落葉松亭日記

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李登輝氏・安保法案を歓迎

2015年07月23日 | 政治・外交
アジアの平和に…元台湾総統、安保法案を歓迎 07月22日 19:47読売新聞
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/world/20150722-567-OYT1T50158.html

 来日中の台湾の李登輝元総統(92)は22日、都内の衆院議員会館で講演した。
 李氏は非公開の質疑応答で、安全保障関連法案について、「日本が主体的に安全保障に意識を持つことがアジア全体の平和につながる」と述べ、歓迎した。同席者が明らかにした。
 李氏は講演で、1949年の中台分断以降、中国が掲げる「一つの中国」の原則について、「決して同意することはできない」と強調。「『自由』と『民主』を至上の価値とし、日本と手を携えて国際社会に貢献したい」と語った。
 講演は、岸信夫衆院議員らの招請で開かれ、下村文部科学相や古屋圭司前防災相ら国会議員約300人が出席した。
   (国際部 小峰翔)

来日の李登輝氏「ひとつの中国、決して同意できない」 衆院議員会館で初講演  07月22日 20:19産経新聞
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/world/sankei-wor1507220036.html

写真:講演を終え、拍手に応えて手を振る台湾の李登輝元総統=22日午後、衆院第1議員会館(酒巻俊介撮影)

 来日中の台湾の李登輝元総統(92)は22日、東京都内の衆院第一議員会館で、国会議員有志らを前に台湾の民主化をテーマに講演した。総統退任後、李氏の訪日は7回目だが、国会施設での講演はこれが初めて。
 「台湾パラダイムの変遷」と題した日本語による講演で、李氏は戦後台湾を統治した中国国民党政権を「外来政権」だと指摘。同党の長期支配を受けたことで、「独立した台湾人」という意識が台湾に確立されたと語った。

 李氏は、戒厳令解除から2000年の政権交代までを台湾の「第1次民主改革」として成果を強調する一方、現職の馬英九総統が進めた対中政策が批判を浴びたとして、総統権限の制限を含む新たな民主改革が必要だと述べた。
 中国に関しては、在任中に制定した「国家統一綱領」を例に「中国が自由化、民主化されるような日は、半永久的に来ないと思っていた」と発言。「ひとつの中国」との原則について、「われわれは決して同意できない」と拒絶した。

 講演に先立ち、下村博文文部科学相が超党派議員の発起人を代表してあいさつ。講演会には議員ら約300人が出席した。

西村眞悟の時事通信
http://www.n-shingo.com/
台湾の防衛は我が国の個別的自衛権の問題である 平成27年7月23日(木)

昨夜、台湾の総統として台湾人のアイデンティティーを鮮明に打ち出し、 極東の我が国の南の海域に、 支那とは一線を画した文明圏としての民主主義海洋国家としての台湾国を出現させるという旧約聖書のモーゼのような世紀の偉業を為した 李登輝閣下との晩餐会に出席させていただいた。

李登輝閣下は、昨年、クラーク博士の教えた北海道の札幌を訪問された。
その時にも、札幌で夕食を共にさせていただいた。
その時、李登輝閣下は、 総統在任中の台湾における大きな地震に遭遇して直ちに現地に飛んで救助救援活動を指揮した状況に関し、 「昭和二十年三月十日の東京大空襲の時に、 自分は帝国陸軍中尉として千葉に駐屯していて、 直ちに、千葉から部隊を率いて東京に救援に入った。 台湾の地震では、その時の経験がいかされた。」 と語られたことが印象に残っていた。

その昭和二十年三月十日、李登輝帝国陸軍歩兵中尉は、日本人であった。
では、現在は、李登輝閣下は日本人ではないのか。
確かに、台湾は我が国の敗戦後に米軍の施政下に入り、 後に、大陸から蒋介石の国民党軍が台湾に進駐してきた。
しかし、この事態によって、 それまで日本人だった台湾人の日本国籍が自動的になくなるわけではない。
それは、千島や樺太にソ連軍が進駐しても、 そこに住んでいた日本人が国籍を失いロシア人になるわけではないのと同じである。

さて、晩餐会の前に、 李登輝閣下は、衆議院第一議員会館で、講演を行い、約三百名の衆参議員が集まった。
そこで、つい先日まで衆議院で大騒動し、これから参議院に移る安保法制案審議に関して、 一体、彼ら議員達が、「具体的な国防の課題」を自覚して議論しているのか否か、 を確かめる二つのポイントを述べておきたい。

一つは、北朝鮮による拉致被害者救出の課題である。
これは既に述べた。関心ゼロである。
彼らの頭の中は、自国民の救出という国防の最重要課題に対して、空っぽ、である。

