1919年)の作品で、おそらく当初はプラハのエステート劇場の前に飾る予定だったものが、何故かここにあるようです。
でもね・・ベートーヴェンの像暗いあってもいいのにネェーと思ったkおばちゃんでした。
最近我が庭に生息しているらしい野良猫。この前ちょっとかわいそうかなと思ってししゃもを上げたのだか、夕べも帰宅して家の周りでゴソゴソしていたら隣との塀の上からジーーーとこちらを凝視。
可愛げのちっともないヤツだけれども・・・一応ちょっとお恵みをあげておいた。
どっちにしても生粋の野良らしいのでなつくことはないでしょうけどね。
○2014年10月6日(月)
Teplice テプリツェにやってきたkおばちゃん。一応町の観光をしようというのが目的です。
まあ、通り道だからという理由ですけどね。
この町は、中欧最古の温泉町と名乗っているらしいのです。温泉は762年頃発見されたらしいですが、町は12世紀に創設されたそうです。
一時は『チェコスロバキアの小パリ』と呼ばれ、王侯貴族が湯治に来るような町だったらしいですが・・・現在は周りの他の温泉地の陰に隠れてしまって、日本では殆ど名前をききませんよね。
kおばちゃんはガチャガチャととあることを昔検索していたらこの町の名前が出てきて、ヘェーと思って覚えていたのであります。
だから今回のこの旅行の途中に通過できるかも・・と思った時に計画にいれたのでありました。
しかし、現在では観光地として有名ではないので、余り事前情報はありませんでした。
googleさまの地図をたよりに散策をするだけでもよいかな・・とおもっていたのです。
kおばちゃんの目指す場所は駅からちょっとはなれています。徒歩15分位かな?だから大きな荷物から開放されて一安心です。
駅のそばの割りと立派な建物の前を通って・・
大きな広い通りに出たら、右の方向に進みます。
ずんずん進んでいきます。
なんかそれっぽい公園入り口がありました。
入って見ます。
いかにも温泉地らしい公園ですね。
だいたいこの国の温泉というのは鉱泉の飲泉が主流たどおもいますからね。
オブジェなんかもあったりして。
おお。いかにも・・の蛇口ですね。
そうそう、kおばちゃんがなんでこの町にやってきたというか興味をもったのかというのは、ベートーヴェンが原因です。あの作曲家ので。
彼はこのテプリツェに1811年に滞在してたことがあるそうです。で、ここに滞在していた時の有名なエピソードとして語り継がれているのが、ゲーテとの散歩。
ゲートはテプリツェとは別の湯治場に滞在していて、わざわざベートーヴェンを訪問してきたそうです。
そのゲーテと散歩のおり遭遇したオーストリア皇后・大公の一行とのやりとりが語り草になっているようです。ゲーテが脱帽・最敬礼をもって一行を見送ったのに対し、ベートーヴェンは昂然として頭を上げ行列を横切り、大公の方からベートーヴェンに対してら挨拶をした・・ということらしいのですが、そのことはゲーテの後述「その才能には驚くほかないが、残念なことに不羈奔放な人柄だ」という記述に残っているようです。
ま、彼は変人というかゲージツ家にありがちなタイプだったのでしょう。一心になると周りがみえなくなる。
人としてはねー魅力的だったのかな??と思います。
そんなベートーヴェンとゲーテが散歩していたのはこの公園だったのかしらね。
その公園の一角になにやら立派な建物がありました。
高級車もいっぱい止まってる。
そして軒先にベートーヴェンBeethovenの文字。
現在はLázeňský dům Beethovenベートーヴェン・スパというリゾートホテルになっている建物です。
但しここにベートーヴェンが滞在していた訳ではないようです。
ここに書いてあるのはアレクサンダー・フォン・フンボルトAlexander von Humboldtの文字。
ドイツの博物学者兼探検家、地理学者だそうです。
建物にそって更に歩くと
ちいさな噴水?のある場所にでました。
そしてその先に何だか像がみえました。
近づいて見ると・・ベートーヴェン??
でも、なんだか筋肉もりもり・・でちょっとイメージかなー・・
なんか違うよなーー
とか眺めていたのです。
ベートーヴェンというよりはモーツアルト??とか思ったのですが、台座にはなにも書いてありませんでした。
少し先にいったら、この町の地図と名所が掲げてあったので、それによると
・・・モーツアルトの像だそうです。
でもテプリツェとモーツアルトの関係は聞いたことがありません。なんでだろう??
と思っていたのですが、帰国して調べたら少しわかりました。
ここによると、ドイツの彫刻家フランツMetzner(1870年ー1919年)の作品で、おそらく当初はプラハのエステート劇場の前に飾る予定だったものが、何故かここにあるようです。
でもね・・ベートーヴェンの像暗いあってもいいのにネェーと思ったkおばちゃんでした。
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