では、次の一つは何か。
それは、台湾防衛である。
議員諸侯が、三百人も集まって話を聞いた、 李登輝閣下の故郷である台湾の防衛である。
まず、拉致被害者救出も台湾の防衛も、 我が国の個別的自衛権の問題であることを指摘して、 台湾防衛について述べる。

国家の持つ自衛権とは何か。
その内実は凄まじいものであり空理空論から生まれたのではない。
国家の指導者が修羅場の国際社会の中で、 国家存続のための生き残りをかけて、 決断して実践したなかから自衛権は生み出されてきた。

次のデンマーク艦隊引渡請求事件(イギリス対デンマーク、1807年)を見られよ。
我が国の国会では この自衛権とは何かを自覚しない、つまり、自覚する覚悟のない連中が、 「集団的自衛権の限定行使か限定不行使」つまり、「憲法九条の解釈」 という訳の分からん議論をしているのがわかる。

ナポレオンは、ヨーロッパにおける覇権を確立する為には、 イギリスを征服する必要があると考え、まずイギリスの海軍力を殲滅しようとした。
しかし、1805年11月のトラファルガー海戦においてフランス・スペインの連合艦隊はイギリス海軍に大敗する。
その結果、中立国のデンマークの海軍力は、イギリスに次いで世界第二位となった。
イギリスは、デンマークに隣接するドイツにフランス軍が駐留しており、いつでもデンマークを制圧できる態勢にあったことから、 1807年7月、コペンハーゲン沖にイギリス艦隊を集結し、 デンマークにイギリスと同盟を結ぶか艦隊を引き渡すかを迫った。
それに対して、デンマークが態度を明らかにしなかったため、 イギリスは、無為に過ごせば事態が自国に不利に展開することを憂慮し、 武力によるデンマーク艦隊の接収を決意した。

イギリスは、8月16日、艦隊よりコペンハーゲン市内への砲撃を開始し、 9月7日、デンマークを降伏させ、直ちにデンマーク艦隊を接収し、 10月21日、七十六隻のデンマーク艦隊を引き連れてイギリスに戻った。
イギリスは、この行為を、自衛に基づくものと主張した。
       (以上、田畑茂二郎編「ケースブック国際法」有信堂より)

そこで現在の台湾に戻る。
大陸の中共は台湾を自国の領土とみなして武力侵攻の方針を一貫して堅持している。
ところが、現在の台湾総統の馬英九は、政権末期になって急速に中共に同調し接近している。 私の台湾の友人は、この馬総統を「きちがい馬」と日本語で呼ぶ。
もう一人の友人は、馬が急速に中共に接近している理由を、 「中共から金をもらったからだ」と単純明快に言う。
つまり、この状況は、中共の台湾併合が具体化してきたということである。

仮に、馬英九に反対する李登輝閣下が敷いた「台湾人の台湾」を守ろうとする多くの人々が、 反馬闘争を開始し、馬政権と街頭で衝突した場合、 中共がウイグルやチベットでしたように、ソ連がチェコのプラハでしたように、 中共が、一挙に台湾を武力併合する事態が現実味をおびてきたというべきである。

そこで、台湾が有している武力であるが、 台湾は現在、中共の軍隊と互角に対戦できる最新鋭の戦闘機と艦船を保持している。
従って、中共が台湾を併合して、台湾の海空軍力を接収したならば、 我が国にとっては、突如として近海に我が国の二倍の海空軍力が出現することになり、 尖閣・沖縄の領土保全が困難となる。

ここにおいて、1807年にヨーロッパで、 フランス、デンマークそしてイギリスとの間で生まれた同じ事態が、 現在の東アジアの、中共、台湾そして我が国の間で生まれているではないか。
即ち、中共が台湾を併合することが我が国の最大の脅威の出現であるならば、 台湾を中共から防衛することは、我が国の自衛権の問題である。

厳しい東アジアの情勢の中で、台湾に関して、この問題意識を持たなければ、 政治は、我が国の安泰を確保するという責務を果たすことはできない。
台湾を守ることは、即ち、日本を守ることである。
まことに、我が国と台湾は、運命共同体であることを知るべきである。

李登輝閣下は、 この度はご夫人同行ではないが、娘さん達と来られており、 本日は、福島の郡山に立ち寄られて仙台まで行かれる。
そして、松尾芭蕉ゆかりの地である松島を見物されるという。
やはり、李登輝閣下は、 日本人である。
李登輝閣下一行の旅のご無事と、台湾で留守を守られているご夫人のご健勝を祈る。

お問い合わせ:西村眞悟事務所
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